エレメンツフィアのマレビト

近衛真魚

マレビトと異世界と

第1話 異界から来た青年

 トンネルを抜けると雪国だった、というのは聞いたことがあるが……渡し板の割れたドブを飛び越えたらそこは平原だった。とは聞いたことが無かった。当然の反応として後ろを振り向いてみるが、視界に飛び込んでくるのはやはり平原と砂煙。

「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁっ!?」

 とか思わず叫んでみるものの現実は変わらず……。

 耳を打つのは吹き抜ける風の音と地響き、鬨の声、剣戟の響き。凄まじい勢いで近づいてくる砂煙。それを巻き起こしている、なにか。急に視界が暗くなった、違う、何かに日の光が遮られた。頭上を飛び越え、数メートル脇を走り抜けていく巨大な何か。

「うわっ……うわぁぁぁぁぁぁっ!?」

 思わずしゃがみ込み、耳をふさぎ、目を閉じる。

「覚めてくれ!夢なら早く覚めてくれよ!!」

 そう叫んだつもりが、周りの音にかき消されて自分の耳にすら入らない。直後に襲った衝撃で、彼は意識を刈り取られた。「痛い」と思う間もあればこそ、視界はブラックアウトし、音は全て失われる。



 彼……双牙 陣そうが じんはそれなりに苦学生の高校生だ。学業の傍ら特例を貰ってバイトしている。両親はいない、去年飛行機事故で行方不明になった。現場は海のど真ん中、生存は絶望的だろうと言われている。

 生活のためとはいえ学校にバイトを認めさせる程度には成績は良く、友人の数はそれなり。人懐っこくクラスの中では話しやすいタイプ。

 恋人はいないが男女ともにそれなりに話はでき、バイト先での評価は並みだが真面目。

 学校からの帰り道、町内会でもあまり掃除されていないドブをひょいと飛び越えた時、彼はどういう訳か見たことも無い場所に立っており……今、気絶している。


 初めに感じたのは、肌寒さ。ついで頭部に走る鈍痛と口を割って入ってくる血の味。身体下側の感触は石で滑らかに加工されている。体全体が寒いというか冷たい。服をはぎ取られている。目を開いて改めて現状を確認、案の定裸だ。後ろ手に縛られて足枷つき、パンツまではぎ取られているとは恐れ入る。殺されてないだけ良いと思うべきか、この先殺されるより酷い目に遭うかもと恐れるべきか、と考えるには、彼の感覚はマヒし過ぎていた。

 とりあえず、無言のまま体を起こす。暫く転がされていたのだろう、体が痛い。湿度の高い感じからして湿地帯でも建物が建っているのか、それとも地下か……。光が漏れてくる様子が無い事を考えると地下だろうか。

 重たい音を立てて、扉が開いた。正面から差し込んだ光に、陣は思わず目を閉じ顔を背ける。よく考えればこの暗い中にずっといたんだ、光が差しこみゃ目が痛むのは当然か、と頭のどこかがずれたことを納得する。

「おい、一体なん……!?」

 文句の一つも言ってやろうと口を開いたが、そこから出る言葉はすぐ尻すぼみになった。

 入ってきた影が巨大な斧を手にしているのが目に見えたからだ。

「ま、まてよ、おい……!?」

 立てないまでも、足を使って後退り……あっさりと追いつかれ、脚絆を履いた金属製のつま先で顎先を蹴り飛ばされる。

「ガッ!?」

 蹴られた勢いのまま仰向けにひっくり返る。再び飛びそうになった意識は、幸か不幸かあまり時間を待たずに戻ってくる。

 髪を掴まれ、強引に立たされると、そいつは斧の柄で背を小突いてくる。どうやら出ろ、と言いたいらしい。服を着ることもできずに、裸のままで暗い石造りの廊下を進まされる。しばらく進んだ所で同じく石造りの小さな部屋に出た、そこで手足の枷を外される。出入り口と思わしき場所に古代の騎士のような装備を身に纏った男が何人か立っており、先ほどの斧男が相変わらず陣の首筋に斧を突き付けている。

