第61話 雨煙る街で

鬼灯たちの依頼開始から翌日

公都キルグスタン

 南街区――



 朝から灰鼠のような色合いの雲煙が近間に見えるとは思っていた。

 それでも宿を出るのが遅くなったのは、立ち寄りたい場所のいずれもが昼近くにならないと客もまばらで行く意味がなかったからだ。

 だから通りを歩いている途中で、まるで台本通りに冷たい水滴が頭をぽつりと打った時、トッドはわざとらしくため息を零して足を速めた。

 本降りになる前に、ふと目に付いた看板に足を止め、トッドは空を一瞬仰いですぐに雨宿りを決意する。

 『痩せぎすの子鹿亭』――細身の奴を太らせて帰す――店主の意気込みを体現した料理はどれも安価でボリューム満点だと最近話題の飯屋であり、ルルンが大食漢のゼオールをしきりに誘っていたのを思い出す。

 なるほど。


「――朝メシ抜いててよかったぜ」


 たかがメシひとつの注文で、そんな理由で胸を撫で下ろす日が来るとは夢にも思はなかった。

 とにかく見た目の迫力だ。

 どんと出された大皿に、南海産の魚が尾ひれとカシラがはみ出す勢いで丸ごと一尾乗っけられ、そこへ刻んだ香味野菜をまぶし、とろみ・・・のある熱々ソースをたっぷりかけられて濃厚に匂い立つ甘酢っぱさが熱気と共に近づけた顔を包み込む。

 これに分量を補う意味で蒸かしたジャガイモがこれでもかとぶちこまれているのだから、大食漢でもないトッドにとっては苦戦必至の強敵に違いなかった。

 無邪気に仲間を誘っていたルルンは、このボリュームを知っててなお、勇敢にも挑もうとしていたのだろうか?

 予想以上の強敵を前に高レベル斥候職の顔が若干引き攣る。店主の“太らせて帰す”は言葉のあやではなかったらしい。


「なあ、これ一人分だよな?」

「そうだよっ。その塩漬け魚はね、最近やって来た商人が“お近づきの印に”って大量に、しかもすっごい安値で卸してくれたんだ」

「へ、へえ……ずいぶん景気のいい商人だな」

「ああ、滅多にない話しだよ。見た目は“ぶん殴りたくなるようなツラ”らしいがね。貴族じゃなく庶民にいいツラするってんなら、悪い奴じゃないんだろうねえ」


 「ウチらの間じゃ、この話題でもちきりだよ」と威勢のいい娘給仕が大量の空き皿を抱えながら嬉しげに答えてくれる。

 さすがに今回限りの大盤振る舞いらしいが、都中の話題をさらい、大衆の心と胃を掴めたならば第一印象はこの上ない。実際、貴重な海の幸を安価で食べれるとあって、今日は一段と客の入りがいいらしい。

 もちろん、そんな目玉商品がなかろうとも、子鹿亭はいつも繁盛しているようで、賑やかな店内の片隅にトッドも辛うじて居場所を確保できたくらいだ。


「おう、悪い! でも兄ちゃんも気をつけな」

「…はあ、すんません」


 この人混みだ、肘やら何やらがぶつかって些細なトラブルが泡のようにふつふつと生み出されては喧噪の中に消えてゆく。

 大きなガタイの割に小さく背を丸めた男が木杯コップを掲げたまま悄然としているのは、派手に零れたエールが具だくさんのスープに混ざって嫌な匂いをたてているからだろう。あれでは食えたものじゃない。


「おい、姉ちゃん! こっちの兄ちゃんに同じもんやってくれっ」

「なんだい、奢ってでもやるのかい?」

「そんなトコだ」

「かー、男前っ」


 トッドのやりとりの意味に気付いた男が驚いたように顔を向けるのを「気にすんな」と手を振るが、当然、「そんなわけにはいかねーです」と男は慌てて席を立つ。

 「愚図な俺が悪いのに……」と周囲から苦情を受けながらも無理矢理トッドのそばへ移り座り、礼を述べはじめる男の下へすぐに娘給仕が新しい器を持ってやってくる。

 店自慢のスープはたっぷり作り置きがあるために注文すれば早いものだ。


「はい、お替わりだ。ちゃんと礼を言っときな!」

「すんません」

「ばっか、あたしに云ってどうすんだいっ」


 笑いながら娘給仕が去って行ったところで、目元をゆるませていたトッドの顔つきが引き締まり、その口調までがガラリと切り替わった。


「――それで、何の用だ・・・・?」

「別に。用があるのはそっちだろ」


 こちらは目尻まで下げた愚鈍げな顔つきはそのままに、確かな秋水の声で・・・・・男が低く応じる。明らかに声のトーンまで変わっている巧みさにトッドが内心舌を巻く理由は他にもあった。

 確かに連絡を取りたいとアプローチしたのはトッドの方であり、その合図については「連絡する場合は人混みで・・・・」という取り決めを結んでもいた。

 だが宿を出てから秋水らしき者の気配は感じられず、本当に“合図”に気付いて現れるのか、トッドとしては正直半信半疑であったのだ。

 今日の雨模様を幸いに、タイミングを・・・・・・計って・・・宿を出て、偶然を装う形で・・・・・・・賑わう飯屋に入るのを、まさかきっちり読み切ったわけでもないだろうが、それでもトッドが感じたのは、連絡がうまくとれた喜びよりも「秋水が敵でなくてよかった」という安堵の方が強かった。


