第48話 『俗物軍団』襲来(前編)
コダール地方 ソルドレイの町――
「なんだ? ずいぶんと――」
辛気くさい、という言葉はさすがに呑み込んで、トッドは眉間に大きく皺をつくった。
訪れたのは町外れにこじんまりと建てられた平屋木造の『
高床式となっている建物の玄関までは、長年、幾人もの探索者達に踏み締められて堅くなった分厚い黒材の階段を軋ませながら上っていくことになる。
陽光降り注ぐ空の下から、薄暗がりの屋内へ押し戸開きの戸口をくぐれば、腕自慢の猛者が集う『
だが、期待するような華やかな歓待はなく、よほど規律がしっかりしている大きな都市の支部でもないかぎり、受付にうら若き女性が立つことなどありはしない。
せいぜい顔に傷持つおっさんが、運が良ければこちらの愛想に応えて、不景気な顔を目一杯ひきつらせ気持ち悪い笑顔をつくってくれるだけである。それを本当に望むのであればだが。
『
単純にフロアの左右には『
それ以外にフロアのほとんどを占めるのが、軽めの飲食や仲間同士のミーティング、あるいは探索者同士の交渉の場としても利用される
拠点は違えど、ある意味馴染みの店に顔を出したはずのトッドは、小さな町であることを見越しても想定外の
もちろん、日中は人が出払っており、訪問者の足が遠のく時間帯であることを考慮すれば、活気が薄れるのは当然だとトッドも分かってはいる。
しかし、一般人よりも精気が漲り、荒事が欠かせぬ『
まるで誰かの通夜でもあるかのように、丸刈りのいかつい大男でさえ、カウンターで肩を落として、ちびちびとエールを舐めている。
誰もが活力の根っことなる部分を失ってしまったかのように、陰鬱な空気が場に漂っていた。
「――ここが荒事師達の巣くう場所ですか」
トッドの後から入ってきた金髪碧眼の
「ふむ。皆さん、すでに立派な死相感をお持ちのようだ」
「何言ってるか分からないんだけど、鬼灯さん」
生真面目に指摘するのは隣に並ぶ蓬髪の侍、
「意味? これを目にして私の解釈が必要だと云うのかい?」
そうして掌をゆるりと巡らせ示す鬼灯に、扇間は軽く目を上向け、諦めたように嘆息をこぼす。およそ侍らしからぬ言動にこそ、「適材」と認められ任命された二人だが、常識を持ち合わせているか否かまでは選考で考慮されなかったらしい。
「おう、おめえら」
早速というべきか、ドスの利いた声が掛けられトッドが恨みがましい目を二人にちらと向けてきたがすぐにそれどころではなくなる。
「さっきから、ゴチャゴチャとうるせえんだよ。誰が“魚の濁った目をしてる”って?」
「いや、
「うるせぇ、俺は今、虫の居所が悪いんだっ」
扇間の冷静なツッコミを怒声で掻き消して、藍色の布に身を包み、老人のように杖をついた痩身の男が落ちくぼんだ目をギラつかせる。
目の下に濃いクマをつくり、唇をこれでもかと尖らせる
ガタリと木製椅子を軋らせて勢いよく立ち上がってきた男の仲間達も、止めるのでなく参戦する気満々なのを見るに、全員が同時に失恋したとも思えず、ますます何があったのかとトッド達が訝しんだところで、鬼灯の柔らかな声が新たな展開を促す。
「何があったか知りませんが、誰かに不満をぶつけても傷は癒やされませんよ」
「ぁあ?」
「分かっているでしょう。私たちはいつだって、神に試されているのだと。それも、私たちがどう生きようとも、なにひとつ分け隔てることなく、誰にでも平等に訪れるのだと。つまりは皆さんだけでなく――
最後の一言に込められた
何より鬼灯の瞳が物語っていた。
“哀しみ”がいかなるものかを。
「――そうか」
たったそれだけで何が分かったのか。鬼灯と見つめ合って数秒。得心したように痩身の男が呟いて、その目に同志を見るような憐憫を浮かべる。
同じく「わかっていただけましたか」と鬼灯の目が謝意を表す。
互いに目で語り合い、思いが通じ合う二人に「どうなってやがる?」と困惑するのはトッドただ一人。扇間に至ってはこのような珍事に慣れているのか、わずかに苦笑を浮かべるだけだ。
