リザ二十才 2

 ホライン少佐との懇親の後はリザと連れ立って町中をブラブラと散策した。

「ホライン少佐はなにやらひどく好意的だったね」

 マジンはジューススタンドで林檎のジュースを二杯頼んで、ガラスのコップをリザに渡しながら言った。ガラスのコップは林檎の澱で白茶けて薄汚れていたが、ジュースは香りと酸味が程よく美味しかった。

「ま、私が一回生の時の行軍演習の八回生の先輩で、私の栄光の出世街道の最初の上司だからね」

 マジンはちょっとした婚前旅行のつもりでいたから、リザが寛いでいるのを見るのは気分が楽になった。

「しかし本当に大尉なのか。百人も二百人も部下を持つようには見えないな」

「セラムにはそんなこと言わなかったくせに」

 からかうように言うマジンにリザは口をとがらすように抗議した。

「ま、彼女のことはまだよく知らないからな」

「彼女は随分馴染んできてたみたいだけど」

「お前はもう少し素直に馴染んでくれればな」

 マジンはそう言って飲み終わったコップをまとめてスタンドに返した。

「かなり馴染んでると思うわよ」

「体がとか言い出したら叩くよ」

 軽口を叩くリザに軽口で返せることにマジンは微笑む。

「叩いてもいいけど、そしたらその辺の連れ込みで朝まで介抱してくれるんでしょうね」

「なにを……。本気か。けど連れ込みって。お前の部屋じゃダメなのか」

「え。……。やだ。近所独身のお母さんたちばっかりなんだもん。声聞かれたら恥ずかしすぎる。偶にすごい声だしている人いて、ほんとに美人さんなんだけど。もうなんていうのか、自分もあんな声出してるのかと思うといたたまれなくなる。……あ。もう。なんか。ああ。もう。いきましょ。セントーラとかあの子達とか旅の最中は気になっておへその奥がもぞもぞする感じして困ってたの。も~ダメ。連れ込みで朝まで突き回してちょうだい。この時間からなら間違いなく綺麗な部屋が空いてるし、すっきりしたら食事して別の部屋にはしごしてもいいわね」

 奇妙な成り行きと妙に馴れた口ぶりでリザが云うのにマジンは渋い顔をする。

「宿に連絡したいんだが」

 リザはそういったマジンの顔を泥を頭から被ったような目で眺めると鼻で笑った。

「本当にそういうところ。いやね。アナタ。制服じゃなくて軍都じゃなければ今の一言でいきなりここで服脱いで大声出してやりたいくらいムカつく」

「そんなことをするのはどんな格好でも他所の町でもやめてくれ」

 マジンの弱り顔を見て満足したのか、白い息が出るほどの大きな鼻息をついてリザは唇だけ笑いに歪めた。

「ま、いいわ。あなたの言うことは尤もだし、機関車をいつまでも大本営においておいたら変な噂の元になる。そうでなくても目立つのに」

「機関車。まずかったか」

「まずいというか、まずい事にしたい一派がいるのは間違いないの。って言っても実物がともかく少ないから、具体的にどうするってわけじゃないけどね」

「具体的にナニがアルってわけじゃないならいいんじゃないのか」

「緒戦で大損害を被った事実上の敗北と劣勢のままにあるこの状況を、自分の思うままにしたいのは私だけじゃないのよ。アナタ。救国の英雄ってやつに憧れる人達は意外と多いの。実力の有無は別にしてね」

