二の幕
いつもより早く家を出たからか、阿隅は家の前にいなかった。
喧嘩をしたから?
ううん、きっと風邪がまだよくなってないだけかもしれない。
深呼吸をして気持ちを切り替える。約束の時間には余裕で間に合いそう。
少し早歩きでまだ太陽が登りきっていない街中を歩いていると、バチン…と音がしてなにか転がったことに気付く。
「あちゃ…大切にしてたのにな。後で直してあげるからね」
急に糸の部分がちぎれて落ちてしまったキツネのキーホルダーを拾い上げて小石を払う。
糸が切れたにしては派手な音だったな…なんだろう?と首を傾げていると目の前にぬっと人影が現れた。
「時間どおりだな。行くぞ」
驚いて顔をあげると、そこには雪白くんが立っていた。差し出された手を素直に取ると、彼はずんずんと前を向いて歩いていってしまう。
わ…私、学校イチのミステリアス美少年と一緒に手をつないで登校してる?
少女漫画みたいなシチュエーションに驚きながらも、少し駆け足気味に校門を抜けて、校舎の四階にある図書室まで辿り着く。
「新聞で探したい記事があるんだ。とりあえず朱音は…近くに座ってて。聞きたいことがあったら呼ぶ」
えー?それ私がいる意味ある?と言いたいのを我慢して、雪白くんがカバンを置いた席の隣に腰を下ろす。
せっかく誘ってくれたんだし、きっと話しにくいこともたくさんあるのかもしれないもんね。
授業とかで使う新聞を挟んであるファイルを持ってきてパラパラと捲っている雪白くんの邪魔をしないように私は読みかけの小説をカバンから取り出して読みながら待つことにした。
「朱音、これ」
小説も中盤に差し掛かり、小説の主人公がいよいよ黒幕の手がかりを掴んだシーンに差し掛かる。そのときちょうど、雪白くんから声がかかった私は顔を上げた。
彼が差し出してきた新聞記事に目を落とす。
全身を紐のようなもので拘束され腹部が切り裂かれるという事件が載っていた。
なんとなく覚えてる。残酷な事件だったし、隣の市で起きた事件だったから話題になったけど、そこから続報は何もなくて忘れていた。
あれ?なんとなくだけど昨日の事件と似てる?
なんだか頭の奥が痛み始めた気がする。足先もなんだか冷たくなってきた。
「この記事にある被害者の
雪白くんの口からその名前を聞いた瞬間、私の頭にハッキリとした鈍い痛みが走る。
知っている。
聞いたことがある。
なんだっけ。
ズキズキと広がってくる痛みに耐えながら必死に思い出そうとする。
「…去年のクリスマス…阿隅と…」
「見つからなかったから心配したよ!昨日はごめんね」
なにかを思い出しそうになった瞬間に聞こえた阿隅の声で思考が途切れる。
頭痛はスッと引き、私は図書室の入り口に立っている彼女を見た。
「あ!大丈夫だよ!今日来れてよかった。あれからおばさんに怒られなかった?」
「うん!大丈夫!でも、母さんったらなにか誤解してるみたいだから、しばらく私の家に来ないほうがいいかも…」
雪白くんを無視しちゃダメだって思ってるけど、なにかに引っ張られるみたいに私の口は動いて、立ち上がって阿隅のそばに近寄る。
赤みを帯びた茶色の瞳で見つめられると、さっきまで思い出せそうだったことがぐるぐるとなにかに巻かれてなにを考えていたのかすら忘れそう。
「そっかぁ」
「心配しないで!ちゃんと私から朱音はいい子だって話しておくから」
阿隅といつも通りのなんともない会話。でもなにか引っかかる。
不自然?なにが?あれ?私はなにをしていた?
なにかを…なにかを思い出して、雪白くんにそれを伝えようとしてたはず。
それはとても大切なこと。
「ね、早く教室に戻ろう?一緒に」
「そうだね。早く戻らないと」
あれ?こんなことを言いたいんだっけ?私の顔は笑顔を作り、口が勝手に動く。
目の前の阿隅に変な様子もなく、「昨日はごめんね」と少し照れくさそうに機能のことを謝ってくれる。
私の気のせいかな。ちょっと物忘れするくらい誰にでもあるもんね。早く阿隅と一緒に教室に戻ろう。
「朱音!しっかりしろ」
阿隅の白い陶器みたいなすべすべの手を握って教室から出ようとしたところで雪白くんの声がしてハッとする。
そうだ…私は雪白くんと調べ物をしていて、それで…あれ?そもそも阿隅と同じ教室に帰るのはなんだっけ?
同じクラスだから一緒に教室に帰るのは不自然じゃないよね?
「え、あ…」
雪白くんの方へ戻ろうとすると、グイっと阿隅の方へ私の体が引き寄せられた。
「ところで、月城くん…朱音を変なことに巻き込むのやめてくれない」
阿隅は、私のすぐ後ろで、雪白くんを睨み付けている。昨日みたいに冷たくて怒ってるような目つき。
「阿隅…月城くんは悪くないよ…阿隅をたすけ…」
「朱音!今すぐその女から離れろ」
「―っ」
なんとか誤解を解こうと思っている私の言葉を遮るように雪白くんが大声を出す。
なんのことがわからず聞き返そうとしたけれど、首がなにかに圧迫されて声が出ない。なにかが巻き付いている?でも何も見えない。なにこれ?
