第10話 『軍神』猛る
丑の刻
羽倉城周縁の森
諏訪軍『中央本隊』――
「ぅおぉぉおおおあっ――――」
声の圧力だけで敵が倒せそうな咆哮を放ちつつ、万雷がはじめの三歩で三間半(約6m)を一息に走り抜ける。
常人離れした加速で勢いに乗ると、四貫(約15㎏)は軽く超える槍を手にしたまま、樹林を行くとは思えぬ鋭さで藪を掻き、立木の間を縫って、真っ先に“狩り場”へと躍り出た。
眼前には、筒香隊の初弾により、一人突出していた敵鎧武者が横倒れており、間一髪のところで生き延びた兵は、驚きで腰が抜けたか空き地にへたり込んでいた。
「
「ひっ」
兵の脇をすり抜けざま、万雷は敵鎧武者の首あたりを思い切り踏み抜いていく。
留まる時間は無い。
初撃で与えた敵の混乱を突かねば、さすがの万雷も苦戦は必死だ。
そして相対する敵鎧武者の部隊。
ドドドンッッ――――!!
絶妙な間で筒香隊の第二射が入った。
始めの混乱が収まりかけていた敵鎧武者たちが再びよろめき、あるいは倒れ伏すのを目にして万雷の目が細まる。
「でかしたっ!!」
筒香、と胸中叫んで万雷は右足を力強く踏み込み、全体重を乗せて『二つ俵』を思い切り突き出した。
ぼ、と空気を抉り抜く音。
轟音を響かせて一体の敵鎧武者が吹き飛んだ。
頑健なはずの大盾を弾き飛ばされ、時には銃弾さえ跳ね返す鎧の胸部を大きく凹ませて、後ろの鎧武者数体までをも巻き込み派手に転がり散る。
まるで騎馬隊の突進を真っ正面から受け止めた有様だ。その結果には目もくれず、
「ぬりゃっ」
渾身の力で万雷の剛槍が横に振るわれ、常軌を逸した威力の衝突に、右方にいた鎧武者がお手玉のように二体弾き飛ばされる。
「ほりゃああっ」
さらに左方の一体を。
恐らく、さすがの敵鎧武者の部隊にしても、初めての経験だったろう。
見えぬ“驚愕”という感情が、敵軍の中を一気に突き抜けたのが万雷にも感じ取れた。
無意識に後退ったのか周囲に群がる鎧武者の輪が若干広がり、明らかにその動きを鈍らせる。
それも当然。
無敵の防御を誇る兵装を無視して破壊の限りを尽くし、蹴り玉のごとく鎧武者を放り出されては堪ったものではない。
突如として、軍隊の中に小さな台風が生まれ、荒れ狂っているようであった。
接敵してからここまでのわずかな時間で、万雷は敵部隊の綻びを大きな亀裂にまで文字通り切り拓いてみせる。
ここでようやく、本陣の側侍達が追いつき突っ込んできた。
「うぉおおおおおっ」
決して遅れたわけではない証拠に、敵部隊の崩れた体制は未だ立て直し切れておらず、鉄砲隊の援護を十分に活かした状態で激突する。
『赤堀衆』たる彼らの凄まじい突撃に、城壁のごとき堅牢さを示していた敵前衛がさらに大きく崩された。
「****!」
指揮官らしき鎧武者が叫んでいる。興奮して何を言っているのか分からないが、声に反応して一斉に反撃が始まる。
真っ先に狙われるのは、先陣を切る万雷だ。
「応っっ」
味方の兵を無数になぎ倒してきた、分厚い刀剣の斬撃に、だが万雷は槍を横に掲げ、まとめて三本を受け止める。
ずしりと重い一撃に、「たまらんなっ」と唇の端が大きく吊り上がる。
「榊――っ」
声を張り上げれば、いつの間にかすぐ後ろで副将榊が懸命に手槍を振るっていた。
「“愉しいか”などお聞きなさるな」
こういうときに大将が何を言うか知り尽くしてるのだろう。渋面をつくる榊に万雷は呵々と笑った。
「愉しいな――」
「…………」
鉄砲で敵の機先を制し、突撃で体勢を崩す。
単なる基本戦術も万雷が先陣を切る限り、何より効果的で無敵の戦法となる。
当然のように狙いは当たったが、それでも完全に敵部隊の統制を崩すまでに至っていない。むしろ敵自慢の圧倒的な防御力で攻撃を凌ぎ、軽傷に済ませることで徐々に体勢さえ立て直しつつある。
曲がりなりにも、万雷の下で磨き抜かれた強兵を相手に。
笑いがこみ上げるのは当然だろう。
これほど歯応えのある相手は、これまでの戦歴を振り返ってもそうそう思い出せない。一人の戦人として万雷が奮えるのも無理はなかった。
「むぉあっ」
暴風と化した槍の回転で敵鎧武者達の大刀を弾き飛ばし、そのまま一体へ、上段から強力な一撃を見舞う。
――――ごしっ
金属のひしゃげる音を立て、敵の兜が胴体に潰れめり込む。弾けるように首の隙間から血が飛沫き、万雷の胴を濡らした。
凄まじい剛力だが、それだけで戦場は生き抜けない。力のみを頼りにする者は、運が悪ければ三度目の戦を経験すること無く、戦場で散ることになるだろう。
だが万雷は違う。
