【第9章】辺境の死王

第95話 政務統制官の秘策

公城騒動より三日後

シュレーベン城

    小広間――



 その日、大公代理の名目で呼び集められたのはわずか数名――政務部より法務官長に財務官長、彼ら事務方の調整役であり実質的には実務者レベルのトップとなる政務統制官のメルヴェーヌ。

 軍部からは大公捜索に狩り出されていた公国第三軍団第二分団長のカストリック。そして今や“魔境士族”とも呼ぶべき諏訪家から当主である弦矢が出席していた。

 今回の守秘義務が伴う招集用件は“公女捜索に係る実務者協議”と位置づけされていたが、それとて表向きの用件であることは、集められた顔ぶれを見れば明らかであった。

 おそらく大公陛下の捜索も絡めた何らかの秘匿協議――先日、来城した辺境伯との会談が契機となっていることは疑う余地もない。

 だからこそ、出席者達は私語も口にせず緊張の面差しで今や遅しと開催の時を待っていた。ただひとりの例外を除いては。


「――ところで、仮に使いの者が誤って呼んだのであれば、お詫びしたいのだが、司祭殿?」


 大テーブルの向こう正面でふんぞりかえっている・・・・・・・・・・司祭エスメラルダを冷ややかに見つめるルストラン。暗に退出を促すも、困ったことに云われた側は「気にするな」と居座る気満々で唇の端を吊り上げる。


「それにしても、こんな夜更けにこの面子――大公代理殿も色々と大変でいらっしゃる」


 皮肉たっぷりに告げたエスメラルダが、順繰りに居並ぶ面々を眺め回すのは、そろえた面子にルストランの思惑を透かし見たからに違いない。

 これから協議する内容が、公国法に則しているかを見定めるために法務官を呼び、必要経費を遺漏なく捻出させるため財務官も同席させている。これに実行部隊の指揮官が加われば、ただの実務者協議を越えて何らかの実行プラン・・・・・・・・・を企てるつもりでいることは明らかだ。


「しかも、招集範囲をわざわざ次席クラスに留めた・・・のは・・、財政トップの御大をこの場に呼ばずに済ますため――」

「それは勘繰りすぎだ」

「そうか?」


 ルストランの声音に何を感じ取ったのか、エスメラルダの笑みは益々深くなる。

 財政トップといえば、彼の三大名家がひとりルブラン伯爵の指定席だ。

 例え“公女の行方”という貴重な情報をもたらした相手だとしても、ライバルの介入を嫌ったとする彼女の指摘は、邪推でも何でもない。この場にいる誰もが納得するその推察に、「確かに、そういう見方もあるのでしょう」とメルヴェーヌが穏やかに口を挟む。


「ですが本当に誤解ですよ、司祭殿。ここに大臣クラスをお招きしないのは、この場があくまで“殿下の私案”をまとめるための私的な協議・・・・・にすぎないからです」

「殿下の私案……?」

「大公及び公女失踪における対応方針――これについては何度も公式の場にて話し合いが行われてきました。今回、新たな情報も入手したことから、次回の協議までに、殿下ご自身、某かの素案を以て臨みたいということです」


 内容が内容だけに、ぶっつけ本番で話し合いに臨めば状況整理と懸念事案の噴出で会議が停滞することも十分あり得る。だから予習的に事前検討を行い、さらには対案を準備しておきたいというルストランの狙いはしごく真っ当な考えだ。

 聞き入るエスメラルダの様子を窺いながらメルヴェーヌは続ける。


「故にこの場で出された結論を今後どう扱うかも決まってはおりません。当然ながら、協議内容を公的な記録として残すこともないのだとご承知置き下さい」


 私的と云いながら、官長クラスの決裁権と大公代理としての権力が合わされば、公的に大概のことはできてしまう。

 言葉だけの“私的協議”と理解するからこそ、エスメラルダは鼻で笑う。


「ふん。私的なら自由な発案・・・・・が出そうだな」

「それを殿下も期待されています」

「ちなみに出てくる案がキレイ事・・・・でなければ――それでも最善手だったらどうするつもりだ?」

「そのような結論を大公代理として認めていただけるはずもないでしょう」

「“大公代理として”は――か」


 言葉の裏を読むエスメラルダが意味ありげに唇の端を吊り上げる。そこで彼女がさらに何かを云う前に、ルストランが機先を制して釘を刺す。


「申し訳ないが、茶々を入れに来たのであれば、やはり退出を願うしかないのだが?」

「ああ――悪かったな。ただ、ここには“貴族の会話”ってやつに疎い者もいる。話し合いをスムーズにするためにも、“通訳・・”ってのが必要だと思ったまでさ」


 取って付けたような言い訳だが、それなりに筋は通っている。少なくとも、これから始める協議内容は全員がしっかり理解しながら話を詰めてゆく必要がある。

 秘密の共有には、相互理解が必須であり、理解の不一致などあってはならないからだ。そのように云われれば、ルストランとしても「そうか」と納得せざるを得ない。


「貴女の気遣いに感謝しよう。私も頭の隅に留め置かねばならんな」

「私の有用性を示せれて何よりだ。では、この場に留まることも承知してもらえると期待するのだが、大公代理殿?」

「――いいだろう」


 どのみち退出する気などあるまい。

 それでもこちらの立場を最低限立ててくれるならばとルストランは正式に同席を了承する。エスメラルダの横柄な態度とスタン家との関わりなど、城内外で知らぬ者などいないのではあったが、建前は大切だ。

