第94話 辺境伯領へ

東部辺境伯領

 ヴァインヘッセ城――



 靄に見え隠れする街並みは幻想的というよりも陰鬱さの方が勝って見えた。

 活気が満ちるはずの早朝に家屋の窓は堅く閉ざされ、店を開けているところでも軒下に商品を並べることはせず、店内への立ち入りを拒むかのように屈強な男を立たせ道行く人を睨めつける。

 そんなよそよそしい通りを歩くまばらな人影は、遠目にも背中を丸め俯き加減で先を急ぎ、その足下を元気よく走り回る子供の姿なぞあるはずもない。 目に付くのは街角にわだかまる陰鬱な影であり、ペンペン草を隙間から生やす石畳の寂寥感であった。

 まるで鉱脈が尽きた鉱山街か天災続きで衰退の一途を辿る街の様相に酷似している。見た目以上に人口があると訴えたところで将来に希望を見出せる者は希有であろう。

 これが辺境最大を誇る領都の姿とは――。

 そんな暗鬱たる感想を抱けるのも、街の端々まで悠然と見下ろせる城壁の上に立てばこそ。

 それも高々数メートルの高さくらいで贅沢な眺望を実現できる城など、公国ではこのヴァインヘッセ城を置いて他にはない。

 丘陵地に築かれた城と街。

 いかにも山岳辺境ならではの光景は、本来ならば鬱屈した気持ちを晴らしてくれ、それなりの味わいがあったはずである。


「――いかがですかな。久しぶりの領都は」

「……」


 掛けられた言葉を背中で黙殺し、ドイネストは憂いを帯びた眼差しを疲れが滲んだような街並みに向け続ける。

 彼が以前この景色を望んだのは、帝国軍勢が生み出す軍靴の足音がまだ遠くに聞こえていた頃だった。

 あの頃に見た辺境と思えぬ活気に満ちた民の輝きは、今や遠い過去のものになっている。

 戦がすべてを変えたのか――。

 その感慨にふける沈黙を相手は別の理由に捉えたらしい。


「この地が過酷だと思ったことはない。朝は夏でも空気が冷えており、夜には暖炉に火を付ける必要もある。見ての通り平坦な場所を得るにも一苦労。樹木を伐り岩をどかし、ようやく地面を均してみればすぐに石塊が顔を出し邪魔をする。

 ここでは何を為すにせよ、平地に倍する労力が求められるというわけだ。

 だが、辺境人にとってはそれが当たり前。屈せぬ心、頑強な身体――地力の強さこそが辺境人われらの力」


 声の主は城主のベルズ辺境伯。

 三歩後ろで家臣の礼を取り、そのくせ膝着かぬ口ぶりで辺境の暮らし、そこで育まれる辺境魂を静かに語る。荒事の多い辺境を束ねてきた自負が今の彼を形作っていた。


(変わらぬな――)


 久しぶりにあった盟友の太々しい態度にわずかな懐かしさを覚えるが、それもすぐに消える。昔聞かせたはずの世間話を辺境伯が二度繰り返す理由に懸念を抱いて。


「靄でお見せできないのが残念だが、晴れ渡れば以前目にしたものより広いジャガイモ畑をご覧いただけたはず。石地で痩せた厄介なこの土地も“水はけの良さ”が救いでしてな」

「……ジャガイモか。山羊のバターで食べるのがうまかった」

「そうでしたな。なぜか陛下はあれがお気に入りのようで。また土産にたくさんお渡ししたいところだが、めっきり生産量が落ちてしまい、さほど融通できぬことお許し願いたい」


 そこでベルズ辺境伯の声音から穏やかさが拭い去られる。

 ドイネストの背に突き刺さる視線の圧力。

 低められた声に憂いを帯びて。


「戦が終わってこの十年、必死に開墾し畑地を増やしてきたが管理するのも覚束ず。それがために不作となって面積拡大分の収量はおろか、戦前の収量にまで届かぬ年が長く続いている。

 男手が不足していることも大きな要因ではあったが、それよりも――民の意欲・・・・が大きく欠けてしまったのがいただけない」


 あの頃、戦火が近づいていると知った段階から、少なくない数の辺境民が公国中央部へと流れていた。その対応に追われ、辺境を顧みなかったことはドイネストも自覚していた。


「……辺境諸侯への助勢が疎かになったことは今でも悔やまれる。人手不足に資金不足。公都とて危うい均衡の上に成り立っているくらいだ。いわんや、辺境をば。

 だが、そなた自身が誇ったように、それに屈する辺境人ではあるまい。人口が半分になったなら、倍働くのが辺境魂。

 だから余計に疑念を抱かずにはいられん。なあ、ベルズ辺境伯。貴殿は一体何をした・・・・――?」

「何をとは?」


 無感情に聞き返すベルズ辺境伯に初めてドイネストが振り返る。すべてを見通し、咎めるような視線を向けて。


「民が何かに怯えている・・・・・。その怯えが口を噤ませ、目立たぬよう行動に注意を払わせ、結果的に街全体を萎縮させている」

「そう見えると?」

「それ以外にどう見よと」


 初老を迎えたベルズ辺境伯と違い、為政者として男として、経験や体力など熟練の域に達しているドイネストの覇気はヤワ・・な口車を許さぬ力がある。

 それをベルズ辺境伯は正面から受け止める。


「例えば“戦疲れ”とか――」


 挑発でもするかのように見つめ返す。


「“失った哀しみ”や“踏みにじられた苦しみ”でもいい。そうした“民の嘆き”が根本にあるのなら、その痛み哀しみを取り除いてやるのが我ら領主の務めではありませんかな?

 そうであるならやることはひとつ。

 帝国撃退の立役者である『俗物軍団グレムリン』を盛り立て、民の求心力となってもらい、再びこの地に活力を取り戻す――私はすべきことを為したまで」

「つまり、好きにさせすぎた・・・・・・・・――そういうことか」


 貧しさは人の心を荒ませる。

 待遇の良さを聞きつけて『俗物軍団グレムリン』への入団希望が殺到し、激化した入団競争は熾烈を極め、勝ち抜いた者のエリート意識を歪な形で増長させてしまう。

 そんな特権階級の意識を植え付けられた者達が、どう行動し社会に影響を及ぼすかなど推して知るべし。

 ドイネストは歴史を学び治世の経験を得ることで民心の動きを的確に見抜いていた。


「人の心は弱い。意図するしないに関わらず、偏り歪みは出るものだ。だが貴殿ならば軍団の手綱を的確に引き締められたはず。いや、貴殿でなくともオーネストであれば」


 そう口にしたところでドイネストは目を細めた。

 泰然としていたベルズ辺境伯の瞳に明らかな苦渋と憤りの色を見とめたために。


「まさかオーネスト自らが――?」


 民を苦しめる元凶かと。

 その直感に近い推測はどうやら当たっていたらしい。

 今度こそはっきりと憮然たる表情に変わるベルズ辺境伯をドイネストは困惑の眼差しで見つめる。

 記憶に残る優面は男としては線が細すぎる印象が強かった。

 母親似のやわらかい赤髪と相まって、甘いマスクが貴族の子女達を惹きつけてやまず、性格的に優しすぎる面などは将来の辺境伯としての資質に若干の不安を覚えさせるほどだった。