「それで、何があったか窺っても――?」
鬼灯が話しを促せば、
「いやなに。先日、
思わず言葉に詰まる痩身の男に、「馬鹿野郎、エスは俺の女だ!」と誰かの罵声が飛んだが、悲しみに暮れる当人の耳には届いていない。
どうやら、町でも少ない娼婦達が、たった二晩で
プロである以上、手荒な性癖を持つ客の扱いも彼女たちならば心得ていよう。それすら及ばぬ暴威が襲ったことが問題であった。
「悔しいが、金は通常の四倍も払ってるから、法で罰するわけにはいかない。それでも、俺のエステリアをあんな風にした奴を許せるはずもないっ」
激情を抑えきれぬ様子で痩身の男は拳を震わせる。当然、事件が発覚してすぐに、
「だが、情けないことに手も足も出なかった」
「中には『三羽』のベテランもいたんだぞ? なのに腕や脚をへし折られ、文字通り足腰立たなくなるまで徹底的に返り討ちにあったんだ」
「ちなみに得物は使ったんですか?」
「まさかっ。この怒りを直接叩き込んでやらねえと、収まるもんも収まらねえだろ?」
骨張った貧相な拳を突き上げて、痩身の男がニヤリと嗤うのを「なるほど」と鬼灯はさらりと受け流す。もちろん、使った拳が
「何とも、あまりに苦しい試練でしたね」
「まあな……」
紛れもなく
皆の視線が、自然とその手にある
「あいつは魔獣のようだった――」
らしい、と小さく低く呟く。
そいつは古びたローブを頭からすっぽり被って、男か女か、若いか年寄りかもまったくの正体不明であったという。『探索者』の一人が剛毛の素足であったと、気づいた点を教えてくれたがあまり参考にはならなかった。
とにかく『三羽』クラスでも対応しきれない敏捷性と骨を容易く折れる怪力が皆の印象として強烈に残っていただけだ。それともうひとつ。
「奴は非常に臭かった――」
らしい、と小さく付け加える痩身の男を鬼灯はもはや見ていなかった。他の者にも事情を聞いたが、おおむね情報は一致しており、新しい情報が加わることはなかった。
剣士風の連れを護衛者兼世話役のように感想を洩らす者もいたが、だからどうという情報でもない。
「やつら、ただ者じゃねえぞ――」
同じ台詞を
さらにもうひとつ付け加えるとするなら、事件のあった晩を境に町娘がひとり消えているのだが、関連性含めてこれは誰の脳裏にも意識されることはなかった。
冷静に判じれば、ただの精力絶倫な豪傑が現れただけの下世話な話しにすぎないが、危険な仕事を日常的にこなす男達にとっては“一晩の癒やし”が得られるかどうかはとても重要な事案である。
とにもかくにも。
失ったものの大きさが、この場を占める“落胆”となって表れていたのだということだけは理解できたのだが。
押し黙ってしまった痩身の男を鬼灯が憐憫を込めて見つめる。
「皆さんの苦しみを癒やすためにも、お酒を振る舞ってあげたいのですが、残念ながら、肝心の金子がなくて
「ふっ。そんなの、気にすることないさ」
すでに最初の怒りはどこへやら、素に戻った痩身の男が親しげに鬼灯の肩を抱いて「私が奢ってあげますよ」「え、よろしいので?」「構わないさ、同志なんだから」と連れ立って席に着くのを、もはや完全なる傍観者になっていたトッドが「何でこんな展開になってんだ……?」呟きぼんやりと見送る。
「お前さんのツレは、何てぇか……すげえな」
「……今さらながらに」
呆れ半分、感心半分で応じる扇間であったが、その後、『探索者』の登録が速やかに処理されたことを思えば、これはこれでよかったのだろうと前向きに捉えることになるのであった。
*****
コダール地方
『公国第三軍団<特務派遣団>』拠点――
「――なに、『一級』戦士が?」
ダシールから告げられた報せに、長身の偉丈夫をはじめ他の面々を彩った感情は、敵に対する“殺意”でなく味方に対する“失望”であった。
「そうか。団長がゆくゆくは『一級』のみで部隊をつくりたいと語っていたが……」
(なに?)
