第12-1話 幕間一 ~敵幕営~
冷たい夜気がまだ地に
周囲のそれとは二廻り以上大きい天幕に、十名の上級騎士達が、頑丈だけが取り柄の卓を囲んで顔を付き合わせていた。
いずれもが憮然と唇を引き結び、眉間には深い皺を寄せて、剥き出しの地から足へと這い上る冷気を気にする素振りさえ見せずにいる。
いや、その余裕がないというべきか。
「――以上が、コルディナ隊からの報告だ」
抑揚もなく淡々と語り終えた連隊長をただ沈黙が出迎える。
余分な情報を削ぎ落とし、明瞭簡潔に相手に伝える――補佐官を通さず自ら語ったことが功を奏したか、伝えたい内容が十分に行き渡ったようだ。いや、むしろ
はじめ呆れた風に、互いに目線を交わし肩を竦め合っていた騎士達は、話が進むにつれ表情が引き締まり、最後には語り手である連隊長の真意を見抜かんと射るような視線を向けていた。
それほどに語られた報告は信じがたい内容であり、おいそれと容認できるものではなかったが、連隊長が直に語ること、そして追撃部隊が“向かった先”を想起して、誰もが否定することを諦めた。
それ故の重い沈黙――。
「ちなみに、コルディナ百人長は吐血がひどく安静にしておく必要があることから、軍議への不参加を認めている」
「吐血、ですか」
何気なく付け加えられた報告に、引っ掛かりを覚えたか騎士の一人が連隊長の傍に立つ補佐官へ視線を向ける。
「
その言に異論を挟まないのは、“持って回った言い回し”に誰もが違和感を抱いたからに違いない。騎士の視線は
連隊長が軽く頷くのを見て、補佐官が手短に要望に応える。
「百人長の吐血は“毒”や“呪詛”の類いによるものではありません。肋骨を折る大けがによるものです」
連隊長による指導の賜か、殊更何でもないことのように伝えられたが、しかし、騎士達の凝り固まっていた表情がわずかに動く。
彼らの琴線に触れたのは傷を負った“部位”にあり、それを守っていたはずの
「鎧はどうなった?」
「歪みがひどく、修繕できても“精霊の加護”は得られないかと」
「そうではなく――」
苛立つ騎士に、察した連隊長が自身の見立てを伝える。
「“術”を受けた跡はみられない――恐らくは
その見解に、居並ぶ騎士達が今度こそ驚きで強面を崩した。
あの鎧で防げぬ攻撃を――?!
“
出てくるのは人種と思しき存在のみ。ならば、いかなる力がそれを為さしめたのか。いや――
「“
思わず騎士の一人が呟くものの、それはこの場に居る全員の思いに違いない。
それぞれが持つ“彼の森”に関する“非常識な情報”の数々をあらためて脳裏で思い返しているのか、場の空気が一段と重くなる。
「……そうなると、コルディナ隊が遭遇したという“部隊”も本当に実在する、と考えねばなるまいな」
「そうであればいいが」
「どういう意味だ?」
「“
見るからに最年少の騎士が、横から冷笑をたたえつつ教示する。諭された騎士は立腹するよりも、その意味することに驚いて呻きを洩らした。
ただでさえ人を襲う獣が多く、“闇墜ち”の目撃例さえ聞こえている危険な森だというのに、その上、『精励装具』を身に着けた騎士を一蹴する武力を持った集団が――それも“軍団”レベルで存在するなど認められるはずがない。いや、認めたくない。
国家を揺るがすどころか、下手をすれば数国を呑み込む“災厄の種”があることを告げたも同然。
だがそれさえも、森が内包する
いや、だからこそ“触れ得ざるもの”と言われるのか――。
「…………」
『探索者』ならいざ知らず、国家として関与した事例はここ百年以上記録にないだけに、騎士達が畏れを抱きつつも、未だ半信半疑で戸惑いを隠せないのは致し方ないことではあったろう。
嘘か真か、探り合うような視線が騎士達の間で行き交うものの、当然、答えが出るはずもなかった。
「“失われた秘術をいまだに継承する蛮族”――だったか」
中空を見つめたまま連隊長が記憶をたぐり寄せる。
言わんとすることは誰もが分かる。そしてそれが“彼の森”にまつわる数ある“噂のひとつ”であるということも。
