第三章
導入――『或る手紙』
ご無沙汰しています。
先生と呼ぶべきか、それともそんな区別など取っ払ってしまって親しみを込めて〝友人〟とでも言うべきか、相変わらず言葉の扱いは難しい。僕はただなんの隔たりもなく語りかけたいだけなのに。
結局のところ、なんでもかんでも言葉で分解せずにいられないのだから、まったく僕という人間には困ったものです。こんなこと続けていたらいずれ情緒などというものは何も感じられなくなってしまう。
常々、深淵を覗くのはほどほどにしないとと思ってはいるんです。分解したら一度元に戻さなきゃなりません。だって壊れたままの機械に夢は見られないでしょう?
実のところ、壊れた機械に夢は見れずとも今を愛おしむことはできますけれども。でもまぁ、さしあたって〝あなた〟とでも呼ぶことにしましょうか。
あなたは以前、「手紙」という形式をとってドッペルゲンガーのことを記していましたね。創作の一つとして。あるいは何か物語の一つとして。
きっと世の中のほとんどの人には創作だと思われているでしょう。僕もそれに対してどうこうは言いません。自分に同じ経験があるからと言って、見たことのない誰かに無理やり信じろというような、精神的な暴力は僕の望むところじゃない。
実のところ信じてもらえるかどうかはどうだっていいんです。僕は証明したい訳でも論理的に説明したいわけでもない。もちろん支配したいわけでもない。ただ物語を通じて、心で、肌で、自由に感じてほしいだけなのですから。
畢竟、大切なものは目に見えないと言いながら、その実、目に見えないものを信じるという行為が中々に難しい。僕だってこんなことを書きながら人の痛みには鈍感で、結局のところ、証明しようがないものは自分が経験するまでわからないんでしょう。
とはいえ、僕は知っています。この手の話を書くにあたって僕がまず一番恐れるのは(あるいはあなたが一番恐れていたかもしれないことは)、嘘偽りなく正直に書いた言葉がただの戯言と思われること。
あるいはただの現実離れした物語か何かの類いだと思われて、ストーリーの良し悪しでしか判断されないこと。
そして、真摯に書き記した言葉が狂人のそれと思われて、誰の心にも届かないこと。
あなたのしようとしていたことが手にとるようにわかるというのは、ただの思い上がりでしょうか。けれども、この場所でくらい思いの丈を自由にしたためてもいいでしょう。どうせ届くかどうかもわからない手紙です。
ときに、僕の場合は信じてもらえるかどうかはさほど重要ではないというのはさきに述べたとおりで、いずれファンタジーとして作品にでもしてみようと思います。
あなたが悩まされた白い歯車は、今は閃輝暗点として知られてきていますし(僕もあの瞳孔の縁にある虹彩と呼ばれるトゲトゲを見るたび痛みを思い出すくらいにはあの白い歯車には手を焼きましたから)、せっかくならファンタジーとして何か別の世界へ移る時の合図にでも使ってやれと思います。
ドッペルゲンガーの方はどうでしょう。閃輝暗点ほどにはまだ知られていないようですが、古い文献を読む限り、東の果てにある小さな島国では、江戸時代頃までは〝離魂病〟として庶民の間でも風邪やその他の流行り病と同じように扱われていたともあります。かなり昔の翻訳なので本当のところはどうかわかりませんけれども。どうにもこの島国の昔の字は曲がりくねっていて判別しにくい。
確証はないものの(今後証明されることもないでしょうが)、ファンタジーの要素としては何か書けるのではないかと思います。ただいまのところはホラーの要素のが強いでしょうか。出会ったら死ぬとでもいうような。別にそんな大それたことはなにもないのはあなたもご存知でしょう?
実際、僕は何度か知人友人に同時刻に違う場所で目撃されていますが、別に死んだりしていません。性懲りもなく生きています。ただ実際のドッペルゲンガーあるいは二重存在をそのまま物語にするのは少し無理があるかもしれません。
彼らは透けてもいないし物も掴める。その辺の人と何ら変わりはないけれども振り返ると姿が消えてるとか、話し掛けても反応しないとかそんな類いの存在で、会話しないとなると物語を書く上で(しかもメインキャストに据えるとなると)かなりハンデが大きい。そこは少しファンタジーにするつもりです。
それにしても、正直自分のあずかり知らぬところで起こっていることで知人友人から「すごくそっくりな人いるよね」とか「昨日の帰りホームから手を振ったのに」だとか「どうして無視したの」などと言われても、まったくもって自分には初耳のことなのだから、一体どうしろと言うのでしょうね。
ただ「気のせいじゃないの?」と言われたときにだけ、私はあなたの言葉を借りてみたりするのです。
『そういって了えば一番解決がつき易いですがね、なかなかそう言い切れない事があるのです』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。