思わず洩らした偉丈夫の言葉にダシールの仏頂面が変化を示すも、「ところで――」すかさず隣の三十代と思しき剣士から横槍が入って思考を断ち切られてしまう。
「ガンジャスと合流できて良かったですよ。近くの町ではろくに話も聞けなかったし、そうでなければ、派遣団の方々に
「ふん。
不満たっぷりに偉丈夫――ガンジャスがそばに佇むローブの小者をぼすんと叩く。軽く叩いたとしか見えぬのに、小柄な体躯どおりに大きく身体をよろめかせる姿は、並み居る面子に相応しくない人物に思えるが実際はどうなのか。
薄汚れたローブを頭からすっぽりと被っているが、その裏地に縫い込まれた魔術紋は精霊術の力を弱める術式となっていることを知る者はガンジャスと仲間しか知らない事実だ。
少なくとも、ぞんざいな扱いとは裏腹に、高額な魔道具の一種を貸し与えるという一定の配慮を見るに、同列の仲間でないのは確かであろうが、さりとて単なる下僕でないのは間違いあるまい。
部外者である以上、そんな内情のすべてを知る立場にないダシールには、いつもながら珍妙な組み合わせの連中に、ただただ、表情に出ぬ“戸惑い”があるだけだ。
「それで、お前達も我らと共に捜索を?」
「それはない」
迷いなく断じるガンジャスに「お互い、やり易い方法があるでしょう」と困ったような笑顔で剣士がさりげなく取り
「いや、単純に
「…………ガンジャス?」
せっかくのフォローを無頓着にぶち壊され、笑顔をひくつかせる剣士に「ご苦労なことだ」とダシールもわずかに同情し助け船を出してやる。
「確かに、協同作業をする必要はあるまい」
「すみませんね。……それで、
「何とも言えん」
そう断りを入れてから、ダシールは自身の見解を交えて述べる。
「カストリック団長は賊が“魔境”を目指していると睨んでいるようだ。ケンプファーの御仁だけでなく、『探索者』でも名高いグループ『五翼』に接触したというのが一番の理由だろう」
「同感ですね。目的は不明ですが、それだけのモノが彼の地にはあるということなのでしょう。実際、賊の裏ではケンプファー家が糸を引いていたという噂もあります。幾人かの重要人物が関わっているとなれば、この奥は意外に深いと見るべきです」
意味深に言葉を連ねる剣士にダシールは安易な相づちを打つことなく受け止める。
「有力貴族が後ろにいると貴殿は考えるのか? あの方が利用されるだろうと?」
「私如きの地位でそのようなことは申せませんよ」
自分達が騎士ではなく、だからこそ『外軍』なのだと卑屈さを見せずに剣士は事実のみを訴える。それが「否定ではない」と気づいているダシールは構わず話しを続けるだけだ。
「だがそう考えれば、どの場所でも賊の目撃情報を集められなかった理由にも頷けるというもの」
目撃者が口を閉ざすにはそれなりの理由があるというわけだ。そう一人得心するダシールが「ならば」とあらためて剣士を睨み据える。
「貴殿も“魔境”の線が濃いとみているのは確かだな? そこに何があると?」
鋭く問われても、剣士らしくもない柔和な笑顔で「さあ?」と素っ気ない。対面してからずっと目を細めて微笑みを崩さぬ彼に、ダシールは「気味が悪い」という印象しか
人の顔面の筋肉は、笑顔を持続させられるようにはできていないと知るからだ。以前からそうだが、この剣士が素面でいるところを見た覚えがないことをダシールは今になって気がつく。もちろん、それが何だというわけでもないのだが。
知っていることと云えば、目の前の剣士が腰に佩く二剣と背に負う二剣の合わせて四剣を縦横無尽に操る超絶の技巧師であるということ。
そして四年前の『剣武会』において、圧倒的支持の優勝候補筆頭を第一試合で倒してのけた衝撃をそのままに、次戦を不戦敗として大会史に忘れられぬ歴史を刻んだということだけである。
“事実上の決勝戦”と称えられたその裏で、当時の決勝戦が色褪せ、大会優勝者が大恥をかいたのは記憶に新しい。
「あるいは、あの方を“魔境”にお連れすることが真の狙いかもしれんが、いくら憶測を口にしてもはじまらん」
剣士が無言を貫くのをみて、ダシールは諦めて自分達のスタンスと目算を語って聞かせる。