ほかに、帰巣本能に長けた獣さえ惑わし永遠にさまよわせる“幻惑の靄”――。
あるいは、世の理から外れた法則に守られる“絶望の城跡”――。
あるいは、黄泉の国との境界が曖昧なために狂った武の達人がさまよい出る“泡沫の泉”――。
噂のひとつが真実だというのなら、これら眉を顰めたくなる噂もまた、真実ではないと誰が言えよう。
そうだとしたら――
ここで初めて、両足から這い上がる冷気に気づいたように、居並ぶ騎士達が微かに上半身を震わせた。
ただ二人を除いて。
「結びつけるのは早計かと」
息苦しくなる幕内の空気など知らぬげに、先の年少騎士が口を開く。
「可能性を否定するつもりがない故の先ほどの発言でしたが……。報告から窺えるのは、“軍団”の規模に届かぬ戦闘集団の存在のみで、無論、“秘術”を臭わす話もありません」
「轟音の後、兵が弾かれたと言っていたな」
連隊長の指摘に、動じぬ年少騎士はさらりと受け流す。
「風、もしくは地の精霊術を使ったのでしょう」
「だが、『火槍』は明らかに“消し飛ばされて”いる」
続く指摘が本命だった。
年少騎士の冷笑が口元から消え、他の騎士達が息を呑んだのが窺われる。
万物に宿る精霊を刺激し、励起することで力を顕現させるのが『精霊術』の基本である。例えば、火打ち石で着火し火を熾すのも同じ理屈である。
さらに、顕現した力を数倍に高めたものは武器の代用として用いられ、さらに上級ともなれば『精霊体』自らが行使する相当の威力を誇り、精霊の結びつきが強いことから、打ち消すことも困難な優れた武器となった。
火精霊で例えると、『火矢』は油に浸した鏃に火を付けるのとほぼ変わりないが、これが『火槍』系統レベルにもなれば、穂先に火を付けるものとは次元の違う“炎熱による負傷”が与えられ、“速さ”も“力強さ”も段違いに跳ね上がる。ちなみに術士のレベルにもよるが、
こうして絶体の攻撃力を誇るからこそ、精霊術を武力にまで高めた『召喚道士』の存在は、各国軍団で切り札的存在となっていた。
ちなみに、ゲリラ戦術などの小規模戦闘においては、弓よりも精霊術による攻撃で、敵の将官クラスを一気に叩く有効な戦術として今でも運用されている。
確かに戦士の高みにたどり着いた者達の中には、超人的な身体能力と稀少武器の『精励装具』を用いることで精霊術を防ぐこともある。
だが報告では、防がれた術は火精の上級に位置する『火蜥蜴の舌槍』であり、それを打ち消せる上位の存在は、騎士達の国ならば武力で三本の指に入る至高の存在しかいなかった。
歴戦の騎士達が顔色を失うのも無理はない。
「百人長は、逸品であろうが“手にしているのは普通の槍に見えた”と言っている」
「ただの槍で上級の精霊術を?」
それはあり得ないと年少騎士が苦笑を浮かべ、連隊長も同調する。
「確かに普通では無理だろう。それでも――“事実”だとしたら?」
「つまり、それこそが“秘術”だと……」
「もっと言えば――」
珍しくそこで、連隊長がその先を口にするのを一瞬躊躇う。
「――そんな輩が
「待て、待て」
以心伝心で勝手に話を進める二人に、さすがに聞き捨てならぬと横やりが入る。
「まさか、そんな化け物じみた輩が“何人もいる”などと、言うのではなかろうな」
それは、もはや確認という名の断言であった。
「馬鹿な――」
「勘ぐり過ぎだっ」
「我らが冷静を欠いては、兵達に示しが付かんぞ」
我慢の限界だったのか、喉の奥に押し込んでいた激情が一気にあふれ出したかのように、場が騒然となる。
「だがコルディナ百人長の怪我と『精励装具』の毀損は事実だ」
あくまで淡々と告げる連隊長の冷静な指摘を否定できずに誰もが押し黙る。
「他にも、精霊術の加護を得ずに人間業とは思えない動きをする強敵もいたとか」
ただし一人は討ち取りましたが、と補佐官が付け加えるものの安堵する者はいない。
もはや任務遂行の道前に、強大な障壁が屹立しているのを認めるしかなかったからだ。
