竜の牢獄

 花吐きは、虚ろ竜のつがいとして始祖の竜に造られた存在。

 本来ヴィーヴォたち花吐きは、中ツ空の虚ろ竜たちに花婿ととして迎えられ、彼女たちに子と花吐きの能力を継承けいしょうする存在だった。

 虚ろ竜と花吐きのあいだに生まれた子は、男なら花吐きとなり、女なら虚ろ竜となる。

 そして、虚ろ竜の背中には生命たちの住まう世界がある。その世界の命を循環じゅんかんさせるために、彼女たちは花吐きの能力を継承するのだ。

「だから彼女たちは、あなたたち男の花吐きを食べたがる。あなたたちの能力を継承し、子を作る種を得るために……」

 そっと頬をなでられ、ヴィーヴォは呻き声をあげていた。その声に呼応するように、体に巻きついた彼岸花ひがんばなが体に食い込む。

緋色ひいろ……やめて……」

 顔をあげ、ヴィーヴォは緋色を見つめる。彼女は色のない眼をヴィーヴォに向け、そっとヴィーヴォから距離をとる。

 しゃらんと、彼女の髪を飾る灯花が華麗かれんな音をたてた。

 緋色は、姫袖ひめそでが印象的な法衣をまとっていた。燃えるように赤い法衣には金糸の刺繍ししゅうで赤の一族のシンボルである薔薇が幾何学模様きかがくもようによって描かれている。法衣の裾を翻らせ、彼女は後ろ姿をヴィーヴォに見せる。

「あなたがいけないのよ。私たちの言うことをきかないで、庭師さんを助けに行こうとするから」

 そっと眼を伏せ、彼女は灯花によって石英せきえいの岩に括りつけられたヴィーヴォを振り返った。彼女の周囲には格子こうしのように細長い石英が立ち並び、天然の石牢いしろうを形づくっていた。

 文字通り、ここは虚ろ竜たちの牢獄なのだ。ヴィーヴォは緋色の後ろにある石牢の隙間すきまから空を見つめる。

 水晶の天蓋てんがいが小さく崩れ、その破片が色とりどりの人魚に転じていく。ヴィーヴォはその光景をずっと眺めていた。

 ヴェ―ロたち銀翼の一族は、中ツ空と水底の境界にある大天蓋を守ってきた。水晶の壁とも呼ばれるそれは、ヴィーヴォたちの頭上に広がっている水晶の大天蓋のことだ。

 この大天蓋により、中ツ空と水底は分かたれ、両者の世界は容易に行き来ができないようになっている。

 大天蓋は、虚ろ世界をただよっていた卵の欠片だという。この卵の破片が天蓋てんがいのように水底の地を覆い、虚ろ竜たちの侵入を拒んでいるのだ。 天蓋は少しずつ崩れており、そこから生まれるからたちが、水底へと落ちていく。

 桜色の人魚のことを思いだし、ヴィーヴォは苦笑していた。

 水晶の壁があるこの場所は、ヴェーロの友人であるメルマイドの故郷でもあるのだ。

「何が、おかしいの?」

 緋色の声が聞こえる。顔をあげると、眼を怒りに輝かせる緋色と眼があった。

「別に……」

「あなたは自分の恋人である祖母の上で、派手に暴れまくって金糸雀に傷すらつけた。私の愛しい金糸雀に……。私を食べてくれるはずの金糸雀に……」

 ぎゅっと自身を抱きしめて、緋色は悲しげに眼を伏せる。

「ごめん……。でも、兄さんが……」

「あの人の命と、水底すべての命と、あなたはどちらが大切なの?」

 震える緋色の言葉に、ヴィーヴォは黙る。

 ここに来て教えられた残酷な世界の摂理せつりを、ヴィーヴォは受け入れられないでいた。

 おすの虚ろ竜となった金糸雀は始祖の竜の記憶を引く存在であり、その金糸雀が女の花吐きである緋色を食べることで再び水底の秩序ちつじょは回復するというのだ

 水底の大陸となっている始祖の竜は、自身の体の上に生きる生命を循環じゅんかんさせる力を持っている。

 その力の化身が、花吐きたちだ。

 その力は周期的しゅうきてきに弱まり、花吐きが生まれなくなる期間があるという。

 始祖の竜の力が弱まった水底は常闇とこやみに閉ざされ、人々を襲う疫病えきびょう蔓延まんえんする。

 その度に、直系の花吐きたちの中から、始祖の竜の記憶を継承する者が現れる。始祖の竜として覚醒した花吐きは先祖がえりを起こし、竜となって女の花吐きを喰らう。

 女の花吐きは、この世に再び花吐きを生みだすための生贄いけにえなのだ。

「本当は、あなたのお母さんが、始祖の竜として覚醒したあなたの父親に食べられることですべてが終わるはずだった。でも、あなたのお父さんはそれを拒絶し、あろうことかあなたのお母さんと子を成した……。本来、この世界のために命を捧げるべき女が、人としての幸せを享受きょうじゅし、世界を救うことを拒んだのよ。それがどんなに罪深いことか、金糸雀を愛する私には分る……。あの人のことを思うとね、子宮しきゅうが震えるの。食べられたくてたまらなくなくて、あの人といるだけで私は幸せなになれるのに……」

 恍惚こうこつとした眼差しで天井を見上げ、緋色はうっとりと言葉を紡ぐ。

「金糸雀は、無事……?」

 ヴィーヴォの言葉に彼女の表情が冷たいものになる。色のない眼をヴィーヴォに向け、緋色はヴィーヴォを見つめる。

 ヴェーロの母親の制止を振り切り、水底へと戻ろうとしたヴィーヴォたちを金糸雀がとめようとした。 そのとき、ヴェーロと交戦状態になった金糸雀は、彼女に深手を負わされてしまったのだ。

