簡単なこと *


 人間と家庭を育むこと。


 ニールの「叶えたい願い」を聞いて、エルフィは深く頷いた。

 何となく、察していた通りの言葉だ。


 竜というのは愛することはあっても家庭という枠は求めない生き物だと聞いているが、これが彼が、変わり者と呼ばれる所以か。


 竜士になる為にはこの願いを叶えなければならない。


 家庭、家族、つまり。


「……こ、子ども?」

「そうだけど、考えが一足飛びだな」


 エルフィが真っ赤になりながら呟いたのを見てニールがやれやれと額に手を当てる。

 そんな彼の態度にエルフィは大慌てで声を上げた。


「いやいや、違うんです!!

 叶えますよ、子ども……うん、沢山作りましょうね!!」

「一回落ち着こう、息を吸えてないだろ、さっきから」

 

 ぜえぜえと肩で息をするエルフィ。

 きみは面白いなと言いながら、ニールは腕を組んで考える。


「その反応ということは、俺と子どもを作ること自体は構わないんだ?」

「……何をどうしたら良いのか全く分かっていませんが、気持ち的にはそうですね」


 エルフィが手で熱くなった顔を仰ぎながら答えると、ニールは機嫌良く微笑んだ。


「ありがとう、そのうちな」

「そのうちっ……!」


 それってお願いを叶えられないってことでは、わたし竜士になれないのでは!