首元に手を当てながらパニックになっている私の肩を雪白くんが掴む。さっきまで少し離れていたはずの雪白くんが急に目の前に来たことにも驚いたけど息がどんどんくるしくなってきてそれどころじゃない。
「動くなよ」
雪白くんは、阿隅を突き飛ばして私の体を抱えるようにすると、制服の内ポケットから出した短刀を私の首元めがけて振り上げる。
ヒッと息を小さく吐いてじっとしていると、雪白くんが勢いよく振り上げた短刀は私の首の前寸前を掠るようにして通り過ぎ、なにかに当たったように急に止まったあと、ブチンという音と共に私の顔の横を通り過ぎた。
首の圧迫感が消えてなくなってホッとする間もなく、雪代くんは尻もちをついた阿隅が起き上がる前に、私をお姫様だっこみたいにして持ち上げた。
起き上がった阿隅がものすごく怒ったような顔をしている。まるで別人みたい。
慌てている私を抱えたまま、雪白くんは窓際へ向かう。どうするの?と口を開こうとした瞬間、彼は窓を開けてベランダへと飛び出した。
「とりあえず退くぞ。しっかりつかまってろ」
咄嗟に私は雪白くんの首に腕を回し、しっかりと体をくっつける。
「え?え?どういうことなの?」
「後で話す」
雪白くんはそういうと、ベランダの手摺の上にひょいっと登った。
私は小柄な方だけど、女の子一人を抱えてそんな簡単に登れるの?
っていうかもしかして、飛び降りるつもり?ここから?
まだ登校には早い時間。校庭には誰もいない。
ちょっと待ってと雪白くんを止めようとしたとき、頭にまた鈍い痛みが走る。
【まったく朱音ってば本当に鈍いのね。だから大好きな友達だったんだけど】
痛みがジワジワと波紋のように広がるのと同時に、頭の中に声が流れ込んでくる。
阿隅の声だとわかるのに、阿隅の声じゃない。
なにこれ?阿隅はどうなったの?
【大好き大好き大好きだから…朱音…大好き】
「耳を貸すな」
響いている声は彼にも聞こえているのか、私が頭を抑えているからなにか感じ取ったのか、私の額に自分の額を合わせながら静かに一言だけそう告げて、雪白くんは前を向いた。そして、そのまま勢いよく手摺を蹴って空中へと飛び出す。
思わずギュッと目を閉じて雪白くんにしがみつく。風が頬にあたり、自分が高くから落下しているのが嫌でもわかる。
風とは違う硬さを伴うなにかが頬のよこをビュンビュン横切っていく気がして目を薄っすら開けてみる。何も見えない。
ザっと土をけるような音がして無事に地面に着いたんだってわかった。
なんか、高いところから下りたらすごい衝撃が来そうじゃない?なんの衝撃もなくかったよ?
「雪白くん…サーカスとかで修行したの?」
「…とりあえず元気なようでなによりだよ」
さっきまで図書室にいたことなんて嘘だったみたいに私のことを抱えたまま校庭に降り立った雪白くんは、そのまま後ろを振り向くことなくすごいスピードで走り出した。
「もしかして、これが怪異ってやつなの?雪白くん倒せないの?」
「…物の怪を裁くには…そいつの形と因果と名前を定めないといけない」
流れていくように目まぐるしく変わる景色と頬に当たる風ですごく速く雪白くんが走っていることはわかるけど、そんな速さにも拘わらず次々と黒いモヤモヤのようなものが追いかけてくる。
雪白くんは、私を抱えているにも関わらずそのモヤモヤをピョンピョンと飛ぶように掻い潜りながら、涼しい顔を崩さないままそう答えた。
「うーん名前なら…えーっと殺人おばけとかじゃだめ?」
「…危機感がないな君は」
「ええー?」
雪白くんは、私のせっかく思いついた提案を呆れたように却下しながらどんどん裏山の道から外れた森の方へと向かっている。
その間も黒いモヤモヤはうねうねと私たちの近くに蠢いていて、時々蛇みたいに私たちの足や手に強い力で巻き付くけれど、それに引っ張られる間もなく、雪白くんが巻き付いたナニカを分厚いスライムか何かのように引きちぎりながら進んでいく。
最初は怖くて声をあげそうになったけれど、段々と進んでいくうちに雪白くんが落ち着いているからか、マヒしてしまっているのかどちらなのかはわからないけれど、怖さは不思議と感じなかった。
「名は存在を縛り、
「えー!適当って!ひどい!」
「…
驚いて体をそらして怒られた私は、慌ててぎゅっと体を雪白くんに寄せる。
やっと黒いモヤモヤが追いかけてこなくなったみたいで、雪白くんはしばらく走り続けた後、裏山の池の近くに建ててある古びた小屋の前で止まった。
雪白くんは私を地面に下ろすと周りを警戒しながら小屋の中に入っていく。
なんだか久しぶりの地面な気がする…とホッと胸をなで下ろしながら私も、雪白くんのあとに続いてその小屋の中へ足を踏み入れた。
