一年生編・二学期

第17話・期待膨らむ新学期

 ついに楽しかった夏休みも終わり、いよいよ始業式の日を迎えた。

 教室内には久しぶりに見るクラスメイト達の姿があり、ほんの一ヶ月くらいの事とは言え、とても懐かしい感じがする。

 クラスメイトの中にはすっかり様相が変わってしまった奴も居るけど、それも若さ故と言うべきなのか、『思い出したくない過去にならないといいねっ』と、思わず言いたくなってしまう。


「龍之介! お前聞いたか?」

「なんだわたる? 朝っぱらからどうした?」

「おいおい。久しぶりに会ったってのに、なんだは無いだろ?」

「久しぶりも何も、お前とは夏休みの間に何度か会ったじゃないか」

「確かにそうだけど、最後に会ったのは二週間前だっただろ?」

「俺がお前と最後に会ったのは五日前だよ……」

「あれっ? そうだったっけ?」


 ピンピンと上にハネた短い茶髪に、軽く着崩した制服。その下にトレードマークの赤いシャツを着た見た目からして軽い感じのコイツは、日比野渡ひびのわたる。高校入学時のとある出来事が切っ掛けでつるむようになった悪友だ。

 コイツは頭の中が女の子の事で埋め尽くされていると言ってもいい程の女の子好きで、その頭と性格は、まるでヘリウムガスで浮いている風船の様に軽い。

 人の多くは欲望によって動く生き物だけど、ここまで自分の欲望に素直な奴は見た事が無い。だからこそ、本当に時々だけど、渡の欲望への素直さが羨ましいと思ったりもする。

 こんな感じで一癖も二癖もある奴だが、基本的に悪い奴ではない。ただ単に、欲望に正直で素直で馬鹿なだけだ。


「……で? いったい何の話があったんだ?」

「おっとそうだった。実はな、今日転校生が来るらしいんだよ。しかも女の子!」

「へえー」


 転校生が女の子なのは、素直に嬉しいと思う。

 そしてそれを聞いた俺の頭の中では、既に数多く見てきたラブコメ作品の転校生エピソードが思い起こされていた。

 今ではそういった作品に欠かせない存在なのが、転校生と言ってもいいだろう。もちろん創作上で繰り広げられるラブコメ展開が現実に起こるとは考えていないが、想像してワクワクするくらいは個人の自由だ。

 人はそんな事は無いと言いつつも、心のどこかでありえない事を期待しているものだから。


「可愛い子だといいよな~」


 相変らず女の子の事になると、渡は締りの無い表情を浮かべる。

 表情に欲望がそのまま表れていて、こちらとしてはとても心情が分かりやすい。


「まあ、仮に可愛い子だとしたら、俺達とその子は無縁って事になるな」

「どうしてさ?」

「よく考えてみろよ。可愛い子に彼氏が居ないわけないだろ?」

「そんな事はないだろ。可愛くてもフリーな女の子は居る!」

「それはまあ、そうだろうけどさ。まあ、仮にフリーだとしても、そんな可愛い子は俺らなんかに興味を持たないだろうよ」

「お前、ラブコメ作品が好きなわりには冷めてんのな」


 別に俺は冷めてるわけじゃない。ただ、誰よりも現実を見ているだけだ。

 渡が言うように、俺はラブコメ作品は大好きだし、そういった物語のイベントや出来事が現実に起きないかと夢見てもいる。

 だけど俺は、それ以上にしっかりと現実を見ている。俺達はみんな、過酷で無慈悲な現実に生きている。そこを自覚しているかいないかの差だろう。


「お前さ、転校生が可愛くても、変なちょっかいを出すなよ?」

「それは分からないね。可愛い女の子がそこに居る。だから仲良くなる為に声をかける。それが俺のジャスティスなんだっ!」

「やれやれ……」


 いつもながらお気楽な奴だとは思うけど、言ってる事はそう間違っていないと思う。

 行動しなければ何も起きない、良い事なんて起こるはずも無い。それは確かだと思うから。


「おっ、来たみたいだぜ」


 廊下側にある半透明の窓に視線を向けると、担任教師と転校生と思われる二つの人影が動いていた。別に転校生に対して何かを期待している訳では無いけど、それでもなぜかドキドキする。

 その光景を前に全員が急いで席に着き、まずは担任教師が教室に入ってからお決まりの前振りをする。そのあとでいよいよ注目の転校生が中へと呼ばれたんだけど、教室へ入って来た転校生を見た俺は、思わず驚愕きょうがくで表情が固まってしまった。