 とエルフィが半泣きになってニールの手を握った。

 彼は堪えきれずに吹き出して、震える肩を撫でて宥める。


「大丈夫だよ、今すぐ家庭がほしいんじゃなくて、家庭を育むことだって言ったはず」

「え……あっ、そっか。

 じゃあ、つまりどうすれば……?」


 エルフィが涙を拭いながら問い掛けると、ニールはひとつ頷いてから言った。


「俺のお嫁さんになってほしい」

「そっ、そんな簡単なことで良いんですか?」


 思わず聞き返したらニールがちょっと機嫌悪そうに唸る。


「簡単ではないだろう、人間同士ならともかく俺は竜だぞ」

「でも、シャーナさんとヴァンさんも恋人同士ですし……」

「あのふたりはまた違う形で願いを叶えた結果だよ、まあ」


「俺が悩んでいることを、エルフィが易々と解決するのは今に始まったことではないが」

「色々と根に持ってませんか、ニール」


 思わず言ったエルフィの言葉にニールは別に、と目を逸らした。

 エルフィはちょっと思案してからニールに対して言う。


「竜の定義が分からないので、教えてもらえると嬉しいんですけど。

 わたしはニールのお嫁さんになるのも、こ、子どもを産むのも良いですよ、ただ……」


 言い淀んだエルフィに、ニールは穏やかに続きを促す。


「ただ?」

「……実は、家族って何なのか、良く分からないので、だから一緒に知って貰えたら、ありがたいです」


 声が段々小さくなっていく、だってあれだけ強気だったのに情けないだろう。

 しかしニールはなんだ、と笑いながらエルフィに言った。


「そんな簡単なこと、気にしなくていい」

「意趣返しですか、そうですよね!!」


 わぁ〜と大声を上げて、エルフィはもう一回ニールの胸に倒れ込んだ。

 本当は嬉しすぎて、どうしたら良いのか分からなくなっただけなのだけど。




 ***



 日が暮れてきたので、一度家に帰って話の続きをすることになった。

 森から家へと帰る道を、ふたりで手を繋いで歩く中で、ニールが言う。


「エルフィは、今いくつなんだ?」

「年齢ですか?」


 ニールの問いに聞き返すと、ああと返事が返ってくる。


「俺は言ったけど、聞くのを忘れていた」

「……王家に行ったのが十五歳のときだから、十八……いや十九歳とかですかね」


 あの城に一体どれくらい軟禁されていたかが分からない。

 エルフィの曖昧な答えに、特段何か思った様子もなくニールはへえと頷いた。


「もう少し成体……大人の体に成長するまで待とうか、竜士になったら今の見た目のままになる」

「ああ、不老ですもんね。

 良いですよ今のままで、たぶん背も伸びないでしょうし」


 エルフィはふんっと背伸びをしながら言う、そうかとニールは答えてから続ける。


「本当に良いんだな?」

「……何回も聞いてくれてありがとうございます、でも大丈夫です」


 力の入った手をエルフィが握り返すと、ニールは小さく、ありがとうと囁いた。

 その声がまるで祈りのように聞こえたからエルフィは微笑む。


「ニールは、どうして人と家庭を持ちたいのですか?」

「……竜は冷たいから」


 エルフィの質問に、ニールは答えてくれる。


「竜は子ども作ったらそれっきりなんだ、関わらない、子孫という価値以外が無い。

 だから愛し合う個体がいたとしても、子どもまでを愛して共に暮らした竜は見たことがない」


「でも人間は温かいから、一概には言えないのかもしれないけど。

 繋がりがある、ずっと続いていく、それが尊いものに思えて、だからそれに憧れた」


「その願いは、竜には理解もしてもらえない、だから人間相手じゃなきゃ成立しない」


 エルフィは求めるように絡めてくる指に応えながら、ニールの言葉を聞き続ける。


「人間と竜じゃ子どもなんて作れないから、それこそ竜士でもないと、な」


 ──聖竜は万能だ、神秘の行使によって契約した竜士の体を作り替えることは造作もない。

 不老不死になるのもそうだし、たとえば聖竜が人間との子作りを望めば、その竜士の体は竜の子どもを産めるようになる。

 理屈ではなく、そうなるように変化させることが、彼らには出来る。


 竜は自由な生き物だ、竜士は契約することで、その自由さの影響を受けるのだ。


「竜士としても、外れたものにしてしまうから、誰も巻き込まずにいようと思った」


 ニールは、変わり者だ、その事を自分でも自覚している。

 そもそも普通の竜種であれば考えないことだ、誰かを巻き込む可能性など。

 竜は自分の意思を叶えるために等しく自由な存在だから。

 その存在が「天災」として恐れられるときもあるように。


「ニールはやっぱり優しいですね」

「……そう、なのか?」

「そうです、優しいですよ。

 だからそろそろ報われましょうね」


 エルフィは優しく包み込むように、彼の全部を許した。

 許しあって手を握り合って、ずっと遠くの未来まで共に飛んで行けたらいい。

 永劫だろうが構うまい、もし終着があるのならそれを共に迎えよう。


「ニールが良いと思ってくれるなら、わたしは貴方とそういう、温かいものを築いてみたいです」

「……きみ以外は考えられないんだ、分かっているだろう」

「口に出して言って欲しかっただけです、貴方って照れてすぐ黙っちゃうでしょう」


 ニールが笑みを溢して悪かったなと呟いたから、いいえとエルフィは首を横に振る。

 口下手なのは今に始まったことじゃないでしょう、貴方は。


「わたしを竜士にしてください。ニールの願いを叶えさせてください」

「ああ、分かった。

 ならば俺もきみの願いを叶える、そんな聖竜でいよう……だから──」



 ふたりで笑い合って、ニールが何か言葉を続けようとした、その時。


 森に、何かが砕け散る音が響き渡った。

 その音を聞いた全ての生き物が、空を見上げた。



 ニールは耐え難い異物感に、空を睨み上げる。

 厳しさを伴う竜の目は、縄張りに踏み行った異端を捉えた。


 ──夕焼けを、切り裂くように飛ぶ翼。


 此処はニールとヴァン、リリとミミが作り上げている聖域だ。

 だからこそあり得るはずのない気配が、事実として上空に現れていた。


 茜色をした竜が、火を喰みながら空にいる、体に纏った瘴気が森に降る。


 エルフィが目を見開いて、呟いた。



「あれは、邪竜……?」


 エルフィの呟きを合図に、真横で「聖竜」の気配が爆発する。


 エルフィは急いでニールから距離を取った。

 人型が白光を纏い、一瞬にして竜の姿へと戻っていく。

 巻き込まれた木々が薙ぎ倒され、四肢が地面を抉る。


 ニールはもう一度、その黒い瞳で空を見上げた。

 そしてその瞳と、上空を飛ぶ赤い眼がかち合う。


 次の瞬間、鳴り響いたのはだ。


『──────────ッ!!!!!』



 邪竜が放った声と相殺するように放たれたニールの咆哮が、ぶつかり合って森全体を揺らした。


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