第百二十六話『全てを終わらせるための一撃』其の二


「俺の相手をお前がするのか」

「ッ――――」


 身を穿つほどの視線に思わず息を呑む。

 振り向けば、全身を殺意で充満させた軍人がそこにいる。



「出来るものならば、やってみろ」



 ドッと北村が迫り来る。

 懐に入られるのと同時、右手の軍刀が翻る。

 そこかや放たれるは左下から右上への切り上げである。



「「ッ――――――!!!!」」



 結果は樋田の髪が僅かに切り裂かれただけ。

 両者は同時に驚愕する。

 それぞれ北村は攻撃をかわし切られたことに、樋田は攻撃をかわし切れたことに。


「ははッ」


 二ヶ月前の樋田ならば今の一撃で間違いなく致命傷を負っていた。

 されど、これまでのコンマ一秒を争う死闘の数々が、彼の反応速度をほんの僅かなれど確かに底上げした。そしてそのほんの一瞬すら、互いに命を削り合う殺し合いの中では生死を分かつ大きな要因となる。


 樋田は集中していた。

 これ以上ないくらいに神経を研ぎ澄ましていた。

 北村の打撃を防ぎ、斬撃をかわす。全ての攻撃をそれぞれ最良のタイミングをもって、最善の動作で処理していく。


 ――――イケる。このままコイツを足留め出来ればッ。


 北村が得物を軍刀から銃剣に切り替えた瞬間、樋田は大振りの蹴りを放つ。されど北村はこれを避けることなく、銃剣を盾に受け止める。むしろ彼は樋田の蹴りを利用して、一度大きく後ろに飛んで見せると、



「『穿性付与せんせいふよ』」



 直後、銃剣に彫られた溝に光が走る。

 明らかな大技の気配、しかも得物は銃。

 嫌な想像を浮かべた樋田は、反射的に身を低くしながら斜め前方に飛び込もうとし、


「ッ――――――――!!」


 しかし、北村が狙ったのは樋田ではなかった。

 彼が銃口を向けた先は、晴が中に乗り込んでいる『砲』の方であった。


「クソヤロォオオオオオオオォオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!!!」


 樋田の叫びなど無視し、引き金は引かれる。

 銃口から放たれた数発の弾は白光を纏いながら、通常の弾とは比べものにならない速度で宙を突き進む。そのまま『砲』の分厚い装甲に突き刺さり、当然のように反対側まで突き抜ける。


 ここからでは『砲』の中に潜り込んでいる晴の様子は分からない。

 それでも銃弾が兵器を貫通すると当時、その中から僅かながらに苦悶の声が上がる。


「よそ見とは随分余裕だな」


 思わず晴の方に意識を奪われた刹那、北村は一気に樋田との距離を詰めてきた。得物は既に銃剣から軍刀へと持ち替えられている。繰り出された刺突は樋田の喉元を狙っている。紛れもない絶体絶命の危機。されど――――、


「ッ――――!!!!」


 首を貫こうと突き出された北村の一撃、樋田はその軌跡に自らの左手を割り込ませる。

 当然、ズブリと刃が掌を貫く。

 されど樋田は構わず掌を押し込み、そのまま軍刀の鍔を鷲掴みにする。続いて空いた右手で北村の二の腕をガッチリと掴み取る。


「何のつもりだ」


 一見樋田が北村の動きを封じた形だ。

 しかし、掴み合いの状態となって、有利になるのは軍人として武道を修めた北村の方だ。北村が疑問を隠し切れない中、樋田は構わずに天使化を開始する。


 血肉で象られた実体から、『天骸』で象られた仮初の天使体へ。頭上に赤の天輪が浮かび、背中からは四枚の翼が――――、


「無駄足掻きはよせ」


 当然そこで北村は『阻害』の術式を発動する。

 たちまちに『天骸』の流れは乱され、樋田の天使体はまるで映像を逆再生するように元の状態へと巻き戻っていく。


 しかし、彼の表情が絶望に曇ることはない。

 そこにあるのは殺意のみ。殺したい相手を確実に殺すため、勝利までの道程を堅実にこなす冷静な殺意であった。


「確かに、アンタは俺より強い」

「ッ」


 樋田の『統天指標メルクマール』――――術者や術式に触れることで、能力の制御権を奪う正体不明の力が発動する。

 瞬間、北村が発動した『阻害』の術式は効果を失った。それどころか、まるでアメーバが這うように、触れ合った肌を通じて北村から樋田へ術式が移動していく。


「だからよ、そろそろハンデはなしでもいいよな」


 奪われた『阻害』の術式が、今度は樋田の手によって発動する。

 北村の『天骸』が乱れた以上、これでしばらく向こうは『阻害』の術式を使うことが出来ない。即ち、今だけは四翼の天使として全力を出すことが許される。


 その可能性に思い至ったのか、北村は蹴りで樋田の拘束を引き剥がす。

 しかし、もう遅い。天使は既に頭上に天輪を下ろし、背中の翼槍を力強く振り上げているのだから。


 そこからの樋田はまるで獣であった。

 背の翼槍を振り下ろし、しかし次の瞬間には既に右の拳を撃ち放っている。翼、翼、右腕、翼、左足、右腕、翼。車懸かりの陣を彷彿とさせる怒涛の連続攻撃を前に、流石の北村も防戦一方にならざるを得ない。


 軍人は突き出された翼の槍を軍刀でなんとか受け流す。

 されど致命傷になり得る翼撃を捌くのが精一杯で、四肢による打撃までは流石に手が回らない。

 一分ほど攻めて攻めて攻め続けて、殴って蹴って叩きつけて。

 四翼による猛攻は北村の得物を打ち砕き、更には脇腹に決して浅くはない傷を刻み込みもする。されど――――、



「……アンタ、イカれてやがんな」

「時間、切れだッ……」



 それでも北村は倒れなかった。

 絶好のチャンスであったにも関わらず、倒し切ることが出来なかった。


 彼の言葉通り、こちらが奪った術式は既に効果を失ったのだろう。

 再び『阻害』の術式が発動される。


 得物を失った北村は当然拳を握りしめ迫り来る。

 樋田もまた天使化を解除し、胸の前で拳を構える。


 北村からの初撃は左のストレート。

 しかし、それはフェイントであった。

 続け様に撃ち放たれた本命の正拳を、樋田は肘で阻む。

 骨に響く痛みを噛み殺し、樋田は北村の脇腹に手を伸ばす。

 傷口に指を突っ込み、瞬間的に中身を掻き回す。

 北村が思わず激痛に怯んだ刹那、すかさず右の拳を鳩尾に叩き込む。


「グァッ……!!」


 殺し切れなかったとはいえ、あれだけダメージを与えたのだ。

 北村は明らかに弱体化していた。

 先程までの精密機械の如きキレは最早どこにもない。

 実際それまで防戦一方であった樋田が、カウンターの形とはいえ反攻に出れる程なのだ。


 ――――やれる、このまま押し切れるッ……!!


 北村は今の一撃で大きくよろけた。

 大振りを叩き込める折角の隙を見逃すわけにはいかない。

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