 ただ軟弱さの割に、いっぱしの正義感を持っていたのが好もしくもあったのだが。

 だからこそ、ドイネストは自分で推測しておきながら、その答えを受け入れにくいところがあった。 とても率先して外道を働くような男ではなかったからだ。


「何があった」

「もちろん――“戦争”が」


 濁してなどいない。

 真剣にそうベルズ辺境伯は答える。


「息子のしていることは“善”ではない。だがそのように追い込んだのは、戦争だ。そして私と陛下の責任でもある」

「……」


 オーネストは民に如何なる仕打ちを働いたのか?

 この後に及んで“愚行”と言い切らず、むしろ許容するかのごとき物言いに、ドイネストの目に不信感が募ってゆく。

 同時に十年前、人目を忍んでやってきたベルズ辺境伯の恐るべき申し出をドイネストは思い起こす。どうしようもない苦みと共に。


 月のない晩。

 まるで魔術師のごとくローブを頭からかぶったベルズ辺境伯は、同じ暗灰色のローブで身を隠す誰かを伴いやってきた。

 案内すら通さぬ突然の訪問にドイネストは訝しむ余裕すら持てなかった。

 公都決戦を半ば覚悟していた時に告げられた“打開の策”――その場で帰す態度など出られるはずもないほどに、あの時のドイネストにとって、それは天啓以外の何ものでもなかったのだ。

 考えたつもりの決断だった。

 天秤に掛けるのは“公国の命運”と“奪われる命の多さ”。その対面に乗せる命が、たったふたつの命であるとするならば、どうして固辞することなどできようか。

 そのひとつが例え娘の命であったとしても。

 まるでその追憶を目にしたかのようなタイミングでベルズ辺境伯が告げる。


だから・・・、エルネ様が必要だと申した」


 昔の話しではない。

 先般、子供同士の婚姻を申し出た時の話しであることをドイネストは理解している。オーネストにとってそれが最良であることも。

 だが娘にとってはどうか? そんな親としての葛藤、また良心の呵責から目を反らし、ドイネストは公国のためにと気持ちをねじ伏せる。


「断った覚えはない」

「ならばなぜ、今のような状況に?」


 問われて再びドイネストはむっつりと口を噤んだ。

 実弟があのような暴挙に出るのは想定外だった。

 地位を欲しがる男ではない。

 むしろ情に厚すぎて、実の兄を裏切ることなど行動に移すどころか思いも付かないはずであった。

 だが、それを口にしたところで虚言のそしりを免れまい。実権を奪われたに等しい現状では。

 それに大公の座を譲るにしろ追われるにしろ、どのような形であっても、これで地位に関係なくはっきりと断れると思っていた自分がいたのも事実。

 今の状況を心から歓迎している自分が。

 それもこの領都を見れば、その状況と原因を聞けばなおさらに思う。

 娘にとって、ベルズ辺境伯の申し出は“最悪”以外の何物でもないと――。


「『密約』は守られねばならない」


 ドイネストの胸中を見抜くように、ベルズ辺境伯が釘を刺す。黒魔術を弄する魔術師のごとく。ドイネストの魂に呪いを掛ける。


「私は息子を、貴方は娘を。二人が一蓮托生だというのをお忘れなく」

「――これでよかったと思うか? あの時下した決断は正しかったのか」


 ふいに投げ掛けられた問いにベルズ辺境伯は押し黙った。

 あの時と違い、今や“おびやかされていた命”はどれほど多くても過去のこと・・・・・。だがたった一人である息子の苦悩や歪められた人生は今目の前で起きている――それを見せつけられた父親が、過去に下した決断に迷いを持っても致し方あるまい。

 即答できないのは、そういうことだろう。

 やがて迷いや憤りの影を見せることもなく、彼は重い口を開いた。


「少なくとも……私が辺境伯であり、貴方が大公である限り、何度“あの時”をやり直したところで、同じ決断を下すでしょう」

「――そうだな」


 実に無意味な質問をした。

 内心を微も見せぬ決然としたベルズの態度は、辺境伯に相応しい厳しさと威厳に満ちていた。

 ああ――と。

 それ以外の言葉なぞ言えるはずもない。

 すべて分かっていたことだ。

 避けることのできない、起こるべくして起きた・・・・・・・・・・この状況をまざまざと感じ取り、どうしても自責の念に囚われる。

 自分の命で贖えるなら、これほどすっきりすることはないというのに。

 なぜ神は人に代償を求めるのか。

 そう憤らずにはいられない。


「ところで、陛下には私の別荘に移っていただきましょう。せっかくなので、道すがら辺境領内を堪能なされるがよい。できれば私が案内差し上げたいところだが、公都に所用がある。陛下とはしばしお別れとなりますな」

