戦場はいつも群青色で泣いている
織田 伊央華
第1章「灰色の空と飛ぶ白」
第1話「プロローグ―始まりは真紅と黄土色―」
この世の地獄、とよく表現される。それらを実際に体験した者はこの世界に幾人ほどいるだろうか。
21世紀を迎え、科学技術が発展した今日において先進国と呼ばれる国々に暮らす人々にとって、その言葉自体ほとんど関係のない言葉だろう。
あったとしても小説などフィクションの世界。または発展途上の国々や紛争に巻き込まれている場所当事者を除き、ニュース等を知ったときにふと思う程度だ。
人類にとって最大の戦争であった世界大戦。2度にも及ぶその大戦によって死亡した人間の数は膨大な数字に上り、その数ゆえに現在の人々にとってはどこか違う世界のものと錯覚してしまう。
人を道具と、歯車として消費する愚かなる戦いの果てにその当時の者達は何を求めたのか。その事で現在においてどれほど世界が変わったのか、定かではない。
そんな第2次世界大戦を体験した世代も殆どいなくなり、殺し合いという血みどろの世界を実際に体験した人々は軍人や一部の人間を除き皆無と言えるだろう。
もちろん人一人の単位に落とし込めば、残忍な殺人事件等は毎日のように世界中で行われており、その渦中にいる者にとっては現在進行形で地獄と言えるかもしれない。
しかしながらそれはごく一部であり、それらが社会の目に、そして人々の感情に触れるのはしばらく後になるだろう。そしてそれらを知った者達も実際に自身に降りかからない事に関しては、関心度が低いのが人間という生き物である。
そんなことからも地獄と表現される状況を経験した人間は少ないと言える。もちろん、それらの生存者はもっと少なくなるだろうが。
地獄、地獄、とこれまで表現してきたがでは実際地獄と言われる場所についてはどれほどの人間がどのように考えているのだろうか。
地獄というとその語源は簡単に“地の下にある牢獄”という意味になり、日本においては生前悪行を行った者が死後行き着く場所であるとされ、認知されている。
極悪人から軽犯罪者まで、罪という種類においては膨大な数存在するがそれらすべての罪人を扱う一種の刑務所、と考えられるのが地獄だ。
ではその刑務所で行われる刑罰、とはどのような事なのか。一般的には創作物に出てくる釜茹地獄や氷雪地獄、針山など昔から知識的に広げられているものが多い。
それらが知識の隅にあることで、“地獄のような”という表現には“まるで地獄で刑罰を受けているような”際限のない苦痛のある状況を表すこと、と受け取ることが出来るのだ。
その為、その状態を適切に認識するにはその言葉を発した人物と同じ思考をする必要があり、他人が完璧に理解・想像するには難しい表現となる。こと痛みに関しても人間には個別に差異があり、感受性等もそれぞれ違うからだ。
では、そんな表現である“地獄”。その表現と理解を統一するにはどのような状況なのか。
それは簡単だ。誰もが“地獄”と考え、思考し、想像できる状況を体験することだ。
「もう、朝・・・」
壁に寄りかかりながら、まるで徹夜明けの疲れた会社員の様に小さく呟く声。
その声の主である女は深く息を吐きだす。
吐き出された吐息は外気温の所為か含まれていた水分が凝固し、視覚的に白く見えている。
「綺麗な朝日・・・」
そう呟いた女の向ける視線の先には徐々に明るくなりつつある空があり、真紅の絨毯のような雲が空に浮かび上がっている。
女は手にした仕事道具を確認し、動作に不良がないかどうか確認する。外装に関してはだいぶ傷ついているが、動作に関しては問題が無い事を確認すると女はゆっくりと立ち上がった。
「外で朝を迎える事になるとは思ってもなかった」
肉体的な疲労は踏み出す足に枷を付け、仕事道具を持つ腕にはその重量以上の重さを感じさせている。
疲労は仕事のましては肌の敵だ、といつも女は思うがその仕事柄無縁でいられることは不可能だ。
そう、仕事。
女が朝を氷点下になりそうな外で迎えた理由のその仕事が関わっていた。
「さて、もうひと頑張りしますか」
そう呟いた女の聴覚にようやく周りの音が入りだす。
際限なく響き続ける大きな炸裂音。それに伴う爆発音に交じって人の声と思しき声が僅かだが混じっている。
もし、この場所が神社などの祭りの場であったならば爆竹の音量に周辺住民から苦情の電話の一本でも入っただろう。
しかし幸か不幸か、男がいる場所は神社の境内などではない。
先程の音の中に時折混じる、獣のような咆哮。
その瞬間に女の歩みが止まる。
そして、その声を聞いた女の口元に笑みが浮かぶ。
「まだ、いた」
小さく呟いた女の口調は面倒だとでも言いたげなものだが、表情はそれとは正反対と言えるものだ。
女が仕事道具を持ち上げ、素早く使用状態にしていく。その動作に一切の遅滞はなく、熟練した動きであった。
僅かな時間で準備を整えた女は歩みを再開させる。
「さて、朝になった事だし仕事を始めましょうか!」
そう大きく声を張り上げた女。
するとそれに呼応するように傍から様々な声が上がる。
その声の主達も女と同じような仕事道具を手に女の元へと集まりだした。彼らも女と同じように休憩していたのだろう。
彼らの表情は女よりも疲れが見え、服装などにも乱れが見える。しかしながらその瞳には疲れなど一切見えないほどに力強い意思が見える。
そして女を含め4人の者達が少しばかり歩みを進めたところで先ほどの咆哮の主と相対する。
動物で表現するのであれば犬や狼と言った四足歩行動物がやり玉にあがること間違いなしの容姿。しかしながらそれを表現するにはそれだけでは到底足りえない。その理由としては
「こいつぁデカいなぁ!」
男の横に立つ金髪の男が声を張り上げる。
そう、その通り目の前に立つ異形の生き物は全長5メートルを超え、象以上の体格を持っていた。
そんな大きさの狼とも言える生き物には凶暴な瞳が4つ頭部にあり、その事からも異形と言える生き物だと分かるだろう。
そんな生き物を目の前にしても地面に立つ4人の人間に怯えなどは存在していない。
その理由は簡単であり、この目の前の生き物を処分することが人間たちの仕事であり、女の仕事内容だからだ。
「コイツを他に向かわせるわけにはいかないわね」
金髪男の横に立つ女がそう呟くと当時に己の仕事道具を構える。それと同時に時間が動きだしたように4人と一匹は動きだした。
その足元であり、地面に散乱する元人間であったモノや生き物だったモノたちを平然と踏みつぶしながら。
普通であれば平然としていられる人間はいないだろう。
もしこの場に普通の人間が居ればそれを受け入れることが出来ず、その匂いと視覚情報によって胃の中身を地面にぶちまけていたかもしれない。
しかしながらこの場に、この戦場と呼ばれる場所にいる者達にとってこの光景は見慣れたモノであり、当たり前の光景だった。
人間の“慣れ”と言う物が高性能なのはその当事者にとって幸か不幸かは判らない。
いや、生きていく上で必要とどこかで判断できれば人間は“慣れ”てしまう生き物だ、という事なのだろう。
そんな経験をせずに初めてこの場に赴いた者の第一声は共通して決まっている。
それは、
『この世の地獄』
誰もがそう呟くのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます