第275話・妹のアシスト

 まひろに気持ちを伝えられずに迎えてしまった夏休み初日の朝、俺は枕元に置いていた携帯を右手に持ち、ベッドに寝そべったまま天井を見つめていた。今日は朝早くから杏子は出掛けているから、扉の向こうからは大した物音が聞こえてこない。


「どうすっかな……」


 俺は昨晩からまひろに連絡をしようかどうかをずっと迷っていた、なぜならまひろに避けられている様な気がしていたからだ。

 終業式の日も登校して来た時から様子がおかしかったし、その日の放課後に屋上へ来てほしいと伝えていたにもかかわらず、なぜかまひろは屋上へ来てくれなかった。そんなまひろの様子を考えれば、こうして連絡をする事に躊躇するのも当然だと思う。そう言った理由から、俺は朝目覚めてから何度も携帯画面と天井を交互に見つめるという事を繰り返していた。

 そしてこんな感じで朝の時間を過ごし、そろそろお昼を迎えようとしていた頃、不意に玄関のチャイム音が鳴り響き、俺はベッドから飛び起きて来訪者が居る玄関へ向かった。


「はーい、どちら様ですかー?」

「あっ、お兄ちゃんですか? まひるです」

「へっ!? まひるちゃん!?」


 まさかの人物の来訪に驚いた俺は、慌てて玄関に置いてあるサンダルを履き、玄関の扉を開けた。


「こんにちは、お兄ちゃん」

「本当にまひるちゃん?」

「あれっ? もしかして私の事を忘れちゃってますか?」

「いやいや、忘れてなんかいないよ。ただこうやって話すのが久しぶりだったからさ」

「そういえばお姉ちゃんが自分の事を皆さんに話してからは、お兄ちゃんとは一度しか話をしていませんでしたね」

「そうだね」


 まひるちゃんと初めて知り合ってからこれまでの間、本当に色々な事があった。今ではまひるちゃんがまひろの中に存在する別人格である事は分かっているけど、それでも俺の中ではまひるちゃんという人物は確かに存在している。だから今更まひろとまひるちゃんを同一人物と思う事はできない。


「あっ、とりあえず上がってよ」

「はい、それじゃあお邪魔します」


 俺はそそくさとまひるちゃんを家の中へ招き入れ、リビングへ案内した。


「――はい、お茶をどうぞ」

「あっ、すみません、ありがとうございます」


 冷蔵庫から冷えた麦茶を淹れて戻って来た俺は、ソファーに座るまひるちゃんの前にあるテーブルにコップを置き、そのまま対面のソファーへ腰を下ろした。


「それで今日はどうしたの?」

「今日はお兄ちゃんに聞きたい事があって来ました」

「聞きたい事? 何かな?」

「あの、お姉ちゃんに何かあったんでしょうか?」

「へっ!?」

「最近お姉ちゃんの様子がおかしいんです、ここ何日かはお話もできなくなってるし……だからお姉ちゃんに何かあったなら教えてほしいんです」


 まひるちゃんは今にも泣き出してしまいそうな悲しげな表情を浮かべ、俺にそう質問をしてきた。

 確かにまひろの様子がおかしい事には俺も気付いている。だけどその原因が何なのかと聞かれても、ハッキリ言ってよく分からない。


「まひろの様子がおかしいのは俺も分かってるけど、原因が何かは俺にもよく分からないんだよ。何だか急にそんな感じになったからさ……」

「そうだったんですか……」

「せめてその原因を探る為のヒントか何かあればいいんだけどね」

「そうですね……」


 そう言って考え込む様に黙り込んだまひるちゃんを前に、俺はもう一度まひろの様子がおかしくなった原因を考え始めた。しかしいくら考えてみても、その原因になる様な出来事は思い浮かばなかった。