「団長殿のお考えは、賊が“魔境”に入る前に捕縛し、あの方を安全に確保することだ。……まあ、見込みは薄いが」
「そうであれば、私たちは“魔境”に入ってみますか」
暗に手遅れとの考えを告げれば、あまりにあっさりと思惑通りの台詞を口にする剣士に内心驚きつつも、「それは助かる」とダシールは逃げ道を塞ぎにかかる。
だが、そもそもそんな必要はなかったようだ。
「いえいえ。この辺をうろついて
ガンジャスと小柄なローブだけでなく、先ほどから一言も発しないローブの二人組を見回す剣士は何気なく肩をすくめてみせる。
彼の云いたいことはダシールにも即座に伝わる。常人とは嗜好が異なる彼らを一般人に触れさせる機会を与えない方がよいというのは誰にでも分かる話だけに。
『
それだけに、こうしてダシールとまともに話している剣士の方が彼の中では異常に映る。そう思った矢先に。
「――
「――そうか」
それ以外の返答を口にできるはずもない。目の前の男もまた、表に出ぬ“暗い嗜好”の持ち主なのだと、この時、ダシールは思い知る。
「ところで、なぜ団長殿のところへ行かず、私のところへ?」
「あの人も愉しめる人物ですが――」
そこで声のトーンが明らかに変わったのをダシールは感じ取る。その荒れた岩塊のような顔に感情の機微は表れぬものの、肌に粟立つものが確かにあった。
気づけばガンジャスや他の者の眼が、これまでと違った感情の下に己を見つめていると気づく。
「――貴方はそれ以上に愉しめる人物ですからね」
第三軍団は粒ぞろいだと褒めそやす剣士をダシールはこの時になって初めて「こいつらは危険だ」と直感した。
帝国が敗北し、一時的に有事が去った今だからこそ、逆に火種になりかねない危うさがあると。いや、国境を警備するからこそ、内憂の存在を危険視せずにはいられないのだ。
「内輪で揉めると罰せられるぞ?」
「もちろんですとも」
分かっているようには見えない声の調子で頷くと、剣士は立ち上がって辞去する姿勢を取った。
ふいに、ドサリと音を立てて一番端にいたローブの一人が横倒れる。あまりに唐突で、身を
だが、剣士はじめ他の面々は一顧だにせず、何事もなかったかのように歩き出す。
「おい――」
思わず呼び止めるダシールの視界の隅で、ローブの片割れが屈んで、倒れた仲間をまるで物でも扱うように手荒く担ぎ上げた。そこで初めて、布の裾からだらりと投げ出された痩せた手や長い金髪がのぞいて、倒れたのが女であることをダシールは知る。
思い返せば、天幕内に入ってくる時の足取りも弱々しく、小柄なローブよりも猫背がひどくて力なくふらついていたような気がする。
(こいつら、一体――)
さすがのダシールも絶句してしまい、女の状態を看ることもないまま、気づけば彼らは天幕から姿を消していた。
「
去り際に、すべてが意味不明で、
無論、その女がとある町から連れ去られてきた娘であることなど知る由もなく。「まだ使える」と判じられた
もはや過ぎ去った過去なのだから。
“魔境”の奥地へと――。
騎士団でさえ、浅層に徘徊する『
無知であるが故の蛮勇でないことは分かっているだけに。
そして無事に目的地まで辿り着いた先には、カストリック団長を手玉に取った未知なる強者達が待ち構えていると思えば。
「あの奥地で、いかなる戦いが繰り広げられるのか――」
あの方の運命が、もはや自分達の手から離れたことをダシールはわけもなく実感した。
そして、どれほど忌み嫌っても、今は奴らの力を借りてでも大事なものを守らねばならないのだと自分に言い聞かせる。
だが、どういうわけなのか。
まるで自分を偽っているかのような嫌な感覚を懸命に振り払い、ダシールは強く祈る。
「願わくば、姫様がご無事で帰還されることを――」
*****
ヴァル・バ・ドゥレの森
『羽倉城』城外――
諏訪の侍達が城ごと“黄泉渡り”を遂げてから、半月は過ぎようとした頃。
木材の伐り出し作業も目に見えて進み始め、堀の外側に生み出された雑地が徐々に広がると共に、堀に沿って組み立てられた防護柵が着実に延びていた。
すべては化け物蜘蛛に対する恐怖と危機感が皆を必死の作業へと駆り立てるためであるが、なぜか禿頭の無庵が日に二度は顔を出し、斉藤と肩を並べて檄を飛ばしてくるのも多少なりと影響はあったろう。