「ひょっとしてボクは政治の面倒に巻き込まれたか」

「それは私をベッドに首輪で繋がなかったせいね。常識とか運命とか難しいわね。本当」

 皮肉にリザは笑う。

「連れ込みとかよりはもうちょっと別のところでふたりで話すべきだな」

 マジンはそう言って大本営の馬止に向かう。

「今日はもう真面目な話はいやよ」

「口から子供が生まれるほど子種を仕込んでやるよ」

「それは楽しみ。あ。もうやだ。手をひかないで。そんな急がないでもいいでしょ」

 大型犬に牽かれるような歩き方でリザが抗議するのをマジンは構わず手を引いて歩く。

 運転席についたマジンが不思議に思ったが、リザは後ろの席に這い込んだ。

「もう、やめてっていったでしょ。ほんと冗談じゃなくて結構キテるんだから」

「どうした」

「あぁあぁ。もうリネンぐしょぐしょ」

 そう言ってリザが胸元をゆるめるととたんに車内が乳臭くなった。

「ああ。乳が張ってたのか」

 後ろの窓の外を鏡で見るついでにリザの様子を確認しながらマジンは言った。。

「もうホント、あなたといると私壊れちゃうんだから、あんまりドキドキさせないで」

 リザは張った乳を自分で絞りながら甘えた声で抗議をする。

「やっぱりお前の部屋に行こう」

「やよ」

 きっぱりと声を変えてリザは拒否した。

「着替えあるんだろ」

「そりゃ、あるけど」

「新しい服と下着を買ってやってもいいけど」

「バカね。そっちの提案が先よ」

「明日どうするんだ。結構香っているぞ」

「服買ったらキトゥスに寄りましょ。あの子達の様子も知りたい」

 軍都は全く物価は安くなかったが、全体に品質も相応に高く商売全体が良い意味での緊張を維持できているようだった。

 女性用の下着も実用一辺倒から絹や毛皮を使った飾りのようなものや金糸や宝石で飾り立てたものまである。

 多くは太腿まで覆い、ひざ上までの長靴下と組み合わせるものだったが、中にはどう使うのかわからないものも多かった。

 リザは店内の接客室で服を脱ぎ捨てると姿見の脇にマジンを座らせ、産後のたるみの消えた体を見せびらかすように服と下着を選んでいった。

 リザの体は育児でふくらんだあちこちと日々の鍛錬の筋肉とが奇妙なメリハリをみせていて、芸術的な裸婦像の流線というよりは、少年像のような細くなめらかな筋肉美に乳房や太腿の丸い脂肪を貼り付け改造を施したような奇妙にアンバランスな雰囲気で、どこか肉食獣のような薄さを感じさせた。

「見てこれ、おっかしいの。しゃがむと尻ペタを割ってくれる下着なの。ユニオンスーツと組み合わせるとスーツが汚れないんですって。でも前かがみになるだけでお尻の肉が割れるから、どう考えても別の用途用よね」

 そう笑いながらリザはマジンに背を向け尻を晒してみせた。

「気に入ったならそれも買っていいよ」

 ウサを晴らすようなリザの買い物を眺めながら、目の前の扇情的なリザに欲情するのとはまた別の奇妙な感覚にとらわれていた。

「――なあ。学校の見学は明日である必要はあったのかい」

「ん。ああ。気がついちゃった?とくにないわ。アタシの都合ってのもちょっと違うわね」

「そうしたら、一日ずらせないかな。明日あいつらと町を少し歩きたい」

 リザは半裸というのも物足りない絹や革の帯紐で性を飾ったような扇情的な格好のまま、我に返ったような顔をした。

 そして怒ったような顔のままマジンの唇を貪って一方的に味わうようにして離れた。

「あなたのそういうところが嫌い」

「学校の見学なんて予約いるのか」

「ま、別にいらないわ。校長は暇ってことはないだろうけど、忙しかったら正直仕事にならない仕事だし」

 そう言いながらリザは性器や乳房を強調して矯正するような下着を覆うその上の層を選び始めた。赤紫を基にした下着の上に山吹色を基にした内着の層を重ね若葉色をさかね深緑のレース地のドレスに至る。

 胸元や腰回りに花を思わせる幾何学模様の窓が空いたドレスは一旦形にした絹の布の目を寄せたり切ったりしながら形を作ったもので職人が三年がかりで作ったものであるらしい。立体織機でも似たものはできるが、最初の計算や設計の面倒臭さを考えれば出来れば真似をしたくない種類の作業で職人の手際と執念を感じさせる作であった。