 同席承認に対し、皆の表情にも不満は見られず、弦矢が司祭へ目礼するのを目にすれば、これでよかったのだと思わせる。

 それになによりも――これでようやく今日の本題に入れるというものだ。


「皆もすでに承知のとおり、先日、私はベルズ候と会談しその胸の内を聞かされた――」


 ルストランはゆっくりと現状を語り出す。

 ベルズ候が何を認め、なぜそうしたのかを。

 大戦で最も傷を負い、最も貢献したはずの辺境領が、国に冷遇されている不満や怒り――それらを代弁するように、彼がベルズ家として立ち上がったその思いを簡潔に伝えた。

 ただひとつ――『密約』についてのみ伏せたままで。


「あれはベルズ家による事実上の宣戦布告であり、私はスタン家の一員としてこれを受けた。そこで法務官長、本件における君の見解を聞かせてくれ」


 指名された法務官長が正面を見つめたまま、淀みなく話し出す。これまでにもこうした場が開かれていたのか、自分が何を求められているかを彼はよく知悉ちしつしていた。


「法務官として見解を述べさせていただくならば、本件はスタン及びベルズ両家の私闘に留まらないと考えます。

 大公と公女のお立場にある方々を連れ去り、それを自ら認めているとあっては、公国に対する反逆罪が適用されることになります」

「スタン家としてではなく、公的に対処することも可能というのだな?」

「もちろんです。ただし――」


 そこで法務官長は釘を刺す。


「ベルズ候が宣言したのは殿下に対してのみ。公的には自身の所業を認めておりません」

「確かに、警備隊を送ったところで大人しく同行してくれるとは思えん。言いがかりだと訴え、公然と反抗されれば、こちらで証拠を掴んでいない限り、どちらに理があるかは明白だ。むしろ、ベルズ候に表立って抗える“大義”を与えることになる」


 大義は辺境領の結束を固め、場合によってはルブラン派までが敵に回る怖れがある。そうなれば公権力の働きを抑えられ、それどころかスタン家の信用を貶め、その力すら大きく削がれかねない。

 それを見越した上で秘密の会談に臨み、ベルズは眼前で宣言してみせたのだろう。


「あの男なりの“挑戦状”ってところか――」


 感心したように唸るエスメラルダ。

 一見して無謀とも思える告白が、その実、ルストランに対する挑発行為になっており、下手に食いつけば立ち所に陥れる策略になっている――まるでルストランの実力を見定めるような振る舞いに、辺境伯の剛胆さが窺えるようであった。

 だがこのまま感心してばかりもいられない。


「よろしいですか、殿下」

「何だ、カストリック卿」

「先に内偵を済ませ陛下と公女様の居場所を把握しておき、その上でお二人の安全確保と同時に強硬手段でベルズ候を抑えれば、大義を翳す暇も無いかと愚考します」


 一時的な武力衝突を暗に訴える武人らしい発言に、「その内偵自体が問題だ」とルストランは難色を示す。


「実は領都に潜り込ませていた密偵はすべて消息不明になっている。せめて街の様子だけでも知りたかったが、商人や旅人などの一般交流が断たれ、一部顔見知りの領都民に限定した交易以外、完全に封鎖されているのが現状だ」

「つまり隠密策を取れないどころか、警備隊を差し向けたところで門前払いにされるってことか」


 「こりゃ攻城戦から頑張るしかないね」揶揄するエスメラルダにカストリックは渋面をつくり、ルストランが「そうもいかん」と生真面目に応じる。


「軍の介入など以ての外だ。下手すれば内戦に発展し、その影響は国内だけに留まるまい」


 内戦になれば、周辺五カ国が動き出す。

 混乱に乗じて資金・人材など裏の支援に動き、各地で便乗蜂起を煽動し、公国全体が十分に疲弊したところで軍事介入を試みるだろう。

 ほぼ無傷で公国を手に入れれば、諸外国への橋頭堡を構築したも同然だ。

 隙あらば版図拡大を目論む彼らにとって、漁夫の利を得る絶好の機会を見逃す道理はなかった。


「内戦は亡国のリスクを招く。それだけは避けねばならん」

「――」


 求められているのは意気込みではない・・・・・・・・

 云われた意味を十分に理解するからこそ、カストリックは押し黙るのだろう。

 だが、隠密策も正攻法もダメならば、一体どう対処すればいい――。

 誰もが疑念を抱いたはずだが、求めに応じて意見するだけの官長二人は沈黙を保ち、部外者である弦矢達も分をわきまえ控えるのみ。そして闖入者であるエスメラルダは皮肉げに唇の端を吊り上げ、愉しげに見守るばかり。

 だから残るメルヴェーヌがおもむろに私案を開陳するのは必然であったのだろう。


「私も殿下に請われ、智恵を絞りぬきました。まず軍を動かせない以上、少数精鋭の部隊を送り込むのは確定です。ですが秘密裏に救出するあらゆる方策は、領都封鎖によって、封じられてしまったとみていいでしょう。となれば、やはり正攻法で乗り込むしかありません――」


 その正攻法である警備隊派遣はすでに却下されている。ベルズ候は公的に自分の非を認めることはなく、門前払いでこちらを苛立たせにくるだろう。


「だから一計を案じようかと」

「「「?!」」」


 万策尽きたのではなかったか?

