第38話 約束
メルヴェール王国崩壊から10日後 ブラン領
「お嬢様、王都に戻られなくてもよろしいのですか?」
「ティナ今はまだ戻れないわ、戦争が終わったと言っても逃れてきた人達のほとんどがこのブランの地に留まると言うのだもの、1日でも早く彼らの生活を安定させてあげないと」
お母様とお姉様、それと王都のお屋敷で働いてくれていた使用人達は全員王都のお屋敷へと戻っていった。
昨日届いた手紙には王都のお屋敷が騎士団に荒らされており、連日片付けに手を取られ続けていると珍しくお母様が愚痴っていた。
「それは理解しておりますが、1日ぐらい王都のお屋敷に戻られても……クロード様の事もございますし」
現在この国はラグナス軍が占拠しており、その代表としてクロード様が王都にあるお城に留まられている。
いずれこの国だけで復旧が出来る目処が立ち次第、ラグナス軍はこの国を去る事が決まっているが、大きな混乱を見せていないのは、ひとえに引退された前公爵様であるお二人の力が大きいのは誰の目からみても明らかだ。
「気を使ってくれるのは嬉しいけれど今は無理ね。お父様かレオンお義兄様が戻られれば一日ぐらいは王都に行けるかもしれないけど、往復で丸二日もかかっちゃうんだから、私一人が我儘を言う分けにはいかないわ」
お父様とレオンお義兄様は現在王都で国の復旧に努められている。
今は前公爵のお二人がお力を貸してくださっているとは言え、グリューン新公爵様は経験に乏しく、ウィスタリア新公爵様は私よりも年下だ。そして今回の戦争で全ての侯爵家がフェルナンド家に加担したとし、取り潰しとなった。その関係で伯爵の中でも最も力を持つお父様が国の代表として支えておられる。
「そうですか……クロード様もお手紙ぐらい下さってもよろしいと思うのですが……」
「無理を言ってはいけないわ、きっとお忙しいのでしょ。さぁ、街の様子を見に行くわよ、ハンスにもそう伝えてきて」
「畏まりました」
「随分街らしくなってきたわね」
ダリルの丘から見渡せる真新し街並み、まだ木材や資材が多く目につくが、僅か一ヶ月の間で幾つもの家が立ち並んでいた。
「そうですね、まだテント暮らしの住民も多いですが、それでも各々前に進もうと頑張っておられます」
この地に逃げ延びた人達の故郷は、戦火みまみれ多くの家や田畑が燃えてしまった。その原因を作った人物が我が国の王子だと言うのだから救いようがない。
それでも故郷が愛おしくて戻った住民も僅かながらいたのだが、多くの住民がこの地に留まる事を決意した。その理由は焼け落ちた街を復旧するよりも、新しく街を作った方が良いという事と、こんな状況になるまで何の対策も打たなかった領主に愛想が尽きたという者も多くいる。
「それにしてもこれだけ多くの住民に抜けられては、エレオノーラのアージェント家は今頃困っているんじゃないかしら」
この地に留まった多くの住民はアージェンド領とフェルナンド領の出身だという事だから、領民が減れば復旧も遅れ、領主へ入る収入も減る。
今回の一件でフェルナンド領は国が管理する事に決まったが、エレオノーラのアージェント領は自らの資産を売却してでも復旧に携わらなければならない。
もちろん多少なりとは国からの援助は降りるかもしれないが、とても賄いきれるものではない。もし緊急時の為の蓄えを疎かにしているようであれば、国から領主失格の烙印を押され、最悪爵位を取り上げられた上にお家取りつぶしとなってしまうだろう。アージェント家はブラン家と違い、独自の自治権までは許されていないのだから。
「いい気味ですよ、お嬢様あんな酷い事しておきながら自分はのうのう学園生活を満喫いていたんですから」
「まだ怒っているの? もう一年も前の事よ」
ティナは私が学園を途中で辞めねばならなかった事を、今でも根に持っているらしい。
「おい、何だお前、順番を抜かすんじゃねぇよ」
「た、頼む。昨日から何も食べていないんだ」
「心配しなくてもちゃんと全員に行き渡るようにしているから、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。ほら、ちゃんと順番に並んで、ここにはあんたより傷ついて苦労している者は多いんだよ」
「何かしら? 騒がしいようだけれど」
街を見て回っていると住民たちが集まっている方から騒ぎ声が聞こえてきた。話の内容からして、どうやら炊き出しを待つ順番を守らなかったようではあるが、ここ一ヶ月で助け合いの精神を養った人達には珍しい光景だ。
「何でしょう? トラブルでしたら私が見てきますが」
「いいわ、私が行った方が騒ぎも大きくならないでしょ」
私の髪色は特徴的だから、一目見れば皆んな落ち着いてくれるだろう。これでも一応領主代理は継続中なのだから。
「どうしました? 何かトラブルでも?」