 その上に顎の下まで襟の詰まった風を通さない厚手の透かし織の菫色の羽織をあわせてリザは求めた。

 色柄や織り目の作風の違う物を幾層か重ねて着るのが今の軍都での流行りであるという。

 それぞれ産地が異なり、元来別の合わせ方をするものを、軍都では別の組み合わせで使っている。

「なぁ。それ洗濯大変そうだけど胸は大丈夫なのか」

「ん。ああ。おっぱいの話?大丈夫。一番下の下着もその上も大人のお楽しみのためじゃなくて、私みたいな育児中の女性のためのものなんですって。フェルトの座金みたいなのも下着に合わせたものであちこち動かないし、乳首も擦れないようになっているからだいぶ楽。胸に当ててるおむつは紙製で使い捨てにするんですって金木犀の香りね。ちょっと贅沢だけど、あと半年もないからいいわよね」

「下着も体に合ってよさそうなら余計に買っていいよ」

「そうさせてもらうわ」

「で、どうなんだ。明日」

「んん。別にやめてもいいけど、私が思っているくらいセントーラが有能なら今更慌ててもしょうがないわよ。きっと」

「どういうことだ」

「帰ればわかるわ。そのときに明日のことは決めましょ。セントーラが有能だったら、明日の変更は無し。明日一日私が余計なことを考えないでいいくらい朝までたっぷり楽しませること」

 幾つかの服の調整で待っている間、長椅子に腰掛けて様子を眺めていたマジンの膝に頭をあずけるようにしてリザは命じた。

「別にいいんだけどな。子供ができちゃうのは平気なのに、結婚は嫌なのか」

「嫌。でも、百万丁と二億発で身請けされてあげるわ。そしたらもう、子供産んでる時以外はずっと繋がって過ごすのよ。あなたの子種が枯れてもずっと繋がっているの」

「どうしてそこまで思い詰めているんだ」

「どうしてって言われても。あなたが私の見えるところにいるのに、私の相手以外の他のことしているのなんていやよ。そんなの」

 そう言いながらリザはマジンの股間に鼻を埋めるようにするとズボンの前をゆるめ、先程から伸びたり縮んだりを繰り返している陰茎を取り出し口で味わい始めた。

「おい」

「なによ。あたしばっかり楽しんでるような保護者面しちゃってさ」

「買ったばかりの下着が汚れるぞ」

「まだ買ってないけど、いいのよ。もともとこの部屋は金持ちが試着中に盛り上がっても他の客に迷惑にならないように設けているものなんだから。この部屋入るだけで安い服買うくらい取られているわよ。袖を通しただけでも幾らかね」

「そうなのか」

「ちょっとした逢引の定番ね。一見だと知らないけど、奥様への贈り物の見繕いと称して一人でいらっしゃってお楽しみになる殿方や、そのときに接客した店員を紹介されて後日奥様に隠れてお雇いになる方もいるらしいわよ」

「何だそりゃ」

 呆れたような顔をしてしまったマジンにリザがいう。

「ここだけってわけじゃないわよ。それに軍都だけってわけじゃない。ヴィンゼくらい田舎だとあるとも思えないけど、デカートにもあるわ。……知らなかったって顔ね。女買えるのは別に酒場だけじゃないし、女がお屋敷に潜り込むハシゴもいくらもあるわ。宝飾品店や美術品店なんかは女一人で入れちゃダメよ。女が散財するのももちろん不安だけど、そういうところの店員はだいたいツバメ。彼ら自身も売り物だから」