「とりあえず、分かったことだけでも共有しておこうと思ってな」


 内心の冷や汗を覚られまいと、トッドは平静を装いフォークできれいに魚の身をほぐしながら何気なく話し出す。


「大公陛下の病やルストラン殿下の執政代理については、先日、ようやく公式発表されたそうだ――」


 ただ陛下の容態が快方に向かうような話しもなく“姫の哀しみはいくばくか”という話題はあれどそれ以上の話しはあまり触れられていないらしい。

 無論、陰では貴族達の口が閉じておけるはずもなく“ショックで姫が城を飛び出した”という噂がまことしやかに囁かれているようである。

 また原因が“流行病”ということもあって、念のため適地での療養・・・・・・を検討しているという噂もあり、間近にいた者達が顔を見せない理由もそこにあるのではとの憶測が広まっているらしい。


「――とまあ、この辺はケンプファー家から仕入れた情報だがね」


 昨夜のうちにエンセイが無事であることを伝えた際、あらためて協力関係を取り付けたことをトッドは語った。

 下手に足をつくような真似はしたくなかったが、貴族筋の情報は貴族からしか得られぬ以上、これも許容すべきリスクなのだと言い添えて。


「“流行病”を理由に城への出入りは厳しく制限されているようだ。どこからか高名な治癒師を招いて浄化する話もあるとか」

「“祈祷”か――」


 大病を患う重鎮を思い、医師が駄目なら神頼みというのは異なる世界にあっても同じものらしい。だが秋水はそこにこめられた別の意図もきちんと理解していた。


「つまり、それまで規制を続けるということか?」

「たぶんな。信望もある実弟殿下が代理とあって、表立って異を唱える貴族もいないようだし、その間に色々と・・・城内をきれいに掃除・・・・・・しておきたい・・・・・・んだろうよ。実際、公都の執政で実績ある殿下が代理を務めることもあって、民はご覧の通り貴族を含めてそれほど混乱も起きていないんだと」


 国にとってはいいことだが、政権を強奪された側からすれば癪に障る話でもある。


「しばらくは水面下で支持基盤の安定化を図るだろうというのがケンプファー家の見立てだな」

「庶民にとっては朗報だ。こっちも街を巡ってみたが、さほど治安も悪くない。いい街だ」


 秋水が何気に洩らすのを「そうだろうさ」と皮肉った口調でトッドは応じる。


「この国最強の『俗物軍団グレムリン』様が、なぜか裏社会の統一に乗り出して、一時的にひどく荒れたらしいが、それも近頃は沈静化してきて結果的に争いが減ってるって話しだ」

「それは治安のため――ではないよな」

「“盗人の女神”のケツに賭けて」


 そんな女神もいなければ、いたとしても下品な誓いを受けたい女神などいるはずもないのだが、トッドは馴れた口ぶりで担保のない保証をする。


「奴らが評判通りの連中なら、“自由に出来る資金の調達”とか“悪党相手なら暴れられるから”とかそういった理由に決まってる」

「だがそんな危険な連中が、相手の手駒だとすれば厄介だな……」


 秋水が眉をひそめるのも、国の表と裏にがあるとなれば、エルネを叔父御の下へ連れて行く計画が非常に困難なものになるからだ。

 特に“秘密の抜け道”的なものは裏社会の連中が精通しているものであり、今後検討していくルート上に“奴らの許可を得るような箇所”があっても不思議ではない。

 少なくともこの一件は、エルネ陣営にとっては何気に重要事案であったことに気付かされる。


「あー、何だか嫌な予感がしてきたな」

「その連中はまだ統一半ば・・・・・・か?」

「ほらな――正直、半ば以上じゃねえか? まあ、邪魔するなら・・・・・・早いほどいいだろうよ」

 

 『俗物軍団グレムリン』が裏社会を牛耳る前にエルネを連れてこようとすれば、当然、“早く呼ぶ”のと“統一阻止”の行動を同時に取り組む必要が出てくる。

 それを秋水が。


「……まあ、俺たちが牛耳る・・・・・・・という手もあるが」

「は――?」


 思わず大声を上げたトッドが、慌てて口を塞ぐ。


(なんてこと言い出しやがんだ、こいつっ)


 どこまでも秋水が本気なのは分かってる。分かってるからこそ、怖いのだ。


 公都の全裏組織を敵に回す――


 いったいどれだけの人数がいて、そのうちどれだけの猛者がいて。

 しかも唸るほどの金があって、寝ても覚めても食事や井戸に毒が仕掛けられ、すれ違う平凡な叔母さんが何気なくナイフを突き出してきて――

 安らぎのない毎日・・・・・・・・がどれほど地獄か分かっているのだろうか? いくら秋水自身が強者だとて、何でもありの裏組織を相手にする真の怖さ・・・・をこの男は本当に理解できているのだろうか?


