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 すっかり機嫌が戻って勝手に指切りをしている卯衣を見下ろし、とんでもない約束をしてしまったと思いつつ、また笑ってくれたという安堵が残る。

 卯衣は指切りをする為に触れていた蒼斗の手を見つめ、それを自分の頬に当てて目を閉じた。

 何のつもりだと様子を伺っていると、蒼君の手は温かいなぁ、と卯衣は微笑んだ。


「APOCやこの街の人たちは、みんないつも私に優しくしてくれる。一部は子ども扱いするけどね。……辛い時や悲しい時、亜紀ちゃんはいつも私を蒼君がさっきしてくれたみたいに頭を撫でてくれるの。凄く優しくて、誰よりも安心する」


 卯衣の瞳に蒼斗の顔が映る。蒼斗はどういうわけか意識が引き込まれそうだった。


「蒼君の手は、亜紀ちゃんによく似ている……だから、好き」


 たったそれだけの言葉に蒼斗は胸が熱くなった。

 からかうように卯衣が亜紀ちゃんの次にね、と言葉を付け足しても速くなる鼓動は正常に戻るのに時間を要した。


「それで、この変死体と射殺体は一体誰の仕業か分かるの? 隠し事したら亜紀ちゃんに告げ口するからね」

「……夢で亥角さんを視ました」

「え、亥角君……? それってどういう――」


 卯衣の声は四方を囲むように聞こえてくるサイレンの音で掻き消された。

 瞬く間に蒼斗と卯衣は銃口を向けるSTRPに包囲され、間を抜けて現れた奈島に仰天した。


「大人しく武器を捨て、両手を頭の後ろで組むんだ!」

「ちょ、ちょっと奈島さん! 僕です、工藤と卯衣ちゃんです!」

「その天パと麗しい姿を見れば分かる!」

「天パって言わないでください!」

「どういうことなの、奈島君?」


 ROXI事件の分け前騒動の一件以来、さらに殺気に磨きをかけた警官たちの威力は絶大で、蒼斗は胃が痛くなってきた。

 喧嘩の際に亜紀の拳を食らった奈島の両頬にはガーゼが張られ、口の端にも絆創膏が貼られていた。


「まさか亜紀さんを陥れる為の作戦に、僕たちを利用しようっていうんじゃ――」

「先程STRP本部に匿名で連絡が入った」

「匿名?」

「D地区の公園跡地で大量殺人が起きたというものだった」


 要するに、この大量殺人が起こる現場に立っている卯衣と蒼斗は、奈島たちから見ると十中八九、第一容疑者とみなされているということだ。

 殺人の容疑者にされたことに卯衣は憤慨し、怒声を上げて噛みつく。


「私たちはAPOCよ! 街を守る人間が人殺しなんてするわけないじゃない! それに私たちだって蒼君がここでの殺人を夢で視たから来たのよ!」

「う、卯衣ちゃん……」


 蒼斗の前に両手を広げて庇うよう対峙する卯衣に、奈島は一瞬尻込みする。

 だが、昼の時間帯での事件の管轄は全て奈島たちのもの。

 APOC幹部と言えど、夜はただの一般人でしかない蒼斗と卯衣はSTRP捜査官数人に拘束される。

 銃を奪われ、後ろ手に手錠をかけられた卯衣は奈島を睨み付けた。


「また、怪我したいようね。こんなことをして亜紀ちゃんが黙っているとでも?」

「……連れて行け」


 蒼斗は撤退する捜査官らを横目に、奈島に連れられパトカーに歩き出す。

 その際、蒼斗は少し離れた建物の中から光を見た。目を凝らすと、誰かが双眼鏡で見ているだと分かった。


「まさか……」


 蒼斗は建物に向かって走ろうとするのを奈島に止められた。


「工藤、大人しくしていろ!」

「行かせて下さい! 亥角さん……亥角さんがあの建物にいるんです!」


 だが蒼斗がもう一度同じ方を見た時には人の気配はなく、奈島は首を横に振って蒼斗の肩を叩いた。


「悪いな、工藤。話は向こうで聞く」

「離して下さい! あそこに確かに亥角さんがいたんです! 僕たちは嵌められたんだ――亥角さん、亥角さん……っ!」


 蒼斗は死神の力を利用され、亥角に謀られた。

 しかし、それが分かった時には既に後の祭りだった。



 ◆




 蒼斗が辰宮の手から逃れ、D地区に行ってから二時間弱が経った。

 踵を鳴らし、乱暴にドアを開けて零号館に入る亜紀。

 その後に続き、けだるそうに頭を掻き、薄暗い部屋に電気をつける瀬戸。講義という二人の時間を邪魔されてへそを曲げているようだ。


 零号館にはキャスター付きのイスに深く腰掛け、ぐるぐると回って遊ぶ千葉だけがいた。

 ちなみに、そのイスは亜紀が所有するものだ。


「そこをどけ、ジジイ。――卯衣と蒼斗が奈島に拘束されたのは本当か」


 虫の居所が悪い亜紀は、千葉を足蹴にしてイスに座った。貧乏ゆすりを繰り返し、知らされた内容を思い出したのか不機嫌さがありありと滲み出ていた。

 千葉は蹴られた部分を手で擦り、耳の無線を指差して一つ頷く。


「間違いない。さっきここに奈島から連絡がきた」


 念の為に卯衣の無線を部下が押収する前に手元に収め、それを使って連絡してきた。恐らく、亜紀の鉄拳を免れるためのご機嫌取りのつもりだろう。


「詳細は?」

「匿名の電話でD地区に出向いたら、大量殺人現場に工藤君とウサギがいて、規則に基づいて泣く泣く、容疑者として拘束したようだ」

「大量殺人?」


 衛星からの現場の写真をモニターに映す。

 そこには公園の至る所に死体があった。アップした写真を見ると、死体が至る所に映っている。

 千葉は補足するように口を開いた。


「ちなみに、この遺体は老人に見えるけど、免許証でまだ三十代だって分かったよ」

「何だと? 冗談はそのふざけた顔だけにしろ、これはどう見たって若く見えねぇぞ」

「不思議だよな。工藤君は夢で亥角を視たって言っているし、何か関係でもあるのかねぇ」


 意見を促すような千葉の言葉に対し、亜紀はモニターをじっと見つめたまま。

 蒼斗は亥角を探す為にD地区に行った。そこでタイミング良く奈島に拘束されたのなら、夢で視た亥角の目的は、死んだ彼らではなく蒼斗だったということか。


「彦、千葉、この件について全て洗い出せ。ここ数日の蒼斗の行動も調べ上げろ」

「いいのかい? STRPの管轄に関わったら大変だよ」


 パソコンに向かい始めた亜紀は、仕事場に戻ろうと背を向けた瀬戸の問いに対し、不敵な笑みで返し、電源ボタンに手を伸ばして言った。


「大量殺人という奴らの管轄以外について調べる限り、俺たちに何ら問題ないだろう? 俺たちがやるべきことは、二人の容疑を晴らすことではなく、亥角に関わることだ」


 ギリギリのラインなら好きにやれと言う亜紀の許可を耳にすると、瀬戸はほくそ笑み、そのまま零号館を後にした。



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