 口で張りをもたせた亀頭の匂いをかぐようにしながらリザが説明した。

「なんか、お前妙に詳しいな」

「憲兵隊の調査に協力したことあるの。ああいうところだと女性はすぐ顔が売れちゃうから、美人とか有能とかだと現場は長持ちしないらしいのよね」

 陰茎を振子人形のように弄びながらリザは言った。

「危ないことはしていないだろうな」

「心配してくれるのは嬉しいけど、今の話どこかで試す気でしょ」

「ないとはいわんが、ボクに余計な知恵をつけてお前こそボクを試すつもりか」

「あなたが思いついたこと当ててみせましょうか」

 マジンの下半身がなにかを語ったというようにリザは頭をひねるようにしてマジンを見上げた。

「あなたは今、金勘定のできる人間の募集方法がわかった。と思ったでしょ。適当なところで若い男女を見繕って小さな商売を任せてみて使えるようなら大きく任せて、ダメならアナとサオでどこかに売りつければいい、とかそんなこと考えていたでしょ」

「そこまでしっかり考えちゃいないけどね。まぁ、そういうのもあるかとは思ったよ」

「私が手伝った件なんかだと間者が疑われていたからあんまりお薦めできないのかもだけど、人の件はちゃんと考えなさいな。狼虎庵の人たちとかよくやっているけど、そろそろ人を増やしてあげるべきよ。それに場合によっては彼らはもうちょっと別のところで働かせたほうがいい。彼ら学はないけど、目は持っているし、バカじゃないわよ。ま、そういう意味じゃお屋敷にいる人達にバカはいないわね。あなたツイているわよ。あれだけ適当にしていてバカが混ざってないなんて驚いちゃうわ」

 そう言うとリザは喉が渇いたとでも言うように陰茎にしゃぶりついた。

 マジンはリザの髪に指を這わせる。

「人についちゃ学志館の修了生を雇おうかと思っているよ。奨学生も幾人かツバつけているし、万全ってわけじゃないけど手は打っているんだ。でも、あれだな。そういうのもいいな。痛っ。……自分で言っといてまだナニもしてないことでやきもちを妬くなよ」

 リザは歯を立てたところを黙って舐めたが謝るつもりはないようだった。

「お客様。お直しが終わりました。袖を通していただけますか」

 リザは呼ばれ立ち上がる際にマジンの顔を眺めいたずらっぽく笑った。

 机の脇の茶は既に冷めていたが、気まずい雰囲気を覚まし、股間を落ち着けるには都合が良かった。店員が股間をしまっている間に現れたり声をかけたりということのなかったことにホッとしていると茶のおかわりを注ぎに現れた。高級店でそれなりに人間の教育がなっているなら、店内の客の動向の観察は当然に行われているはずで、それは善し悪しの分を超えたところで機能しているはずだった。

 気づかれていないはずもない。店員が適切な間合いで行動できるなら、当然だった。

 気まずさを胸の奥に仕舞いこみながら茶に手を伸ばすと先程はなかった紙片があった。

 表は店の紋章と住所店名が入った店の名刺なわけだが、裏に手書きで名前が書いてあった。マジンは手の中の名刺を懐に滑りこませた。

 リザの言葉を思えば、そういうこともあるのか。という程度の意味合いの感想でしかなかったが、知らなければ首をひねっただろうそれはマジンの興味を惹いた。

 デナ・ミマシロワと言うのがどの店員なのかよくわからないが、おそらくお茶くみの名なのだろう。とはいえ、女連れでというほどいきなりというほどに焦るわけではないし、相手もコナかけ程度の感覚だろうとは感じた。

「どう。あなたの言ってた胸とお腹の間のたるんでたところ直してもらったわよ」

 リザの体はメリハリがつきすぎているせいか、脇から腹にかけてドレスがたるんでいたのだが、僅かな時間でお針子が手を入れていた。それはレース地のドレスにとっては幾らかどころではない変更だったはずだが、ぼんやりとした幽霊かだらしない寝間着のようなシルエットという揶揄はできなくなっていた。

