石炭と水晶 或いは百万丁の花嫁
小稲荷一照
石炭と水晶 ~PROLOGUE
共和国東部国境陣地線本陣 共和国協定千四百三十五年冬
当直士官の声が厚い天幕のむこうでくぐもって聞こえる。
「将軍。申し訳ございません。お伝えしたいことがございます。マイゼンの目が開きました。将軍を呼んでおります」
天幕に連れ込んでいた情婦と寝ていた将軍は飛び起きる。
「分かった急ぐ。ただし、先触れは、出すな。その様に伝えろ。騒ぎになると、困る。絶対に味方にも悟らせるな。事静かに進めろ」
「心得ました。事静かに、と」
そう答えると伝令に現れた士官は連絡と移動の手配のために戻っていった。
情婦に身支度を手伝わせ、彼女にはそのまま休んでいるように制すると将軍は急ぎ発った。
天幕を出ると幾重にも芝や灌木で無理やり覆ったミミズのような泥の丘が広がっている。いくらかは半分水没しているのがいまはまだ月明かりで入江のように見える。
小高い丘から眼前に広がる複雑に入り組んだ永久陣地はもはや人工地形なのか湿地なのかの区別もつかないが、間違いなく危険な戦争装置だった。
「此度は何であるやら」
陣屋を出ると将軍と呼ばれた男はつぶやいた。
塹壕と言うにはやや作りの良い地下壕に入ると歩哨の声が掛かる。
「ミレノフ将軍。御登陣」
陣内の動きは外の静けさ中の人の少なさに対して慌ただしかった。
陣屋の中の人は、ひどく少ない。
だが装置に張り付いて色々と薬液を調整している技官の緊張が満ちている。
バタバタと走り回っている技官達は機械からの声に従って部屋から追い出された。
参謀総長、兵站参謀長、作戦参謀長。連絡参謀長。
将軍のほかの参謀長四人だけ。
実務参謀や部隊指揮官はいなかった。
副官のバルマス中佐が呼ばれていない。
彼は知略優れた現場士官だが、騒がしい高級士官としても知られていた。
あとは技術士官だったが、彼らは機械自身の指示で追い出された。
そういう種類の危険事態であった。
「まだ分かっていることはありません。さきほどマイゼンの目が開きました。おそらく決定的ななにかを見てしまったようです」
連絡参謀長が説明する。
「破滅か」
「これまでの例からすれば、おそらくは」
「いまヤツは逃げ道を必死に探しているわけだな」
マイゼンの目と呼ばれるモノは共和国の魔導の精華だった。
鉄の台座の上に設えられた真鍮製の円筒状の高さ三キュビット直径一キュビットほどの円筒形の歪んだ時計と楽器を組み合わせたような機械の中心に窓が開いている。
その窓が目と呼ばれる部分だ。
「ミレノフ将軍。残念な知らせがある。キミの決断を迫る必要がある」
楽器のような部分から、耳障りな声に聞こえないこともない音がする。
「今回はなんだ」
「我らは詰んだ」
ミレノフ将軍は一瞬息を呑んだが作り物の声に笑うように尋ねる。
「なんだ。藪から棒に。いつもの予言はどうした。選択肢があるのが、オマエの預言の良いところではないか」
「今回ばかりは命を拾って英雄を掻っ攫うのはムリだ。国か。我らかだ。我は、いずれにせよ死ぬ。それは既にかつて魔導の極みを望んだ上で分かっていたことだ。いまは貴官の存念を聞きたい」
「俺の覚悟をなめているのか」
「閣下の存念を聞きたい」
「……我らが詰む道を選んだとして共和国は勝てるのか、負けるのか」
「なにを勝ち負けと言うかによる」
「共和国の国境線はどうなる。たとえば、ギゼンヌ・ペイテル・アタンズといったあたりの地域は」
「我々が倒れることで、そして閣下がいくらかの手配りをすることでおよそ四十年持ちこたえる。その後の動きはよく見えない。おそらく我が血脈が途絶える」
ミレノフ将軍は天を仰ぐ。
「なにが起こるか、具体的に説明ができるか」
「説明はできるが、方法まではわかりかねる」
「説明してくれ」
「リザール城北西部山岳域帝国軍領側から、共和国側陣地本陣にめがけて土石流が押し寄せる。結果として我々の戦力の四万程度が陣地を失い連絡を取れない状態になり、事実上の無抵抗生き埋めのまま殺されることになる。しかし結果として、そのことが引き金となって、共和国で大きな反動を引き起こし共和国を勝利へと導く。前提条件として、このあと増援に来るワージン将軍には南方で戦線から離れて貰う必要がある。また陣地放棄命令を新たに起草する必要がある。これは間に合わないかもしれない。来援に来るはずの参謀に渡す必要があるが、魔導の資質が強すぎて読めない。アシュレイ少尉もギゼンヌに下げておいたほうがいい。邪魔だ」
「あのジャジャ馬か」
思ったよりも具体的で現実味がありまた深刻な内容にミレノフ将軍は目をつぶったまま先を促す。
「我らが生き残る道を選んだとしてどうなる」
「我は生き残れない。移動の途中で事故により破壊される。貴官は最長三年後、三十万の敵と対峙することになり、連戦の末に敗死。共和国軍は防衛線の再編成に間に合わず、キンカイザ・軍都を失陥し瓦解する。それが我々がここで敗死を決断しない場合の共和国のもっとも長い歴史だ」
「ふむ。つまり。オレが選べる道は、英雄ならずとも、国のために死ぬしかないというわけだな。なんともはや。心躍る話だな。そのときにオマエに仕事は未だあるのか」
「ある。私もかつては大魔法使いと呼ばれた者だ。死ぬと分かっているならやってみたいことの一つや二つはある」
楽器のような部分から、耳障りな声に聞こえないこともない音が笑うように答えた。
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