 思わぬ台詞に全員の視線が実務者トップに集中する。その疑心混じり合う視線を浴びながら、当人は捻出に要した労苦をいささかも感じさせることはなく、いたって平静に秘案をつまびらかにする。


「まずは陛下のご病状を回復させるため、高名な治癒師を招き『浄化の儀』を執り行うことを公表します。それに併せて、陛下の療養にご助力頂いた・・・・・・ベルズ候の下へ陛下と公女を迎える送迎団を派遣すると大々的に知らしめるのです」

「それで何が――いや、そうか」


 顎に手をあて何かに気付いたカストリックに「確かに悪くない」とエスメラルダも得心顔で唸る。そのまましたり顔・・・・で解説してみせるのは、自身の考えを確かめる意味もあったのだろう。


「大公の療養先に選ばれることは、中央に劣等感を抱く辺境民にとっては殊の外名誉なことだ。だから、こちらから公表することで嘘でも・・・既成事実にしてしまい、さらには否定できない状況にベルズ候を追い込むことができる――」

「そうなれば、大公陛下の送迎団としてそれなりの人数を堂々と送り込むことが可能――か」


 受けて話しを続けたのはカストリック。真っ直ぐ虚空を睨みつつ、自分で口にしたことをあらためて吟味しているようだ。


「仮にベルズ候が意地でも拒んだら――それ以前に“陛下などいない”と否定したら?」


 やがてひねり出したカストリックの懸念を「何も問題ない」と自信ありげに応じるのは発案者であるメルヴェーヌ。


「こちらが何かの嫌疑を掛けているならともかく、ベルズ候にとって栄誉であることを主張しているだけだ。それを否定し拒めば、少なくとも第三者に奇異に映るどころか不信感を抱かせることになる。

 無論、大公代理側が偽りの情報を流したと疑われる可能性はある。しかしこれに対しては、『浄化の儀』という国を挙げた一大行事の存在が皆の疑心を払拭してくれる。こちらの心理的優位性は盤石だ。

 そうなれば先ほどの逆――世論さえ味方につければ、堂々と乗り込む口実などいかようにも繕える。それでも拒絶するという選択肢はあるが、これまでのベルズ候の言動を考えるに、表立って家名を貶めることだけは避けている。

 間違いなく、この攻め手・・・に対しベルズ候は堂々と受けて立つだろう」


 己の見立てに絶体の自信をのぞかせる政務統制官にエスメラルダだけが皮肉った感想を洩らす。


「はん、実に政務官らしい考えだ。確かにそれでベルズ候は立場上、陛下と公女様を帰さなければならなくなる。けど、すんなりそれで通るかね?」

「無理でしょうな」


 驚くほどあっさりとメルヴェーヌも認める。


「ですが、まずはお二人を助けるための筋道・・を作ることが肝要です。これで確実に表立った動きを封じ込めますし、あちらの打つ手を“暗闘のみ”に絞らせます」


 それだけでも十分な効果だと。

 今や自分に向けて説くメルヴェーヌにルストランは目を閉じて沈思黙考するのみ。やがて。


「内戦を避けることは暗黙の了解だ。そして互いの家名を傷つけ合う醜い争いを望んでいるわけでもない。少なくともそれは、負けた方が受ける“罰”としてでなければならない」

「では――」

「お前の案を採用しよう。――おそらくベルズ候もこうなることを望んでいたのだろう」


 何気ないルストランの言葉に誰もがはっとなる。

 うまく妙案を見出したように感じるが、その実、ベルズ家にとっても旨味を持つ案でもある。公的には要人拉致の罪が無かったことになるだけでなく、陛下が辺境に身を寄せた事実は、いくばくかの栄誉と今度こそ中央からの救いがあるかとの期待も高まるからだ。それは大戦で疲弊しきった辺境民に希望をもたらすだろう。

 つまりはこれもまた、辺境伯の誘導策によるものか。そんなすっきりしない空気が場に広がる中。


「ひとつよろしいか――」


 これまで沈黙を保っていた弦矢が皆の注目を集める。


「これは私的な協議の場。発言は自由にしていただいて結構だ」


 ルストランの言葉を受け、弦矢は小さく頷いた。


「先ほどから窺っていると、この件で最も大事なことが抜け落ちていると感ずる。それは辺境伯という人物がこの一件で何を得ようとしているかだ」

「それは先ほど殿下がご説明されたとおり――」

「理由や目的ではない」


 メルヴェーヌの言葉を弦矢がぴしゃりと遮る。田舎士族がと眉をひそめる政務官を気にすることもなく弦矢は再度問いかける。


「拉致したならば要求があって当然じゃ。だが先ほどからそれは一言も出ておらん。ならば国の主をに入れること自体が・・・・・・・・・肝要なのか? 具体的には所有する権力か、それともお身体か? ひいては御身の危うさを念頭に置く必要も出てくる。それを知らずして方策を決めるのは危険かと存ずる」


 この場で異物と言えるのは、司祭のエスメラルダではなくスワ家の者だ。共有されていない情報があっても不思議でなく、だが、ルストランへ向ける皆の表情で側近を除く全員が同じ疑問を抱いていたことが明るみになる。

 

