第33話 狂の者

 “狂の者”――


 その言葉に過剰な反応を示したのは初老の剣士であったが、他の異人達も様子がおかしいことに弦矢はすぐに気がついた。

 ただ、それをどう問うべきか決めあぐねているところで、ずばり切り込んだ者がいる。


「“キョウノモノ”に何か心当たりが……?」


 ほぼ確信を込めて“盲目の剣士”月齊が尋ねるのは、人の機微に敏感なればこそ、気づけるものがあったのだろう。


「グドゥ殿に聞かされたところでは、我らにとっても厄介な連中と感じた。何か知っていることがあるのなら、ぜひ教えていただけまいか?」

「……悪いが役に立てることは何も」


 そうエンセイが告げたところで、言葉が足りぬと思ったのだろう。


「剣に生きる者ならば、知らぬ者のない存在なのだよ。ただ、存在を知るだけで“何者か”との問いに答えられるほど知ってはいないのだ」


 それはまるで、先ほどの“闇墜ち”と似た話ではないだろうか。説明の努力の甲斐もなく、煙に巻くようなエンセイの話しに誰もが困惑を深めるのをトッドが助け船を出す。


「ああ、確か……剣技スキルを生み出したとか云われてて……だから、戦闘職の間で有名になるのは当然なのさ」

「あくまで噂だがな」

「でも旦那はそう信じてる」


 そうだろ? と目で投げかけてくるトッドにエンセイは否定することなく淡々と己の考えを説明する。


剣技スキルの体現条件は、神意と繋がるだけでなく“定められた軌跡”を丁寧になぞらえる必要がある――それには地道な型稽古を必要とし、精霊術や魔術の超常的な話しとは一線を画するところでもある」


 だから地味な稽古を繰り返す“剣士職”は若者から嫌われ衰退し、実戦を旨とする“戦士職”は人が集まり今でも花形職業になっているとエンセイは語る。

 無論、剣技を身に付ける時期は戦士職の方が遅い傾向にあるものの、“継続は力なり”でいずれは自然と身に付ける者もそれなりに現れるため、ネガティブな要素としては捉えられていないのが実状だ。

 だが、いずれにせよ肝心なのは、身体に馴染むまでの積み重ねが必要となることだとエンセイは自身の見解を説く。


「そんなある種、土臭い体現条件だからこそ、『闘争の神』によって授けられたというよりは、“何ものかが見出した”という説に心引かれるのかもしれぬ。むしろ、そうあって欲しいと」

「だけど、そんな大したもんじゃなさそうだぜ?“殺戮者”と忌み嫌われる面もあるし」


 トッドの冷めた切り返しにエンセイの眉尻がぴくりと動く。


「それは『探索者』からみた一方的な話しととれなくもない」

「旦那?」

「気に障ったのなら謝る。だが、伝説の都『狂』とその住人は、君たち『探索者』にとっては“富の泉”――垂涎の的であり、欲望のまま乱りに荒らし回る『探索者』に彼らが憤慨し凶行に走ったとすれば、果たしてどちらが悪いのか、そう思ってね」


 そうしてことごとく返り討ちにあった歴史を繰り返し、一方が抱いた哀しみと恐怖のみを積み重ねて残忍だと後世に伝えてきたのかもしれない。

 それは皮肉でも何でもなく、“探索”と“盗掘”は紙一重である真理を当のトッドも自覚すればこそ、肩をすくめてみせるのだろう。ただそれでも。


「……そんな真面目な話しをするつもりはなかったんだけどな。ただ、ひとつ誤解は解かせてもらえねえか?」

「誤解?」

「ああ。伝説の都は伝説であって発見した者はいないってことさ。つまり実在したかどうかも分からねえってこと」


 つまり、エンセイの云う略奪行為あるいはそれに似た罪深い行為が行えるはずがないというわけだ。


「都の存在はともかく、古今東西で“狂の者”と遭遇した記録や遺跡に“狂の者”所縁の恐るべき力を持った道具が発見されたりしているのは事実のようだ。それと強敵であるということも」