もちろん、急かされる方は
「限界まで肉体を絞りきるのが肝要ぞ!」という意味不明な掛け声は無庵考案の鍛錬法によるものらしい。実際「肉が痛い」とやり過ぎによる弊害を訴える者も多く、おおむね不評であるが、唯一の信者が『抜刀隊』であった。
与えられた役目ではなく、日々の鍛錬に起用している彼らからすれば、「不思議と肉が強うなる」との体験談がすっかり浸透しており、嬉々として限界まで己を酷使しているから、他の者からすれば論外であったろう。
だが、それに対抗心を燃やした『赤堀衆』が我もと伐採の労役に参戦し、かつ意地でやり続け、逆に触発された斉藤班も何となく「負けられんぞ!」と無駄に負けん気を発揮した結果、まさしく怪我の光明(?)で肉体増強を実感する者がちらほらと表れはじめていた。
そんなよく分からぬ発憤が城内外を活気づかせる昼下がり。
伐採地の片隅で、いつものように地べたの上で横になって“張り番”を務めていた紅葉が、ふいにむくりと上半身を起こした。
乱れた襟元から大きな
「おい、作業をやめろ」
何気なく放たれた言葉が、威勢良く伐採作業を進める人夫達になぜか聞こえたらしい。ぴたりと動きを止め、いつの間にか立ち上がっている女剣士の肉感的な後ろ姿を目に留めるや、すぐさま斧や他の道具を放り出して外堀の近くまで退き下がりはじめる。
単なる“物の怪”なら、もはや女剣士が自分達を避難させることなどないことを人夫達は知っている。それが避難指示を出したとなれば、一体何事かと、好奇心を抑えられぬ者も中には出てきて当然であろう。
「おい、人ではないか?」
「確かに、どうみても人だな」
それに同意した仲間の声で、周囲にざわめきが上がる。新たな異人の来訪に期待感が沸いたのは、先日の妙に色香漂う金髪少女が記憶に新しいからであろう。
だが、すぐにその期待は打ち砕かれる。
「ほう。蛮族にしては勿体ないくらいエロい姉ちゃんがいるな」
紅葉より頭ひとつは高い偉丈夫が、たった二間(3.6メートル)の距離を置いて、開口一番、暴言を吐いた。
何度も修繕を繰り返したであろう年季の入った胸当ての鎧に背中に負う肉厚な
生半な拳骨では頭を揺することができぬと思わせるゴツい顎に太い首が、典型的な戦闘士であることを誰にも納得させた。
ありあまる自尊心を隠さず垂れ流すのは、敗北を知らぬ者故の驕りであったろうか。
「初対面で口にする挨拶じゃないですよ、ガンジャス」
そう窘めるのは腰の両側に二剣を佩き、背中の両肩越しに二剣の柄が覗く過剰に武器を備えた三十代の剣士。
そしてその隣には、全身をローブで覆ったガタイの良さが布地を押し上げる輪郭で感じ取れる正体不明の人物。よく耳を澄ませば「ふっ、ふっ」と微かに荒い息づかいを繰り返しているのに気づくだろう。
最後に誰かが指差したのは、ガンジャスと呼ばれた偉丈夫の影に隠れるようにして立つ背の低いローブ姿の人物だ。
醸し出す雰囲気の胡散臭さを感じる前に、背の低いローブを除き三人が返り血のようなものを浴びている姿を見れば、嫌が応にも警戒心が最大に高められるのは当然であったろう。
実際、紅葉が先に気づいたのは気配よりも血の臭いであったかもしれない。
「悪いが、こっから先は我らの敷地だ」
「では、お前が俺たちを案内してくれるのか?」
紅葉の制止を聞き流し、ガンジャスと呼ばれた偉丈夫が前に進むことを前提に、質問というよりは傲然と要求を口にする。
紅葉の柳眉が不快に歪む。
「頭の中身まで筋肉でできてるのか?」
「ああ? 無礼な女中だ。口が“災いの元”であることをその身にきっちり教えてやった方がよいかもしれんな」
よほど眼中にないのか、真面目に感想を洩らすガンジャスに剣士がいつものことと苦笑いを浮かべる。それへ呆れて端正な貌を崩したのは紅葉の方だ。すぐに顔を俯かせ、「あ~」と手加減抜きで艶やかな黒髪をわしわしと掻き毟りはじめたところで。
燦っ――――
間違いなく二間あったその距離を紅葉はいつの間に詰めたのか。
気づけば大気を切り裂き、驚くほどの長刀が真っ向上段で振り下ろされ、しかしてそれに抗う力が激突した結果、耳をつんざく鋭い金属音が広場に鳴り響いていた。
