第220話・雨の日
時が経つのは早いもので、高校生になってからもう三度目の六月へと突入していた。
去年の六月は花嫁選抜コンテストがあったりと、かなりバタバタしていた感じだったけど、今年はそんなイベントが行われる様子は無さそうだ。あの時はあの時で色々大変だったけど、そんなイベントが無いとなるとそれはそれで寂しいもので、去年みたいに何か起きないかな――と、ついそんな事を考えてしまう。
そろそろ梅雨入りしそうな感じの穏やかな雨が降る昼下がり。自室の開け放った窓から外の風景を眺めつつそんな事を思い、本棚から適当に一冊の漫画を取り出してベッドへ寝そべる。
雨は嫌いじゃない。もちろん時と場合にはよるけど、それでも穏やかに降る雨音や雨の日独特の匂いを感じると、心落ち着く。そんな雨音と匂いを感じつつ、手に取った漫画を開いてゆっくりと内容を読み進める。
何度も繰り返し読んだ本も、改めて見直すと新しい発見があったり、初めて見た時とは違った解釈で物語を見れたりして面白い。物語というのは、読み進める者の知識や心情次第で様々に変化をする。言ってみればそれが、物語を読み進める上での楽しみとも言えるだろう。今こうして読んでいる漫画だって、十年後くらいに見た時にはきっと、違った解釈や見方になるんだろうなと思う。
一定のリズムで降る雨音を聞きながらしばらく漫画を読み、心地良い気分に浸っていると、廊下をパタパタとスリッパを履いて歩いて来る音が近付き、俺の部屋の前で止まった。
「お兄ちゃーん。前の洗濯物が全然乾いてないから次の洗濯物ができないよー」
扉の向こう側から聞こえる杏子の困り声。
おそらくそんな内容だろうな――と予想はしていたけど、こんな時の予想は大いに外れてほしいもんだ。
「分かったよ。ちょっくらコインランドリーに行って来るから、乾いてない洗濯物を大きめのビニール袋に入れといてくれ」
「分かったー。それじゃあお願いするねー」
「はいよ~」
用事を終えた杏子が再びパタパタとスリッパの音を立てながら遠ざかって行ったあと、俺はやれやれと言った感じで身体を起こして出掛ける準備を始めた。
まだ梅雨入りしたわけでもないのに、この一週間はずっと雨が降り続いている。
二日くらいならさほど影響は無いが、さすがに一週間も雨が続くとその影響は大きい。特に洗濯物については甚大な影響が出るから困ったものだ。しかもこれから本格的に梅雨入りする事を思うと、この先のお洗濯物事情に頭が痛くなってくる。
まるで一般家庭の主婦の様な悩みを抱えながら着替えを済ませたあと、俺は杏子が用意していた洗濯物が入った大きなビニールをカゴに入れ、もう一枚大きなビニール袋を持ってから自宅を出た。
そして大きな幅の広い黒傘を差してコインランドリーへと向かい始めた時、俺はチラリと空を仰ぎ見た。空には見渡す限り大きく厚い灰色の雨雲が広がり、その上にある太陽の光をこれでもかと言うくらいに遮っている。
「こりゃあ明日も雨だな……」
見上げた空を見ていると、自然とそんな言葉が口から漏れ出た。
雨は嫌いじゃないけど、少しくらいは晴れ間が見たいと感じているのも事実だ。あまり雨が長引くと、俺のコインランドリーへの出張が増えるだけだから。
× × × ×
――ありゃー、さすがに人が多いな。
雨が降り続く中を歩いてコインランドリーへ着くと、中には洗濯物を洗い終わるのを待っている人、洗濯物が乾くのを待っている人などが沢山居た。
この長雨だとコインランドリーを利用する人が増えるのは当たり前かと思いつつ、空いている乾燥機は無いかと探し始める。しかし見て行く乾燥機のどれもが使用されていて、中では大量の洗濯物がクルクルと回っていた。
――はあっ……これはしばらく待つしかないな。
諦めの溜息を漏らしつつ、空いている椅子の横にカゴを置いて座り、乾燥機が空くのを待つ事にした。
連日の雨のせいだろうけど、みんなそれぞれに持って来ている洗濯物の量は多い。それが証拠に乾燥機が止まって中の洗濯物を取り出しても、新たに別の洗濯物を入れる人がとても多いからだ。
「――へえー、最近はこんな事も出来る様になったのか。科学ってすげえな……」
椅子に座って暇潰しにスマホでニュースサイトを見ていると、とある話題がとても目を引いたのでその内容を読んでいた。その内容とは、VR《バーチャルリアリティ》で二次元嫁の胸を揉める――という見出しの内容だった。
これが一般に流通する様になれば、二次元世界を愛して止まない人々はきっと、歓喜の雄叫びを上げる事だろう。もちろんその中には俺も含まれているわけだから、早いところそのVRを一般に普及できる様にして欲しいもんだ。
それにしてもこういう記事を見ていると、世の中の技術の発展というのは実に目覚しいものだと感じる。そういえば中学生時代の友達が、『科学は戦争により進化し、技術はエロによって昇華するんだよ』と言っていたのを思い出したが、今思うとその言葉が至言の様に感じてしまう。
「あれっ? 龍之介君?」
「へっ?」
横を通り過ぎようとした人物から名前を呼ばれてその方向へ顔を上げると、そこにはカゴいっぱいに洗濯物を詰め込んだ陽子さんの姿があった。
「あれっ、陽子さん。そっちも洗濯物絡みで?」
「うん。ここ最近はずっと雨だったから、下宿先のみんなの洗濯物が乾かなくて困ってたの。それでみんなで手分けして、コインランドリーを回ってるの。その方が効率がいいから」
沢山の洗濯物が詰め込まれたカゴを俺の隣の空いている椅子の横に置くと、陽子さんはスッとその椅子へ腰を下ろした。
それにしても凄い洗濯物の量だけど、下宿先に居る人の数はそんなに多いのだろうか。
「ねえ、陽子さん。下宿先ってどれくらいの人が住んでるの?」
「住んでる人の数? えーっと――私を含めて十六人かな」
「へえー、結構人数が多いんだね」
「私の住むアパートは一階と二階で四部屋ずつあって、一部屋に二人でルームシェアをしてるの」
「ああー、なるほど。それならその洗濯物の量も納得だよ。そんだけ人数が居たら、二日分でも大変だろうからね」
「あっ、ううん。この洗濯物は一日分なの」
「えっ!? 一日でそんな量の洗濯物が出るの?」
「うん。演劇の練習をしてると凄く汗をかいちゃうから、みんなタオルや着替えを何着か持って来てるの。だから一日に出る洗濯物も、こんな量になっちゃうんだよね」
「あー、そういう事か。納得したよ」
去年の夏休みに陽子さんのお願いで
「でもそのせいか、洗剤とかにお金がかかって困ってるんだよね」
「ははっ。確かにこれじゃあ、お金がかかりそうだよね」
こうして乾燥機が空くまでの間、俺は陽子さんと他愛のない話をしていた。これ自体は至って普通の日常的なワンシーンなんだけど、この時の俺は、まさか後であんな事が起こるなんて想像もしていなかった。
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