 ヴェーロもまた、緋色の灯花と虚ろ竜の姉妹たちに捕縛ほばくされ、ヴィーヴォも捕まってしまった。

「えぇ、あなたの大切な竜も無事よ。もうすぐここに、花婿たるあなたを喰らいにくるでしょうねっ!」

 声を弾ませながら、緋色は唇を歪めて嗤ってみせる。

「私は金糸雀に食べられて、あなたは恋人の竜に食べられる。それで、すべて終わり。庭師さんも水底と中ツ空のために、愛しい女のために命を捧げてくれるはずだわ」

「それで、悲しむ人がいるとしても……?」

 ふっと眼を伏せて、ヴィーヴォは兄の恋人に想いを馳せる。

 ――お願い。あの人を信じて、あの人は必ずここにやってくるから。

 そう言ってヴィーヴォたちを引き留めたヴェーロの母は、今にも泣きそうな顔をしていた。本当は誰よりもポーテンコの側にいたいはずなのに。

「自分の恋人の心配はしないのね。冷たい人……」

 めた緋色の言葉が耳朶じだに突き刺さる。苦笑しながら、ヴィーヴォは彼女に言葉を返していた。

「うん……そうだね。だって、ヴェーロだったら、もうじきここに来るから」

「夜色?」

 意味深な言葉を発するヴィーヴォに、緋色は怪訝けげんな眼差しを送る。瞬間、少女たちの悲鳴が辺りに響き渡った。

 外を見張っていた虚ろ竜の娘たちが、何かに怯えているのだ。それと同時に、石英の牢獄に大きな爆音が響き渡った。






 ――Verok《ヴェーロ》、捕まったふりをして僕を助けに来て……。

 そうヴィーヴォに言われたとき、ヴェーロは自分の耳を疑った。自分たちをとめようとした金糸雀に深手を負わせ、トドメを刺そうとした瞬間にヴィーヴォはその言葉を放ったのだ。

 ヴィーヴォに名を呼ばれ、ヴェーロは彼に従わざる終えなかった。名を縛られているお陰で、体に力が入らず緋色の灯花に体を拘束されてしまったのだ。

 でも、捕まったふりはもうしなくていい。

 体力の戻ったヴェーロは竜の姿のまま牢獄に入れられていた。そこを壊して、あとはヴィーヴォの香りを辿たどればいい。彼の香りは、まるで自分を誘うように日増しに強くなっているから。

 爆音が自分の側で響いて、ヴェーロは後方へと顔を向ける。

 自分と同じ銀翼の一族が竜の姿をとり、ヴェーロを追っている。彼女たちは翼をはためかせ、苔むした大地を滑空かっくうする。

 そんな銀色の竜の群れに、ヴェーロは口から吐いた火球を放つ。

 彼女たちは火球を見たとたん怯えた様子で止まり、背中を見せて逃げ回り始めた。戦い慣れていないのだろうか。ヴェーロは呆れた様子で口から煙を吐いてみせる。

 翼を後方へと逸らし、ヴェーロは飛ぶ速度をあげていく。前方に石英の牢獄がある。その牢獄めがけ、ヴェーロは火球を放っていた。

 虚ろ竜の少女たちが悲鳴をあげながら、ろうの周りから散っていく。牢に衝突しょうとつした火球は爆音をたてながら、周囲に煙を巻き散らした。

「きゅんっ!」

 嘶いて、ヴェーロは煙の中へと突っ込んでいく。

「Veroっ!」

 名を呼ばれるとともに、ヴェーロは背中に衝撃を感じていた。ヴィーヴォが背中に乗ってきたのだ。

「早くっ! ここから離れてっ!」

「きゅんっ!」

 ヴィーヴォの言葉に返事をし、ヴェーロは翼をはためかせる。上昇してみせると、灯花のつたがヴェ―ロを追ってきた。

 彼岸花の灯花は、うねりながら上空にいるヴェーロの体を捕えようとする。ヴェーロは後方へと振り向き、口から放った火球を灯花へとお見舞いした。灯花は、蔦を吹き飛ばされ四散しさんする。

「ごめんね、みんな……緋色……」

「きゅん……」

 ヴィーヴォの悲しげな声が聞こえる。

「大丈夫だよヴェーロ。早く、兄さんのところに行ってあげよう」

 そんな彼を慰めたくて、ヴェーロは小さく鳴いていた。そっとヴェーロの頭をヴィーヴォがなでてくる。

「きゅん……」

 ヴィーヴォの言葉が嬉しくて、ヴェーロは眼を細めていた。

 お母さんには悪いことをしたと思っている。でも、お父さんを放っておくなんてヴェーロにはできないのだ。

 抱きしめてくれたポーテンコのぬくもりを思いだす。飛び立つ自分を見つめて、悲しげに微笑んでいた彼の姿を。

 温かな、お父さん。優しかったお父さん。そんなお父さんを、見殺しにはできない。

 りぃん。

 不意に、ヴェーロの耳朶に聞きなれた音がする。それの音がヴィーヴォが吐いた灯花の旋律せんりつだと分かった途端とたん、ヴェーロは眼を見開いていた。

 

 こちらに、おいで――

 おいで――

 

 灯花が、ヴェーロに囁きかけてくる。

「きゅん……」

 困惑したヴェーロはヴィーヴォに鳴き声を発していた。

「ヴェーロ、灯花たちのところに連れて行って……」

 ヴィーヴォの声が聞こえてくる。その声に応えるべく、ヴェーロは大きく翼をはためかせ、声のする上空へと飛んでいった。

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