「それが?」


 まだ他に何があるのだとエンセイが眉をひそめれば、


「詳しく情報を整理すれば、“狂の者”と遭遇した場所は山林の奥や遺跡など危険な区域に限られる。およそ人が生きていけるとは思えない場所ばかりで……旦那もおかしいと思うだろ?」


 そこでようやく、老獪な剣士にもトッドの云わんとすることが理解できたらしい。


「……そういえば、協会ギルドでは彼らを怪物と認定していたのであったかな?」

「とびっきりの『上級アッパー』とね。けど、厳密には怪物と判断したわけじゃない」

「?」

「さっき格付けの主旨を云ったろ? 脅威であることは確かだから、格付けして『怪物図鑑モンスター・ブック』に載せてるだけなのさ」

「要するに、何も分からんということだな?」


 これまで二人のやりとりを黙って見守っていた弦矢が焦れたように話しに割って入る。色々話しは出てくるが、先ほどからエンセイが口にした答えから、ほとんど進展が見られない事実に変わりがないためだ。

 「これはとんだ失礼を」とエンセイとのやりとりに夢中になってしまっていたことに気づいたトッドが恥ずかしげに頭を掻き、初老の剣士も「これ以上は何も」と種切れを示す。


(いや、戦う者にとっては有名な存在――剣術を編みだした――伝説の都に住む者達――というのは分かったか?)


 ただ、そうであっても表面的な事実を並べたに過ぎぬ。伝説だからこそ、異人達にとっても霞のような存在なのだと。


「どうやらこれ以上の進展は望めぬな、月齊」

「残念ながら」


 若干、気落ちした程度なのはそれほど期待もしてなかったからだろう。月齊の質問を終わらせて、弦矢は「ならば」と気持ちを切り替える。

 

「これも先ほどの“闇墜ち”の一件と同じといえば同じだな。我らとしては、脅威となるか否かが肝心じゃ」

「なれば殿」


 弦之助が静かに提言する。


「はっきりせぬのなら、はじめから、敵対する可能性を考慮しておくべきではないかと愚考します」

「当然だな。まあ、警戒すべきものに“狂の者”が加わったと思えばよいか」

「そうなると、どれほどの脅威かが知りたいところですな」


 すかさず今度は、『慧眼』が弦矢の思っていたことを口にすれば、自然と皆の顔が異人達へ向けられる。だが意外にも困り顔でトッド達は唸る。


「いや確かに『怪物図鑑』に載ってはいるんだが……書かれたデータにどれだけ信憑性があるかは正直分からねえと云っておくぜ?」

「それほど杜撰ずさんな書物なのか?」


 怪訝そうに『慧眼』が問えば、トッドは自信なさげに腕を組む。


「俺も直接読んだ話じゃねーからな。相当ぶっ飛んだ内容で描写されてるらしくって……」

「まあよいではないか、叔父上」


 情報はないよりもよいとの弦矢に『慧眼』も話の腰を折ってすまぬと目顔で詫びる。


「えーと、それでだな……確か図鑑での評価は『探索者おれたち』のトップクラスである『銀翼』相当の『下層ラディクス』か――」

「あるいはそれ以上の『深層ダウナー』ね」


 それは神話級怪物の一歩手前――伝説に相応しいとてつもない強さを持つことを意味している。


「ちなみに俺は『銀翼』手前の『白羽』だ」

「右に同じ」


 シリスがにこりと笑い、「仲間には『銀翼』がいたけどね」と寂しげに目を伏せる。


「……私は一介の剣士だ」

「んなわけねーよな?」


 侍達の視線に押されて洩らしたエンセイの台詞にトッドがすかさず食いついて、「『銀翼』は確実だろうよ」と評価する。

 「何しろ公国最強の三剣士だから」うんぬんを饒舌な語り口で付け加えるのが、思わず立ち上がった姿勢から腰を下ろすまで続けられ、皆もそれに対して余計な感情を表に出さぬよう、「ほうほう」「それはそれは」と頑張って神妙な顔つきを保ち続けた。