「何をするつもりだ?」

「陛下がこちらで療養されていることを殿下にお伝えしようかと」


 そんなことをすれば、さらったのは自分だと白状するようなものだ。訝しむドイネストをベルズ辺境伯の挑戦的な笑みが応じる。


「後ろめたいのはどちらの方だと? 私としては、殿下が速やかに大公代理の役から降りられるよう、お膳立て差し上げるつもりだ。

 無論、挑んでくるならそれも結構。今一度、英雄軍と称えられた『俗物軍団グレムリン』の力を思い出していただく機会になるだろう」


 むしろその方がよいと言いたげにベルズ辺境伯は唇を歪ませる。


「とにかく陛下には大公の座に返り咲いていただく必要がある。エルネ姫と我が息子の婚姻を成立させるためにも。否やはありませぬぞ?」

「……」


 ドイネストは無言のまま目を閉じた。

 それは観念したようにも祈りを捧げるようにも見える仕草であった。


 この後、ベルズ辺境伯は公都に赴き、ルストラン大公代理との会談を取り付ける。

 月夜の美しい晩に行われた二人きりの会談は、予定調和であったかのごとく互いの対立を明確にすることで閉じられる。

 それは公国史上類のない、“静かなる内戦”として語り継がれる戦いの幕開けとなった――。


          第7章【幕間7】へつづく



         *****


シュレーベン城

   三階別室――



 扉口に佇む月齊が目を閉じているのは当然として、椅子に腰掛けた弦矢やエスメラルダまでもが黙祷しているせいなのか、室内の空気にはどこか息苦しさがあった。


「よく素直に引き下がったな――」


 それが自分に掛けられた言葉と気付いても弦矢は目を閉じたままだった。


「すでに兵の緊張感が高まっていた。あの状況で無理はできぬと察すればこそ、貴女も姫の判断を窺おうとしたのでは?」


 それはささいな仕草であったはず。

 若者の卓越した眼力にエスメラルダの口元に微少が浮かぶ。


「今のあの娘なら、ひとりでも大丈夫だろうよ」

あちらも・・・・ひとりであればいいのだが」

「それは心配ない。あいつなら差しで・・・やる」


 まがりなりにも大公代理を“あいつ”呼ばわりし、“問題ない”と断言するエスメラルダに、目を開けた弦矢が物問いたげな視線を向ける。

 この者は本当に何者かと。

 エルネとの会話を耳にする分には、それなりの高齢になるはずだが、見た目は四十代の前半だ。髪や肌だけみれば二十代でも通じそうなほど。

 諏訪には尼僧や女神官がいなかったために比較はできないが、エスメラルダの若々しさに宗教が関係しているとは思えない。

 弦矢にとっては謎に満ちた女性であった。

 そんな疑念渦巻く胸中に気付かぬ彼女は、「とはいえ」と冗談めかして小さな吐息を漏らす。


「待つ身になれば長く感じるな。それに、あんた方があまり動じずにいるせいか、ヘンにこっちが緊張しちまう」

「素直に心配だと云ってもよいのでは? 教え子を案じるのは、そちらの教義に反するわけでもあるまい」

「こら驚いた」


 目を開けたエスメラルダが破顔する。

 冗談も解さない朴念仁だと思っていたと。


「辺境人に対する認識をあらためなけりゃならないな」

「辺境人の地位向上に一役買えて何よりだ」


 そう談笑していたところで、「若」と月齊の警告が告げられる。会話を中断した二人の視線が扉へと向けられる。

 外のホールで何やら騒ぎが起きていた。

 扉越しでも伝わってくる混乱ぶりにエスメラルダが立ち上がり、外の様子を窺いに廊下へ出た。


「落ち着けっ、隊列を乱すな!」

「もう一人、班長の下へ支援に行かせろ!」

「団長にも報告を――」


 廊下を慌ただしく駆け回る足音。

 警備兵が皆、血相を変えて指示を出し互いに確認し合っていた。

 

「おい、どうした?! 何があった――」


 エスメラルダが警備兵の一人を捕まえ、状況を尋ねる。「いや、それが」と躊躇った警備兵を半ば脅して聞き出したのはエルネの失踪。

 にわかには信じがたい話しでも、周囲の緊迫感が真実だと告げている。だから襟元を締め上げる勢いでエスメラルダが詰め寄った。


「もっと詳しくっ」

「ちょ――我々にも分かりませんっ。班長が廊下の角まで見送ったのは確かなんです。ですが、大公代理の下まではいらっしゃっていないと――」


 話半ばで弦矢が歩き出すと、「おいっ」と慌てたエスメラルダが呼びかける。弦矢の向かう先には警備兵の防衛陣があるからだ。

 何をする気かは明白だ。


「そこで止まれ!!」

「――おい、何の真似だ?!」


 当然のごとく警備兵から鋭く制止を求められるが、まったく耳を貸さぬ弦矢に、陣を組む者達が色めき立つ。侵入者の一件に公女失踪も加わって彼らの警戒心と緊張は極限まで高まっている。そこへ無造作に近づいてくる城外の者がいれば、警備兵達の反応は過激なものにならざるを得ない。

 一斉に手槍が構えられ。


「おい、待てって――」


 背後から届くエスメラルダの声。

 しかしその声を無視して、手槍の間合いぎりぎりまで迫った弦矢は警備兵達を睨めつけた。焦りが声に苛立ちを帯びさせるのを自覚しながら。


退いてくれ――」

「何を云っている? 近づくなと云ったはずだ!」

「姫が消えたと聞いている。捜すのを手伝う」


 唐突な弦矢の申し出を警備兵が聞き入れるはずもない。手槍を突きつけたまま、言下に拒絶するだけだ。


「この先は城でも最重要区画だ。探索者風情にうろつかせるわけにはいかん。大人しく引き下がれ!」

「そうもいかん――」


 弦矢は一歩にじり寄り、思いをぶつけるように言い放つ。


「儂は姫に守ると誓った。今すぐ行かねばならんのだっ」


 まるで自分に言い含めるように。

 だが彼らにとっては意味不明にすぎぬ言葉に怪しさが増し、対話は不毛と判じさせることになる。そしてそれは見た目以上に焦燥に駆られている弦矢も同じであった。


「云って聞かぬなら、身柄を拘束させてもらう」

「いいから退けと言うておるっ」


 警備兵二名が両側から進み出るのと入れ違いに、弦矢はまっすぐ歩を踏み出していた。いつもの彼ならば、こんな強引な手法は採らなかったはず。辛抱強く説き伏せ、現場への立ち入り許可を取り付けようと試みたであろう。

 だが一刻の猶予もない状況ともなれば。


「!!」


 反射的に警備兵達が手槍を突き出す。

 それらが密集し針山を形成するより早く、弦矢は手槍の隙間を縫って彼らの懐まで踏み込んでいた。


「がっ!」

「ごっ?」


 両腕を左右に振るい、顎に当て身を喰らわせ二人を昏倒させる。何があったかと警備兵が認識するより先に、二列目の警備兵に肉薄――“払い腰”で隣の者ごとなぎ倒し、あっさり防衛陣を崩していた。

 

「この――」


 だが、さすがは精鋭の警備兵。

 あっさり防衛陣を壊されたところで怯みもせず、巧みに手槍を操り弦矢を殴りつける。だが、次の瞬間には、石床に叩きつけられていることを気付くことになる。


「がっ、は……」


 床の上で呻くだけの警備兵。

 さらにもう一人が弦矢によって壁際に蹴りのけられていた。


「なんだ?!」

「こいつ――」


 強い。

 自分の強さを信じるからこそ、相手の強さが際立って感じられる。

 彼らとて日々の鍛錬で基礎体力をぎりぎりまで鍛え上げ、その上で筋力、器用さ、敏捷性の各種身体能力を満遍に増強させる特注の『魔導具』を警備の際には身に付けている。

 個人技や戦術的行動を含め、例えベテランの探索者が相手でも武力で劣らぬ自負があったのだ。その自分達がこうも易々とあしらわれて・・・・・・しまうのか?

