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 ◆



 ――それから、待機していた亜紀の車の助手席で先程の予知夢をメモにまとめていると、再び砂嵐が襲った。


 悪臭に満ちた地に身体を預け、更ける夜に浮かぶ満ちた月を仰いでいた。全身は震え、痛覚は完全に麻痺を起こしている。

 満月の夜、ゴミ溜めに埋もれる身体、白衣、銃撃。他に目についた周辺の特徴を元に地図と照らし合わせる。

 蒼斗は亜紀たちが場所の特定を絞っている間、予知夢を視た後の疲労を回復するために仮眠をとることに。

 白衣を着る仕事はペンタグラムでは限られている。

 また、ゴミ溜めに転がっていることから満月の日の、夕方から夜にかけて研究所を通るゴミ収集車を洗い出す。


 その結果、条件を完全に満たしたゴミ収集車は一件だけ該当。さらに、その収集車の走行ルートは、白井という男が指揮管理している科学研究所を通っている。

 肝心の日時であるが、この条件に満月という天候を加え、今夜だということが判明。

 叩き起こされ事情を耳にした蒼斗は眠気など彼方に消えた。慌てて時計を見れば既に夢の中の音はとうに襲撃を受けている。

 逸る気持ちを何とか堪えAPOCの上着を身に纏う。赤と青のランプを点滅させ、車はゴミ処理場へと疾走した。



 ――そして、冒頭に戻る。

 想像以上に悪臭汚臭が一帯を漂い、蒼斗は素知らぬ顔でマスクを装着している亜紀と卯衣を恨めしそうに一瞥。


「僕が見たビジョンは……あ、そこを右に行ったところです」

「ん……、ゴミを細かく刻む作業場のようだな」


 このゴミ処理場はコンクリート製造場と隣接しており、そのゴミをコンクリートの材料として利用している。

 蒼斗はサッと顔色が悪くなった。

 亜紀の言う作業場だとしたら、いずれ被害者になるだろう人間は命絶えた末に悲惨な姿に変貌すると恐れたからだ。

 蒼斗は亜紀たちの横を抜け、ゴミに躓きながら懸命に男の姿を探した。


「いた!」


 処理場のライトが届かない、月明かりだけの暗闇の中――蒼斗は血とゴミで汚れた白衣を着ている男を見つけた。

 赤黒くなった血は全身を染め上げ、あまりの惨さに言葉が出なかった。

 後ろから亜紀の部下に作業機を停止させるよう怒声が聞こえた。

 男が横たわるその先には、作業機へと導くベルトコンベアが待ち受けていた。


「コイツは酷いな。ここまでされるほど恨まれていたのか」


 未だに慣れない遺体を見て竦んでしまった蒼斗を横切り、亜紀はゴム手袋をはめながら男の前に膝をついて覗き込んだ。


「銃弾が胴体に六発、手足にそれぞれ一発と二発か。全身に打撲の痕跡があることから争った形跡があり、おまけに刃物で切りつけられた跡がある。相当恨まれていた上にドンパチやったのか……信じられないな」

「僕はここまで出来る人間が信じられませんよ」

「刃物による傷は……」


 亜紀は首に手をやって突然無言になった。

 それから片方のゴム手袋を急いで外し、その手を男の口元に運んだ。


「どうしたの、亜紀ちゃん?」

「医療班を大至急……チバを呼べ!」

「え?」


 突然のことに蒼斗と卯衣は目を丸くさせた。

 動かない周りに苛立ちを募らせた亜紀は、男の傷が最も酷いだろう腹部を両手で押さえながら怒鳴った。


「コイツはまだ息がある!」


 ほんの微かだが、その指に脈を捕らえた。――男は、まだ生きていた。


「直ちにここら一帯を封鎖し、現場保全をしろ!」


 闇夜に弾ける怒声に、部下たちは蜘蛛の子を散らすよう動き始め、蒼斗は亜紀の元に駆け寄り、男を見下ろして呆然とする。


「生きて、いるんですか?」

「虫の息だがな。……だが、コイツはきっと助かる……いや、必ず助けてやる」


 自分の上着で傷の止血を始める亜紀は、死んでいると同じようにしか見えない男を見ても断言した。

 確かに助かればこれほど嬉しいことはないが、一体何処に助かるという確信の目を見せる根拠があるというのだろうか。


「おい、ボサッとしてねぇで手伝え! コイツは御影に辿り着く手掛かりになるかもしれねぇだろうが!」

「御影……」

「利用価値のあるものはとことん利用する、それがこの世界で生き残る為の方法だと俺は言ったはずだ」

「……はい!」


 ――その後、男は病院に搬送され、施された応急措置の効果もあってか男は一命を取り留めた。



 ◆



 卯衣に男が起きるまで監視を任せた亜紀は、判明した彼の身元についてモニターを使って瀬戸に説明させた。別のモニターには男の顔が表示された。


「男の名は大倉透おおくらとおる、白井科学技術研究所に所属する研究者。周辺を洗ってみたけれど、犯罪歴も事故歴もこれと言って目につくものはない。完全に真っ白な人間だよ」

「そんな人が殺されかけただなんて……信じられないですね」

「人はいくら前無しでも些細なことで狂魔への道を辿ることもあるってことだ」

「千葉、大倉の所持品は?」


 亜紀は青混じりの長い黒髪を高く纏め、右目にお気に入りのモノクルをつけた男を見た。

 男の名は千葉歩ちばあゆむ。十岐川大学の生物学の教授だ。

 表向きは大学の生物教授、医療――特に薬に関することは一流で、裏では主にそちらを基点に活動している。また、APOC全ての捜査官のカウンセラーも受け持っている。

 千葉は手元の資料を見て首を横に振った。


「ものの見事に何もない。彼は文字通り丸腰の状態で虫の息にさせられたようだな。それと、彼の身体にあった銃創と切り傷だけど、別人のものだということが分かった」

「じゃあ、犯人は複数ってことですか?」

「恐らく。まったく、一般人に何て事をするんだか」


 千葉は肩を竦めた。そして「ただ……」と、言葉を続けた。


「興味深いことに、彼の胃の中にこんなものが入っていたよ」


 亜紀に投げて寄越した物体は、イチョウの葉のような扇状の形をした、黒い金属製のもの。


「犯人が狙っていたものはコイツのようだな。奪われまいとして飲み込んだんだろうが……何だ、これは?」

「それを調べるのが君の仕事だろう?」

「俺の仕事は乖離点の番人だ。浸蝕する狂魔及び御影関係者を摘発、始末するだけ。そっち方面は彦の仕事だ」

「はいはい、まったく血の気が多い子だねぇ」


 今にも噛みつきそうな亜紀に対し、千葉は悠々として笑顔を浮かべているだけ。

 瀬戸はそれが気に入らないのか、盛大に咳払いをして亜紀の注意を自分に向かせようとしている。その目にはモニター越しでも怒っているのがありありと分かった。

 亜紀を崇拝する彼を相手にすると面倒だ、という意味を込めた溜め息を、蒼斗は胸の内にしまった。


「ねぇ、僕を放ったらかしにするならもう通信切るけど?」

「悪いな、彦。続きを頼む」


 亜紀はいつも邪険に扱うのとは正反対に、拗ねる子供をあやすような口調で話を促す。

 瀬戸の扱いを完全に理解している亜紀だからこそ、ここまで彼をコントロール出来る。



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