第3話 お父様からの試練

 コンコン

「奥様、旦那様がお戻りになられました。リーゼ様を書斎にお連れするよう申しつかっております」

 私を呼びに来たのはこのお屋敷に仕える執事のルーベルト。20代後半とまだ年若いが、お父様から最も信用されている人物である。


「ありがとうルーベルト、それではお母様行ってまいります」

 お屋敷に帰ってからお母様とついつい話し込んでしまい、今までお茶とお菓子を食べながら長居してしまった。

 何だか久々に二人っきりでお話しをした気がする、何時もはここにお姉様もいるのだけれど、生憎今日は婚約者のレオン義兄様と一緒にブラン領に戻っているので、ここには居られない。


「待ちなさいリーゼ、私も一緒に行くわ」

 一人でお父様の部屋に行こうと立ち上がったら、お母様が声を掛けてこられた。

「お母様もですか? それは心強いですが、お父様に叱られませんか?」

 普段のお父様は基本的に私たち姉妹に対して優しいが、一度ひとたび国の政策や領民の事に関わると、例え娘であっても厳しく処罰される。

 今回の騒動では私の無実を信じてくれてはいるが、婚約破棄を言い渡されたのは私個人の失態によるところが大きい、正直なところ良くて謹慎、悪くてお家追放は覚悟はしている。


「今回の一件、リーゼは被害者なのだから責任を感じる必要はないわ。だからアルがリーゼを言われなき理由で責めないよう見守ってあげる」

 アルとはお母様がお父様を呼ぶ愛称で、本名はアルフレッド・ブラン、このブラン家の現当主に当たる。

「ありがとうございますお母様」

 お母様が付いて来てくださると言うならこれほど心強い事はない。未だ娘の前でもラブラブっぷりを見せる二人だが、一度夫婦喧嘩が始まると必ず最後はお母様が勝ってしまうのだ。


 これでお父様から厳しい罰を課せられる可能性は低くなったが、安心出来るのはまだ早いだろう。ウィリアム様が最後に言った、国からの罪状を言い渡すとの言葉も気になるところ。

 あの時は頭に血が上っていたので好きにすればいいとは思っていたが、よくよく考えてみれば、何故私が二人の幸せの為に無実の罪を被らなければならないのか。別に社交界からつま弾きにされるのが嫌と言う訳ではないが、あの二人が私の不幸を喜んでいるところを想像するだけでも虫唾が走る。

 それに今の私にはやりたい事が出来たのだ、それには爵位や名誉は必要ないが、お屋敷を追い出されたり住むところが無くなったりするのは何の得にもならないだろう。

 私とお母様は一緒にお父様が待つ書斎へと向かっていった。



 書斎の前でコンコンと扉を叩くと、中々小さく「入れ」と言う言葉が聞こえてきたので、二人で部屋の中へと入る。

 お父様は一度こちらを振り向き、やれやれと言った感じでソファーへと座るよう促され、読んでいた書類を片付けて私たちの対面へと座られた。

「最初に聞くが、なぜコーデリアがここにいるんだ? 私はリーゼ一人を呼んだつもりなんだが」

「あら、娘の一大事なんですのよ? 母親である私が同席するのは当然ではございませんか?」

 ここに居て当然と言わんばかりの態度で私の隣に座られているお母様。

 お父様も最初から付いて来る事が分かっていたのか、無理に追い出す事はせず、半ば諦め気味に話を続けられた。


「大体の経緯は宰相を通し私の元にも伝わっている。今上層部大慌てで王子の説得を心みているぞ」

 あぁ、やっぱり既にお父様の耳にも伝わっていたか。

 お父様は領地のブランを運営しながらお城の政府役職にも付いている為、国内で起こるゴタゴタには大変詳しい。

 どうせ、ウィリアム様辺りが私に婚約破棄を言い渡したとかお城で言い回っているのだろう。それを聞いた周りの慌てっぷりが目に浮かぶようだわ。


「申し訳ございません、私が不甲斐ないばかりにお父様達のお手を煩わせる事になってしまって」

「その事はもうよい、シャルトルーズ家には金輪際こんりんざい二度と付き合いはしないと抗議状を送りつけてやった」

 シャルトルーズ家とは私を嵌めたケヴィンの家、爵位は伯爵より一つ下の子爵に当たるが、お爺様の代に領地が飢饉に見舞われた際、ブラン家が援助した事から長年良好な関係が続いてきたのだ。それが息子の何気ない行動で絶縁を言い渡されたとなると、今頃大慌てでどう謝るか頭を悩ませている事だろう。