「ひゅっ」
鋭い呼気と共に瞬間的に突きを二度放つ。
速さだけでない証拠に、一撃目で大盾の隅を的確に突いて構えを崩し、二撃目で空いた隙間から敵の首筋を貫いていた。
厳つい顔して、時に繊細な技巧を披露する場合もある。それを横目に見た榊が、誇らしげに、人知れず口元を綻ばせていることを誰も知らない。
白山のみならず日ノ本全土に“豪傑”と呼ばれる武将は数いれど、『軍神』の二つ名で呼ばれる者はそうはいない。
“個の力”のみでも余人に畏怖されるものが万雷にはあった。
「おあああっ――」
剛柔織り交ぜ敵を確実に潰しながら、『軍神』はその力を存分に振るって敵陣深くへと入り込んでいく。その背後を『赤堀衆』が固めて援護し、自然と『魚鱗』の陣形が形作られていく。
それは旧篠ノ女軍必殺の型――敵勢力が怖れた必勝態勢が整えられる中、だが今敵軍の戦意は少しも衰えておらず、また戦力の底を、実はまだ見せてはいなかった。
「――何?!」
それは完全な不意打ちだった。
敵のまっただ中で先陣を切るからこそ、万雷の五感は鋭敏に研ぎ澄まされ、全方位を視界に捉えるがごとくあらゆる機微を感知できる。
そうでなくては反応できぬ攻撃だった。
反射的に『二つ俵』で迎え撃ったそれは炎――いや、正確には『火矢』に見えたそれに叩きつけた途端、火の粉を散らして消え去るも、残りの対応できなかった何本かを身体に受けてしまう。
「ぐっ」
続けてもう二本。
背後から飛来するものにさえ、万雷は反応して槍を振るい、身を守るがそこまでであった。
腹に鈍い衝撃。途端に、ぶあっと熱が広がるのを感じる。
それは『火矢』の比ではない。
形状も『火槍』と呼ぶべき長大な炎。
万雷をして脂汗を滲ませる痛撃を与えながら、突き立てられたはずの腹を見やれば、不思議なことに幻のごとくそれは霧散し、鎧にはぽっかり穴を覗かせる焦げた焼け跡のみを残した。
恐らく背を狙ったものも、地に落ちていたりはしないだろう。
「面妖な……」
「万雷様っ」
悲鳴のような声は榊のものか。
先陣を切れば負傷するのは当たり前。矢の二、三本を受けたからと騒ぎ立てれば、むしろ『軍神』から叱責を受けるのを知っている。しかし、怪我の負い方が尋常為らざると見れば別だろう。
事実、具足下の火傷から感じる痛みで『火槍』が幻でないと万雷は確信する。そして確かに無視できぬ深手を負わされた。
「――っ」
すかさず打ちかかってくる敵鎧武者に槍を振るって牽制する。
万雷の頬がわずかに引き攣った。
(出せる力は四割か)
並の足軽相手なら十分だが今回の敵は別格だ。
これでは後がない。だが――
「儂を――見くびるなっ」
吼えて、先ほどから良い動きをしていた敵鎧武者を狙い澄まし、石突きで派手に突き飛ばす。
さらに気合いで痛みと、表現し得ない腹に籠もる熱感をねじ伏せつつ、瞬速の四連撃を周囲へ疾らせ二体を倒した。
「さすがは……」
騒乱にあって味方の感嘆を背に聞き、万雷は味方の士気だけでなく己をも鼓舞する。
そう。
既に鼓舞せねばならぬほど、万雷の体から急速に力が失われていた。これまで無数の傷を負ってきたが、今回の傷だけは名状し難く、さすがの万雷もどのように気持ちを持っていき耐えればよいのか分からぬのだ。
ために、迅速に決断をする必要がある。
(榊に退却を……)
万雷は迷わず副将に命じようとする。
ふと、ぞわりと悪寒が走った。
「くおっ」
その瞬間、己を奮い立たせたのが“恐怖”であると万雷は気づかない。身を動かし回避するよりも、ただ、無心でその発現点へ向けて槍を放っただけだった。
その射線に入っていた鎧武者の頭が消し飛び、槍は奇跡的に、そして一直線に部隊の隙間を疾る。
その一撃が敵軍の後方に位置し、全身を貫頭衣に包んだ人影を見事に貫き、再度の『火槍』による攻撃を未然に防いだとは誰に分かろうか。
むしろ明らかなのは、全力の投擲で大きく力を消耗した万雷が、片膝を地に着かせた事実だった。
突然の出来事に、事情を知らぬ周囲は敵味方の区別無く、戦いが始まってから二度目の驚愕に包まれる。
何が起きた――?
だが、時に戦場では理解する必要さえない場合もある。理解するよりも、先に、目前の事実に“然るべく反応すればいいだけ”のことが。
それが今だった。
敵は大将である万雷に打ちかかれば良い。対して
榊達は――
万雷という攻撃の要を封じられたのは篠ノ女軍にとって致命的な一事となった。
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