「あっ、これはリーゼ様、このようなところまでお越しいただきありがとうございます」
給仕してくれていた女性が私の名前を呼ぶと、近くにいた住人が一斉にこちらを振り向き頭を下げる。その中で一人薄汚れたフードを頭から被った男性らしい人物が、空のお椀を持ってこちらを見つめてきた。
「美味しそうな臭いね、でもルールは守らなければならないわ。些細なトラブルが大きくなってしまう事だってあるんだもの。食べ物はレガリアから支援していただいたものがまだ豊富に残っているから心配しないで」
私は優しく男性に向けて声を掛ける。すると
「リーゼ!」
「えっ?」
突然声をかけられ、改めて目の前の男性を凝視する。フードを深く被っているが、その奥から私を見つめる目に見覚えがあった。
「おい、お前。リーゼ様に対して呼び捨てとは無礼にも程があるぞ」
「このにいる住人は全員がリーゼ様に恩義を感じているんだ、口の聞き方に気をつけろ」
男性の一言で、周りに集まっていた住人から抗議の声が上がる。
「待って、彼に悪気はないわ。ここは私に免じ抑えてくれないかしら?」
「……リーゼ様がそうおっしゃるのなら」
渋々という感じではあるが、全員が一旦気持ちを抑えてくれる。
「ティナ、悪いんだけれどしばらくここで給仕の手伝いをお願いできるかしら、私はちょっとこの人と話があるの」
「畏まりました」
「ハンス、貴方はついて来て」
「はい、畏まりました」
私はティナとハンスに指示を出し、男性の腕を掴むと街の端に見える林の方へと場所を変える。
「何故ここにいるんですか、ウィリアム様」
私が放った一言でハンスの眉が一瞬動く。
「き、君に会いに来たんだ」
ウィリアム様は自らフードを外し素顔を晒す。
「貴方は今ご自分の立場をご存知なのですか? 懸賞金までは掛けられていないとはいえ、今や貴方の人相書きは国中に出回り、このブランの地にまで届いております。それなのにまだこんなところにおられるだなんて」
メルヴェール城陥落の時、何故かウィリアム王子の姿だけ見つからなかったという。生きておられるお姿は、城が陥落する前に見たという目撃証言があった事から、国中に手配書が回された。
私はてっきり戦後のゴタゴタに紛れて他国へと落ち延びたのだとばかり思っていたが、まさかまだ国内をウロウロされていただなんて考えてもいなかった。
「手配書の事は知ってる、公爵の奴ら俺を逃がしてくれると言っていたのに手配書まで回しやがって」
「えっ」
公爵様達が逃がした?
ウィリアム様が言っておられるのは恐らく前公爵様のお二人、でもそんな事をしても何のメリットもない、寧ろウィリアム様が捕まった時の事を考えると、自分たちの首を苦しめるようなものだ。すると考えられるのはただ一つ、亡くなった陛下への忠誠心。
いくらダメなウィリアム様でも、忠誠を誓われていた陛下のたった一人のお子様である事には違いない。もしあのまま捕まっていれば待っているのは戦争の責任を取らされ、全会一致で断頭台に立たされる事だろう、だから我が身の危険を顧みず見逃されたのではないだろうか。
手配書は城の者が生存を目撃していたと言う事だから、お二人にはどうすることも出来なかったと考えれば辻褄があう。
私程度でも前公爵様のお気持ちが分かると言うのに、ウィリアム様は依然何もわかっていらっしゃらない。この人は本当に周りが一切みえていないんだ、だから私の立場も考えずにこんなところまで……
「残念ですが私ではウィリアム様のお力にはなれません、貴方にはここより先に頼るべき先があるでしょう?」
「エレオノーラの事を言っているのか? もちろん分かっているさ、だがあいつは俺の事を見放したんだ、自分は王子である俺に興味があっただけで、今の俺にはなんの価値も見いだせないって」
あちゃー、流石はエレオノーラだわ。既にウィリアム様を見放していたとは逆に感心するわ。
まぁ、今のアージェント家にウィリアム様を匿うだけの余裕があるとも思えないし、当然の事を言えば当然の対応だろう。だからと言って私が助けると思ってもらっても困るのだが。
「頼むリーゼ、以前アデリナ達をレガリアに亡命させたのはお前だろう? もう二度とお前の前に姿を見せないと約束する、だから俺を助けてくれ」
余程切羽詰まっているのだろう、さっきもロクに食べていないと言う事だったから、何が何でも私にすがりたいのだろう。
「ハンス、ウィリアム様に少しお金を渡してあげて」
「リーゼ? 俺を助けてくれないのか?」
「ウィリアム様、私は貴方に何もしてあげられません。レガリアに亡命したいと言う事でしたが、レガリアは貴方を迎え入れてくれないでしょう。アデリナ様の時とは状況も立場も異なります。いくら私が話を持ち掛けたとしても拒否されてしまうでしょう」
ウィリアム様は今やこの国に留まらずラグナスにとってもお尋ね者、いくらレガリアであっても受け入れてくれるとは到底考えられない。