「まぁ、何てお優しい対応なんですか。私でしたら息子を呼び出しひざまずかせた上、お家追放を言い渡すよう伝えますわ」

 いやいや、そんな素晴らしい笑顔で何怖い事言っているんですか。私は別にそこまで酷い報復を望んでいませんから。

「コーデリアよ、気持ちは分からんでもないが相手も貴族の一員だ。流石に次期当主をひざまずかせたり、お家追放はやりすぎだと思うぞ」

 いやいやいや、絶縁状を言い渡しているお父様もどうかと思いますよ。今まで気にすることはなかったけど、貴族社会ってこんなにも階級に厳しいものなんだ。


「あの、お二人のお気持ちは十分わかりましたので。それより今はケヴィンの家の対応より今後私の処遇の方が気になるのですが」

 このまま放っておけばより怖い方向へと向きそうだったので、慌てて話題を変える事にする。

「取りあえず政府としてはまだ結論に達していない。そもそもリーゼがアージェントの娘を突き落としたという証拠は揃っていないんだ、それなのにあの王子は好き勝手に騒ぎ出しおって」

「ですが私はケヴィンの罠に嵌ってしまい、大勢の生徒の前で嘘をついた事になっているんですよ? それを持ち出されてしまっては申し開きが出来ません」

「だからと言ってこのままにしておく訳にはいくまい。お前は悔しくないのか? アージェントの小娘如きに王子を取られて」

 そうか、お父様は私がまだウィリアム様の事を好きだと思っているんだ。

 できる事ならこのまま婚約破棄が成立して自由の身になりたいところなので、ここは全力をもってウィリアム様の味方をしたい。


「アル、リーゼは既に王子の事は何とも思っていないそうよ。」

 お母様が何気に助け舟を出してくださる。

「そうなのか?」

「はい、伯爵家の娘としてあるまじき行為だとは思っておりますが、出来る事ならこのまま婚約破棄が成立して欲しいとさえ考えております。」

「ふむ、お前がそう言うなら考えないでもないが、しかしこれは困ったな」

 そう言いながら腕を組みながら考えに耽られる。

 お父様が考えておられるのは恐らく国の政策と今後の私の立場と言ったところだろう。いくら両家が嫌だと言っても政府関係者は全力を持って止めに入るだろうし、このまま罪を認めてしまえば今後の私にいろんな問題が降りかかってくる。

 それが分かっているからこそ今ここで迂闊には返事が出来ないのだ。


「アルは王子の事をどう思っているの?」

「どうとは?」

 考えに耽っておられるお父様にお母様が話かけられる。

「私としてはリーゼを王子と結婚させるのは反対よ、いくら国の対策とはいえ今のままでは二人が幸せになるなって事は絶対に不可能な話よ。それは貴方も分かっているでしょ?」

「そうは言うが、今国民から信頼を取り戻すのはこの国にとって急務と言って良い課題なのだ。私としても娘を利用しているようなものなので、いい気分ではないが政策として決まったのだから従わざるを得ないだろう」

「だからと言ってリーゼ一人を犠牲にしていいと言う訳ではありませんわ。今まではこの子が幸せなら見守るつもりでいましたが、今回の件で流石の私も頭に来ているのです。

 何の罪もない子を一方的に断罪したり、身に覚えのない罪を擦り付けたり、挙句の果てに国から罪状を知らせるですって? そんな事をしてみなさい、私がお城に乗り込んで王子を引っ叩いてやるわよ」

 いやいや、ウィリアム様を叩いちゃダメでしょ。

 いくらお母様でもそんな事そすればタダでは済まないと思いますよ。


「ちょっと待て、何だその国から罪状を知らせるというのは」

 あれ?

 お父様もそこまで聞かされていなかったのか慌ててこちらに訪ねてこられる。

「本日ウィリアム様に呼び出された際、別れ際に言われたのです。私の罪状を追って国から正式に伝えてやると」

「なんだそれは、これではまるでリーゼを犯人扱いにしているではないか。さっきも話したが、政府としての見解はまだ何も決まっていないのだ。そもそも学園で起きた子供の喧嘩ごときに国から罪状など出るはずもなかろう、こんなバカげた事に国を持ち出すとはあのバカ王子は一体何を考えているのだ」

 お、お父様、心の声が漏れておられますよ。

 でも、恐らくそれが本心なんだろう、誰もが分かっていて口を挟むことが出来ない。この国唯一の正当後継者であり次期国王になられるお方、それがウィリアム様なのだ。


「はぁ……分かった、その件はこちらで何とかしよう。婚約破棄の件もリーゼが望まないならこのまま白紙に戻してもいいだろう、我がブラン家と懇意にしたい貴族は大勢いるのだしな。

 ただ、全員が納得の出来る理由を考えておかないといけないだろう、そうでないとあのバカ王子が次に何を言い出すのか分らんからな。」

 お父様の中では既にバカ王子は決定事項のようだ。

 少々気になる単語が出てきたが、ここで婚約なんてもう懲り懲りだと言えばまたややこしい事になりそうなので、今はグッと我慢して押し留める。

 幸いお母様のフォローもあって私の婚約破棄にも前向きなようなので、後はそれなりの理由こじつければ晴れて私は自由の身となる事が出来る。


「お父様、こう言うのはどうでしょうか?