「尤もな話しだ」

「殿下――」


 何を察したかメルヴェーヌが訴えるように主を見つめ、そのまま口を閉ざす。説得は無理と覚悟を決めたからか。


「どのみち、皆には踏み込んだ話しを聞いてもらう必要がある。知った情報の秘密厳守は勿論のこと、それ以前に対策を練らねば目的達成も甚だ難しくなるからな」


 そう前置きしてルストランは皆の理解が追いついているかをじっくり見定める。


「まず、ベルズ候が大公陛下を害することはない。彼は今でも公国にとって良き賢者であり剣たらんとしている。だから公国に徒為す要求などするはずがない。

 候が求めるのはただ――公女エルネの身柄のみ」

「「「……」」」


 声はない。

 だが、誰もが驚き大いに疑念を深めているのが表情に出ていた。公女誘拐は大公陛下を動かすための駒――誰もがそう認識していたからだ。それに。


「疑問に思うのも当然だ。彼女の身柄がほしいだけならば、正式に長子オーネストの相手として婚姻でも申し込めば済む話しだ。政争相手だからといって喧嘩ばかりが能ではない。このように事を荒立てる必要もあるまい、とな。

 当然、申し込む予定はあったのだ――大公陛下が病床に伏せること・・・・・・・・がなければ・・・・・

「「「!!」」」


 それがどういう意味であるかは、すぐに誰もが察していた。全員の表情が強張り、思わずルストランの顔を凝視する。

 「そうだ」と大公代理は皆の想像を余すことなく読み取ったかのように認めていた。


私が邪魔をした・・・・・・・

「なぜです――?」


 思わず詰問調になったのはカストリックだ。

 ルストランという人物を知ればこそ、信じがたい告白に強い疑念が湧くのも当然だ。

 さらに云えば――オーネストは彼も認める英雄だ。今や素行の悪さが目立つとはいえ、あるいはだからこそ、公女エルネと一緒になることで状況の好転も期待できる――悔しさが滲む双眸にカストリックの思いが垣間見えた。

 それは他の者も同様だ。それぞれが複雑な思いを抱いていることは、その表情と双眸にまざまざと表れている。

 だが返された理由は、カストリックの期待を打ち砕くものだった。


「オーネストに問題があるからだ」

「彼の英雄に?」

「その英雄がどうやって生まれたと思う――」


 誰も答えられるはずがない。

 厳密にはこの八年、ローブを目深に被り人目を避けてきた英雄が心的異常を来していることは薄々分かってはいたのだが、記憶にあるのはそれだけの情報だ。

 そもそも『俗物軍団グレムリン』として国内外に武威を示す成果はそれなりに承知していても、団長個人の動静を気にしたことがないというのが本音なのだ。

 だから病弱な優男であったことを今さらながらに思い出し、はて英雄的行為などできるような若者であったかと訝しむくらいで、実際大戦中にどう活躍したのか知る者がいないのも、当然であったろう。


「笑えるな。考えてみりゃ、奴さんの英雄振りさえ誰も知らないときた――」


 エスメラルダが言葉とは裏腹に真面目な顔で自嘲すれば。


「一計を案じ、小部隊を率いて敵陣深く吶喊した話しは何度も聞くが、正直又聞きでしか耳にした覚えがない」


 そう声を絞り出すのはカストリック。

 誰もが“伝え聞く話し”を耳にしただけ。当時、中央から参戦した者でも真の激戦地には踏み込んでいないのが実状だ。これでは辺境民の不満も募ろうというものか。

 とはいえ、十倍以上の戦力差がある敵陣に突っ込み、『鬼謀』が敷く鉄壁の防陣を突破する――そんな無茶苦茶な話しを鵜呑みにできないのは、それはそれで当然の反応でもあったろう。


「……正直、私含めて隊の者は話半分に聞いていた。しかし、仮にその活躍が事実であるなら」

「事実だとも。それだけの“力”を彼は得たのだ」


 ルストランがまるで自分の目で見たかのごとく保証する。


「彼は間違いなく英雄であり、そう呼ばれるだけの獅子奮迅の働きをした。そしてそれだけの強さを後天的に得た――何かの禁術・・・・・を施されて」

「……禁術?」


 誰かが呟いた。

 寒気を覚えた者もいるだろう。

 軽々しく口にできないことはスワ家を除く全員が承知する事であったからだ。

 今から百年前、それ・・によって歴史の空白が生まれたと――『白の歴史』をもたらしたと信じられているだけに、“忌み語”を耳にして誰もが不安げな顔をする。

 そんな常軌を逸した話しがここで関わってくるなんて誰も思いもよらなかったからだ。それでもひとりだけ、平然と忌み語を口にする者がいた。


「その禁術ってのは、どんなものだ?」

「『月の女神ルナリウス』の力を用いるとだけ聞いている、司祭殿。そして集められるかぎり集めた情報から推測できるのは――不死性の身体を得たのだろうということだ」

「不死性だと……?」


 カストリックが呻き、エスメラルダの目が細まる。


「これに近い『怪物』であれば、誰もが知っている――つまり『吸血鬼ヴァンパイア』だ」


 今度こそ、誰もが言葉を失った。

 信じがたいと不信感を露わにする者もあれば、さもあらんと納得する者もいる。結局は誰もが事実と認めたのは、そうでもなければ『鬼謀』に勝つなどあり得ないからだ。

 おかしな話しだが、この場で誰もが無条件で信じているのが“敵将の実力”だった。


「……なんてことだ」

「まさか……彼の英雄が化け物だなどと」

「しかし、そうだとするならどうなるのだ? 公女様の身柄が目的なのは、長子であるオーネスト殿が公女様を、その血を欲すると……?」


 ベルズ家が怪物を生み出し、それを擁護する――傍からみれば異常な構図が成立する。それが今の状況をもたらした原因なのだと。

 そうしてはじめの疑問に立ち返るのをルストランが静かに肯定する。


「言わずもがな。『吸血鬼』ゆえに血を求める。最近分かったことだが、国内で、特に公都における女性の不審な失踪が急造しているのもそのためだ。これは『協会ギルド』による裏取りもされた確かな情報だ。