 枷の代わりに着けられた首輪に繫がる鎖を引っ張られ、長い何かを持たせられる。長い棒の先に巨大な鉄の刃が付いた武器。その重さによろけながら、これはバゼラードだったかハルバードだったか、と思わず考える。どっちにしても体を隠すのには使えなさそうだと結論付けた所でまた鎖を引っ張られ、今度は小さな籠の中に入れられる。斧男が扉を閉め、何か叫ぶと共に籠が持ち上げられるのが判った。

「エレベーターかよ……」

 既にマヒしきった頭のまま、ぽつりとつぶやく。ここまでに何度か話声らしきものは聞こえたが、何を言っているかは本気で判らない。

 籠が上がるごとに光は強くなり、ついに籠の上昇が止まった。陣の目の前には陸上競技場のような楕円形の場所が広がっており。正面には同じような籠が一つ。周りの、競技場なら観客席にあたる場所には沢山の人。誰もが教科書に書いてある古代ギリシア、ローマの市民のような恰好をしており、一部マントを羽織っているのも見える。数秒空いて、ガタンと籠が開いた。

 裸のまま衆人環視の中に引き出され、手には武骨な斧。両手で斧を持ったまま、股間を手で隠す姿がヘンに受けたのか、客席から笑い声が響いてくる。視線の向こうに上がってきたもう一つの籠はと言うとそれも開いており、剣を手にした裸の女の子が立っていた。

 直後、彼女は陣の方へ走ってくる、剣を刺突に構えて。

「うわっ!?」

 女の子の裸をはじめて見た、その子が案外美少女だ、そして切り付けられて殺されそうになっている。陣のとっくにオーバーフローしている脳でそれ以上の処理は不可能だった。

「う、うわっ!?」

 突き出された刃が、たまたま振り回した柄の石突で弾かれる。もっとも、その衝撃で唯一の武器から手を離してしまったが。

 そんな事はどうでも良かった、寧ろ武器が無い相手なら攻撃しないでくれるかもしれない、そんな思考が脳裏をよぎる。


 振りぬかれた刃の軌跡に沿って、血が飛び散った。


「ひっ……ひぃっ!?」

 たまたま後ろに下がっていたため、僅かに切り付けられる程度で済んだ腹を抑えて、恐怖のあまり尻もちをつく。そのまま後ろに下がっているつもりだが、恐怖に縛られた体はまともに動かない。

「た、たすっ……たすけっ……!」

 ひきつったように命乞いをする、漏らした小便で尻の下がびしゃびしゃに濡れる。それに気づいた聴衆の嘲笑がそこかしこから響いてくる。

 ゆっくりと近づいてくる、年頃の少女の形をした「死」

 腰まである銀髪に、歩を進めるたびに揺れる小さめだが形の良い胸、尻のラインから続く滑らかな太腿……死を間際にした状態だというのに、と言うべきか、或いはだからこそ、というべきか、陣の股間は膨れ、大きくなっている。それがまた無様をさそうのか、嘲笑を含んだ笑い声はなお大きく聞こえてくる。

「〇××」

 少女が何か呟いたような気がする、よく見ると、頬に少し朱が差している……相変わらず何を言っているか判らないが、無理に陣が発音するなら「スクード」となるだろうか。だが、そんな事に構っていられる余裕は、陣にはない。素っ裸で、ナニをおっ起てたまま、美少女に斬り殺される。割と考えうる最悪な未来まであと半歩……。怯え切った体は何一つ自由には動かない。なんとか動く目をしっかりと閉じ、身を震わせて……身体を吹き飛ばした衝撃は、打撃でも斬撃でも無かった。

 思わず見開いた目に飛び込んできたのは、翼。どこまでも強く、自由に空を駆ける事が出来る一対の翼を持った巨大生物。

 それは、巨大な体躯と純白の羽毛に覆われた翼をもつ、陣が知る限りどの生物相にも当てはまらない生物。それが降り立ったことを確認すると、先ほどまで陣を切り殺そうとしていた少女が、彼を引っ張り立たせ、生物を指さして叫ぶ。相変わらず何を言っているか判らない。なんとかそれだけでも伝えようと首を横に振り、手を振り、あらん限りのジェスチャーを繰り返す。彼女は一瞬何が何だか分からないという表情を浮かべるが「時間が無い!」とばかりに陣を抱き寄せると、巨大生物の足にしがみつき先ほどまでと違う声音で何事かを叫んだ。