 訳も分からぬうちに仲間が倒された衝撃に警備兵達の動きが鈍る。その隙に弦矢の姿は三歩以上防衛陣から離脱していた。

 あっという間の一点突破に警備兵の胸を占めるのは、相手への畏怖よりも、逃せばどうなるかというその恐怖。


「待て!」

「捕らえろ――殿下を守れっ・・・・・・


 公国重鎮が危険にさらされる恐怖に警備兵が声を振り絞る。

 弦矢が口にした言葉など頭にない。

 ただ警備兵としての本能が、防衛陣を突破された事実に条件反射で警鐘を激しく鳴らすのだ。

 故に誰かの叫びが真実と受け入れられても当然の流れ。

 殿下の身が危ないと。

 そして必死に追いかけようとした警備兵達に、背後から何者かが襲ってきたのも、その者からすれば必然であった。


「!」

「……っ」


 瞬時に二人が打ちのめされて、弦矢を追うか別の脅威に対処すべきか警備兵達が混乱を極める。それを皮肉にも冷静な言葉で注意を促すのは、両眼を閉じて飄然と佇むひとりの男。


「そちらに事情があるように、こちらにも相応の事情がある。若を邪魔立てするならば、この月齊が阻まさせていただく――」


 そのたかが一人と侮れぬほどの殺気に警備兵達の追い足が止めさせられ、生存本能に従い意識を向けさせられる。

 意識を反らせば殺られる――そんな緊張感を味わえば、もはや弦矢を追うどころではない。


「やむを得んっ。まずはこの者からだ!!」


 警備兵達の判断は速かった。

 すぐさま隊列を組み直す手際の良さに、月齊も鞭状にバラした九節棍を腰際に構え直す。

 互いに退く気はない。

 新たな戦いの火種が一気に燃え上がろうとしていた。

 

「――おいおい、何やってんだよ」


 もはや収拾の付かない乱闘に発展するのを目にしながら、エスメラルダはひとり大きなため息をついた。

 あれだけ冷静を装ってた連中が、姫の失踪騒ぎでこの体たらく。いや、それだけ護衛とやらの職務に真剣に取り組んでいた証でもあるのだが。


(まあ、あの娘がやけに信頼してたようだったからな――)


 愛弟子が辺境の部族といかなる交流を持っていたのかエスメラルダには分からない。それでも両者に強い絆が生まれていたのは明らかだ。

 ならばこそ、こんな不毛な争いをすべきでない。

 それも武力に優れた城内警備兵をこうも簡単にあしらう実力の持ち主に無駄働きをさせていいはずがない。

 早いとこ事を収めようとエスメラルダが息を吸い込んだところで、別の誰かによって先を越されてしまう。



「やめないかっ。――一体何の騒ぎだ?」



 廊下奥の角から現れ、一喝したのは実質的な現城主であり、国のトップ。

 今や固着したかと思える眉間の皺は少し前には見られなかった心労の痕。


「ルストラン様――」


 思わぬ人物の登場に、警備兵の一人が唖然と言葉を無くし、全員が動きを止める。弦矢もまた、一定の距離を残して立ち止まっていた。そうさせる何かを男の身中から感じたためだ。


「お前は誰だ――?」


 ルストランからすれば、突然目の前に現れた不審人物に対し、わずかの動揺も見せずに誰何する。対する弦矢もまた、警備兵の告げた名前をしっかと耳にして、それでも自然体で名乗りを上げた。


「儂が名は、諏訪弦矢。コダールの辺境にて暮らす士族の長を務めさせていただいておる」

「スワか。――耳にした覚えはない」


 答えになってない。

 小心者なら萎縮してしまうルストランの圧力に弦矢はさらりと補足する。


「厳密には、公国に属しておらんでな。我らはそちらで云うところの“魔境”の住人になるが故」


 それでルストランの目の色が変わるのを弦矢は見逃さなかった。応じる声は落ち着いたものだが、何かを知っている節がある。

 むしろ何も知らず驚くのは警備兵達だ。

 仮に信じたとしても、大陸最大の危険地帯で人が暮らすなど狂気の沙汰であり、その住人がこの場にいる不可解さに戸惑うのは当然であった。

 ルストランを除いては。


「属しておらんとは異な事を。“魔境”といえどコダール地方は我らが領土。交流がなかったとはいえ、そなたらも公国の民と捉えるが?」

「それはあの地に棲むモノを従してこそ。だが儂らを含め、公国を盟主と仰ぐモノはおらん」


 大胆すぎる発言に警備兵達の顔色が変わるのに対し、ルストランは「なるほど」と認めるような素振りを見せる。


「確かに、我らはあの地を怖れ、近づくことを避けてきた。手を出せぬ地を領土と口にするのはおこがましいというわけか」

 

 それでは認めてもらえぬのも当然であろうと。

 だが譲歩したように見えたのはそこまでだ。

 ルストランの身中にあった目に見えぬ圧力が一段と高まる。


「ただもう一度云うが、コダールは我が領土。そしてコダール地方には“魔境”も含まれる。それは周辺五カ国も認めるところ」

「真にそうであろうか――?」


 その反論に、一瞬強張るルストラン。

 弦矢の示唆するところは、“獅子身中の虫”と成り得るスワを“活かす方が得策”とほくそ笑む国が多いのではということだ。

 それを瞬時に理解し、「あり得る」と認めるからこそ、ルストランは即座に切り口を変える。


「仮に周辺五カ国の賛意が得られずとも、昔からコダールが我が領土であることに変わりはない。そして“魔境”の踏破が積極的に行われていなくとも、探索者の手によって今も未踏破区域は徐々に狭められている。

 これまでスワの名を聞かぬということは、それすなわち“魔境”のすべてがそなたらのものでもないということ。いや、誰かが統べているわけではないということだ。ならば先の発言を鵜呑みにするわけにもいかぬと思うが、いかに――」


 苦し紛れの詭弁とも取れるが、弦矢達が“魔境”を手中に収めておらず、また知る限り誰のものとされていないのも確かである。

 だがこのままでは単なる言い合いで、より発言力の強い方が勝ってしまう。

 国力の差を背景に押し切ろうとするルストランに、しかし弦矢は小揺るぎもしなかった。


「そちらが我が言葉を無視するというのなら、こちらもそうさせていただこう。ただし、こうして互いの意志が明確になった以上、これまで通りあの地に好き勝手踏み込めると思わぬ事だ」