 そしてついに、彼の者の魔手はエルネにまで延びてきた。当然、ベルズ候があえてエルネを求めるのには、それなりの理由がある――」


         *****


ヴァインヘッセ城

    ある客間――



「私の血……?」


 出された紅茶に手も付けず、黙って相手の話に耳を傾けていたエルネは、そこで初めて言葉を口にした。


「そうだ。姫様には特別な血が流れている。我が息子の命に火を灯し続けることのできる、尊き者の神秘なる血が」


 初老とは思えぬ白髪を後ろ手に結い、疲労の陰を濃く滲ませるベルズ辺境伯は、ティーカップを手に取り香気をゆるりと堪能する。

 しかし、そこにいくばくかの安らぎは見出せない。むしろ、血の匂いを確かめるような素振りにさえ見えたか、エルネが眉をひそませる。


「フィオネーゼのことは知っているな?」

「もちろんです。初代様は私の憧れの方ですから」

「なら彼女の出自は知っていよう――」


 それはあくまで伝説にすぎない。

 風術士としての類い希な才覚に人々の期待や好奇が混ざり合ったせいだというのが通説であったが、彼女は森精族エルフであったと云われている。

 もちろん、残された記録には特徴とされる長い耳の描写はない。それでも信じる者は多かった。


「我が国の歴史浅かりし頃は、女性が大公の座に就く習わしがあったという。これは精霊に対する共感能力が女性の方が強いという森精族エルフの特性からくるものだとは考えられんかな?

 力ある者が導くことで、建国初期の不安定な時代を乗り越える智恵だったのだと――」

「何とも言えません。始祖様は確かに優れた術士であり、大剣を振るう剣士であったとも伝えられますが、建国に尽力した有能な協力者達の存在も忘れてはなりません」

「もちろんだ。彼ら彼女らがどれだけフィオネーゼの助けとなったか――私はその子孫のひとりとして誇りに思っている」


 賛同するベルズは、「だが、彼女の力が特筆すべきだった事実は曲げられん。それが人並み外れたものであったことも」と言い添える。

 だからエルネは被りを振るだけだ。


「そうだとしても、父からは何も聞かされておりません。少なくとも、私は共感能力など持っていませんし術だって使えません。ただの人間です・・・・・・・


 言葉の最後を強調し、エルネは金糸の髪をさらりと掻き上げ、小さな耳を出してみせる。手を下ろす際、白いうなじに手指を這わせるような仕草が妙な艶を出す。

 どこかドキリとさせるエルネの仕草にベルズは目を細めさせる。


「ハーフならば、森精族エルフの特徴に色香が増すタイプもあるそうだ」

「それが……?」


 訝しげに眉をひそめるエルネに、「ふむ」とベルズは唸る。当人に自覚がないと知り。


「少なくとも、私も大公家が森精族エルフの血縁者であると信じている者のひとりだ。そしてこれだけははっきりと言える――姫様がその血を引いているのは事実だということを」

「どうしてそう言い切れるのです?」

「すでに試しているからだ」


 その何気ない言葉にエルネの頬が強張った。彼女にとっては根も葉もない言動なのに、「事実を口にしただけ」であることを訳もなく確信したからだろう。

 ベルズが話を続ける。


「十年前――まだ赤子と言っていい姫様から血をもらい、その結果、オーネストは今の“力”を手にすることができたのだ」

「!」

「そうだ。姫様もまた、あの大戦を終わらせた英雄のひとりと言えるかもしれん」


 エルネが目を瞠らせベルズを凝視する。

 少しして、気持ちを落ち着かせるためなのか、紅茶に手を出したが、その手はかすかに震えていた。


「この国は、姫様の血と息子の肉体を代償に平穏を得ることができた。このことは一部の者しか知らないが、辺境だけでなく多くの公国民が救われたのはまぎれもない事実」

「……そう云われても、何の実感もありません」


 目を伏せるエルネにベルズは窓外へ視線を向ける。


「来る途中、気付いたはずだ。片腕しかない騎士を。半顔を爛れさせた従士を。街の住民にも同じ傷を負った者は多い。皆、あの大戦に従軍し様々なものを失った者達だ」

「……」

「――それでも生きている」


 ベルズがエルネを真っ直ぐに見つめる。


「心の傷は深い。一生消えまい。それでも、彼らは生きている。君と息子が――帝国軍を撃退し公国を勝利に導いてくれたからだ」


 それほどに勝利は尊いのだと。

 いまだ大戦の傷痕が生々しく残り、人々に痛みを覚えさせていても。

 逆に言えば、負ければどうなっていたかということだ。


「これがもし、我々が敗れて帝国軍に踏みにじられれば――いや、そうなった村は、それは無残なものだった」


 その強面が醜く歪む。双眸の奥にあるのは陰惨な何か・・だ。真っ正面からそれを目にしたエルネは悲鳴を押し殺し、喉仏を上下させた。

 ベルズは一体、何を目にしたのか。

 彼はただ口にするだけだ。


「あるいは公国全土に訪れたかもしれないあの生き地獄を、姫様と息子の力で未然に防いだ――まずはその事実を知ってもらいたかった」


 ベルズの語る真実は、エルネを大いに動揺させた。こんな荒唐無稽な作り話に意味が無く、故に御大が嘘をついていないことはさすがに感じたが、だからといって、容易に受け入れられるものでもない。