「……おかしなこと云うなよ」


 できる限り普段通りの声でトッドは慎重に言葉を選ぶ。


「あんたが自分を守れても、あの娘・・・はただの嬢ちゃんだ。いらぬいさかいを起こせば、いつ、どんなところに飛び火するかわからねえ――それがあの娘のところだったらどうする?」

「……そうだな」


 その一言を耳にしてトッドは気付かれぬようゆっくりと安堵の息を吐き出した。心臓に悪いったらありゃしない。


「とにかくこの話しには不明な点も多い。もう少し調べると同時に今分かっていることだけでも向こう・・・連絡は入れておいた方がいいだろうな。後で教えるから『伝達鳥』を買って、あんたの部下に届けさせてくれ」

「分かった。だが指示あるまでは、統一阻止の動きは少しでもやっていた方がいいだろう」

「……くれぐれも目立たないようにな?」


 止めても無駄と知るからこそ「大丈夫かよ?」と不審の目を向けるトッドの気持ちが一割でも伝われば安心なのだが「次はこっちの番だ」と不安になるほどあっさりと秋水は次の話へと移ってしまう。


「初日の話しになるが、扇間殿に接触を図ってきた者がいた。トッド殿との繋がりを探るのが目的らしい」


 その後の展開も秋水は掻い摘まんで聞かせてくれた。

 そいつらにも敵がいて、ピンチのところを助けて情報を引き出そうと画策するも結局は逃げられてしまったことなど。 

 

「……」

「どうした?」

「……いや、何でもない。それより、話しはその先もあるんだろ?」


 我に返ったトッドが当然のように促せば、秋水は部下がきっちり後を付けたことをさらりと告げる。


「ずいぶんと慎重な移動・・・・・だったらしいが結局はこちらが上だった。最終的に行き着いたのは街の西側にある屋敷街と思われる場所だ」

「――へえ」


 一拍遅れた反応は西街区そのものが貴族達の上京用の邸宅や上級役人、大商人などに限られた特別居住区域であるためだ。

 つまりルストラン一派かあるいは別のそうした者達が、すでに『五翼』に目を付け動き出していることを示している。果たして――


ルブラン・・・・という貴族の住居らしい」

「――」


 その名を耳にしてトッドの手が止まる。無論、湯気を立てる白身を眺めて幸せを感じているわけではない。


「どうやらルブランという貴族は大物らしいな」


 そんな風に秋水に水を向けられて「大物も大物、三大名家のひとつだよ」トッドは真剣な眼差しで白身を見つめながら答えた。これも当然、吟味しているのは料理ではなく秋水がもたらした情報の意味合いだ。

 当然と云うべきか、事は大公家内部のもめ事・・・に収まらず、ここにきて新たな派閥の登場――。

 いくつかの憶測は立てられるが、今の情報だけではさすがに偏りがありすぎる。だからトッドはもう一方の情報提示を秋水に促した。


「当然、“ぼろ切れ覆面”とやらの一派も後を付けたんだろ?」

「ああ。そいつらのたまり場・・・・に戻っただけだから尾行というほどの苦労もなかった」

「じゃあどこの連中かも?」

「『クレイトン一家』だ――そう呼ばれているらしい」


 それならトッドも知る裏組織のひとつだ。組織としては古くからあったがボスの代替わりを切っ掛けに武闘派として生まれ変わり、小さなグループをいくつか吸収して大きくなってきたという話しを公都出立する頃に耳にした覚えがある。


「勘繰りすぎかもしれねえが、持ってる情報をぜんぶひっくるめて考えると、連中には『俗物軍団グレムリン』の息がかかってるように思えるんだ……」

「そうだとすれば、『俗物軍団グレムリン』がルブランという貴族の情報収集を邪魔したことになる。『俗物軍団グレムリン』も国軍だというのなら、背後で動かしているのは……」


 大公家とルブラン家の対立――秋水が何を云わんとしているのかを先読みしたトッドは「そんな単純な話しじゃない」と顔をしかめる。


「“貴族の関係”ってのはもっと面倒臭いんだよ」


 どう説明したもんかと頭の中をこね回しながら、トッドは「俺だって得意分野ってわけじゃねえからな」と秋水へ少しだけ解説してやることにする。

 つまり、貴族とはよほどのことがないかぎり、表立って争うことはなく、あくまで水面下で代理戦争のような戦い方をし続けるものだ、と。


「連中は“体裁”を過剰に気にする人種だ。表立って声を荒げたり憎しみや怒りを顔や態度に出しちまう行為は“優雅さの欠如”として嫌われるらしい」

「それもケンプファー家とやらの受け売りか?」

「いや、実体験だ。これでも連中からの依頼を何度か受けたことがあるんでな」


 トッドの声に苦みが混じるのは嫌な記憶を思い出したからだ。彼らとの付き合いには腹芸のひとつも覚えておく必要があり、主に交渉を担っていたルルンは気苦労が絶えなかっただろうと今さらながらに思い至る。


「公都じゃ日常的に、誰かの手の者が暗躍してるからな……だから情報集めにおける小競り合いも頻繁に起きるし、今回の一件もそれ・・かもしれないってわけだ」


 対立の有無に関わらず小さなトラブルなど日常茶飯事の世界ということらしい。


「だが、その話しからすると結局は“どちらとも云えない”よな?」

「そのとおり――だから面倒だ・・・・・・って云うのさ」


 もちろん、貴族も単純に体裁ばかりが理由で手下を暗躍させるわけではない。日々におけるあらゆる情報の入手は爵位が上になるほど重要度が増してくるものであり、そもそもその事に気づけぬような輩では上に昇り詰めることなどできやしないのだ。