「……」


 弱小士族と思えぬ強気な姿勢に、しかし、ルストランは怒ることなく迷いを見せる。それは探索者達が“魔境”から持ち帰る戦果が危険に見合うだけの価値があり、間接的に国力の底上げに一役買っていることを知っているためだ。

 事実、危険地帯の難易度や保有数と国力の大きさに密接な関係があることは、大陸の知識人の間では常識になっている。

 彼の覇王ドルヴォイが優先的に侵攻したのも危険地帯を有する国であったと読み解く軍略家もそれなりにいるほどだ。

 その富をもたらす資源採取を敵対することで意図的に遮断されれば、公国としていかほどの損失に成り得るか――。

 沈黙の長さがルストランの苦悩を物語る。

 それを察した弦矢が札を切る。


「どうやらその当たりのところは、姫の方が先見の明があるようだ」

「エルネが?」

「左様。姫は我らと国交を開きたいと“魔境”まで訪ねて来られた。だが正式に事を進めるには、姫ひとりでは限度がある――」


 だから公都へ赴いたと。

 本来、身元を証す何もない弦矢の繰り出す荒唐無稽な話しなど、田舎者の戯言として一笑に付されて然るべきだ。なのに、それを真剣に受け止めるルストランの姿には、信じるに足る情報を予め持っていたことを強く印象づけられた。

 知らぬ素振りでありながら、彼は間違いなく弦矢達のことを知っている。


(やはり泳がされていたか――? この者らの先兵を紅葉が返り討ちにしてから動きが途絶えたのも、この城に誘い込む策に切り替えたせいかもしれぬ)


 想像はいくらでもできるが、弦矢にも事の真偽は定かでない。だが、単純に曲者と断じて力押しに出られないだけ、状況はいい。

 遺恨が残る流血を避け、交渉で済ませることがエルネの望みでもあったのだから。

 とはいえ、弦矢の説明には少し無理がある。エルネがどうやって諏訪家の存在を知ったかなど詰問する材料を与えてしまっているのだが、ルストランは気にもしなかった。


「――それは当然の話だな。ただ遠路はるばるご足労掛けてすまないが、彼女に外交権限を与えた覚えはない」

「左様か? じゃが、儂が聞かされているのは、それこそ貴殿にそのようなことを決める資格がないという話し――」


 その何気ない反論に、場の空気が凍り付く。

 それは許される発言ではない。

 正式に大公の座に就いていなくとも、ルストランは大公代理であり、公都の都市長でもある。

 それが国の体裁すら成していない弱小士族に、嘲弄するがごとき言葉を吐かれるなぞ以ての外。

 あまりに信じがたい発言に、誰もが憤るより絶句してしまう中で、エスメラルダただひとりが、笑おうとして顔を不器用に引き攣らせただけだ。いや、あとひとり。侮辱されたに等しい当人が。


「ふ――」


 双眸を険しく吊り上げた後、すぐに破顔した。実際には苦々しい笑みをつくる。


「あの娘なら云いそうだ。――さぞ怒っているのだろうな」

「いや、苦しんでおられた。貴殿の人となりを信じておるだけにな」

「……そうか」


 ルストランが真顔になる。

 疲れの滲む顔だ。

 心労が祟り伏せっても不思議でないほどに。

 やり遂げる覚悟が、持ち崩すのを辛うじて抑え付けている。今さらながらにそれに気付かされた。

 これまでのことはすべて、この者なりに理由がある――そう弦矢は察するがそれを知るべき者は自分ではない。エルネがこの場にいぬ無念を痛感するのみだ。


(おそらく、会えてさえいれば――)


 心から安堵するエルネを見れたであろうか。

 そんな終幕が。

 今や、それは叶えられなかった妄想だ。

 懸命に試練に挑み、大公家の志を胸にルストランと向き合おうとしていた少女はこの場にいない。

 ただだからこそ、弦矢は踏み込まぬよう配慮していた話題に触れる覚悟を決める。


「実は、儂らがこの城までお供したのも、姫を貴殿に会わせたいがため。むしろそれこそが、儂らの役目でもあった。じゃが――」


 そうして視線が廊下の角向こうへ向けられる意味をルストランは察したらしい。


これは・・・私が望んだことではない。むしろ、こうなること・・・・・・を避けたかった――」


 悔しさを滲ませ身を翻す。ついてこいと。

 赤い絨毯を踏み締めながら、弦矢はルストランの逞しい背中についてゆく。

 浮き上がる背中の筋肉は武官としての力量あるを感じさせ、槍を振るっても立派な戦働きができそうだ。一見して平穏に見えるこの国も戦が日常なのかと思わせる。

 ルストランが背中越しに尋ねてくる。

 