 感情の出し方さえ分からぬように、彼女は膝の上で両手をきつく握りしめ、頬を強張らせるだけである。


「…………それで、私を連れてきた理由とは何ですか? やはり血ですか。もう一度その禁術とやらを誰かに施すと?」

あいつ・・・はそう考えているようだが、私は違う」

「?」

「息子のためだ。息子の禁術は半端な環境で施された。完全ではなかった」


 本来、その禁術が目指すのは星幽界アストラル・プレーンの力を肉体に取り込み、言わば“実体のある幽体”に変性させることだった。

 これによって、実質的な不老で不滅の肉体を手に入れることが究極の目標だったのだ。

 だが、満月とは異なる時期に施術したせいか、あるいはそもそもが不完全な儀式であったのかまでは誰にも分からないが――オーネストの肉体には不備があった。


「――まるで噂に名高い吸血鬼のように、咽に渇きを覚え、女の生き血を欲したのだ。事実、そうしなければ極度の体調不良に陥った。末路が滅びであることは言うまでもない」


 変化を感じたのは大戦後だ。

 はじめはオーネストも抗った。渇きに耐え、胸を掻き毟りながらも驚くべき克己心で自制し続けた。やがて崩れ落ち始める自身の肉体を目の当たりにした時、ついに彼の心は折れた。


「息子は死ねぬと云った。まだ生きたいと。……国に身を捧げ、生者には想像できぬ苦しみに、あそこまで耐え抜いた息子の懇願を無様だと思ったことはない。

 延命に誰かの命が必要であると知っても、私は素直に受け入れた。そうだ。その意味を十分に理解しているとも――」


 ベルズの声は石を口に含んでいるように重く硬く、それでも悲痛や苦渋などは皆無であった。ただ覚悟の程をのみ感じさせる。


「今なお、この辺境に――この国に息子の力は必要だ。ならば共に、冥府魔道の奥底へ堕ちるまで」

「……」


 “大義”とはそれほどのものか。

 “大義”を理由にしているだけか。身内の窮地とは辺境伯ほどの人物を狂わせてしまうものなのか。

 エルネは声どころか身動ぎひとつできずに、ベルズの胸奥から絞り出すような気迫にすっかり呑まれていた。

 「血が必要だ」ぼそりと洩れたベルズの言葉が少女の心臓を鷲掴みにする。いや、それは妄想ではなく、確かにベルズの視線は少女の左胸に釘付けになっていた。


あいつ・・・が云うには、姫様の血が必要だと。儀式の重複も考えたが、一度変性した肉体は術に反応しないらしい。普通の女では、効き目が徐々に短くなっていた――だが姫様の血であれば、格段に長く保つであろうと」


 そして驚くべきことに、ベルズは深く頭を下げた。 


「姫様の意志を確認するつもりはない。我が息子のために、それがどれほどの量を必要としても、その血をいただくつもりだ」

「!」

「だから先に謝っておく。――赦してくれ」


 再び上げた顔には覚悟しかなかった。

 12歳の少女を手に掛けることになっても微塵の揺らぎもないとその表情は告げていた。

 厳格な裁判官が判決を言い渡すように唇を引き結び、ベルズは無言で席を立つ。

 その陰が静かに退出する様をエルネは呆然と見送るだけであった――。


         *****


シュレーベン城

    小広間――



 公国が森精族エルフの国であり、公女エルネがその血を継ぐ者である事実に、それぞれが受け止め方に戸惑い、場が静まり返っていた。

 古文書によれば、初期の国民も始祖フィオネーゼに導かれてきた者達だ。後から居ついた者も当然いるのだが、流れ的には、自分達にもエルフの血が流れている可能性があることになる。