 すべては権勢を得んがため、あるいは守るため。


 今回のように正統な手続きもなく、ルストランが強引に仕掛けたことによって、貴族達が黙って傍観するはずもなくあれやこれやと動き出すのは当然の流れであった。

 しかも、ネタが“大公の座”となれば、その影響はいかほどのものか。


「“陛下の病”という理由付けは悪くないが、性急に執政代理となった殿下に対してルブラン伯爵が内心不信感を募らせていても不思議じゃない」

「当然、これだけ怪しい状況ならば色々調べもするか」

「それを面白くないと思うのは、『俗物軍団グレムリン』を背後で操る殿下――正直、この筋道・・・・を真っ向から否定するつもりはないんだぜ?」


 一度は否定的な意見を述べたものの、それは秋水に貴族の習性を教えるためであって本音は真逆――むしろ秋水が読み解く“路地裏事件の背景”をトッドは後押しする。

 そこでふと、秋水が洩らす。


「三大名家と云ったな――不信感を抱くというならもう一人の貴族も同じじゃないのか?」


 その指摘に「だろうな」トッドは素っ気なく同意した。中立の立場を決め込まない限り、あるいはそうだとしても今回の一件で影響を受けない貴族などいるはずがない。

 貴族は“貴族の力学”で蠢いているというわけだ。

 

「殿下が『俗物軍団グレムリン』に裏組織を牛耳らせるのもその辺りに理由があるんだろうよ」

「“水面下の戦いに備えて”――か」


 公都の表と裏を抑えれば、文字通りこの街は堅固な要塞となる。それどころか、場合によっては公都の裏組織を通して国中へ闇の手を広げてゆけば――


「大丈夫か? 顔色が良くないぞ」

「……ああ」


 馬鹿げた想像を振り払うように、トッドは大口を開けて白身を頬張った。

 冷めたせいか味がよく分からない。

 ソースに包まれてまだ暖かい白身を新しく口に放り込んでも、結果は同じ。しばらく味も分からなくなった魚料理を懸命に食べ続けて、トッドはエールで一気に胃の腑へ流し込んだ。

 とん、と替わりのつもりか自分のエールを渡してくれる秋水に遠慮なくもらって二杯目も空にする。


「勝て――」

「あんたひとりで戦うわけじゃない」


 口にしかけた言葉を秋水が遮った。同じ発想から同じ結論を彼もまた導いていたからに違いない。娘給仕にエールの追加を注文しながら落ち着いた声で「それに」と続ける。


「まだ何も決まってない。まずは、連中が仕掛けている裏組織の統一阻止が第一だと気付いただけでも、俺たちがここにきた意味があったんじゃないか?」

「そうだが、たった六人じゃ……」


 力なく呟くトッドに秋水は「忘れたか?」とまだ打つ手があることを思い出させてくれる。


「このような事態に備えて、拠点造り・・・・を進めているのだろう?」

「――そうだった」


 公都近郊に拠点を設ける――。

 そもそもの“エルネ姫を叔父御に会わせる”という作戦が、内容的に隠密作戦であることは間違いないのに、嫌に大がかりな策を弄するものだとトッドは疑念を持っていた。

 取り組むなら、いかに秘密裏に公都に潜入し城へ忍び込むか、それだけに集中すべきだとトッドは思っていたし主張もしたのだ。


(だが、俺が浅はかだったのか……)


 まさか大公代理を務めるほどの人物が、公都の裏組織にまで手を伸ばし、まさに鼠の這い出る隙間さえなくす完璧な要塞化を図ろうとは思いも寄らなかった。

 いや、誰も想像だにしていなかったはずだ。

 なのに、まるでそれを予期していたかのごとく、手詰まり直前で、辛うじて起死回生の一手が残されている――エルネが固執した、『スワ』の助力を得ていなければあり得なかった情勢だ。

 彼らは武力だけでなく策略にも長じているのだろうか?


(いや、何の力でもいい――)


 秋水の云うとおり、まだ望みはある。

 それだけに、不審感いっぱいで見ていた彼ら・・にもトッドは申し訳ない気持ちになる。

 彼らならやってくれるだろう。

 あの黒い小鬼達ならば。


         *****


とある林

 パユと小鬼達――



 『牙猪レッド・ボア』の巨体をふたつ地面に並べた前で、腕を組み仁王立ちするグルカを三人の黒き小鬼達は何とも言えぬ表情で見つめていた。

 肩で息をしているのは、狩り尽くした近辺での狩猟を避け、わざわざ遠くまでそれも短時間の内に出向いたためだろう。

 これまでの狩猟でさえ、相応の範囲で行ってきただけに、それを越えてとなれば『特殊個体ユニーク』である彼らの脚力を考慮しても気合いの入った行動であることは間違いない。

 ただ苦労の甲斐あって、皆の猟果は葉物ばかりが目立つのに対し、グルカのそれは先日に比べれば見劣りするものの、十分な猟果を確保できており、時折チラ見して比べては、そのたびに書き殴った波模様の仮面が徐々に天へと反り返っていく。


(自慢だな)

(自慢だ)

(めっちゃ誇らしそう……)


 実に分かり易い仲間の気質にほぼ同時に同じ感想を胸中に抱いた三人から自然とまばらな拍手が贈られる。おそらく仮面の下はにやけた唇から鋭い犬歯が剥き出しになっているに違いない。

 だがそれでいいのだ。

 そうして満足してもらわなければ、色々と支障が出ることを彼らはすでに学んでいたのだが。

 

「(そんなことより・・・・・・・、いつになったら『隠れ家アジト』に踏み込むの?)」

「「「――!!」」」


 ほっと安堵する三人の心臓を凍らせ、悦に浸っているグルカの後頭部を棍棒で殴り飛ばす衝撃の一言を発したのはパユである。

 あれから一向に進展しない状況に彼女があからさまに疑念を持つのは当然であり、むしろ食糧確保に情熱を傾けはじめたように窺える彼ら――いや正確にはグルカだけであろうが――の振る舞いがパユを一層困惑させたのも当然だ。