「あの娘はどうしようとしていた?」

「それは、儂の口から聞くべきことではないと存じる」

「……正しいな」


 そこで会話が途切れるのを弦矢が嫌ったわけではない。ただ次に繋がるよう、もう少し言葉を添えるべきとは思ったのだ。


「姫は“貴方の言葉”を聞きたかったようだ」

「私の言葉……」

「差し出がましいが、貴方は伝えるべきだ。その胸に仕舞い込んだモノを。姫はそれを受け入れることができる強さがある」


 ルストランの足が止まり、振り返る。


「ずいぶんあの娘と親しいようだな」

「短い付き合いだ。じゃが、ここまで旅した戦友・・でもある」


 最後の言葉が効いたのか。

 ルストランが弦矢を真っ正面から見つめてくる。

 揺るぎない双眸には、とても実兄を陥れる悪辣さは見て取れない。信じたものに真っ直ぐ打ち込む気質が感じれるだけだ。


 信じるに足る人物――。


 それがルストランに対する弦矢の人物評。

 当然、掛け値無しに告げた本音をルストランは真摯に受け止めてくれたようだ。

 得心したように小さく顎を動かす。


「さすがは『俗物軍団グレムリン』の脅威を跳ね返しただけはある。実力胆力共に申し分ない。あの娘はいい知己を得たようだ」

公国そちらが正式に受け入れるなら、貴殿も我らの仲間ではある」

「……そうか。それは頼もしい限りだ」


 さりげない言葉に本音をのぞかせて。

 そうしてルストランは指し示す。

 近くには数名の警備兵が広い廊下を何やら真剣な表情で調べていた。どうやら目的の場所に着いたらしい。


「おそらくこのあたりで、エルネは消えた。私も知らぬ秘密の通路があるのだろう。残念ながら、すべての仕掛けを知るのは我が兄だけだ」

「“秘密の王道”。儂らはそれを使ってここまで来れた」

「だが、こんな近くにあると知っていれば使っていよう?」


 疑ってはいないとルストランは暗に告げる。そしてそのことは、弦矢達でさえここの隠し扉がどこにあるかまでは分からないことを示していた。


「ミケラン殿に頼んでみては」

「ミケラン? あいつもここにきているのか?」

「途中ではぐれたが。おそらく三階の図書室にいるのではないか?」


 弦矢が期待しているのは『解き明かしの鍵アンラベリング・キー』による解錠だ。あれを使えば隠し扉が発見できるのではと。

 手短に意図を伝え、早速ミケラン達を捜してもらうことにする。だがもう時間が経ちすぎている。今から追いかけるよりは下水道の出口を抑えた方が早いかもしれない。

 “秘密の王道”を秘匿することも考慮し、弦矢達に下水道方面の捜索を一任してもらう。難色を示すかと思われたルストランの決断は早く、弦矢は合流を果たした『幽玄の一族』にすべてを託す。

 できる限り捜索の遅れを取り戻すべく打てる手を矢継ぎ早に打ってゆく。


「間に合うと思うか――?」


 ルストランが尋ねているのは“先回り”の件ではない。だから弦矢は努めて冷静に考えを述べる。


「連れ去る以上、姫の身はしばらく安全だ」

「だがどこに連れ去られたかは不明だ。連れ去った者が誰なのかも。いや、心当たりがないでもないが――」


 ひどく真剣な面差しは誰を思い浮かべてのものなのか。ルストランの懸念が的を得れば、よほど厄介な人物であるのだろう。

 もう一度繰り返す質問は先ほどよりも重苦しい声で紡がれる。


「間に合うと思うか――?」

「――間に合わせる」


 それ以外口にできる言葉など弦矢にはない。

 必ず、間に合わせてみせる。

 胸内の思いを込めるように弦矢は拳をキツく握りしめた。


 結局、弦矢達も力を合わせた懸命な捜索にも関わらず、エルネの行方を掴むことはできなかった。弦矢達の使ったものとは別のルートを発見したまではいいものの、それ以上の進展は得られなかったためである。

 大公ドイネストに続く公女エルネの失踪。

 前代未聞の不祥事に、不思議と警備責任を問う声は小さく、内部の混乱も限定的なものに抑え込まれた。

 その理由は、すべての関心事が二人の行方に集中していたからであり、ほどなくして来訪したベルズ辺境伯の言質によって、すぐに大公の居場所が判明したのが大きい。ほぼ時を同じくして、エルネも同様であることが――経緯は省くが――ルブラン家の情報によりもたらされる。

 ベルズ辺境伯による大胆な宣戦布告。

 公にされなくとも、真っ向から三大名家同士でぶつかり合うのは初めてのこと。

 かくして、ルストラン大公代理を筆頭に対辺境領の策が秘密裏に進められることとなった。


         *****


公都郊外

 『トイマーレ監獄跡地』手前――



 轍の跡がくっきり残る道の終点に黒々とした砦の威容をみとめて皆の空気が確かに変わる。


「あれが『トイマーレ監獄』の跡地だ」


 物騒なモノを目にしたようにガルフと名乗った中年親父が口にする。


「それで、俺たちは待ってりゃいいんだよな?」

「ええ。あなた方の活躍は後半です。私たちが救出した扇間さんを託しますから、指定の場所へ必ず届けてください」


 何ほどもないことのように鬼灯は答える。

 ガルフが怪訝そうな目を向けるのは、たった二人で乗り込む場所が、ただの廃墟でない修羅の巣窟であると本当に理解できているのかとの疑問があるためだ。

 だがそれを口にはせず確認をとるだけだ。


「お仲間がいるんだったな。どうやって確かめればいい?」

「“鬼灯に頼まれた”と。そう云えば相手の方で分かってくれます」

「相手の名とかは?」

「残念ながら」


 「思わぬ支援だったので」と告げる鬼灯にガルフは渋面をつくる。互いに警戒し合うだけならいいが、争いなどに発展すれば冗談では済まされない。

 大きな失敗をする時は、得てして小さなすれ違いなどが切っ掛けとなるものだ。


「ま、何とかするさ」

「いや何とかじゃねーだろ!」


 そう横から非難するのは女斥候のミンシアだ。 


「さっきから、なんでお前が仕切ってるんだ?」

「そりゃ“流れ”でよ」

「そんな“流れ”はなかったよな?」


 ミンシアがガルフを睨み、次いでまわりの仲間に同意を求める。

 こくりと頷く弓士少女に班長リーダーであるはずの僧兵ロンデルはキョトンとしてミンシアを苛つかせる。

 「こいつどっちの味方だ?」と睨めつけながら、ミンシアが噛みつく相手を間違えることはない。


「そんな川底の流れ・・・・・に気付くのはお前だけだっ」

「ま、そうだろーよ」


 ニヤリと得意げに笑ってみせるガルフを「褒めてねえっ」とミンシアが憤慨したところで。


「まあ落ち着け、ミンシア。ホヅキさん達も戸惑っているし」

「いえ、“ほおづき”です」


 冷静に訂正を入れる鬼灯にロンデルは口を半開きにする。


「ホゥズキ?」

「ほおづき」

「フォウズキ?」

「ほおづき」

「いや、そこは“ズッキ”でいいだろ」


 呆れたようにガルフが助言するものの、まったくいいとは思えない。眉をひそめ腕を組みはじめる鬼灯の様子に「それは失礼だろ」とミンシアが咎めてみせれば、構いませんとの意外なお許しが。


「――いいのか?」

「ええ。皆さんが呼びやすいのであれば」


 にこやかに告げる鬼灯にロンデルも思案深げに賛同する。


「確かに“ホゥ”や“フォウ”よりはいいかもな」

「お前、わざと云ってたのか?」


 遊んでやがったなとミンシアが責めるのを「他愛のないコミュニケーションは必要だ」とロンデルは生真面目にうそぶく。これも探索者の智恵だと。


「これから人生で最も過酷なミッションをこなすって時だぞ? 意思疎通を円滑にしておくためにも会話の場数はこなしてた方がいいに決まってる」

「それはこの土壇場でやるもんじゃねえだろ」

「間男」


 タイミングが悪いと憤るミンシアに呆れ顔の少女弓士がおかしな相づちを打つ。思わずロンデルとミンシアが班のマスコットを振り返った。


「「間男?」」

「間が悪い男」

「いや――うん。確かにそうかもしれんが、真ん中はしょったら・・・・・・ダメだと思うぞ?」


 焦って認めてしまうロンデルが半笑いで訂正するのをミンシアも「そうだ。真ん中は大事だ」と真剣な顔つきで猛プッシュする。

 そんな二人に少女弓士が不審げに小首を傾げ、ガルフだけが「案外、言い得て妙じゃねえか?」と高笑いするのは、初めて出会った酒場での出来事を思い出したからだろう。

 

