第百八話『もう後悔はしない』其の二


「なっ、なんですか今のはッ!?」


「あはっ♡ ビックリしちゃったぁ? やっぱ手品にちゃんと反応してくれると嬉しいわねぇん」


 想定外の攻撃に松下は思わず慄く。

 彼女の記憶の限り、アエーシュマが雷を操るという伝承を目にしたことはなかったからだ。


 確かに神話で語られるアエーシュマと、目の前のアエーシュマは百パーセント同じ存在ではない。

 伝承はあくまで伝承。現代に至るまでに失われた史実があれば、後の人々が想像で付け足しただけのフィクションも多分に内包する。


 ――――まあ、そのことを踏まえてもアエーシュマと雷とか違和感しかねえんですが。これは恐らく、史実と伝承の差異だとか、そんな小さい齟齬じゃねえですね……。


 改めてよく考えてみれば、そもそも目の前の悪魔と伝承上のアエーシュマとは明らかに姿形が異なる。

 毛むくじゃらの体に血塗られた武器。悪魔アエーシュマを象徴する最大のファクターすら、目の前の化け物には含まれていない。


 そして、そこで更なる決定打があった。

 松下が目ざとくも注目したのは、アエーシュマの指にはめられた黄銅色の指輪である。

 はじめは指輪など気にも留めていなかった。それでも事ここに至れば、それは松下の仮説を裏付ける何よりの証左となる。


「……なるほど。アンタはアエーシュマはアエーシュマでも、大分アスモデウス側に寄った存在なんですね――――ならその力はソロモンの指輪ってとこですか?」


「ブッホホホホホホホホホホホッ、せいか〜〜〜〜〜いッ♡ でもでも、種明かし前に全部言い当てちゃうなんて、本当につまんないガキねアンタッ。もしかしてこれが流行りのさとり世代ってやつなのかしらん?」


 これ見よがしに指輪を見せびらかすアエーシュマに、松下は心底忌々しそうに舌を打つ。


 視点をゾロアスターの外に拡大すれば、すぐに分かることであった。

 まず前提として現在ユダヤ教の悪魔アスモデウスには、その起源をアエーシュマに求める学説が存在する。恐らく今日に伝わる神話上のアエーシュマとアスモデウスとは、双方共にこの悪魔というから生じた伝承なのだろう。


 ――――ソロモンの指輪、まさかこの世界にはそんなものまで実在してやがるとは……。


 そして、ソロモンの指輪。

 それは大天使ミカエルが、ユダヤ王ソロモンに授けた鉄と真鍮の指輪である。そしてこの指輪をはめたものには、ありとあらゆる天使・悪魔を使役する力が与えられるとされている。


 当然アエーシュマとは何の縁も所縁もない品だ。

 しかしその一方、アスモデウスにはソロモンからこの指輪を一時的に奪い取ったというトンデモナイ伝承が残されている。


 ――――それでも、指輪は最終的にソロモンが奪還したはず。あるいは神話にそう記されただけで、実際はアスモデウスが所有し続けたということでしょうか……?


 数千年前、実在したアエーシュマとソロモンの間で何があったかは分からない。

 それでもコイツがアエーシュマのみならず、アスモデウスとしての側面も有しているのならば、その手にソロモンの指輪があることにも納得がいく。

 

「あらあらぁ怖い顔。まあ流石にオリジナルじゃないけどねん。『悪魔の鎖骨レメゲトン・レプリカ。アタシがソロモンから本物を奪ったときに、その力の一部を再現して作っただけの擬似聖創ぎじせいそうだから――――」



 松下が眉間にシワを寄せるのとは対照的に、アエーシュマはニヤリと黄ばんだ歯を露わにする。


「まあ、こんなレプリカでもソロモン七十二柱の悪魔達から力を借りるぐらいのことは出来るんだけどねんッ!!!!」


「――――ッ!!」


 指輪の輝きと共に腕を一振り。

 ただそれだけで手から超火力の炎が生じ、中庭の緑をことごとく黒く燃やし尽くす。


 それでも炎は松下のいる場所にまでは及ばなかった。偶然ではなく、明らかに故意的であった。

 圧倒的な実力差を背景に、弄ばれでもいるのは言われずとも分かった。


「畜生、ふざけやがってッ……!!」


「あっはっはっはっはぁッ!! ホラホラ、死にたくなかったら頑張って逃げ回りなさい。でも、まだたかが二柱分。ソロモンが使役した悪魔は七十二柱なんだから、これくらいで一々驚いてたらこの先もたないわよおおおおおおおッ!!」


 アエーシュマは完全に興奮していた。


 自分より弱い存在を一方的に叩き潰す。

 夢見がちなクソガキに現実というものを教え込む。

 これからの可能性に溢れたガキをブッ殺し、その未来全てを奪い去る。

 その身に悪を使命付けられたダエーワにとって、この一方的な戦いはこれ以上ないほどに愉快なものであった。


「アンタ本当バッカねえッ!! あんな女のこと見殺しにしとけば、このアエーシュマ様に殺されることもなかったのに。だーけーどー、後悔したところでもう遅いインンンン――――」


「ハッ、後悔なんざするわけねえだろクソブス」


「ああん……?」


 実力差は歴然。

 松下希子が魔王アエーシュマに勝つ可能性は万に一つもない。


 しかし、それでも少女は強気であった。

 その瞳から未だ光は失われていない。むしろ目の前の悪魔を嘲笑するように、右の眉をつり上げる。


「負けるかもしれないから、殺されるかもしれないから。だから後悔するとでも思ったんですかァ? ハッ、浅っさい浅っさい。アンタら悪魔のクソ浅ましい尺度でこの松下希子を測らないでくれますかァ?」


 松下はそう吐き捨てながら、頭の片隅で二週間前のこと――――カセイ先輩や筆坂ふでさかさんと戦った日のことを思い出していた。


 あの日も自分はこの学園の中で戦っていた。

 紗織を救うためという免罪符に身を委ね、自分に手を差し伸べてくれた人達を殺そうとまでした。


 ――――本当、たった二週間前のことだってのに、黒歴史しすぎて死にたくなりますよ……。


 他に方法がないのだから仕方がない。

 人を殺し、その罪を背負う覚悟ならば出来ている。

 松下はそうやって自身を正当化しつつも、結局最後まで自らの行いを正義だと認めてやることは出来なかった。


 後悔をするとは、そういうことだ。

 でも、今は違う。


 少女の心に一切の迷いはない。

 今の松下はあのときの松下とは違う。免罪符も後悔もなく、純粋に紗織を守るために戦えるのだから、迷いなど抱くはずがない。


「……アンタらみたいな犬畜生には一生分からねえだろうな。テメェで正しいと胸張って言える道を進んでんなら、例えそれで死のうがそこに後悔なんてねえんですよッ!!」


 松下は吠え、得物の双剣を両手に構える。

 竦まず、怯まず、決して慄かず、倒すべき敵をただ真正面から睨みつける。



「オラオラどうした、かかってきやがれクソブサイク野郎ォオオオオオッ!!」


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