 だからそこに込められたものは「早く助けて欲しい」という思いの裏返し。

 悪意がない発言だけに、まるで本当に殴られたかのように仮面をがっつり下へ俯かせているグルカの受けたダメージが、いかほどであったかは分からない。

 ただ少なくとも、プルプル肩を震わせる徴候が良いものでないことははっきりしている。それ故、渦巻き仮面のグクワがサックリ留めを刺すとは他の二人も思わなかったのだ。


「(“いつ”って、グルカのちっぽけな自尊心が満たされた時だな)」

「(ばか、よせっ)」

「(ジソンシン?)」

「(“度量”と言い換えてもいい。まあ、小さいだけにすぐに満たされるだろうがな。ほれ見ろ)」


 そうしてグクワが指差せば、すっかり項垂れてしまったグルカが肩どころか両腕まで力一杯わなわなと震わせて、「(なんて云った――?)」と静かに問い返してきた。何かがおかしい。


「(? いや、お前の自尊――)」

「(負けて悔しいのさ)」


 素直に答えようとしたグクワの声を重く腹に響くグドゥの声が吹き飛ばした。

 揺るぎなく、それでいてどことなく切迫感がありながらも、グドゥはリーダーの威厳すら持って、静かに感情を高ぶらせる仲間へ言って聞かせる。


「(二度の狩猟でこの辺はすでに狩り尽くした。だから当然、俺たちにできることは採草くらいしかないと思っていた――)」


 そこで「だが」とグドゥは強調する。諦めた自分達と違ってお前はどうであったかと。いかに真剣に取り組んできたのかと。

 だから、とグドゥは小柄な仲間に同情の目を向ける。


「(悔しいのは当然だ、グクワ)」

「(は? 別に――)」

「(もういいだろ、グドゥ)」


 怪訝な顔で首をひねる仲間を遮り割って入るのは長身のグナイ。「もう勘弁してやれよ」という雰囲気を前面に押し出すのを「そうだな」とばかりにグドゥが重々しく頷き受け止め、成り行きについて行けないパユだけがひとりぽかんと口を開けている。

 グナイは語る。


「(グルカだけが・・・大物を獲ってきた――)」

「(うむ)」

「(グルカだけが・・・採草もせず肉を獲ってきた――」

「(うむ)」

「(グルカだけが・・・本気で・・・狩りをやっていた――」

「(うむ)」

「(いや待て待て!!)」


 そこで両腕を広げてがなり立てた・・・・・・のはグルカだ。


「(今“悪意”があったよな?!)」

「「(?)」」

「(なに、純朴そうな目で見るんだよ! やめろよ、似合わねえぞ? 無理だからな? お前らの腹は真っ黒いかんな?!)」


 「(ちくしょう! 俺だけ馬鹿っぽく扱いやがって)」と喚くグルカを「(“ぽい”じゃないだろ)」と冷静にグクワが訂正して、場がどうしようもないほどグダグダになっていく。

 この時点で、状況の収拾を放棄したグドゥとグナイがさっさとその場を離れていき、それに気付いたグルカが余計に取り乱した。


「(あ、待てこらっ。どこに行きやがる? 戻ってこい、戻って今日こそ俺が一番だと認めやがれ!!)」

「(だからさっきグナイが、お前が一番だと認めてただろう?)」


 台無しにした張本人が今さら慰めにかかるも後の祭りだ。第一、相変わらず豊富な葉物、根菜を採取してきたグクワは今のうちにと下処理をはじめながら、その片手間に仲間をあやしている・・・・・・のだから、グルカだって機嫌を直すに直せまい。従って――


「(いーや、俺を嘲笑ってただけだ。畜生、明日も勝負するぞっ。勝つまでやってやるからな!)」

「(……結局こうなるか)」


 すっかり“狩猟大会”的なノリになってしまった状況に、大げさにため息をつくグクワの隣で、「ウソでしょ……?」小鬼達の言動をまったく理解できないパユがすっかり困惑を深めていたのだった。