「だったらどこでもいい、西でも南でも俺を安全な場所まで連れて行ってくれ!」
「私は今から100数えます」
「えっ、何を言って……」
「ウィリアム様は私が数え終わるまでに姿を消えてください。もし数え終わった後にまだ居られるようようでしたら、国へと引き渡します」
「待ってくれ、頼む、助けてくれ」
「ひとつ……」
「なっ、リーゼ、何でも言う事聞く」
「ふたつ……」
「待ってくれ、お前も俺を見捨てると言うのか」
「みっつ……」
「……くそっ!」
「よっつ……」
私が本気だと分かったウィリアム様は、ハンスからお金が入った革袋を強引に奪い、走り去っていった。
「お嬢様」
「分かっているわ、すぐにウィリアム様の後を付けさせて。国への報告は私からしておくから」
残念ですがウィリアム様、貴方を見逃してこのブランを再び危険な目に合わせるわけないのです。アデリナ様達の時とは状況が違いすぎる、今この国は新しい一歩を踏み出そうとしている時に、結束を覆す様な出来事があってはならないです。
せめて王国から騎士が派遣され、捕らえられるまでの間だけ、精一杯生き続けてください。その後待っている死は避けられないのだから。
「ウィリアム様、貴方は私を恨むでしょう。だから私は貴方の死を一生背負い続けます」
「その必要はないよ」
「!」
突然林の木陰から一人の男性が姿を現す。
「リーゼが彼の死を背負う必要は一つもない、このまま見逃しても特に困ることもないしね」
「クロード、様?」
「会いに来たよ、リーゼ」
目の前に現れたのは間違いなくクロード様だ、でも何でこんなところに。
「どうして、私は夢を見ているのですか?」
「夢じゃないよ、ウィスタリア候とグリューン候、それにブラン伯爵がリーゼに会いに行けるよう仕事を調整してくれたんだ。この後すぐに王都に戻らなきゃいけないんだけれどね」
「すぐにって、私なんかの為にワザワザこんなところまで会いに来てくださるなんて」
「なんか、じゃないよ。僕にとっては何よりも重要な事だ。」
「クロード様……」
会いたいと思っていた人が目の前にいる、ここまで来るためにきっと無理を
なさったのだろう。それでもやっぱり嬉しい気持ちが抑えきれない。
「ごめんね、実はあまり時間はないんだ。だからこれだけは伝えに来た。僕はこの国の王になるよ」
「えっ、この国の王様に?」
メルヴェール王国は消滅した、次の国王として戦いに勝利したラグナスの王族が入ってくるのはおかしくないだろう。でもそれだと私は益々クロード様から遠ざかってしまう。国王陛下の妻に相応しい人物は公爵家の人間なのだから。
一瞬アデリナ様の顔が過る、あぁ私は何て浅ましいのだろう。
「この国の王族はいなくなった、本当なら公爵家から代表が選ばれるべきなんだけれど、ウィスタリア候とグリューン候の強い希望もあってね。貴族達もお二人が説得されて条件付きで決まりそうなんだ」
「そう、ですか」
「それでね、貴族達がミルフィオーレ様の血を引くリーゼを迎えるならって」
やっぱり、クロード様は結婚されるんだ。ミルフィオーレ様の血族の方と……
「って、えっ!?」
「ん~、やっぱりダメだな、これじゃまたサーニャに怒られてしまう。リーゼ」
「は、はい!」
「貴族達がリーゼを僕が迎えるならって言っているけど、そんな事は関係ない。僕はリーゼに会えなかった一年半、君への気持ちは萎えるどころか激しく燃え上がっていた。出来る事なら今すぐ会いに行きたいと思うぐらいにね。
だけど今頃リーゼも精一杯頑張っているのなら、僕は今自分に出来る事精一杯こなし、次に会うときは自慢できる男になっていようと決めていたんだ。だから……」
「ごめんなさいクロード様、私は今ブラン領から離れる事はできません。今この街にいる人たちには私が必要なんです」
「分かっているよ、リーゼが民達を大事にしている事はね。それにブラン伯爵は今王都ではかかせない存在になっているから、簡単にこの地には戻れない。だから待っていてほしいんだ」
「待つ?」
「来年の春、それまでに僕はこの国を作り直しリーゼを迎えに来る。だからその時は……僕と結婚してほしい」
人生、これほど嬉しい事はあるのだろうか。嬉しすぎて心臓が止まりそう、だけど目の前の彼がこれは現実だと物語っている。
リーゼ、いいよね。
そっと心の中でもう一人の私に語りかける。
「…………はい、何時までも、何処にいても私は貴方の事を待ち続けます」
「約束だ」
「はい、約束です」
後に記録にこう残されている、運命で切り離された二人がブランの地で巡り合えた。男性の名前はクロード、女性の名前はリーゼ、二人の恋の物語は多くの国民から祝福され、歴史にその名を刻むこととなる。
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