「真ん中でじっとしててくれ。すぐ終わるから」
雪白くんは、ブレザーのどこかから取り出した白い紙に赤い模様が描いてあるお札を小屋の窓やドアに張り付けていく。
ひらっと舞い落ちた紙に気がついて拾ったときにはお札を貼る作業は終わってたみたいで、次の作業に取り掛かっている。邪魔をするのも悪いし…。
私は、鈴が拳一つ入るくらいの間隔で吊り下げてある紅い糸を円状に張り巡らせている雪白くんのことを見ながら、余ったお札を自分のポケットにしまいこんだ。
「円の中に入ってくれ。少しは楽になる」
そう言われた私は、スネくらいの高さに張ってある糸を乗り越えて円の中に入る。
ちょっと苦しかった呼吸が楽になってホッとした。それと同時に急に頭の中にかかっていた靄が消えたような感覚がして、ハッとした。
そうだ。
なんでこんな大切なことを忘れていたんだろう。
私は…この目で見て、この胸でしっかりと喪失感を味わったはずだった。
「もしかして阿隅って死んでる…よね?」
ポロポロと私の目から零れる大粒の涙と一緒に次々と溢れ出てきたのは大切な親友のお葬式、全校集会、心無いニュース根も葉もないうわさ話…。
「そうだよね。そうだ。思い出した。去年のクリスマス…阿隅…彼氏ができたって言ってて…」
私は、隣に来てくれた雪白くんのブレザーの襟を掴みながら思い出したことを確認するように話し出す。
そうでもしないとこの悲しみとショックに耐えられそうになかった。手も唇も震えてうまく動かない。
そんなめちゃくちゃな状態の私の話を、雪白くんは黙って聞いてくれた。
阿隅は死んだ。
他殺だった。大好きで親は反対してるけど彼氏と一緒に住むんだって…。
それで、今年のクリスマスは彼の家にお泊りしてって…それで…そのまま、阿隅と連絡は取れなくなった。
何日も連絡が取れないのでさすがに怖くなった私は、阿隅のお母さんに事情を話したのだった。
そして、阿隅のお母さんが捜索願いを出してすぐ、彼女は無残な姿となって山の中で発見された。
複数人からの暴行の痕があったと刑事さんが話しているのを聞いてしまった気がする。
あっというまに、未成年の少女の悲惨な死はニュースになって、学校にマスコミが駆け寄って、阿隅はワイドショーや週刊誌に援助交際をしているとか、金品をだまし取っていたと書かれていた。
阿隅の彼氏はどこかの偉い人の息子だったらしく、とても優秀な弁護士さんがついたので実刑は喰らわなかったと聞いている。
そうだ。そうだった。それは…遊びに来たなんて言ったらおばさん怒るよ…。
雪白くんがそっと差し出してくれたハンカチを受け取り、私は涙を拭いながらもう一つ重要なことを思い出した。
「それなら…私が話してた阿隅はなに?」
「物の怪」
「え?阿隅が…」
薄々気が付いていたけど、認めたくなかった。
まだ信じられない私は、いつも阿隅とやりとりをしていた小型タブレットの履歴を隅から隅まで見てみる。
でも、どこにも阿隅とのやり取りはない。
阿隅と話している時の自分はどう見えていたのかとか、なんで阿隅が妖怪なんてものになってしまったのかとかいろいろな疑問が頭の中をぐるぐると回ってめまいがしてくる。
そんな私の混乱を鎮めようとしてくれるのか、私の頭をそっと撫でながら雪白くんは静かな声で話し始めた。
「彼女の強い感情の残滓が物の怪と結びつき、君の記憶を依り代にしてこの世に具現化した。
このままだと彼女の魂は物の怪に囚われて成仏できないばかりか、物の怪として永遠に此の世をさまよい続けることになる」
「今ならまだ…阿隅を助けられる?」
永遠という言葉を聞いてゾッとする。
神様とか輪廻とか信じていないけれど、それはとても苦しくて残酷な気がしたのだった。
それに…私の勝手なんだろうけど、阿隅にこれ以上人を殺めてほしくなかった。だって、自分を殺した相手への復讐はもう終わってる。これ以上人を殺めるなら…彼女は阿隅じゃなくて本当に化物として存在していくことになってしまう。
「彼女を助けるには形と因果、それに名前が必要だ」
顎に手を当てて考える仕草をした雪白くんの手首に、キラッと何かが光る。アクセサリーではないよね?
私は慌てて雪白くんに駆け寄って腕を掴む。急に腕を掴まれて一瞬驚いた顔を浮かべた雪白くんも、私が手に取った髪の毛くらい細い半透明のそれを見て「ほう」と感心したような溜息を漏らした。
「糸?」
「蜘蛛…か」
雪白くんは私の手から糸を取り、そっと息を吹きかけてそれを円の外に吹き飛ばすと、ブレザーの襟を正してそういった。
「形はわかった。残りは因果と、名前だ」
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