         *****


再び公都キルグスタン

 『痩せぎすの子鹿亭』――



「なんだい、しみったれた顔をして? 不景気な話しなら他所よそでしとくれっ」


 二杯目のエールを届ける娘給仕に、黒き小鬼達の現状を知らぬトッドは笑顔で応じた。


「いや、希望があるからな・・・・・・・・。不景気なんざ遠くへ飛んでっちまったよ」

「それならいいけどね。面倒くさい話しなんかしてないで、きっちり食って腹を満たしな! 満腹になれば、誰だって幸せな気分になれるもんだからさ」

「お、なんか名言ぽいな」

「当然だよ。食べ物にゃ“幸せのエキス”がたっぷり詰まってるからね。何でも名言になっちまうってもんだよ」


 「あっははは!」と軽快に笑い去った娘給仕を見送るトッドの顔には、雲りひとつないすっきりした笑顔だけが浮かんでいる。


「――これはこれで、いい店だな」

「ああ。悪くない」


 くどいようだが、二人が和んでいられるのも小鬼達の現状を知らぬからこそのもの。とはいえ、明確に役割分担している以上、余計な雑念は知る必要もないだろう。。

 頷くトッドへ頃合いとみたのか、秋水が別件を持ちかけてくる。


「悪いが話しはもうひとつある」

「おう、聞かせてくれ」

「実は二日目の昨日、鬼灯殿達が早速依頼クエストとやらを受けてな」

「何をやらかした?」


 決めつけてかかる――それもトラブルの原因者と決めつけてかかるトッドの反応もどうかと思うが、「まだだ」と答える秋水もどうかとは思う。


「ただ初心者用の仕事にしては、妙に剣呑な内容でな」

「?」

「ざっと調べてみたが、雇われた用心棒が何人か死んでいる」


 仕事に危険は付き物だ。だが、鬼灯達が挑んでいるのはあくまで【見習い】用の難易度が低い仕事だったはずだ。


「まさか受付で手違いが?」

「どうだろうな。依頼主であるヨーヴァル商会には後ろ暗いところもあるようだし、ここ最近になって、護衛対象への襲撃件数が増えているのも気になる」

「それこそ見習い任務に出すようなことをするから、舐められたってことはないか?」


 悪循環というものはよくある話しだ。

 ただトッドも思いつきで見解を示してみたものの、信じているわけではない。


「その辺は拾丸ひろうまるに調べさせてみるがね……少なくとも、確実に分かっているのは、最近亡くなった用心棒がすべて女だってことだ」

「たまたまだろ?」

「そうだとも言えるが、そうでないとも言える」


 むっつりとした秋水の言葉には軽い苛立ちを感じさせる。


「……亡くなったと云ったが、実は警備の秘匿性を厳守するためだとかで、遺体を引き取った事案はないらしい」

「なんだそれっ」

「ああ、馬鹿馬鹿しい。だが、亡くなった女達は身寄りのない『荒事師』ばかりで『手配師』と呼ばれる紹介屋からすれば、見舞金をたんまり貰っているから文句もないらしい」


 「別に連中が縁者でもないのにな」と毒づく秋水は口をへの字に引き結んでいる。まあ、それはそれとして厄介なのは、そうした状況のせいで見張り番の任務の難易度が読めなくなっているということだ。


「それで? 俺が『協会ギルド』に掛け合って依頼を取り消しにしてもらうか?」

「いや――“徹底的にやる”とさ」


 そこで秋水が笑っているような気がしたのはトッドの錯覚であったろうか。


「それに、こっちもちょうど『陰師』としての訓練をさせたかったところだ。おあつらえ向きの状況で、ちょいと不謹慎だが……」


 まわりの喧噪に掻き消されたのか、あるいは意図的に声を細めたのかは分からない。ただその先を聞かなくてトッドはちょっとだけ安堵したのであった。


         *****


 子鹿亭を出たトッドがすぐに足を止めたのは、小降りで公都を包み込む雨のせいではなかった。


「いかがでした、赤目鯛レッド・アイのお味は――?」


 媚びを含んだ声に苛つきを覚えるが、不審げにトッドの目を細めさせたのは目の前に一台の馬車が停まっていたからだ。

 小金を持つ者が利用する街乗り用の馬車で、はてどんな知人がいたっけなとトッドは記憶を探るがすぐには出てこない。


「人違いじゃないよな?」

貴方のために・・・・・・用意したんですよ?」


 無論、赤目鯛レッド・アイのことだろう。ただどうして子鹿亭に赴くと分かったのか、他にも疑問は湧いてくる。

 問題はこの邂逅が偶然ではないらしいことであり、その行き着く先だ。


「こんなところで立ち話も何ですから、どうぞお乗り下さい」

「……」


 ちらと御者を見れば、こちらを窺う素振りもなく前を向いている。雨を凌ぐためにフードを目深に被ってもいるため、老若男女の区別さえ分からず何かを読み取ることはできない。

 トッドは左右を確認し不審人物が見当たらないことを見極めた上で黙って乗り込んだ。 

 扉を閉めると同時に馬車がゆっくりと走り出す。


「――誘っておいて何ですが、用件は手短に済ませます」

「それより何者かは云わないつもりか?」


 二人づつ腰掛ける座椅子に斜め向かいで対面する形をとっていた。その奥に座している者もまた、御者と同じく馬車の中だというのにフードを目深に被っていることで、答えは読めている。


「互いにそういう段階・・・・・・ではないでしょう」

「けど、そっちは俺を知ってるんだろ?」

「いやいや悪気はないのです」


 その者は言葉とは裏腹に慌てた様子もなく冷静に妥当性を訴える。


「レベル7の『探索者』が相手では、そのくらいのハンデはいただきませんと、むしろ不公平というもの」

「そうか? ――御者がいるだろ・・・・・・・

「――さすがは」


 トッドの一言に感嘆で応えたのは、それがすべてだ。だが、トッドとてどの程度の腕前かまで見抜いたわけでもなく、だからといって、得体の知れぬ者を相手にそこまで情報をサービスする必要はないから訂正はしない。


「まあいいさ。時間がないんだろ?」

「お気遣いに感謝致します」


 妙にへりくだってから、その者は口火を切る。


「ここ最近、キルグスタンを中心に何かと慌ただしくなっていますね。陛下は流行病に倒れられ、公国が誇る第三軍団が領内を駆け回り、この街では裏組織の力関係が大きく変動しています」

「……」

「何より哀しむべきは、あの『銀の五翼』が二度と羽ばたくことがなくなったことでしょう……」


 そこで沈痛な声を洩らす。時事ネタを披露するのは結構だが、結局何が云いたいのかはまだ見えてこない。


「それで、哀悼の意を表したいと?」

「それはもちろんありますが」


 不思議に思うところがあるとその者は云った。


「陛下が病に伏した頃、姫が城を抜け出した・・・・・・・・・という風の噂を耳にしまして」

「へえ?」

「その次には第三軍団がコダール地方に足を伸ばして駆けずり回り、ほぼ同時期に『銀の五翼』がキルグスタンを出たという噂を耳にしました。ついでに云えば、その後日にコダール地方にあるソルドレイの街で『銀の五翼』を見たとの噂も仕入れまして」