 罪を認める訳ではないのですが、今回の騒動に私が関わっている事は紛れもない事実です。ですから学園を騒がせた事を反省し、私が学園から立ち去ると言うのは如何ですか? 少々婚約破棄の理由には弱い気はしますが、ウィリアム様達にとって邪魔者でもある私が目の前から居なくなるわけですし、罪を認めた事にもなりません。後はお父様がエレオノーラを突き落としたという証拠が不十分だと言って下されば、貴族達は誰も深くは追求してこないでしょう。」

 ブラン家は伯爵の地位に留まってはいるが、領地の広さと財力は公爵家に匹敵する。

 その理由はこの国が出来る前からブランは存在しており、戦いによる近辺部族を統一した際、豊かなブランの土地と他国への貿易力を手中に収める為、条件付きで王国の一領地に加わったとされている。

 その為、ブラン領は如何に国王陛下であったとしても領地経営に手を出すことは出来ないし、侵す事も不可能となっている。

 そんなブラン家を進んで敵に回すようなバカな貴族はそう多くはいない筈だ。


「お前はそれでいいのか? 学園には通えなくなるのだぞ?」

「構いません、私を陥れた人達の姿を見なくて済むのは精神上助かりますし、ウィリアム様が目の前でいちゃつく様子を見れば、今度こそ本当に階段から突き落としてしまうかもしれませんから」

 ついつい淑女らしくない言葉を使ってしまったが、実際に目の前でいちゃつかれては本気で殴り倒してしまうかもしれない。別に前世が粗暴だったと言う訳ではないが、彼らがやった事は言わば浮気と一緒だ、私の……リーゼの心を弄んだ相手を憎むのは当然ではなだろうか。

 私だって好きで暴力は振るいたくはないので、このまま二人の姿を見ないまま平穏に過ごす事が出来れば、いつかは過去の思い出として忘れ去れると思うのだ。

 それに女性ならば結婚や何らかの理由で学園を途中で辞める事はそれほど珍しいわけでもないし、授業と言っても内容が子息子女の礼儀作法が大半を占めているので、今更無理をしてでも学ぶ必要は全くない。

 政府上層部には申し訳ないが、彼らが甘やかした結果今の我儘王子が出来上がってしまったのだ。その責任ぐらいは取ってもらっても別にいいのではないだろうか


「リーゼ、学園を辞めるって本当にいいの? なんだったら別の学園に編入って手もあるけど」

「お母様、それでは責任を取った事にはなりません。もし編入なんてしてしまえば、ブラン家の名前に傷を付けてしまいますし、周りからは私が逃げ出したと言う者さえ出てくるでしょう」

 私が通っていたのは王都で間違いなく一番高位の学園だと言われている。逆にここ以外は一般市民が通う普通の学園しか残っていない。

 彼らをバカにするつもりは全くないが、伯爵家の令嬢である私が通えば、両親が同じ貴族達からいい笑い者にされてしまうのだ。


「それで、学園を辞めて何をするのだ?」

「そうですね、特に決めている訳ではありませんが、もしお父様のお許しを得る事が出来るのでしたら、商売を始めたいと考えおります」

「商売? 何を売ると言うの?」

 お母様も流石に私の口から商売などと言う言葉が飛び出すとは思っていなかったのだろう、驚きの表情でこちらを見てくる。


「私、服のデザインをしてみたいんです」

 これが私がこの世界で叶えたい新しい夢。

 もう一人の私は前世で洋服のデザインを手がけていた。根本的に前の世界とこちらの世界とでは感性自体が違うのかもしれないが、着る人間はそう大差ないのだから、可愛い子が可愛い服を着れば可愛いに決まっている。これはどこの世界にいたとしても変わることがないはずだ。

 だったら私が暮らすこの世界で、新しい洋服ブームを起こしたっていいのではないだろうか。


「服をデザインって、そんな事できるの?」

「はい、一応スケッチ画から縫製まで一通りの事は出来ると思います」

 スケッチ画はともかく縫製は昔学校で習った知識があるので何とかなるだろう、この世界にも電動ではないがミシンは存在する。使い方を学べば今の私なら何とかなるはずだ。


「服を作れる自信はあるのか?」

「自信ならあります」

「……いいだろう、誰の手を借りても構わん、まずは一着最後まで仕上げてみせろ。私からの返事はそれからだ」

「ありがとうございますお父様! 必ず満足していただく服を仕上げてみせます」


 こうして私の新たなる第一歩が始まったのだ。

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