 のちに「借りができた」とトッドがやけに感銘していたとかいないとか。

 少なくとも、弦矢が知る事実はシリスと碓氷がそれぞれ口を開き掛けたのを隣にいた者たちが未然に

防いだ出来事のみだ。

 そうして“無垢なる混沌”と“義心の守護者”との水面下での戦いが幕を下ろせば、「次はそちらの番」とばかりに異人達の視線が周囲へ向けられるものの、弦矢達には自身を評価する術がない。


「あ、すまぬが――」

「いや、いいよ……“魔境ここ”に住んでる時点で、あんたらもたいがい・・・・だからな」


 なぜか苦笑いするトッドに「そうか」と弦矢はとりあえず頷いておく。


「……さて、それではグドゥ殿」

「(何かな?)」

「昨夜からだいぶ立て込んでいてな。おぬしらと親交を温めるにしても、一度、日を改めさせてほしいというのが正直なところだ」

「(……構わぬとも)」


 弦矢の声や表情に、何となく疲れを見取ったのかもしれない。少しだけ間を置いた後、快諾した小鬼――いや亜種であるなら犬人として区別すべきか――が示した気遣いに内心で感謝しつつ、弦矢は「見送りを出そう」と申し出る。


「月ノ丞」

「はっ」

「今後も城外周辺の調べが重要になるようだ。“狂の者”の存在も念頭に置き、グドゥ殿の協力を仰いで事に当たってくれ」

「ははっ。月齊を軸にして考えてまいります」


 次に不思議なほど発言が控えめだった巨漢に弦矢は首を巡らす。だが、主の言葉を待つことなく巨漢が先に口を開く。


「積もる話はあれど、急場を凌いだのは確か。若もお疲れとお見受けするし、正直、皆を休ませてやりたい。よろしければ、儂らの話しも明日で良いかと存ずる」 

「……そうか」


 迷いはほんの少し。『慧眼』も異論を挟まぬ以上、こと戦における万雷の判断に間違いあるまいと弦矢は素直に受け入れる。


「あらためて、我ら諏訪とグドゥ殿達とは良き隣人として付き合っていくものとここに決する」


 弦矢が腹に力を込めて宣言し、一同も深く頷いた。ぱちぱちと手を叩くシリスの表情に不安が見て取れなかったのを意外に感じつつも弦矢はとりあえず安堵する。

 そうして、新たな結びつきがひとつ生まれ、それ以上に幾つかの謎を遺したまま、談義は終了と相成った。


          *****


 与えられた部屋に戻るなり、植物を編んだらしい床板――“畳”と教えられた――にドカリと腰を下ろしたトッドが大きく安堵の息を吐いた。

 そのまま、仲間の迷惑も顧みず、四肢を広げてバタリと倒れ込む。


「……あらためて考えると、とんでもねー化け物ばかりの会談だったよな」

「……そうね」


 同じく隣で四肢を広げるシリスが「何か草の匂いがするー」とゆるんでいた表情を引き締め、シリアスな声で応じる。


「やり方によっては公国くらい食えちゃいそう」

「おい……っ」


 軽はずみなシリスの言動に、上から低いドスを利かせたのはミケランだ。仮にも大公直属の騎士前で不穏当すぎる発言にシリスも気づいて慌てて謝罪する。


「ご、ごめんなさいっ」

「……まずはこちらに顔を向けてからにしろ」


 畳に這いつくばってるとしか見えぬカッコウで、婦人レディとしてもどうなのかと冷めた目で眺めるミケランの前で、ごろりとシリスが細身を回転させた。


「お前、いろいろとダメだと思うぜ?」

「這いつくばってる貴方にだけは云われたくないっ」

「……他のメンバーに会談の内容を伝えてこよう」


 どことなく、そそくさと立ち去ったエンセイに片手を挙げかけた姿勢のまま、ミケランは諦めて肩を落とす。


「……シリス、君には少し作法を覚えてもらった方がいいようだ」

「え……なんかコワイですよ、ミケラン卿?」


 だいぶ打ち解けてきたもんだ、とタフな感想を抱くトッドも道連れにして、ミケランの作法講座はこれより一週間続けられることになるのだった――。