「……ずいぶん噂好きなんだな」


 その者が云わんとしていることはトッドにも十分伝わっている。当然、当たってますよと素直に応じるつもりはないが。

 気になるのはエルネの動向を今まで一番詳しく言い当てているということだ。つまり情報力という点で比類無いものを手にしている事実にトッドの警戒心が自然と高まる。


「コダール地方で思い出すのは、“彼の森”――『ヴァル・バ・ドゥレの森』です。大陸で最も危険な地域のひとつであり、高レベルの『探索者』であっても死人が続出する禁断の地。

 奇しくもコダール地方から戻ってきたのが貴方一人という事実と付き合わせれば、誰だって同じ答えを得るのではありませんか?」


 思わせぶりに、あるいは答え合わせを促すかのような口ぶりにトッドは鼻で笑う。


「ふん。話しを飛躍しすぎてないか? それが“答え”とは限らんだろ」

「確かに」


 あっさり指摘を受け入れて、「あくまで私個人の見解ですね」とその者は別の話へ切り替える。


「もうひとつ不思議なのは、戦友を亡くしたばかりの貴方が何かを為そうと精力的に動いていることです」

「……」

「そう警戒しないください。私はただ……そう、あなた方のように歴史に名を残す者達と知己になりたいだけなのです」


 すべてが胡散臭い言葉の中に、そこだけ妙に真摯な気持ちが感じられて、益々トッドの目が不審げに細められる。

 いくら誠意を込められていても、正直、云っている事が、意味が理解できない。単に特殊な嗜好を持つ金持ちなのか、あるいは……。


「まさか自覚がないとでも? あなた方は私のような者にとって、“実在する物語上の主人公達”なのですよ」

「そう言われてもね。子供にならばともかく大の大人に憧れられるのは、ちょっと……」


 困ったように腕を組むトッドにフードの奥で苦笑したような感じを受ける。


「確かに突然な話しで驚かれたでしょうが。まあ、有名人との繋がりが私にとって利益を生むタネになるのも事実です。――こう云えば安心しますか?」「まだ、な」

「なにより。今日のところは顔合わせ・・・・みたいなものですし、こうして話しができただけでも私にとっては得難きこと」


 冗談とも本気ともつかぬ言葉をついて、その者は肩をすくめたようにローブを揺らす。


「ですから、力になれることがあれば云ってください。こちらも貴方が時間を割いてくれたご厚意に、何かで報えるよう最善をつくしますので」


 素性も明かさず繋がりを求めるとは、何とも身勝手であり、それ以上に気味の悪い話である。だが、パーティとしての力を失った以上、こちらに取り入ったりおとしめたりすることに今さら意味があるとは思えない。そういう意味では、その者が云うように趣向的な意味合いでのファンでもない限り、近づくメリットがないというのは事実だろう。

 逆説的に怪しくないことが立証されるのもヘンな気分ではある。


(いや、やっぱり怪しいよなっ)


 ジト目で睨めつけるトッドにその者は無反応だ。せっかくでもあるし、何か試してみるのも一興か。


「……なら、ひとつ聞きたい事がある」

「答えられることならいいのですが」

「ヨーヴァル商会を知ってるか?」

「確か……この街一番の労役商ですね」

「そいつが南街区のひと区画を丸ごと買い取ってるらしいんだが、その辺について何でもいいから情報を持ってないか?」


 はじめの切り出しから、相手が商人であろうとは推察できる。それも、子鹿亭に魚を卸した当人だというのなら、公都外から来た商人となるのであまり期待はできないだろうと思いつつ、トッドはダメ元のつもりで聞いてみたのだ。


「残念ながら……」

「まあ、そうだろうな」

「ひとつしか知りません」


 思わず半身を崩しかけそうになりながらも、トッドは意外な反応に驚きを示す。


「聞かせてくれ」

「まあ、大した話しじゃないですが」


 そう謙遜しつつ聞かされたのは、ヨーヴァル商会が区画を丸ごと買った経緯についての噂だ。

 普通商人ならば、貴族も驚く邸宅を建てたり憧れの上級区画層である西街区に住居を構えることはそれなりにあるものの、低層区画であってもその区画を丸ごと買うなどあまりに無駄な投資であったがために、業界の注目の的であったらしい。


「とはいえ、目が惹くというだけでそれほど興味があるわけでもないですがね」

「あの奥に“倉”があることは?」

「ええ、周知の事実ですよ。そのために区画を丸ごと買ったのは事実でしょうが、だからこそ、表向き囚人の監獄となってることに騙されてはいけないと私は思うのです」


 そう意味深に語りながら、後を続ける。


「つまり、あそこ・・・にまだ知られてない秘密があるのでしょう。私は興味ありませんがね」

「秘密……ね。まさかそれを狙って襲撃者が多発しているのか?」

「襲撃とは?」


 トッドは秋水から聞かされた話を一部だけ伝える。


「なるほど、筋は通りますが“なぜ今なのか?”という新たな疑問が生まれることになりますね。まあ、裏では『クレイトン一家』と対立しているとも聞きますし――」

「何だと――?!」


 聞き覚えのある組織名を耳にしてトッドが身を乗り出した。スワと共に目指す目的を達成させるため、奴らの裏組織統一を阻む手段が必要とされていたからだ。

 今の切っ掛けでトッドが思いついたのは、対立している組織のバックアップ――つまりはヨーヴァル商会とうまく手を組めば、統一阻止の活動ができるという寸法だ。

 