「よくなった。本当に待っている間に仕上がるとは思っていなかった」

「お直しだけで騎兵に使える馬が買えちゃうような値段だからね。すごい職人さんを雇っているのは知っていたけど。というわけでお支払いお願いできるかしら。あなた」

 百ダカート大金貨一枚では足りず、半端に銀貨の釣が出てくるのを半金貨の支払いにまとめて会計を済ませると二人は宿に戻った。リザはカウンターで朝までの大至急で制服の洗濯を頼むと全くあっさりと支払いをマジンに任せたが、それはもう嫌も応もなかった。伝票では早朝仕上げの一言があるだけで、料金の欄には特別増えていないことが不思議だったが、そういうものであるらしかった。

 離れに戻るとリザはアルジェンとアウルムの姿を上から下まで確かめるように眺めてから、マジンにニヤリと笑いかけた。

「ほらね。やっぱり有能だった」

 アルジェンとアウルムはセントーラとともに町中に出て、軍都の幾つかの店を回り買い物をして服や靴帽子などを買っていた。

 それは今しがたマジンがリザに買い揃えたような、むやみに高価なものではなかったが、当然にヴィンゼで買い揃えられるような種類のものではなく、デカートであっても流行とは異なるものであった。

「いかがですか。旦那様」

「うん。かわいい。ふたりとも、よく似合っている」

 娘達は父親がそういう返事をするのは最初からわかっていたが、それでもマジンが本心からそう思っているらしいことを理解してホッとした顔をした。

「――ありがとう。セントーラ」

 微妙に複雑な表情でマジンはセントーラに礼を述べた。

「どうなさいました」

 セントーラが何事かあったかとマジンに尋ねた。

「あ。いや。ボクがついてやりたかったなと」

「しょうがないよ。父様。用事あったんだし。お話はどうだったの」

 アウルムがあまり気にしていないような声で言った。

「ま、そっちは今のところ、上手く行っているのかな。心配はなさそうだ」

「よかった」

「学校の話もいろいろ聞いてきた。尻尾や耳を切るみたいな乱暴なことはないし、教官が指導と称して鞭で叩いたり蹴ったりという体罰もしていないそうだ。色々いざこざがないわけではないようだけれど、ひとまず表立ってお前たちの耳や尻尾が切られることがないということがわかってボクはホッとしている」

 そう言うと娘達はホッとした顔をした。

「明日学校に行って少し様子を見てこよう。セントーラ。頼むよ」

「かしこまりました」

「リザ様も」

 アウルムが期待するように尋ねた。

「もちろん」

 リザが力強く頷くと二人は明らかに安心した顔になった。

「学校はその格好で行くの」

 アルジェンが少し期待した顔で尋ねた。

「これは、このあとちょっと父様を連れて行きたいところがあって。一晩借りるわね。明日は軍服」

 そういったリザの応えにアルジェンはがっかりした顔になる。

「セントーラ。これを調べておいて欲しい。値段の見積もりがわかれば話が早い」

 そう言ってマジンは昨日の午後に書き留めた弾薬の箱にあったロータル鉄工の住所をセントーラに渡す。

「かしこまりました。ですが、旦那様」

「ゴメン。わかっている。口約束のなりゆき任せが多すぎるってことだな。その件で謝らないといけないこともある。次来るときに貨車いっぱいの銃弾と小銃を持ってくることになった」

「謝っていただかずとも結構ですが、手当と心当たりは算段があるのですね」

「結局、二三度軍都には往復する必要がある。お前は足を運ばないでいいが、代わりに、……まぁそういうことだ」

「全く謝って頂く必要はありません。ですが、出てくる前にも申し上げましたが……」

 セントーラはなにかを見透かしたように言った。

「わかっている。明日の晩話そう。今晩はすまないがリザと出かけてくる。ふたりをよろしく頼む。帰りは何時だかわからないが、学校の訪問には間に合うように戻っている」

「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ。くれぐれも明日のご予定に差し障りの無いように十分にご自愛下さい」