          *****


 日中の喧噪が嘘のように庭園を包む夜気に乱れはなかった。

 どこかで鳴く虫の音は記憶するいずれの音色とも明らかに異なるのに、どこか懐かしささえ感じさせる。

 そんな郷愁を抱かせるのは、ここが己の居場所ではないと痛烈に感じさせる上辺を欠いたふたつの月のせいであろうか。

 くいと傾け空けた杯に、今一度、酒を注いで巨漢は黄身色の不気味な双月を見下ろした・・・・・

 今生で二度目となった重なる月は、見ようによっては風流といえなくもない。ただ――

 頬を横一文字に裂いた古い槍傷がうっすらと朱に染まっているのを淀んだ月光が明るみにすることはない。

 同様に、苛烈な戦場の空気にさらされ、層を重ねた巨漢の巌のような表情にいかなる感情が浮かび上がっているのかも、また。

 その相貌を下から照らす双月が、ふいに波打ち歪んだ。

 それが杯を掲げた手首のひとひねりで、巨漢が満たした酒を池に散らし、水面に映る鏡月を揺らしたせいだと知る者は、当人を除けばこの場におらぬはずであった。


「ひとりで呑む酒はまずかろう――」


 岩塊のごとき逞しい背中に老人の声を受けても、巨漢――万雷が動じることはない。それが長年の朋輩である“忌み子”の声であることも、その実力が智恵や奇怪な呪術の類いだけに非ずと承知していたが故に。


「そうでもない。月見酒はこれでおつ・・なものがある」

「ほう? それでは酒好きに聞こえるぞ」


 そこでようやく万雷の相貌が苦々しく変わるのを背中越しに見ている無庵が気づけるわけもないのだが、「安心せい。お前が下戸とは誰にも云わぬ」と諏訪の大方の者にとっては衝撃な事実をさらりと告げて勝手に隣に座り込む。


「おい」

「そう邪険にするな」

「儂は下戸じゃあない」


 そちらかよ、と無庵が口元をほころばせる。


「――その手は何だ?」

「よこせ」


 「杯を」というのだろう。「爺様と契るいわれはないんだがなあ」と毒づきながらも万雷が杯を手渡し、まだ暖かみのある徳利の中身を注ぎ込む。


「――惜しい男を失くした」


 杯をちびりとやって無庵がぽつりと呟いた。

 万雷は無言のまま。

 無庵がふと杯に視線を落とし、「ぬるいな」と感情のこもらぬ文句をつけば、ようやく万雷が口を開いた。


「以前、榊の家で夕飯を馳走になったときがある」「うん?」

「干物の焼き魚に白飯とたくあん……酒は燗に付けるが一番だと云っていた」

「そうか」

「儂は、“冷や”がよいがな」


 呵々と笑って万雷が無庵の手にある杯をひったくる。無庵が苦情も言わずに徳利を掴んだところで。


「――なら、ちょうどよいものがあるぞ」


 再び逞しい背に掛けられた声に、振り返った万雷が今度こそ驚きを露わにした。若干呆れ混じりではあったとしても。


「若――それにおぬしら」

「無事のご帰城、何よりでございます」


 斉藤恒仁が升を片手に立ち、


「儂らがおらぬでは、戦場いくさばも寂しかったのでは?」


 小脇に置き炉を抱えた葛城剛馬が月齊に「それはやり過ぎだろう」と指摘されつつ仁王立ちしている。他にも数名、見知った面々の登場に、呆気にとられた万雷を無庵が徳利で直呑みしながら説き伏せる。


「云ったであろう? ひとりで呑むのはまずいと」


 送る・・のなら、なるだけ多勢で景気よくするのが戦場の倣い。

 己が常々口にしていた取り決めは、万雷軍ならば当然の作法。


「……そうであったな」


 その夜、いつもより・・・・・はしゃぎすぎた万雷の餌食となった面々が、ちょっぴり後悔したのは言うまでもない。

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