「襲撃者が『クレイトン一家』なら、奴らを真っ向から叩き潰せば……」


 それは『俗物軍団グレムリン』への打撃となり、引いてはルストラン一派への打撃と成り得る。


(いや、すべて状況的な話しを俺が勝手に繋げているにすぎない。裏をひとつも取ってないことを忘れちゃだめだ……)


 そう思いはするものの。


「……どうやら、お役に立てたようですね?」

「ああ、感謝するよ」


 その後「いずれ正式にお会いしましょう」という口約束だけを交わして、二人は短い会談を終えることになる。

 別れ際に、トッドは気になることを聞いてみる。


「ところで、赤目鯛レッド・アイを卸したのは本当に俺のためか?」

「おや、信じて頂けないので?」


 結局、きちんと答えてもらってないことにトッドが気付いたのは、額や頬を濡らした小雨が、首筋を伝って胸にひやりと滑り落ちてきた頃であった。


         *****


その夜

 『公都キルグスタン』北街区――



「おう、寝ててもいいから戸締まりだけは忘れんなよっ」

「分かってますって、オクスカルさん」


 シルエットだけで圧倒的な筋肉の量が窺える中年が、後輩に念押しして『協会ギルド』の裏口から帰途につく。

 不夜城のイメージがある『協会ギルド』だが、ここ公都にある支部であっても一日の終わりがある。

 それはわざわざ深夜に依頼を出しに来る者もその逆で取りにくる者もいるはずがなく、提供している食事もサービスで対応するレベルで本格的な酒宴は専門の店に任せている――そうしなければケチがつくし、『協会ギルド』も人手が足りてるわけではない――つまりは開けておく必要性が単純にないからであった。

 念のため双月が天下を取る真夜中までは、交代制で店舗を開けてはいるものの、きっかり定刻を迎えると同時に、残っている『探索者』は放り出され、事務員は残務があっても帳面ごと放置させられて、強制的に店の灯が落とされる。

 こうした“店終い”の役目はここ十年ほど受付中年が担ってきたことであり、今日もまたこれまで通り自慢の腕力に物を言わせて強制掃除を実行してから最後に建物を後にしていた。

 残るのは文字通り棲みついている老支部長と実際にはしっかり睡眠を取っている“不寝番”の担当者だけである。


「だんだん辛くなってきたな……」


 首をこきりと鳴らして受付中年が歩き出す。その幅広い背中にいくばくかの哀愁を漂わせながら。

 大柄な影が通りへと出て行ったところで、近くの濃い闇から何者かの人影が沸き上がった。

 死霊ゴーストというよりは影魔ヒドゥンの類いか。まるで意志持つように確かな足取りで受付中年の後を追いはじめる。

 公都といえど真夜中にもなれば人通りはなく、昼近くから降り出した雨が途切れ途切れに継続しており、今また夜道をしとどに濡らしていた。

 小降りとはいえ、冷えた夜気に触れ冷たくなった雨粒を気にするでもなく、受付中年は備えもなしに悠然と濡れ歩く。

 いや、彼ならば「筋肉がある」と自慢の重装備を無意味に誇ったかもしれないが。

 不気味な追跡者がいることにも気付かずに、所々に点在する公都が誇る防犯灯――月光石を用いた『魔導具』が放つ淡い光の下を受付中年は歩いて行く。その少し後に続く影魔は人工的な月光に存在を打ち消されてしまうのか、淡い光の輪に決して姿を見せることはなくそれでも一定の距離を保ち続ける。

 その正体が『影技シャドウ・スキル』の遣い手だというならば、中々の熟達者に違いない。

 ふと受付中年が足を止める。

 寸分たがわず影魔もまた。

 おもむろに受付中年が振り返ったが不気味な追跡者の姿を捉えることはなく、そのまま辺りをきょろきょろと見回し、すぐに裏路地へ足を踏み入れた。

 すぐさま後を追った影魔の足が再びぴたりと止められたのは、数歩と歩まぬ位置だ。さすがに『協会ギルド』の職員として、存在すら薄められた影魔の気配を受付中年が鋭敏に察してのけたのか。その反応さえ異次元の感覚で咄嗟に気付き、影魔もまた足を止めたのだとすれば――。

 ただ、高レベルの駆け引きをしているはずの影魔の身に緊張感は微も感じられず、何かを待つかのごとく佇んだまま刻が過ぎてゆく。

 そこからいかほども待つことはなく。

 すっと顔を出した受付中年が影魔の姿を捉えることもなく、なぜか先ほどと違って口笛を吹きそうな軽い足取りで肩を揺らしながら歩き始める。

 近くの物陰から沸いた影魔が、動じた素振りも見せずにくだんの裏路地まできたところで、一瞬顔を覗かせすぐに後を追った。

 優れた嗅覚が捉えたのはかすかな刺激臭・・・

 それで受付中年が立ち寄った理由や足取りが軽くなった理由を察して、だからと某かの感情を表すこともなく影魔は当初の役割を全うし続ける。

 その後、これといった出来事もなく受付中年は真っ直ぐ帰宅したのであった。


 何も無し――


 それこそが本件の収穫と知って、そこで初めて影魔の口から人のものと思える声が呟かれる。


外れか・・・。なら、あっち・・・はどうだ――?」

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