第282話・兄妹としての在り方
真っ白な仔猫の白雪姫を杏子が拾って来てから二週間目の夜を迎え、俺も杏子もだいぶ仔猫の扱いに慣れてきていた。この間も杏子は里親を探していたみたいだけど、残念ながらその候補すら現れていないみたいだった。まあそれだけ安易にペットを飼おうとしている人が居ないって事だから、それはある意味で良い事なのかもしれない。
里親が見つかるまでの間は白雪姫を我が家で飼う事にしてはいるが、このまま里親が見つからなかった時の事も考えておかなければいけない。
もしも里親が見つからなかった場合は、俺は我が家で白雪姫を飼っても良いと思っている。だからもしそんな日が来た時の為に、杏子には全面的に白雪姫の世話をする事を条件にしたわけだ。生き物を飼うという責任感を持ってもらう為に。
もちろん我が家で白雪姫をちゃんと飼う事になれば、俺も杏子と協力して最期まで世話をするつもりだ。
「まだ拾って来てから二週間だけど、結構大きくなってきたよな」
「そうだね、猫はだいたい生後一年で
「ほお、ちゃんと猫の事を勉強してるんだな」
「もちろんだよ、ちゃんと白雪姫の世話をしたいからね」
「そっかそっか、偉いぞ杏子」
「えへへっ」
リビングの床に寝そべった白雪姫の身体を撫でている杏子の頭を俺が撫でると、杏子はとろけたチョコレートの様に表情を緩ませた。それにしても、しっかりとペットを育てて飼うという事を実践しているところが垣間見え、兄としてはとても嬉しくなる。
そして最近もっと嬉しく思っている事は、こうして杏子と話す時間が増えた事だ。元々話す事が少なかったわけじゃないけど、杏子もあれでお年頃の女の子だから、兄としてはとても気を遣う場面が多い。だから必然的にお互いが成長するにつれ、それなりに会話の時間は減ってきていた。おそらくそれはどこの兄妹でも普通に訪れるものだろうけど、俺としては寂しい気持ちがあったのも事実だった。だから白雪姫を中心にして杏子と接する機会が増えたのはとても嬉しく、杏子が白雪姫を拾って来た事にとても感謝していた。
しかしそうは言っても、基本的に俺に対して甘えん坊な性格の杏子とは、世間一般で言われるところの兄妹に比べればまだ接点は多い方だと思う。それに杏子は感情表現も言動もかなりストレートな部分があるから、兄として反応に困る事も多い。実妹なら湧かない様な感情も、義妹だと知っているから思わず湧いてしまう事もあるくらいだから。
「そういえばお兄ちゃん、かなり昔の事だけど、一緒に猫を育ててたの覚えてる?」
「猫をか? ああっ、そういえばそんな事があったな。確か俺が小学校五年生くらいの時だっけ? 近くの公園に捨てられてた猫の面倒を見てた事があったな」
「そうそう! 私も一緒に面倒を見てたけど、あの時の猫もこの仔みたいに白かったよね」
「そういえばそうだったな。でもあの猫、いきなり居なくなちゃったんだよな、あれからもしばらく様子を見に行ったけど、とうとう一回も会えなかったし」
「そうだったね、あの時は寂しかったな……」
当時の事を思い出したのか、杏子は本当に寂しそうな表情を浮かべていた。
俺が小学校五年生で杏子が小学校四年生の秋頃、俺達は通りかかった近所の公園で大きなダンボールの中に捨てられていた猫を発見した。子供心にその猫の事を可哀相だと思った俺と杏子は、その日から誰にも内緒で猫の世話を始めた。
しかし世話をするとは言っても子供のやる事だから、大した事はできない。あの時の俺達にできた事など、せいぜい使わなくなったタオルなんかを持って来て温かくしてあげたり、家にある食パンやお水を持って来て食べさせたりする事くらいだ。
そしてその猫は世話を始めてから三週間くらいが経った頃に突然居なくなり、二度と俺達の前に現れる事はなかった。
「そういえば杏子、一度だけ二人の小遣いを合わせて猫缶を買った事があったけど、その時の事は覚えてるか?」
「もちろん覚えてるよ、あの時はどっちが先に猫缶を食べさせるかで揉めたんだよね」
「そうそう、それで結局は杏子の泣き落としに俺が負けたんだよな」
「泣き落としだなんて酷いなあ、あの時は私の方が二十円多く餌代を出してたんだから、先に餌をあげるのは当然の権利だったと思うけど?」
「うぐっ、それを言われると痛いな」
あの時はちょうどお小遣いのほとんどを使った後だったから、所持金がほとんど無かった。故に猫缶を買う為に足りなかった分の二十円を妹に出してもらうという、なんとも情けない思い出ができてしまったわけだ。
「あの猫、あれからちゃんと元気にしてたかな」
「そうだな、あの時も結構心配したけど、元気に過ごしててほしいよな」
「……お兄ちゃんは突然居なくなったりしないでね?」
遥か昔の思い出に耽りながらそう口にすると、杏子は唐突にそんな言葉を口にした。
「おいおい、いきなりどうしたんだよ? 俺が突然居なくなるわけないだろ?」
「うん、それは分かってるんだけど、私のお母さんも急に居なくなっちゃったから……」
「……何言ってんだよ、俺は絶対に杏子の前から居なくなったりしないから安心しろ」
「うん、約束だよ?」
「おう」
突然居なくなってしまった猫の事を思い出したから、事故で急に亡くなってしまった母親の事を思い出してしまったのかもしれない。杏子にとって家族を失う事は、凄まじいまでの恐怖なんだと思う。それは過去に一時的にとはいえ、まともに一人では眠れなくなる事もあったくらいだから。
「杏子ちゃんは心配性でちゅね~、白雪姫~」
俺は暗くなってしまった雰囲気を変える為、わざとおちゃらけた感じで床に寝転がっていた白雪姫に話し掛けた。本当ならもっと気の利いたやり方をしたいんだけど、生憎と俺はそんなに器用な人間ではない。
「あーっ! また白雪姫ばっかり可愛がり始めたー!」
白雪姫を構う俺に嫉妬したのか、杏子は寝転がっていた白雪姫を抱き上げて俺から離した。
「おいおい、せっかく可愛がってるんだからもう少し撫でさせろよ」
「だーめっ! 今日はこれ以上白雪姫を撫でさせないもん、代わりに私の頭ならいくらでも撫でていいよ?」
「頭ならさっき撫でてやったじゃないか」
「あれだけじゃ足りませんー、お兄ちゃんはもっと私を可愛がる必要があると思うんですー」
「俺は十分に可愛がってるつもりなんだがな」
「あれだけじゃ足りないよ、今の十倍は可愛がってもらわないと、私はお兄ちゃん成分が不足して死んじゃうから」
「今の十倍って、それじゃあ俺は杏子に付きっ切りになるじゃないか」
「私はそれでも構わないよ? 何と言っても私は、未来のお兄ちゃんのお嫁さんだから、ふふっ」
「へいへい、前向きに善処しますよ」
杏子は折を見ては『私はお兄ちゃんの未来のお嫁さんだから』と口にするのだが、俺にとってのそれは杏子の言ういつもの冗談くらいにしか思っていなかった。
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