「皆様、初めまして。私は如月美月きさらぎみつきと申します。これからクラスメイトとして仲良くして下さい。よろしくお願いします」


 優雅に、それでいて上品に挨拶をする如月さん。

 クラスメイト達がにわかに活気付き、あちらこちらから『可愛い』とか、『美人』とか、そんな言葉をささやいている声が聞こえてくる。

 確かに可愛いし美人な女の子が転校して来た。だが、こちらの姿を見られるのはヤバイ気がしたので、俺は急いで顔を横にらした。


「それじゃあ如月さん。一番後ろの空いてる席に座ってちょうだい」

「はい」


 先生にそううながされ、如月さんはこちらに向かって歩いて来る。一番後ろの空いている席と言えば、窓際に居る俺の右隣の席しかない。

 俺は近付いて来る如月さんに顔を見られないようにと、窓側に向けていた頭を俯かせた。


「あら? 龍之介さんじゃないですか?」


 ささやかな努力も虚しく、横へ来た如月さんに一瞬で俺だという事がばれてしまった。まあ、冷静になって考えてみれば、ただ一人窓側の方を向いて俯いていたら、逆に目立つと思う。


「や、やあ。如月さん」

「あっ、龍之介さん。私の事は美月と呼んで下さいと、昨日そう言ったじゃないですか」

「そ、そうだったかな?」


 クラスメイト達の視線が俺達に集まっているのが分かる。これは下手な発言はできない。


「そうですよ。それに朝起きたら家から居なくなってて、私、寂しかったんですよ?」

「「「「「ええ――――っ!?」」」」」


 如月さんが口にした言葉に、クラス中からどよめきが起こる。

 下手な発言をするとかしないとか言う以前に、如月さんが飛びっきりの超大型爆弾を投下してしまった。


「ちょっ!? 如月さん何言っての!?」

「何って、昨晩の事ですが?」


 如月さんの言葉に対し、あちこちからヒソヒソと誤解に満ちた発言を囁く声が聞こえてくる。

 そして凄まじい誤解に満ちた憶測がヒソヒソと飛び交う中、とりあえずこの場は担任が騒ぎを収めてくれたけど、ホームルーム終了後、俺はクラスの連中――主に渡からの飽く無き追及を受ける事になり、もう頭を抱えるしかなかった。


「龍之介っ! お前、あんなに可愛い彼女が居たんじゃないか! この裏切り者がっ!」

「馬鹿っ! 如月さんとはそんな関係じゃねえよ!」

「えっ? だって、一夜を共に過ごしたんだろ?」


 渡は突然顔をニヤつかせると、いやらしい言い方でそう聞いてきた。

 そのムカツク表情を見ていると、無言で顔面パンチをお見舞いしてやりたくなる。


「い、いや。それはだな、あながち間違いではないけど……でもなっ! お前が思っている様な事は何もしてないぞ?」

「龍之介……本当?」


 必死で弁明をする俺を、まひろが悲しそうな表情で見てくる。


 ――そんな顔で俺を見るのは止めるんだ、まひろ。それじゃあ俺が、凄まじく悪い事をしたみたいじゃないか。


「だからっ! 隣に引越して来た如月さんが寂しくて眠れないって言うから、妹と一緒に泊まっただけなんだよっ!」

「そうなの? 如月さん?」


 ――いや、まひろさん。そこは俺の言葉だけで信じて下さいよ。


「はい。確かに私がそう頼みました」

「そ、そうなんだね。良かった……」


 その言葉に、なぜかほっとした感じの表情を浮かべるまひろ。とりあえずだが、誤解は解けたみたいで良かった。


「ふーん……けど、妹が一緒とは言え、女の子の家に泊まるとか、龍之介もやるもんだな!」


 アホみたいにバンバンと俺の背中を勢い良く叩く渡。コイツは俺を責めたいのか褒めたいのか、いまいち分からない。


「言っておくけどな、俺は妹だけ残して帰るつもりだったんだよ」


 そう。本当は杏子だけを残して帰るつもりが、如月さんに泣きつかれ、なぜか杏子にも泣きつかれてどうにもできなかったんだ。


「あの夜の龍之介さん、とっても優しかったです」


 顔を朱色に染めながら、意味深な事を言う如月さん。

 そしてその発言が飛び出した瞬間、再びクラスメイト達が疑いの眼差しを俺へと向けてくる。


「龍之介、お前やっぱり……」

「ち、違う! 俺は何もしてねえっ!」


 如月さんの不用意で誤解を招く発言により、渡の俺へ対する尋問が再開されてしまう。

 そして俺はその疑惑を晴らす為、今日の休み時間の全てを費やす事になってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る