「「おめえは(あんたは)黙ってろ!!」」


 教育上よろしくない展開に二人の怒声がかぶったのは言うまでもない。そんな愚にもつかぬ事で言い合っているのを焦れたのだろう。


「おい、そろそろ動こう」


 監獄跡地を眺めていた秋水が呆れ気味に先を促す。

 今は道から外れた藪に紛れ密談を交わしていたが、あまり長居していると敵に見つかる怖れもある。それだけ跡地に近づいていたからだ。

 秋水の懸念をさすがに察した皆が無駄話を打ち切る。ミンシアだけは恨めしげにガルフを睨み付けていたが。


「ん?」


 気持ちを切り替えようとしたのか、目標へ何気なく視線を向けたミンシアがそこで声を上げた。どうしたかと疑念を浮かべる皆の視線に彼女はある一点を指差した。


「なあ。あれって……人じゃね?」

「どれが?」


 彼女が指差すのは廃墟の影。

 すぐに気付いたのは秋水。少しして皆にも気付けるほどの動きがあった。

 それ・・は門があったであろう暗がりから、ゆっくりと大きな人影となって現れた。まるで巣穴から這い出てきた熊のように。

 目撃した全員に緊張感を抱かせるのは、この場からでも感じ取れるそれ・・の持つ危険な雰囲気のせいだ。

 鬼灯達は戦場で、ロンデル達は探索者としての経験で磨かれた感覚が的確に“危険物”を察知する。

 そして今さらだが、『俗物軍団グレムリン』が拠点として利用している割に、歩哨も見えなければ篝火を焚いていないことへの違和感も相まって、皆に必要以上の警戒心を抱かせていた。


「誰だ? 連中の仲間に長躯族ガリアがいるなんて聞いたことも――」


 そうガルフが訝しむのを耳にして、秋水がするりと道端へ身を晒していた。


「おい、何を――?!」

「秋水殿?」

「あれは扇間を連れて行った大男だろう」


 秋水の応じにロンデル達が「あっ」と声を洩らす。自分達で目撃しておきながら、そうとは結びつけなかったのに対し、情報を知らされただけの秋水は今の短い時間で察したらしい。

 『俗物軍団グレムリン』の拠点と大男。

 ただそれだけの関連づけにすぎなかったが偶然にしては出来過ぎだ。こんな夜更けに身ひとつでうろつくのも後ろめたい理由があってのことと疑わせる。

 一度勘繰ってしまうと、人は都合の良いように話しを組み立ててしまうもの。だから事実か否かを確かめてみたくなる。


「まさか、声を掛けるつもりか?」


 ガルフの問いかけに「様子がおかしい」と秋水は廃墟を顎で示す。座して待つことが無意味だと彼なりに判断したのだろう。


「確かめるなら早いほうがいい。念のため、俺だけでゆく」


 そう言うなり足早に向かってゆく。

 止める暇も無い。

 残された面子が「それでいいのか」と鬼灯を窺う。

 パーティ『一角獣ユニコーン』としては協力関係にあるものの、主導するのがスワ側であることに納得している。判断を仰ぐのは当然の行為。

 だが彼らの希望と裏腹に、鬼灯はどこか慣れた様子であっさりと追認し“待機”を選択する。


「事は動き出しました。任せるしかないでしょう」


 廃墟の様子がおかしいのは鬼灯も気付いていた。

 拠点であるという情報自体が間違っていた可能性もあるが、そんな単純な話しとは思えない。

 秋水が大きな人影と接触するのを皆で固唾を呑んで見守るしかなかった。

 

 ◇◇◇


 大男は秋水の姿を見とめているはずなのに、警戒する素振りもなく近づいてきた。

 そしてほどよい間合いを空けて立ち止まる。

 そこは大男が背負う重戦斧バトル・アックスの間合いに入る半歩前。そのことを一度対戦した経験で秋水は見抜いていた。


「……おめぇ、この前あったヤツだよな?」

「そうみたいだな」


 どうやら相手も気付いたらしい。

 実は互いに顔で見分けたわけではない。異種族の顔つきは馴染みが薄いせいか、どれも似たりよったりに見えるからだ。

 代わりに体つきや口調、全体の空気感で判断することになる。直に戦った二人には、相手に対する強烈な印象が残っていた。


「おめぇ――そういや名乗ってなかったか」


 何か言おうとして、大男ははたと思案げに眉をひそめる。


「俺はゼイレだ。お前は――?」

「……」


 秋水は名乗らない。

 敵対する者に名を告げるなど愚の骨頂。今後不都合なことは生じれど得することなど何もない。それを大男――ゼイレも察したのだろう。


「つまんねえヤツだな。まあいい」


 あっさり諦めて「それで」と秋水に尋ねる。


「仲間を助けにきたか?」

「……」

「図星か」

「答えちゃいないが?」

「答えたよ。黙ったことが答えと同じさ」


 得意げに太い唇を吊り上げるゼイレに秋水は憮然となる。顔に出やすいタイプでは陰師としては失格だ。それをゼイレは違う視点で捉えたらしい。


「ふざけた野郎だな。本気か嘘か分からねえ」

「だが、俺の目的を見抜けば十分だ」

「そういうことだ」


 ゼイレが相づちを打ち、そこで真面目な顔に切り替えた。


「あそこに乗り込もうとする度胸も自信も大したもんだが、勿体ねえな。どうせ無駄に命を捨てるくらいなら、俺と戦えよ」

「どうしてそうなる? 俺には何の得にもならん」「“お仲間を連れ去った”のが俺だとしてもか?」


 秋水の表情の裏で何かが変わった。

 そうゼイレは気付いただろう。だが、それは微々たる変化であり、秋水の強力な自制で押し留められる。


「……悪くない理由だが、ここで戦り合うだけの理由にはならん」

「そうだろうな。敵前で暴れたら、隠密で動けなくなっちまう」


 だから大丈夫なんだとゼイレは告げる。

 気に掛ける者がいないからと。

 

「どういうことだ?」

「そのままさ。あそこには誰もいねえよ。確認してきたばかりだからな」


 声音に若干苦みを混ぜるのは、ゼイレにとっても想定外のことであったらしい。


「ほんとなら、人質にしてお前らと交渉するつもりだった。世話になってる一家が欲しがってるものがあってよ。だが、その家長からせっかくの人質を連中に引き渡せと云われてな。指示に従ったものの、どうにも納得できねえ。

