いつか私を殺しにくる(2017/09作)

 その日は歯がとても痛かった。どれぐらい痛かったかということは説明しても伝わらないと思うので、おのおの今までに自分が一番痛かった歯の痛みや何かの痛みを思い出して欲しい。もし上手く思い出せなくても、話は勝手に進んでいくだけなので文字を追ってもらえればそれでいい。

 本当のところ、もう一週間も前から痛みが続いていたのだが、その日は痛み止めも全く効かなくなっていた。なので、私はとうとうその“痛み”と向き合うしかなくなったというわけだ。

 私は、せめて一時間だけでいいから休ませてくれないかと懇願した。すると、黒マントに身を包んだ“痛み”は、困った顔をしながら私の頬をなでた。

「あなたが辛いのは分かるけど、これも仕事だから仕方ないのよ」

「へえ、仕事なら何でもするのかい? 人殺しもするのかい?」

「今回は殺すところまではいかないわ。ただ痛いだけよ」


 私は天井を見て溜息をつくと、痛みを誤魔化すために部屋を出て、暗い夜道を歩き回った。しかし、小さな川に差し掛かったところで橋を渡ろうとすると、やつが橋の欄干に腰かけているのが見えた。

「今回は殺さないとお前は言ったが、いつか私を殺しにくるのかい?」

「そうね、そのときは優しく殺してあげるわ」

 夜の小川は星に照らされキラキラと輝いていた。この痛みさえなければ、もっと気の利いた言葉でその美しさを表現できるのかもしれないが、今はそこに美しいものがあるだけで十分な気がした。

「まだ仕事は残っているけど、今夜はこれで帰るわ」


 翌日、私は歯医者へ行った。治療用の椅子に腰かけると白衣姿の女が現れて私に挨拶をした。

「じゃあ、仕事の続きを始めるわね」と女は言うと私の頬をなでた。

 そして麻酔が注射され、虫歯を削られて、歯の神経が抜かれた。

 私から切り取られた神経の糸はヒクヒク動きながら成長し、やがて人間の赤ん坊の姿になった。

 当然、その赤ん坊は私から生まれたのだから、私が育てることになった。そして、女もよく私の部屋に来ては赤ん坊の面倒をみてくれるので、とても助かっている。女はこれも仕事のうちだと言っているが、私にはやつの目的なんてもうどうでもいいことだった。いつかこの女に自分が殺されたとしても、赤ん坊が幸せに生きていければそれでいいではないか。

「でも、あなたにはあなたの人生があるのだから、すべてを赤ん坊に託してはダメよ」

 じゃあ、私と結婚してくれ。

「やっと、その言葉が聞けたわ」

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