「わかった。行ってくる」

 子どもたちの元気な声とセントーラの見送りでマジンはリザと連れ立って離れを後にした。

「まるで姉に頭の上がらない弟ね」

 リザはニヤニヤとしながらマジンにそう言った。

「仕方がない。軍都はボクにとっては全く知らない土地だからな。少なくともセントーラはボクよりもここをよく知っているし、ボクもアイツを頼りにするつもりで連れてきた。色々あって出てくるのは嫌がったがね」

「ま、そうでしょうね。一見じゃ、あの離れには泊まれないわ。あなたにそんな知り合いを探す伝手も時間もなかったと思うし。セントーラって彼女何者なの。酒場女って風じゃないし、あなたどこで知り合ったの」

「酒場女。なわけだが、ボクも詳しい話は知らない。どこぞのいい家の子女だったのが酒場女に転がって、ボクのところに転がり込んできた、というところは想像もつくし、それらしい話も本人から聞いた。その程度だ」

「出てくるの嫌がったって、なんか因縁でもあるのかしら」

「あるかもしれない。だが、あの離れをボクに紹介できるくらいだ。ないというのは頭が悪すぎるな」

「で、どうするの。このあと」

「真面目な話はなしだって言うから、もうお前に任せるよ。それとも気分は落ち着いたか」

 リザは先程までの狂騒がウソのようにケロリとしたような顔をしていた。

「あの子達の顔見たら落ち着いた。変な感じね」

「そしたら無理に出てこないでも良かったか」

「そうかもだけど、連れて行きたいところがないわけじゃないわ。マーシャル・ルームっていうところ」

「どういうところなんだ」

「独身士官のためのサロンみたいな感じ。会員になるには独身であることの他に、二十五から三十五までっていう年齢制限があるけど、非会員でも入れるホールが談話室になっていて、そこは誰でも入れるし、会員のその場の紹介があればゲストルームを借りることもできる。会員になると共同の図書館が使えるようになって、自分の蔵書図書を置くことができるから、自分の名前を持った文庫を持っている人や、そのまま蔵書を置いて会員を卒業する、兄貴とか姉貴とか呼ばれる先輩たちもいる」

「僕らふたりともダメじゃないか」

「ま、新聞記者でもホールには入れるから、雑談のネタには事欠かないわ。それに猥談になっても周りも気にしないですむ」

「連れ込み代わりに使って怒られないのか」

「それは行ってみての雰囲気次第ね」

 リザは乗合い馬車をホテルで頼むとマーシャル・ルームを指示して乗り捨てた。

 御者はとくに細かく道を指示しなくともわかるらしく乗り込んで行き先を言われると料金を口にした。

 彫刻の少ない地味な石造りの建物に入ると中に入ると、待合というよりは食堂か酒場のような雰囲気の作りで、二階に登る階段の先にカウンターが別に設けられていることを除けば、ホテルの玄関ホールと変わらない作りをしていた。談話席というものは背の高い背板のある長椅子と長机で六人か八人が座れそうな席で、天井がないものの覗きこまなければ誰が座っているかはわからないようになっていた。ランプの灯りが幾つかの席からはこぼれていて、使っていることはわかる。それとは別に普通の食堂のような長机に人々が雑居している席もあり、そちらでは芋を茹でたものや肉料理が出ていたりと軽食の類も頼めるらしい。

