第2話 派手な帽子2

「この帽子を作ったのは、れんさんですか?」


 ちょうど一週間後。

 帽子が写った写真を持ってやって来たのは神戸生田署の若い刑事だった。名を霧島良平きりしまりょうへいという。

 親し気な口を利くのにはワケがある。この霧島刑事、乙仲おつなか通りのサトウ帽子屋の2階、そう、まさにこのビルのアパートの住人なのである。

 眠気を誘う港町の昼下がり。幸い店内には客はいなかった。霧島の言葉に一華いっかは吃驚してカウンターに手を突いたまま固まってしまった。店舗奥のアトリエにいた漣は小窓からその様子を見ていたらしく即座にやって来た。


 ―― 確かに。僕が作った帽子です。


 写真は真上と下側、側面からの3枚。オレンジ色も鮮明だ。

「どういうこと? この帽子は……そう、一週間前、お客さんの注文オーダーメイドで作ったものよ。それを、どうして霧島さんが持ってるの?」

 最初のショックから我に返った一華が刑事の顔をまっすぐに見て問い返す。

「うん、あんまりいい話じゃない――」

 そう言って霧島は話し始めた。

「この帽子、昨夜、亡くなった人が被っていた帽子なんだ」

「亡くなったって……まさか殺されたとか?」

「それが何とも言えないからこうやって調べているんだよ」

 事故死かもしれないし、自殺かもしれないし、他殺かもしれない。刑事は眉間に皺を寄せて、

「というのは、この人・・・は自宅の浴槽の中で帽子を被った姿で発見された。死因は溺死。大量のアルコールが検出されているから、酔ったまま風呂に入って寝入ってしまって溺れた、というのが僕の推察だけどね」

 自殺と断定しかねるのは自室に遺書の類が残されていなかったからだ。見つかったのは、こちらサトウ帽子屋の領収書。またスマホにもサトウ帽子屋の検索記録があった――

 霧島が取りだした紙片をビニールの袋越しに確認する一華。

「確かに、ウチで渡した領収書レシートだわ」

 頷いた後で一華は訊いた。

「ねぇ、浴槽で発見されたってことは、つまり、古賀さんは裸だったの?」

「そう」

「裸なのに、帽子を被っていた?」

「うん、だから、そこが奇妙といえば奇妙なのさ」

 言った後で霧島は肩をすくめた。

「でも、まぁ、よほど気に入っていたとも考えられる。酔っていたし上機嫌で新しい帽子を被ったまま入浴した……実際、漣さんの帽子は素晴らしいものな! 僕も誕生日に送って物凄く感動されたよ」

 刑事は昨年、サトウ帽子屋の帽子を大切な人にプレゼントしたのだ。母親に。

「いゃあ、あんなにママに『センスがいい』って褒められたのは初めてだったよ! 嬉しかったなぁ!」

「あなたのママの話はともかく――古賀さんのこと詳しく話してちょうだい」

 真剣な顔で一華は刑事に要求した。

「ウチの帽子を被ってそんな亡くなり方をするなんて……放っておけないわ。これはけっして他人事じゃない。私たちも関係者よ。そうでしょう?」

 霧島は胸ポケットから手帳を出すと、読み上げた。

古賀純夏こがすみかの死亡推定時刻は午前1時から明け方まで。それ以前の行動はハッキリしている。それこそ、サトウ帽子屋の派手な帽子のおかげで。

 彼女はその夜、11時から1時近くまで三ノ宮界隈で居酒屋やBARを飲み歩いていた。オレンジ色の派手な帽子を誰もが鮮明に記憶していた。翌日、出勤して来ない彼女を不審に思い、携帯にも返答がなかったため上司が心配して昼休みに同僚を自宅まで見に行かせた」

 第一発見者はこの同僚である。

「古賀さんの実家は和歌山県。現在は灘の駅前の賃貸マンションに一人暮らしをしている。このへんのことは君の処の顧客リストにも記されているだろう?」

 勤務先は大型チェーン店ジュン九堂・三宮店の書店員だった。

「短大卒業後正社員として採用されて、まじめな勤務態度には定評があった。無断欠勤など一度もしたことはなかったそうだよ」


 パチン!


 ここで鋭い音が響いた。

 漣が指を鳴らしたのだ。聞いてほしい重要な意見がある時の漣の癖だった。

「漣にいさん、何か?」

 妹は兄を見た。兄の指は決定的な言葉を告げた。


 ―― この帽子は僕の作ったものじゃない。


 漣は何を見たのだろう? 何に気づいたのだろう?

 刑事は驚いて漣の手の中の写真を覗き込んだ。

「漣さんの作った帽子ではない? 何故、そう思ったんですか? あ、ひょっとしてこのシミですか?」

 確かに、よく見ると帽子の一部分に濃いかげのような部分がある。

「説明が遅れてすみません。それはワインの痕です。実は――」

 このシミについては既に証言を取ってあった。昨夜、古賀純夏が飲み歩いた店の一軒で、立ち上がったはずみでウェイターとぶつかった。その際、盆のグラスが零れて帽子に掛かってしまった。店側は謝罪しクリーニング代を渡そうとしたが既にしたたかに酔っていた古賀は受け取らずさっさと店を出て行った……

「これでシミについて理解していただけますか?」


 ―― シミの件はわかりました。でも、僕が、これが僕の帽子ではないという理由は他にもあるんです。


 今、漣は帽子を下から撮った写真を凝視していた。

「何が気になるの、漣にいさん? あら、そこ? うちのラベルの有無?」

 サトウ帽子屋では制作した帽子には店名入りのラベルを縫い付ける。明治開店以来の伝統だ。

「大丈夫。ちゃんとあるじゃない。ほら、ここに写っているわ」

 一華がその場所に指を置いた。写真の帽子にも、サトウ帽子屋の全ての帽子と同じ場所にラベルがあることが確認できた。

 だが、漣は首を振る。


 ―― 違う。もっと決定的なことがあるんだよ。


 漣は刑事に体を向けた。


 ―― 霧島さん、どうでしょう、この帽子の実物を僕に見せていただけませんか?


「もちろんですよ! そういうことならこちらからお願いします。ぜひ、一緒に来て、実物を見てください!」



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