「――冷静にみて、任務を遂行できる戦力は我々にはないと考える」
「同感だ。あくまで平地での運用を軸に兵種を騎馬で構成してる以上、深入りするのは下策以外の何物でもない」
「だが任務を放棄して撤退するわけにはいかん」
「ならばどうすると?」
目前の抗えようもない現実と放棄できぬ任務の重要性との間で騎士達の議論は平行線をたどる。
次第に、実を結ばぬ議論に倦怠感のような空気が漂いはじめた頃、自然と騎士達の視線は、黙して議論に耳を傾けていた連隊長へと向けられていた。
問いたげな騎士達の視線に、おもむろに連隊長が口を開く。
「卿らの意見は分かったが、始めから議論の余地はない」
そうばっさりと斬り捨てて、「任務は続行する」と宣言する。
「だが承知のとおり、他国との緊張は日増しに高まっており、我ら“第三軍団”がいつまでもここに留まっているわけにもいかん」
現状をあらためて認識させるように間を空ける。
「――故に残り三日と期限を切る。それまでに手応えがなければ、任務を断念する」
はっきりと“任務の断念”が選択肢に上げられて、あからさまに渋面をつくる騎士もいたが異議を唱えることはなかった。
連隊長もまた断腸の思いで口にしている事を、その鉄面皮のような表情の下に見出したからかもしれない。
国宝を守護するのと同等の重さが任務にはあるからだ。
「敵対してしまった以上、穏便には済むまい。今後は敵の警戒も高まり、より厄介になるが我らも乱世で鍛えられし軍団よ。いかなる秘術を使おうが、蛮族ごときに遅れをとるつもりはない」
「その通り。乱世の激風を田舎者に教えてやろうではないか」
「ならばぜひ、私に第一陣を任せていただきたい」
無骨な連隊長の気概を感じて、次々と騎士達が気勢を上げる。それをひとしきり見守り場が熱くなってきたところで話を続ける。
「ただし、あくまでも任務が優先だ。いざという時に戦いを躊躇うつもりはないが、無闇に戦闘を仕掛けるべきではない」
冷静さを持たせるべく、卓に並ぶ騎士達をゆるりと見回す。
「まずは、“森の外周を監視する部隊”と“森を探索する部隊”とで役割を二つに分ける。そして、森の探索については、小規模な斥候部隊を編成してあたるものとし、森林行軍に対応した兵装に切り替える。
次に、指令部へ報告と緊急要請をかける。己を過信せず、できる限り戦力の確保に努めるのが一番の近道になる」
「要請の内容は?」
「“外軍”を呼ぶ」
角張った顔に相応しく、石を磨り潰したような連隊長の声に、騎士達は何とも言えぬ複雑な表情を作った。
“外軍”――ヨルグ・スタン公国軍外軍。
正規軍から外れたもうひとつの軍隊であり、別称『
ただ、おおむね軍人としては有能だが一般規範で収めることができない、一癖も二癖もある者達で作られているため、軍を運用する側にとっては非常に厄介な存在でもあった。それでも存続が許されるのは、ひとえにその強力な戦闘能力にある。
過去には、当時隣国であった帝国が誇る“双輪”の一画を撃破し、公国滅亡寸前の戦況から逆転勝利をもたらした功績がある。その一戦で、版図を拡大し続けていた帝国は逆に領土を大きく毀損することとなり、守勢に回ってから既に十年近い歳月が過ぎている。
だが一方では血の滾りを抑えきれず、戦勝の勢いで近隣の村に押し入り、暴虐の限りを尽くした黒歴史もある。
“戦獄時代”と言われて久しい乱世において、小国にすぎない公国が生きながらえているのも、かの軍団の存在が大きいのは事実であったが、あまりに剣呑過ぎるというのが皆の共通する認識であった。
かくして、使い所の難しさから近年はとんと噂すら耳にしていなかったが、連隊長は彼らの存在を覚えていたらしい。
それは誰にとって幸運だと言えるのか。
「毒には毒――“彼の森”相手にはそれでいいのかもしれませんね」
年少騎士だけが、平然と連隊長の案を支持するのだった。
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