 浮かぶような、エレベータに乗った時のような、体の持ちあがる感覚。違うのは風を直に感じる事。

 なんにせよ、助かったらしい……。ほっとした陣の左目が、激痛と共に見えなくなった。

「あぁっ……がぁぁぁぁぁっ!?」

 落ちそうになる体を、少女が支えてくれた、まだ視界を保っている右目の中で、彼女の顔色がまともに変わるのが判る。波打つような鈍痛と燃えるような熱さが、いともあっさりと陣の意識を刈り取った。



「っ……リーンヴルム、できるだけ急いで!」

 腕の中の青年が落ちないように、自分が落下に巻き込まれないように必死にしがみつきながら、彼女は相棒に呼びかける。

『判っちゃ居るがな……レティ、いつも道りにゃいかねーよ!』

 脳内に響くような、耳に聞こえるような<精霊のささやき>が伝わってくるのを感じる。

「じゃあ私たちが落ちないようにしっかり飛んで!後どっか隠れられる場所に!早く!」

『いや帝国のド真ん中で無理いうな!?』

 打ち上げられる矢は怖くない、多種多様な魔術だってこの巨体を落とす程のダメージは出せない。だが、竜弓騎が追ってくるなら話は別だ。あれに搭載されたバリスタは竜の鱗だって貫いてくる。

『ちっ……帝国の機械に頼った軟弱もんがぁっ!』

 器用に後ろを向いて追撃してくる飛竜たちにブレスを吐きかける。高圧の衝撃波に巻き込まれた何騎かが大きくバランスを崩し、落下する。それ以外はきっちりと付いてきた。竜が良いのか騎士が上手なのか、リーンヴルムと呼ばれた巨大生物……竜は歯噛みする。衝撃波で大きく高度を落としたりふらついたりした騎も、体制を立て直して追ってきた。避けられなかった連中の大凡は装甲を付けていたようだ。

 足にしがみついたままの召喚主が、一緒に引っ張り上げた変な気を感じる男に呼びかけ続けているが、一向に目を覚ます様子は見せない。ふと、風に交じって嗅ぎなれた臭いがした。例の男から……この臭いは……と僅かに頭を巡らせ、思い出す。

『レティ、そいつはもうダメだ、捨てて逃げるぞ』

「ちょ……!?なに言ってるのリーンヴルム!?」

『クサリヘビの呪毒だ、もうそいつは助からない』

 帝国に捕らわれていた時にさんざん浴びせられた呪毒、その臭いをかぎ取った。同時に、男から感じる死臭に近い物も。

 まだ息はある、だが毒がすでに死をもたらさんと絡みついている。なにより、助ける義理も無い。

『早くしねーと、俺らも道連れだ!』

「っ……!ごめんなさい……!」

 リーンヴルムの体にかかる負荷が減り、体の毛を引っ張られる感覚が伝わる。翼の間、彼女がいつも位置する場所に重みがかかり、崩れていたバランスが戻る。目の端に一瞬、地に向かって落ちていく裸の男が見えた。

『わりぃな、恨むなら自分の運の無さか神様にしてくれ』

 なによりも、逃げる事が第一だ。リーンヴルムは数度大きく羽ばたく。飛竜のか細い翼では決して生み出すことが出来ない莫大な推力を足場に、一気に雲の中に飛び込んだ。




 暗い。寒い。熱い。痛い。大凡考え得る限りの不快な感覚が、体を包んでいる。少なくとも、陣はそう感じていた。全身が歪み、引きちぎられ、強引に練り合わせられるような激痛に少なくとも本人はのたうち回っているつもりだ。現実的にはもはや指一本動かす事すらできず、地面に激突して死ぬ瞬間を待っているだけなのだが。

 そんな時、風が吹いた。強く強く、体を持ち上げるほどの猛烈な風。それまで頭を下に落下していたのが、ベッドに横になる様に向きを変える。ついで吹き荒れたのは激しいというにも程がある上昇気流。落下速度ががくんと遅くなり、ゆったりとした、という形容詞が見合うような速度で地面に落ちていく。