 だからよ。ひと暴れするつもりで来てみたが、もぬけの殻だった」


 笑えるぜと。

 相手がどなた様であろうとも、裏街の組織がいいようにやられては面子が立たない。まさか、彼の英雄軍がバックレるとはさすがに思わなかったとゼイレは呆れ混じりに苦笑いする。


「それでひと暴れか――無謀な行為じゃなかったのか?」


 危険だと諭しておきながらの台詞に秋水が呆れ混じり揶揄すれば、ゼイレは問題ないと口端を吊り上げる。


「問題なのは“退屈”さ。暴れられるんなら、本望だ」

「イカレてるな」

「褒め言葉と取っておくぜ」


 ゼイレは愉しげだ。おもむろに背中から重戦斧バトル・アックスを下ろす仕草も自然に行い、続きはどうすると問いかけてくる。


「どういった理由か知らんが、連中は拠点を引き払った。このまま帰っても面白くねえ」

「どこに行ったと思う?」

「さあな。だが連中は“街に巣くう怪物”だ。山や森に引っ込むとは思えねえ。なら、古巣に戻ったと考えるべきかもな。で、楽しむか?」

「古巣はどこだ?」


 ゼイレの誘いに秋水は取り合わず、淡々と情報収集を進める。当然面白くないゼイレは条件を付けてくる。


「古巣か……軽く運動すれば思い出せそうな気がするな」

「そうなのか?」

「ああ」


 気付けば秋水がほどよい間合いに立っていた。

 何も考えずに振り回せば、分厚い重戦斧バトル・アックスの刃で胴を撫で切る最良の位置で。



 ゴウッ――――!!



 間髪置かずに空気が抉り抜かれていた。

 ゼイレの瞳が爛々と輝き涎を垂らさんばかりの笑みで渾身の一撃を見舞っていたのである。

 当然、それは秋水の誘いだ。

 長躯族特有の本能に訴えかける行為えさ

 まんまと食らい付かせたところで、秋水は易々とゼイレの懐を盗っていた。


「――っ」


 渾身の左拳をぶち込む。

 指の間に手裏剣を挟み込む『双刃拳』。それをがら空きの脇腹に叩きつけたものの、固い岩盤・・・・に阻まれる。

 種族特性技能『剛体』――。

 ゼイレが攻撃特化に振る舞えるのも、瞬時の防御を可能とするためだ。


「無駄だ!」


 ゼイレのハンマーがごとき肘打ちが打ち下ろされ、秋水が見もせずワンステップで回避する。二度目の左拳。阻む『剛体』。

 ゼイレが武器持つ腕で壁と為し、もう片方で叩き潰しにくる。それもバックステップのみで回避した秋水が右拳を襲ってきた腕に叩きつけていた。


「ぐぅっ」


 食い込む右の『双刃拳』。

 すかさず左拳もぶち込んで、そのまま左右の連打へと繋げる。

 だがゼイレは『剛体』で守ろうとはしなかった。


「ふんっ」

「――!」


 引き締められる筋肉で右拳の刃が抜けなくなる。

 動きが止まった秋水に重戦斧バトル・アックスの刃の平が叩きつけられた。

 跳ぶもしゃがむも回避不能――否――それすら秋水は避けている。さらなるバックステップで。


「――だろうなっ」


 ゼイレの笑みが告げていた。

 させた・・・のは自分だと。

 腕を振り抜く勢いで一回転し得物を肩口に持ってゆく。流れるままに次撃で勝負すると初めから決めていた。

 油断させた上でのスピード勝負。

 当たれば勝ちは見えていた。

 喰らえ、斧技スキル『空裂刃』――。



 ――――シュアッ!!



 剣撃と見紛う速さで分厚い斧刃が人影を断つ。

 平打ちからの会心のコンビネーション。

 秋水に初めて見せる刃速はこの時のために取っておいたもの。


 斧技スキル『空裂刃』――。

 重量武器である斧系統のスキルは威力を増すことを重点に遠心力を効かせた“振り回し”が基本動作となる。それは“円の動き”を体現する。

 それに対し、威力を落としても“直線的動き”により目標への到達時間・・・・を短縮することに特化させた変則スキルがこの『空裂刃』であった。

 故にこれまでの攻撃スピードに馴らされた秋水が急激な変化についていける道理などあるはずもなかった。それが。


「速さにこだわりすぎだ」

「!」

 

 秋水の声が耳元で聞こえてゼイレは反射的に『剛体』を行使した。だが一瞬早く刃が潜り込む感触を知覚する。

 止まった。だが遅すぎる。

 やられてはいけない内臓まで冷たい刃が確実に達していた。


「……ちっ。何が拙かった?」

「一瞬でも俺から目を離したところだな」


 速さを重視しなければそうしなかったであろうと。

 ゼイレの独白に秋水が付き合う理由は分からない。だが、それを耳にしたゼイレの身体から闘志が霧散したのは間違いない。その効果を狙ってのことか?


「“偽体デコイ”か……こんな使い方をするなんて初めて体験したぜ」


 ゼイレが目にしているのは、人形の布きれだ。

 回転による一瞬の見逃しも“気配”で補足していたために彼は問題視していなかった。その盲点をうまく突かれたのが敗因だ。

 本来、“偽体デコイ”は気配察知のできる手練れを相手に中間距離で目くらましとして使われるのが通例だ。それを戦闘中に目前の敵を誤魔化すのに用いるなど、戦い好きのゼイレでも聞いたことがなかったというわけだ。だから欺されたのだが。


「悪いが“真っ向勝負”は俺の本分じゃない」

「つまんねーこと云うな。短くても俺は十分愉しんだぜ」

「なら教えてもらえるか?」


 秋水に請われてゼイレはようやく思い出したらしい。「そうだったな」と戦いの余韻もない秋水に苦笑をこぼしつつ。


「……何で知らねえのか不思議だが。連中の古巣ホームといや、ベルズ辺境伯領に決まってる。ヴァインヘッセ城――そこが奴らの根城だよ」


 つまり扇間はあの廃墟にいない。

 実に喜べない話しだ。

 廃墟の遺影を目にしつつ、秋水の瞳に憂いが混じる。より遠ざかった感じがするのは距離のせいばかりではない。

 あの怪我で連れ去られた扇間の身を案じ、暗澹たる結末の想像を強引に振り払う。

 この後、鬼灯に知らせねばならぬ憂鬱さを感じながら、秋水は廃墟の遺影に背を向けた。

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