 噂にあった歴史的な謎がひとつ解かれると共に、自分達の想像だにしなかったルーツを知らされたこともあり、皆の様子から多少の興奮はみてとれた。

 ルストランは語り続ける。


「……その昔、祖先の血を濃くあるいは復活させようとして『森精族エルフ狩り』の諜報・狩猟組織『ガルフ機関』を立ち上げた経緯もあるようだ。

 今では廃止されているが、私もそれには賛同する。稀血よりも始祖様の理念こそが大公家として守り抜くべきものと思うからだ。

 故に私は――始祖様の掌印が示す『慈愛』を以て、必ずあの娘を取り戻したいのだ。同時に陛下と共にベルズ家を、その呪われしくびきから解き放ってやりたいとも思っている」

「それは――」


 全員がハッとした顔で大公代理を見やり、口にしたカストリックがその心の奥底を見計らんと鋭い視線を投げつける。

 推察が正しければ、その剣を振り下ろす役目が自分になるからだ。


「――――」

「――――」


 睨み合いのような対峙は長くは続かなかった。


「オーネストは大戦の英雄であり、ベルズ家は功労一等だ。だが今や役目を果たした以上、捨て置けば輝かしき栄光を穢すことになるのは明らかだ」


 それは公都における『俗物軍団グレムリン』の悪行を思えば疑念の余地はない。


「それに、禁術に頼った平和に将来さきがあろうはずもない。つまり今度の戦いで、我々は自分達の力を“大戦の英雄達かれら”に示す義務がある。――もう、何も案じるなと」


 時代は変わり、新しく芽吹く力が取って代わる。

 それが国として持つべき活力というもの。

 禁術に頼り依存してしまえば、その活力は養われることはなく、国としての地力を徐々に削いでゆくことになる。その先にあるのは滅びしかない。

 自分達が非力なまま、不死者という不自然な存在に汚れ仕事を押しつけてよいのか? そのような国の在り方を良しとできようか?

 答えるまでもない。

 この場に集うのが、現在の最前線を担う者達だからこそ、全員の双眸にある種の熱が生まれていた。

 ルストランに火を点けられた猛るような熱量が。

 ひとりひとりの気概をじっくりと堪能したところで、ルストランがあらためて話しを整理する。


「大戦で起きたことを問うつもりはない。問題はオーネストの肉体を保つのにエルネの血が必要だということだ。そのために陛下とエルネを連れ去ったのがベルズ候の真意。

 陛下を拉致した具体的な意図は、おそらく“療養で完治したと宣伝し、再び大公の座に戻すため”だ。そうすれば、婚姻の話しが復活し正々堂々エルネを手に入れることができる。そして陛下は大戦の功ある彼の申し出を拒むことはない。すべては国のためだと――」 


 憤るが故か、そのまま言葉を途切れさせるルストランに、メルヴェーヌが継ぎ語る。


「そこで我らが先手を打つ。『浄化の儀』を公表し療養程度で完治し得ない病だと世間に刷り込みを計る。同時にベルズ家を持ち上げ・・・・、引き渡しせざるを得ない状況を作り出す。

 あとは送迎団を送り無事に戻れば我らの勝ちだ」


 心得たとカストリックも頷く。


「そうなると、ベルズ候が打つ手は送迎団の襲撃に絞られるわけか。いや待て。送迎団を撃退したところで替わりを派遣すればいいだけだ。まさか何度もそれを繰り返す覚悟か……?」

「さすがにそれはない」


 カストリックの気づきにメルヴェーヌが補足修正する。


「賊に襲われたせいだと理由を付けるにしても何度も使い回せるものではない。むしろそれを許す辺境伯の力量が問われることになる」

「では――」

「例えば、最初の襲撃で送迎団を殲滅する。そうして謀反があったとの仕込みをする」

「謀反――なるほど」


 ひとりだけ得心顔で呟くのは財務官長だ。どこか財務の人間らしくない軽薄な雰囲気を漂わすが、その実、“歴代最高の詐欺師”とおかしな評判がつけられる人物だ。それだけにメルヴェーヌの意図を見抜いたのかもしれない。


「陛下の病は新種の毒物によるもので、それを悪用していた謀反人をようやく暴いたところで戦いになってしまった、とでも云うわけですか」

「そんなところだろう。毒の効き目が薄らぐ前に、再投薬の機会を得ようと送迎団に潜り込んでいたとすれば説得力もある」

「当然、毒物を扱う者は万一を考えて解毒剤も所持するもの。それを見つけたから陛下の身は回復したのだと公表すれば、ベルズ候の最初の目論見が成立するわけですな」


 息を合わせる財務官長が締めくくり、おおよそのシナリオを暴き出す。正直、こじつけであることは明らかだが、その場の状況を踏まえてねつ造すればそれなりに筋は通り、そうなれば肝心の説得力はいかようにも付けられる。

 大公代理と同様、ベルズ家の名声にはそれだけの力があるということだ。


「そうなると、送迎団が潰されるか否かが本件の焦点になる。となれば、規模や人選が重要になってくる――」


 頭にある人員リストを片っ端からチェックしているようにカストリックが虚空へ視線を向けながら腕を組む。 


「襲撃される場所についてもあたり・・・をつけておく必要があろうな」

「……ああ、そのとおりだ」


 カストリックが隣席に座る弦矢にちらと一瞥した。今の助言が彼の提案であると気付いたからだ。その顔に何か言いたげな感じを受けたところで、魔境の士族長が付け加える。


「土地勘で役には立てないが、戦力であれば力を貸せる――」

「送迎団ならそれほど人数はかけられない。せいぜいが20人から30人。それだけの手勢で、場合によっては『俗物軍団グレムリン』の襲撃に対応しなければならなくなる。文字通り一騎当千の強者が必要だ」

「なら安心していい。スワ切っての精鋭を同行させていただくとしよう」


 強い自負の込められた黒瞳に、カストリックは素直に首肯した。スワ家の実力については、彼自身が体験し骨身に染みている。月ノ丞との一件はそれほどのインパクトをもたらしていた。その当主の言葉を微塵も疑うつもりはない。


