第222話・気になって仕方ない

 陽子さんからの電話が途切れたあと、すぐに電話をかけ直そうとした途端に玄関のチャイム音が鳴り響いた。


「たくっ、こんな時に誰だ?」


 俺はかけ直そうとしていた電話を中断し、急いで玄関へと向かった。


「はいはーい! どちらさまですかー?」

「あっ、こ、こんばんは、龍之介君」

「よ、陽子さん!? 今開けるね!」


 その声に驚いて急いで開け放った玄関の先に居たのは、つい今しがた俺に『こちらへ来る』と言って電話を切った陽子さんだった。

 陽子さんの住む下宿先からここまでは、歩いて片道二十分ほどはかかる。だからそんな場所に住む陽子さんがものの一分も経たない内に我が家へ来れば、驚くのが当然だろう。陽子さんが実は魔法使いで、魔法でも使ったなら話は別だけど。


「こんな時間にごめんね。龍之介君」

「あ、いや、それは別にいいんだけど、それよりもずいぶん早かったね?」

「そ、それはその……もしかしたらと思って、お家の近くまで来て電話をかけたから……ごめんなさい」

「いやいや、頭を上げてよ。元はと言えば俺がドジったのがいけないんだからさ。それにわざわざ家まで来てもらって、こっちが申し訳ないくらいだよ」

「ううん。私がもっと気を付けていれば良かったんだよ。だから龍之介君は悪くないよ」


 あくまでも俺の事を気遣ってくれる陽子さんの優しさに感涙しそうになるが、その優しさが逆に俺の中にある申し訳なさを増して苦しくなる。ここは手早く用件を済ませて、陽子さんを送って行くのが得策だろう。


「ありがとう。あの……例の物は杏子が預かってるから、杏子にどこに置いてあるか聞いて来るね」


 その言葉に『うん』と答えて頷く陽子さんを見たあと、俺はのんびりとお風呂に入っている杏子のもとへと向かった。


「杏子~。ちょっといいかー?」

「ん~? どうしたの~? 私と一緒にお風呂に入りたくなったの~?」


 この妹は開口一番なんて事を口走ってるんだろう。どこの世界にこの歳になって妹と一緒にお風呂に入りたがる兄貴が居るってんだろうか。いや、でもまあ、絶対に居ないとは言い切れないけど、少なくとも俺はそれに該当しない。

 二次元妹に対してそう思う事はあったとしても、現実の妹を相手にそんな感情を抱くなど、本当に希有きゆうな事だろうから。


「そんなんじゃねーよ。例の下着を陽子さんが受け取りに来たんだよ」

「えっ? あれって陽子お姉ちゃんのだったの?」

「いや、陽子さんのと言うよりも、陽子さんの住む下宿先の誰かのって事だと思うぞ? てなわけであの下着を陽子さんに渡したいから、どこに保管してるのか教えてくれ」

「あ、うん。私の部屋にあるテーブルの上に、紙袋に入れて置いてあるよ」

「そっか、分かった。それじゃあ部屋に入らせてもらうぞ?」

「うん。分かったー。陽子お姉ちゃんによろしく言っておいてねー?」

「はいはい。分かりましたよ」


 杏子からしっかりと入室の許可を得たあと、俺は玄関に居る陽子さんに下着の在りかを言ってから下着を取りに行くつもりだった。しかしその時に陽子さんから、『できれば自分で取りに行きたいんだけど、駄目かな?』と言われ、俺は陽子さんと一緒に杏子の部屋の前までやって来た。

 よくよく考えてみれば、女性にとっての下着というのは男性とは違って大切さの度合いが違うだろうから、なるべく男性には見られたり触れられたくはないだろう。それを考えれば、陽子さんが取りに来てくれたのは良かったのかもしれない。


「杏子は『部屋の中にあるテーブルの上に紙袋に入れて置いてる』って言ってたから、それを取ってね」

「うん、分かった。あっ、これかな」


 廊下から部屋の中に入った陽子さんにそう言うと、すぐさまそんな言葉が聞こえてきた。これで謎の縞パン事件は解決。一件落着ってわけだ。

 無事に縞パンを回収した陽子さんは、大事そうに縞パンが入った紙袋を抱いて杏子の部屋から出て来た。そしてこのあと、俺はお風呂に入っている杏子のところへもう一度向かい、陽子さんを家の近くまで送る事を告げてから陽子さんと一緒に家を出た。


「ごめんね、陽子さん。わざわざ家まで足を運んでもらって。その下着の持ち主にも、ごめんなさいって伝えておいて」

「う、うん。分かった」


 昼間とは違って雨の勢いは更に落ち、今は小さな霧雨の様な状態になっている。

 雨さえ降っていなければ横並びで歩くところだけど、さすがに傘を差した状態でそれをするのは危ないので、俺が前、陽子さんがその後ろを歩く形で街灯に照らされている夜道を進んでいた。

 連日の雨の影響と夜という事もあってか、外を歩いている人の姿はほぼない。仕事をしている人達の帰宅ピーク時間はとうに過ぎているし、雨が降っていれば更に人通りも少なくなるだろう。そのおかげか、静かな雰囲気がそれなりに心地良く感じる。


「…………あの……変じゃなかったかな?」


 静かな雰囲気を楽しみつつ、陽子さんが住む下宿先へ向けて歩いていると、後ろから弱々しく呟くそんな言葉が聞こえてきた。


「えっ? 変って何が?」


 いったい何について聞いているのか分からなかったので、俺は思わず立ち止まってから陽子さんの居る後ろを振り向いて首を傾げた。


「えっと……だからその……この中にある下着、縞柄とか子供っぽくなかったかな?」

「えっ!? えっーと…………」


 その問い掛けにはいったいどんな意味があるんだろうか。いや、それ以上に俺は、この質問に対してどう答えればいいんだろうか。

 例えばこの場合、『全然子供っぽくないよ』と答えるのが正解なのか、『ちょっと子供っぽいかも』と答えるのか正解なのか、それとも他に正解があるのか、これは非常に悩むところだ。

 まあ、あの下着を身に着けるのがどんな人なのか――という部分でも答えは左右されるだろうけど、ここで『その下着の持ち主はどんな人?』なんて聞く勇気は俺には無い。という事は、どのパターンでも乗り切れそうな選択肢を選ぶのが無難なんだけど、その無難な選択肢がどれなのかが俺には分からない。


「……まあそのぉ……別に子供っぽくはないと思うよ?」

「そ、そう? 良かった……」

「良かった?」

「あ、ううん、なんでもないの。気にしないでね?」


 陽子さんはにこやかな笑顔を見せると、そう言ってからご機嫌な感じで俺の前へと出て先へ歩き始めた。

 さっきの質問にどんな意図や意味があったのかはさっぱり分からないけど、とりあえず地雷を踏んだ様子は無いので良かったと思う。

 霧雨が降り続く夜道を、踊る様に軽やかな歩調で進んで行く陽子さんの後ろ姿を見ながら、俺はとりあえず縞パン事件が解決した事に心から安堵していた。

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