「あっ!」


 そしていよいよ答えが出ずに手詰まりになったと感じ始めていた頃、突然まひるちゃんが大きな声を上げた。


「ど、どうしたの?」

「あっ、ごめんなさい、ちょっと思い出した事があったので」

「思い出した事?」

「はい、実はお兄ちゃんが『告白の返事をする』ってメッセージを送った翌日の午後までは、お姉ちゃんと普通に意志の疎通ができてたんですよ」

「あの日の午後までか……あのさ、午後のどのタイミングでまひろと意志の疎通ができなくなったか覚えてない?」

「えっと……確か学園の男子に手紙で呼び出されてて、それでお姉ちゃんは屋上に行ったんですよ、お昼休みに」

「確かにお昼休みになった途端に教室を出て行ったな、あれって屋上に行ってたんだ」

「はい、それで屋上で待ってた男子に告白をされたんですよ、お姉ちゃん」

「そうだったんだ……」

「あっ、心配しなくても大丈夫ですよ? お姉ちゃんはちゃんと断ってましたから」


 そのあたりについては特に心配はしてなかったけど、それでもどこかホッとした気持ちはあった。


「そっか、それなら良かったよ」

「はい、それでその男子の告白を断ったあとから、急にお姉ちゃんと意志の疎通ができなくなっちゃったんですよ」

「なるほど……」


 まひるちゃんの話を聞く限り、どうもその告白を受けた前後でまひろの心境に何かがあったのだと推測ができる。しかしまひろの様子がおかしくなるだけの何があったのかは予想がつかないが、そこに今回の件を解決するヒントがあるのは間違い無いと思えた。


「まひるちゃん、まひろがその告白を受けた前後の事、分かるだけでいいから俺に教えてくれないかな? できるだけ詳しく」

「はい、分かりました」


 俺はそれから約一時間程をかけ、まひるちゃんからその前後の状況を聞いて問答を繰り返したが、どこをどう考えても、まひろの様子がおかしくなる様な原因があるとは思えなかった。


「あっ! そろそろお姉ちゃんが起きる頃だから早く帰らないと。お兄ちゃん、今日私と会った事、お姉ちゃんには内緒にして下さいね?」

「分かった、俺はまひるちゃんから聞いた話を元にもう一度原因を考えてみるよ」

「ありがとうございます、私も原因を考えてみますね。あっ、それからこれは言っておくべきかどうか迷ったんですけど……」

「何?」

「……実はあの告白のあとなんですけど、お姉ちゃんがお兄ちゃんに会うのを拒む気持ちを感じたんですよ」

「俺に会うのを拒む?」

「はい、だから話そうかどうかを迷ったんですけど、一応伝えておいた方が良いかと思って……」

「そっか、ありがとね、まひるちゃん」

「いえ、また何か手段を考えてお兄ちゃんに連絡をしますから、しばらくの間はお兄ちゃんからお姉ちゃんへの連絡は避けた方がいいかもしれません」

「分かった、とりあえずそうするよ。それとまひろの事をよろしく頼むね?」

「はい、お姉ちゃんの事は私に任せておいて下さい。でも最後はちゃんとお兄ちゃんがカッコよく決めて下さいね?』

「あ、ああ、分かった。頑張るよ」

「ふふっ、それを聞けて安心しました。ではまた」


 俺は自宅へ帰って行くまひるちゃんを見送ったあと、自室に戻ってからベッドに寝転がり、まひるちゃんから聞いた話を整理しながらその原因を再び探り始めた。

 まひるちゃんの話を聞く限りでは、まひろが受けた告白は至って平凡なもので、何か特色を感じる様なものではなかった。ただまひるちゃんが言うには屋上にまひろを呼び出した相手は、それまで告白をしてきた男子達とは違って明らかにしつこかったらしく、断るのに相当苦労していたと聞いた。

 ちなみにまひろは『好きな人が居るからごめんなさい』と断ったらしいのだけど、その相手はまひろの帰り際に、『君も好きな相手に振られるかもしれないんだよ!』と、そう言ったんだそうだ。断られた捨て台詞としてはいただけないが、こういった感じの事を言う奴は男女問わずそれなりに居る。

 それにしても気になるのが、まひるちゃんの言っていた『お兄ちゃんと会うのを拒んでいる』と言う言葉だ。

 まひるちゃんはまひろの中にあるもう一つの人格で、まひろの感情や思いもある程度共有している。だからまひるちゃんの言っていた事はほぼ間違い無いと思う。だが俺には、まひろに会うのを拒まれる様な事をした覚えが無い。まひろの様子がおかしくなった原因を探るのも大事だが、そのあたりの事も考えてみる必要があるかもしれない。

 俺はベッドから両足を下して立ち上がり、そのまま台所へ行って昼食を作った。そしてその昼食を食べ終わったあと、杏子が帰って来る夕方頃までずっと今回の件を考え続けていた。

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