第百十六話『力さえ手に入ればそれでいい』其の三


 こんな状況にも関わらず、樋田は思わず微笑みそうになる。

 嗚呼、彼女の叫ぶ理想の結末は美しい。そんな風にこのクソッタレな出来事を終わらせられたらどんなに素晴らしいことか。

 実際その言葉は嬉しかった。

 これまでの苦しみが全てが吹き飛ぶ気持ちであった。


 しかし、だからこそ悔しい。

 悔しくて、情けなくて、仕方がない。

 今の自分には彼女の言葉に一言応と応えてやる余力すらないのだから。


 ――――無茶、言いやがって。


 それでも樋田は今度こそ取り落としたマガジンを握り締める。

 女にここまで言わせてしまったならば、もう男は立ち上がるしかないではないか。

 樋田も生きたい。アイツのためにも死ぬ事はできない。

 二人でこの戦場を生き延び、二人で元の日常に帰りたい。


 ――――だがな、その無茶に応えてやらなきゃ何も守れねえだろうがッ……!!


 そのためには戦わなくてはならない。

 だから、腕の皮膚が爛れたことも、体が内側から穢れに犯されていることも関係ないのだ。

 二人で戦って、二人で帰ろう。

 その言葉を胸に樋田は体に鞭を打つ。


「俺ァ、負けねえ。絶対にだ……ッ!!」


 全身に激痛が走るのを無視し、内蔵が悲鳴を上げるのを黙殺し、そうして樋田可成は再びその場に自らの足で立ち上がる。



「だから、一緒に生きて帰るぞ漢華ァアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!!!!」



 その瞬間、ドクリと心臓が

 いや、心臓ではない。もっと樋田可成の根本を司る大切な何かが躍動したのだ。まるでそれまで見えなかったものに急に気付いたようなそんな奇妙な感覚であった。


 ――――……なんだ、こりゃ。


 ドクンと、再び体の奥底の何かが大きく跳ねる。

 彼の世界からは既に音と色が消えていた。

 急に体が燃えるように熱くなる。

 既に『天骸』はほぼ尽きていたはずだったのに、全身にみるみる力が漲っていく。溢れ出す『天骸』は赤雷と化し、少年の周囲を慌ただしく駆け巡る。


「オイ、一体何が起きてやがる……?」


 そこでようやく草壁も樋田の異変に気付いたようであった。

 そして、瞬時にその正体を悟る。それもそのはずだ。今樋田に起きている現象は、草壁もつい数ヶ月前に経験したばかりのことなのだから。


 上手く言葉に出来ないが、まるで世界と一体化していくような感覚であった。

 今の自分ならばなんでも出来そうだという、根拠のない自信と万能感が雪だるま式に膨れ上がっていく。

 本人は未だ気付いていないが、その眼は元来の黒から燃えるような赤に変わり、元々黒かった髪にも攻撃的な朱色が混ざり始めている。


 自らの身体に今何が起きているのかは分からない。

 まるで自分が自分でなくなっていくような感覚に恐怖を覚えなかったと言えば嘘になる。

 だが、そんなこともすぐにどうでもよくなった。

 とにかく力が欲しい。

 全殺王を殺し、秦漢華を守るだけの力が手に入ればそれでいい。

 そのためならば、自らが人であり続けることにすら拘らない。


 そもそも最初からおかしかったのだ。

 何故異能を少し齧ったに過ぎない樋田が一瞬でも全殺王に対抗することが出来たか。

 はじめから全殺王の権能を把握していたからとか、松下の異常聴覚によるサポートがあったからとか、そんなことは本当は些細な要因に過ぎないのだ。

 秦漢華を救うと決めたとき、樋田の体には明確な変化が起きていた。

 勝つべき戦いに勝つために、そして守るべきものを守るため、少年は知らぬ間に新たな扉を開いていた。正しくは彼は変化したのではなく、人の枠組みを超えた新たな段階へと昇華したのだ。


 血肉で象られた真の肉体から、『天骸』で象られた仮初の肉体へ。

 ズゾゾゾソゾと、樋田の背から飛び出すは

 赤く、黒く、禍々しく。まるで炎のように輪郭が不安定に揺蕩っている。

 猛々しく暴れ回る赤雷はやがて収束し、少年の頭上に超常の証たる天輪を形成する。


「ふざけんなよッ!! こんな土壇場でッ、こんなことあり得るはずがッ――――」

「オイ」


 冷静を奪われたせいか、あの全殺王ですら一瞬反応が遅れた。

 樋田は生えたばかりの翼を羽ばたかせ、飛び上がり、一瞬で悪魔の背後に回り込んでいた。

 その禍々しい四翼を鞭のようにしならせ、力任せに叩きつける。叩き付け、一瞬だけ止め、そのまま一気に殴り抜ける。


 ビキビキと頭蓋のひしゃげる音がした。

 草壁はろくに防ぐことすら叶わず、そのまま砲弾のような速度で斜め下に叩きつけられる。


「……可、成くん」


 秦漢華は白い息を吐く。

 荒々しい黒炎の如き翼、思わず恐怖を覚えるほどに攻撃的な赫の瞳。

 少女はその全てに目を奪われる。


 その日、樋田可成は人としての枠組みをかなぐり捨てた。

 全ては一度暗がりへ転げ落ちた少女を、もう一度日のあたる場所へ返すために。

 そうして、新たな一柱の天使が人の世に降り立った。



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