森奥でざわめいたのは、近くにいた生き物たちが驚き逃げたせいかもしれず、実際、離れた場所にいる人夫達でさえ両耳を塞いできつく目をつむっている。
その中で平然と自然体で佇むのは、剣士と不気味なローブ男の二人きりであり、“受け効かず”と謳われた紅葉の打ち込みに襲われたガンジャスは、幅広な剣を両手で掲げ、落雷のような激しくも鋭い剣撃を辛うじて受け流していた。
「……ぐっ、この」
大柄な身を片膝付けた屈辱に、怒りでこめかみに青筋が浮き上がっている。だが、それを不服そうな結果として見下ろす紅葉もまた、同じ気持ちであったらしい。
「ふん……馬鹿だけど愚鈍ではないのか」
「言わせておけば、女中風情がっ」
激昂したガンジャスが、両腕に力を込めれば拍子抜けするほどあっさりと重量級の長刀がはね上がり――
――――スドッ
思わず気が弛んだ一瞬、ガンジャスの両腕に再び岩塊を落とされたようなとてつもない衝撃が走り抜けた。
「――っがあ!!」
先の一撃より重い衝撃に、ガンジャスは思わず咆哮を上げ、全力で受け止めにかかる。しかし、それでも押し込まれた自慢の剣が頭頂を
(何だ――これは?!)
馬鹿げた一撃だ。
速さもさることながら、これほど強力な一撃をいかようにして女の細腕から絞り出せるのか。見る限り『
だが、それすら相手にとっては一芸にもならぬものらしい。
「もう一発食らっときな――」
あくまで子供に折檻するような気軽さで、紅葉が留めとばかり断罪執行を告げたとき、ふいにその身が後ろへ下がって、たった今居た空間を二条の剣撃が走りぬけた。
「その辺で勘弁してもらいましょうか」
申し訳なさそうに告げるのは二つの剣を手にした
少なくとも、紅葉の気を逸らすことに成功したのは確かだ。
「今度はあんたが相手になるって?」
「いえいえ。美女の誘いは断りたくないんですが、この段階で無駄に力を使いたくもありませんので」
「なら“三人掛かり”にすればいい」
平然と言ってのける紅葉に剣士は怒ることなく唇を吊り上げる。
「それも悪くありませんが、そこまでする必要もないでしょう」
「ひとりで持たせられるのかい?」
「それが男の甲斐性というものでしょう。といっても、貴女も本気ではなかったようですがね」
「……へぇ」
紅葉の目が興味深げに細められる。
先の彼女を止めた一手は、普通の剣士ならば避けることのできぬ抜群のタイミングで放たれたものだ。それを躱された驚きあるいは憤りも見せずに、なおかつ、彼女が一度も本気で打ち込んでないと看破した剣士の眼力に、興味を持つなという方に無理があるというもの。
しかし、片手を挙げて制するのは、たった今、一対一の勝負に自信を覗かせたはずの剣士だ。
「よしてください。加減したのは私たちの話に聞く耳があるからでは? とりあえず、聞いてみてから判断しても遅くはないでしょう」
「……云ってみな」
正直不満ではあったが、剣士の推測は的を得たものではあったため、“張り番”としての任務を遂行すべく紅葉は長刀を己の細い肩にずしりと乗せる。
だが納得できない者がこの場に一人。
「ふざけやがって……このアマ」
「辛抱してください、ガンジャス」
「うるせえっ。こいつだけは――」
顔面を血塗れにしたまま、怒り心頭で立ち上がる偉丈夫に、剣士の冷ややかな声が突き刺さる。
「任務の邪魔になる、と云っているのです」
「……っ」
その言葉にいかなる魔力が込められているのか。耳にした途端、ガンジャスの巨体がぴたりと止まって顔を朱に染めながらも必死に感情を押し殺す。
我欲のままに突き進むこの者達にあって、それは奇蹟に近い行為であったが、それを知らぬ侍達には何の感慨も抱かせはしない。
「たびたびすみませんね」
「いや」
素直に謝る剣士へ紅葉は素っ気なく答える。早いとこ用件を済ませてほしいという心情を隠さずに胡散臭い剣士を
「ではあらためまして。我々はヨルグ・スタン公国の軍外軍――通称『
名付けの理由は、嫌悪の感情から発露されたものと知っているにも関わらず、気にせず誇らしげに名乗りを上げる剣士を、紅葉はただ不審の目で見つめていた。
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