「期待させていただく。送迎団における警備部隊の指揮権を私に任されると決まれば、必ず枠を用意するとお約束しよう」


         *****


後日

シュレーベン城

  とある廊下――



 ルストランの懸念をよそに、披露した私案が多少の修正を加えるだけで通り、ほっと胸を撫で下ろしていた時、誰かに呼び止められて振り返った。


「――ルブラン伯」

「このような情勢ではありますが、失踪事案に光明が見出せたのは何よりでした」

「これも伯をはじめ皆の尽力があってこそだ。特にエルネの消息を掴んでくれたことには、近親者として礼を述べさせていただく」


 相手にいかなる狙いがあったにせよ、半分は本音を口にしてルストランはふくよかな体格の財務大臣と向かい合う。

 “美家”と称されるルブラン家らしい男前であるのは確かだが、飲食と運動のバランスが著しく偏っているらしい伯爵の身体は大人一人を丸呑みしたかのように丸々としている。

 それでも崩れない顔立ちの奇蹟に、そのまま“奇蹟のルブラン”と陰口を叩かれていることは本人もおそらく気付いているだろう。

 それでも嘲笑されし体型を顧みることなく、女性のようなもち肌を維持する伯爵は、食に偏重し過ぎる暮らしぶりを変わらず続けているようだ。

 不思議なのは、彼と同類の者なら歩くだけでも息乱し汗をかくのが普通であるところを、猫を思わす軽やかな足取りで滑り寄ってきたことか。


「――」

「――」


 そのまま静かに二人は対峙する。

 呼びかけたのはルブラン伯であろうに、彼は上品に笑みを浮かべたまま一言も発することはない。はじめはルストランの提案を素通しした見返りを求めているのかと思ったが、そのような節も感じられない。

 ルストランが内心、その意図を計りかねているところでルブラン伯が口を開く。


「他意はありません」


 その真逆であることをルストランは承知する。


「ただ諸外国の動きが気になります。ですから事を荒立てて欲しくないというのが心情ですな。国を思うなら、速やかな解決が何よりも望まれます」


 ルストランもそれには同意する。

 だがルブラン伯からすればもう少し両家が消耗するくらい波立たせたいのが本音のはずだ。その考察を表情に出した覚えはないのにルブランが答えを口にする。


「それ以上に気になることがありまして」

「何が気になる?」

「もちろん、いかがわしい禁術に頼ったことが。確かに『鬼謀』の所業は目に余り、何よりも醜すぎると思います。

 ですが、いかに追い詰められたとはいえ、身も心も歪めてまで、禁術に走るのはいかがなものでしょう。ましてや息子を化け物に? 我が国の英雄がよりによって『吸血鬼ヴァンパイア』だなどと――それはあまりにも、美しくないでしょう・・・・・・・・・?」


 ルストランの凜々しい眉がぴくりと動く。

 薄く笑みを浮かべる男前の正体を彼はあらためて知らされた気がしていた。

 “美家”ルブランと――。


「これには、公国の運命も懸かっている」


 自身が私情を多分に持ち込んでいると自覚がありつつも、そう口にせずにはいられない。だが「承知しています」と述べるルブラン伯爵の舌先は小憎らしいほどに冴え渡る。


「ですが、栄えあるヨルグ・スタン公国に美しさは必須で欠かせないものです。清廉にしろ、気高さにしろ――人を魅了する力が“美”というものにはあるからです。

 民衆に愛されたいと望むなら――いえ、民衆に愛されてこその国主ならば、“美”を理解することは為政者の義務だとさえ思いますが。いかがですか、大公代理様?」


 覗き込むような仕草に、ルストランは表情を保つのに腐心する。まるで剃り残しの髭一本、あるいは肌のシミのひとつまで隅々探られているような不快な感触に、さすがのルストランもわずかに気圧されてしまう。

 これが美で財を成し、美に執着する三大名家のひとつ――ルブラン家を遠ざけてしまう要因だ。

 彼の住まう『黄金殿』には国内外から選りすぐりの美貌の主のみを召し抱えているという。それを羨む者もいれば、ルストランのように薄気味悪がる者もいる。

 他者の嗜好に文句を言うつもりはないが、それが政にまで介入してくるとなれば問題だ。ただし、それとて政治と調和がとれているうちは目を瞑るのであったが。


「伯らしい切り口にはいつも驚かされる。常に思考の柔軟さが大事だと痛感させられるな。今後とも、私なりに学ばさせていただこう」

「……そうですか。もし必要であればいつでもお声を掛けて下さい。我が家がこれまでに培った美の深奥をお話させていただきます」

「ああ、その時は頼む」


 そこで立ち去ろうとするルストランを再びルブラン伯が呼び止める。


「――ああ、そういえば」

「何かな……?」

「他の辺境諸侯にも、『浄化の儀』に関する報せをするつもりです。その際、ささやかながら旅の支度金も届けようかと。おそらく、送迎団が領都に着く頃合いと重なろうかと」

「……分かった」


 辺境領での襲撃で最も可能性が高いポイントはいくつかある。そこに先遣隊を派遣するにも、辺境伯以外に辺境諸侯との兼ね合いが懸念されていた。

 ルブラン伯が暗に伝えたのは、それを抑えておく・・・・・という話しだ。それが明確な“借り”であることをルストランは認知したわけである。

 もちろん、すべてが金で片付くわけがない。あるいは、金で片付けられるのがルブランだということもある。

 それに関しては深くは考えず、ルストランは素直にひとつの懸案事項が払拭されたことを喜ぶのであった。

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