 次に巻き起こったのはまるで竜巻のように渦を巻いた水。それは陣の体を包み込み、今にも陣の命を奪おうとしていた毒を消し去る。短い時間で汚れきっていた体は大量の水に清められ、乾いていた喉を咽こまない程度に湿らせる。

 やがて落下が止まる。正体不明の力で陣は地面に降ろされる。その間、陣は不思議な体験と、見知らぬモノ達との対話をしていた。



 風が流れ、語り掛ける。

「きみはだぁれ」

「どこへゆく?どこからきた?」

「双牙陣……どこへ行くかは判らない。東京から……」

 水がゆらめき、語り掛ける。

「君の体はあるがままに」

「少しだけ、こっちのものも食べられるようにしといたよ」

 地は轟き、語り掛ける。

「お前の潰れた目はもはや見えまい、無くなっているからな」

「だから代わりを入れておこう、見えるだけでなく我々と語る時も役に立つ」

 炎が盛り、語り掛ける。

「内にある命に、再び火をくべました」

「あなたに死の穢れはもうない、さぁ、主がお待ちです」

 目を開く。彼の目の前には強烈な光と深い闇。

「お待ちしておりました」

「永い時の果てに、或いは刹那の間をおいて」

 言葉と共に不定形のそれらが陣にもわかりやすい形をとる。

 風のドレスを纏った二人の乙女、半透明の裸体を惜しげも無くさらす美人、屈強な体躯と巨大な槌を持つ矮躯の老人、深紅の衣をまとった、赤髪の男性。そして光と闇、それぞれがそのまま具現化したかのような二人の女性。

 「えぇ、あなたの考える通り、ゲームや創作に出てくる四大精霊と光と闇の精霊。そう考えてもらって間違いありません」

 心の内を読んだように……いや、陣が考えるよりも一瞬早く、光がそう答える。

 「地水火風、光闇はどの世界、どんな場所にも大抵あるもの……そこで知ることが出来るなら知識は共有されている、という事が起こっていてもおかしくはないでしょう?」

 再び、陣が疑問を浮かべるよりも早く闇が回答する。

 「ソウガ・ジン……結論から言います、あなたを元の世界に戻す事は我々にも、もっと言えば神と呼ばれる存在にも不可能です」

「なんとなく判るように言うと、あなたは別に神や我々に選ばれて呼ばれた訳じゃない、たまたま時と空間のはざまに飲み込まれて、たまたまここに出ただけの、ただのマレビト」

 次々と、淡々と告げられる衝撃の事実に思わず膝をつく。要するに自分がこの世界に来て死にかけたのは原因不明、下手すりゃただ運が悪いだけ、ときっぱり言われればこうもなる。

 「けれど、手が無くはない」

 光と闇が声をそろえて告げる。

 「まっとうなやり方で帰れないなら、真っ当でない方法を取ればいい」

 地の声が響く。

 「この世界に神という概念がある以上、当然その逆……魔王、或いは魔神が存在しています」

 火が淡々と告げる。

 「捨て置けば、いずれ世界を害する存在……けれど今は、ただの世界の構成要素の一つ」

 風が耳元で近く遠く囁く。

 「けれどとても大きな存在、それを葬ったとなれば、世界はあなたを脅威を感じる異物として排除するでしょう」

 水が微笑みながら諭すように言う。

 「そうなれば、我々という概念がお前を元の世界に導くことも……或いは可能かもしれません」

 再び、光と闇が声をそろえる。

 はっきりとしていたはずの意識は再びぼやける。思考が纏まらない。ややあって、意識は再び闇の中へと沈んでいった。



 その大地は、精霊の守護のもとに生まれた。大地の名はエレメンツフィア。精霊たちはその地に生きる命を慈しみ、愛した。様々な獣が、鳥が、魚が、竜が、人が生まれた。永い時の中で、精霊は人々から忘れ去られ、人は自らを守る概念として神を生み出した。神と言う概念はやがて存在に昇華し、同時に魔が生まれた。

 全ては足して零となる。その中で唯一の例外が、陣だった。別の世界の別のルールからの乱入者、それが0か1かを決めるのは、果たして……。

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