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 出入り口を塞がれ逃げ場を失った東城は効果を持たない銃で応戦するしかなく、ついに弾切れになってしまった。


「ひっ……」


 震える手でリロードする間、数体の狂魔が牙を剥く。歩く度に粘つく水音が耳にまとわりつき、腐敗しきった悪臭が鼻をつく。


 殺されると諦めた東城。



 ――視界を遮断しかけたところで、蒼い軌道が狂魔全ての首を跳ね飛ばしたのを捉え呆然と眺めた。


「な、に……?」


 ゴロリ、と転がる首を視線だけで追い、灰となって消えるのを見届ける。

 すっかり腰が抜けた東城は眼前に背を向けて立つ蒼斗の姿を見上げた。


「大丈夫ですか、東城さん」

「あ、ああ……」

「こちらの人にはキツいかもしれませんが、しばらく気配を消して隠れていてください」


 外套をはためかせ、ふと安心させるようにこちらに笑いかける。

 大鎌を手足のように回して構え直す姿からは、初めて会った時に目にしたような気弱さは欠片ほども見受けられない。

 妖しくも美しい蒼白の刃、深く澄んだ青い瞳、大きな鎌――その特徴的な容姿を、以前書物で読んだことがあった。


「まさか……君が、あの死神だというのか……」


 自分よりも小柄なのに、その背中はやけに広く感じた。

 化け物と向き合い、刃を振るう彼には覚悟が確かに存在していた。



 ――何をやっているんだ、私は。



「冗談じゃない」

「?」

「私がただ隠れているだけなんて……できるわけがないだろう!」


 傍らに転がっていた狂魔の残骸から這いつくばって銃をもぎ取り、後ろを取られそうになる上司の背後の狂魔を躊躇いもなく吹き飛ばす。

 狂魔弾を使用していないとはいえ改造銃の威力は絶大だった。

 粉砕された狂魔に呆ける奈島を、東城は怒鳴り叱咤する。


「後ろは常に気をつけろと言ったでしょう!」

「は、はい……」

「東城、さん……?」

「ボサッとするな! まだ来るんだぞ!」


 次をガチャガチャと手際よく装填する東城は何かを吹っ切ったような、開き直ったような、タカが外れたかのように激情していた。

 人間窮地に陥ると何を仕出かすか分からないとはよく言ったものだ。


 亜紀は次々と隙を作っていく東城を感心するように声を漏らし、自分の銃を一丁抜くと東城へと投げた。

 タイミングよく銃を手中に収め、何のつもりだと言わんばかりに訝しげな目を向ける彼に対し、亜紀は鼻で笑った。


「使いこなせるか、お手並み拝見といこう」

「東崎……っ、貴様のものを私が扱えないわけがない!」


 挑発に乗せられた東城はセーフティを慣れた手付きで解除し、APOC捜査官でもないのに使いこなしていく。

 とても腰を抜かしている人間には到底見えない。


「ふぅん、やはり素質はあるようだな」

「亜紀さん……?」


 しかし数が減ることはなく、一体何処から狂魔を調達しているのかキリがない。


「もしかしたら乖離点をこじ開けて、向こうから……っ」

「ヒャハハッ! STRPから悪魔と恐れられるAPOCの総帥もお手上げかぁ? 落ちぶれたもんだねぇ」

「っ、亜紀さん!」


 刃が亜紀に届く前に大鎌の柄で寸でのところで受けとめる。その力強く重々しい一撃は篠塚のもの。

 蒼斗は背に庇った亜紀を一瞥して無事を確認すると、汗を滲ませながら歯を食いしばった。

 訓練の時にも手合わせしたことはあるが、やはり今まで手を抜いていたのかが分かった。

 元々腕っぷしは強い方なのか、少しでも気を抜けば押し負けてしまいそうなくらいの威力だった。


「っ、どうしてだ篠塚君……どうしてよりにもよって君が狂魔なんかに……!」

「ウ……セェ……ウルセェェェェェエ!! コノォォミカゲノ息ノカカッタ野郎ガァァァアァア!!」


 雄たけびと共に押し切られ、蒼斗は咄嗟に後方に下がり距離をとる。

 


「蒼斗! もうそいつは人間じゃねぇ! このままだと埒が明かねぇ、早く始末しろ!」

「っ、そんなこと言ったって……」

「アアアアァァァァアアァ!!」


 祥吾の時のような変わり果てた姿で牙を剥く篠塚は、刃の競り合いを押し切り蒼斗の身体を後方に崩した。反動で蒼斗の両腕が上に上がったのを見逃さず、柄を握り直しそのまま突きの姿勢に入る。

 心臓めがけて伸びる切っ先を視界に捉えた蒼斗は、倒れながら左足を振り上げ篠塚の剣の持ち手に蹴りを入れ軌道をそらす。勢いは落ちたものの、剣先は蒼斗の腹部すれすれを裂く。


 ――剣が落ちない……!!


 尋常でない力で握りしめているのか普通であれば手から落ちるはずの剣。蒼斗は力が足りなかったかと内心舌打ちする。



 ――どうしてだ。



 銃声と剣戟の音で満たされた室内。蒼斗は脳裏に響く悲しげな声を拾った。

 辺りを見渡せば各々未だに戦闘を続けており、とても声が聞こえるような状況ではなかった。蒼斗だけに聞こえた、ということなのだろう。



 ――誰も俺を認めてくれない。肩書きだけばかりで俺自身を誰ひとり見てくれない。どうしてお前ばかり……!



 それは篠塚の誰にも言えない叫び。蒼斗への嫉妬心だった。


 篠塚はゼロ・トランスで両親を亡くしてから親戚の家を転々とし、持って生まれた器用さと才能を大人だけでなく友人にも利用され自分の価値に疑念を抱いていた。

 そして誰ひとり「篠塚亮」という人間を見ていなかった現実を突きつけられた。

 絶望した彼は、文字通り全てを放棄した。

 自分の真価を問うことも、周囲の目や顔色を伺うことも、何もかも。


 ただ自分がよければいい。

 自分のいいように動かすためなら、自分の欲しいもののためなら、どんなに非道なことでもやってのけた――本当に欲しいものは、手に入らないまま。


 篠塚と蒼斗。

 ゼロ・トランスで互いに多くのものを喪った。


 前者は両親や生活、自分という価値を。

 後者は家族と蒼斗という名前以外の自分に関するあらゆる全ての記憶。

 境遇は同じはずなのに目の前に突き付けられる立場の違いが、篠塚の心の内に眠っていた願望に嫉妬の炎を灯らせた。



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