 正直なところ、夜会に出席するようなリザの格好を考えれば少々場違いであるように思えた。

「ここでなにか面白いことがあるのか。真面目な話をしないっていうならあそこの暗がりを借りるくらいしか思いつかないんだが」

 リザは臭いものでも見るような目でマジンを見た。

「気が早いわねぇ。そういうのを考えないわけでもないけど、釣りは気長な人じゃないと大物狙えないっていうわよ」

「釣り。って、なにを釣るっていうんだ。軍人か」

「そりゃそうよ。こんなところにいるんだもの」

「先輩に集ろうって魂胆か」

「人聞き悪い言い方するわね。お知恵と伝手を拝借できないかお頼みするだけよ。……大物だ。ついてるかも」

 そう言ってリザは通路側に離れて、席を立った。

「お久しぶりです。ミルマ中佐殿。ラコン少佐殿」

 肩幅を見れば男性かと見まごうが、体つきそのものは明らかに女性の、顔を見れば美人の部類の二人の士官がリザを認めて歩みを止めた。彼女らは後ろに三人の女性士官を連れていた。

「誰かと思えば、ゴルデベルグ中尉じゃないか。着飾っているから誰かと思った。おひさしぶり。活躍は報告を読んだ」

「ゴルデベルグ大尉。昇進おめでとう。実はあなたの活躍の話で少し盛り上がっていたのよ。あなたの時間があるときにお話聞けると嬉しいわ」

 ラコン少佐がリザに言葉をかけると、連れていた三人に目をやっていたミルマ中佐も改めてリザに向き直った。

「そうか、昇進していたのか。すまない。ゴルデベルグ大尉。きちんと人事月報に目を通せていなかった。昇進おめでとう。戦時とはいえ、素晴らしい速さの出世だ」

「ありがとうございます。ところで中佐殿方はそのご様子だとこちらにはなにか会合ですか」

「ん。まぁ、大尉の活躍の話とも関係するんだが、今後の戦争の話をつまみに女子会で情報交換をしておこうという事になってね」

「後ろの御三方もご一緒ですか」

 軽い様子で答えるミルマ中佐にリザはホッとした顔をして尋ねた。

「ミノア将軍の参謀ナウザ中佐とワシモルー少佐。イズール将軍麾下のエイディス少佐は師団直下の騎兵大隊長だ。こういう機会でもないと他所の師団の連中と話す機会もないので、部隊も忙しいところを引き止めて女子会ということで付き合ってもらうことにした。男連中を入れるとどうしても気が散りだすからな。大尉はその格好を見ると誰かと待ち合わせか」

 ミルマ中佐はマジンの様子を眺めて尋ねた。

「いえ、昼間様々用事がありまして、考えをまとめるためにこちらに。お邪魔でなければお話を伺えるとありがたいのですが」

「我々も君の報告に衝撃を受けて扱いに困っていたところなので、本人の口から聞けるならありがたいところもあるが、彼は君の連れじゃないのかね。見たところ軍人ではなさそうだが」

「実は彼も関係する件で判断の難しいことがありまして、気心の知れた方の意見をいただければと思っていました」

「ふむ。すると彼もか。女性六人に男性一人か。彼は狭い部屋で汗臭い女どもに囲まれて根掘り葉掘り聞かれるのは大丈夫なクチかね」

「それより皆さんは大丈夫なのでしょうか。その、これからお話をかわされるところに加わらせていただいて」

「まぁ、女子会だからな。機密について話すというわけではない。お互いにツーカーというわけでもないからの女子会でもあるし、大丈夫だろう。将軍たちも反目しているわけではないが、互いの任地が遠いから交流が上手くいっているというわけでもないしな。むしろ、彼が抱えている問題のほうが機密に近いんじゃないのかね」

「まだ厳密には機密に扱ってもらえないことが問題でして」

 リザが言った。

「興味あるわね。それ」

 エイディス少佐が机に手をつきマジンの顔を眺めた。

「私も興味があるわ。もちろん、ゴルデベルグ大尉の話も聞きたい」

 ナウザ中佐がワシモルー少佐と目配せをして言った。

「あなた。よろしいわね」

 リザが命ずるような口調でマジンに言った。

「今日は真面目な話は終わりだと思っていたが」

「女子会のツマミよ。盛り上げて差し上げたいわ」

「そういうことなら。……よろしくお願い致します」

 そう言ってマジンは会釈した。

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