東部戦線 共和国協定千四百四十二年至秋

 共和国軍の第二次反攻作戦は予想通り或いは予想以上に帝国軍の組織的な抵抗を受けつつ全体としては優勢に進捗していた。

 自動車は今でも圧倒的な威力を発揮していたが、既に戦場を自由に飛ぶように走る魔法の絨毯ではなくなっていた。

 帝国軍は全く淡々と彼ら自身の生命と努力で時間を稼ぎつつ、更なる時間を稼ぐ対処策をとっていた。

 帝国軍は小規模な砦を軸に防御態勢を作っていて、周辺に車輌の行動を制限する要害を多数配置していた。

 そして、その要害ごと発破或いは攻撃を仕掛けることで、各種自動車に対して有効な攻撃をおこなうようになっていた。要害を迂回しようと隠顕狭隘な地形を抜けたところを大砲で狙われるということもあった。

 さらに陣地の自らの建物ごと砲撃を加える事で建物を破砕してその瓦礫で移動を困難にするという手段に訴え、極めて攻撃的に陣地の構造物を利用することで、共和国軍の優勢の根拠の一翼である自動車戦力を狙ってきた。薬莢を点火薬に使った仕掛け爆弾などを使うことで帝国軍は遺棄した陣地を共和国軍に使わせないようにしたし、わざとそういう仕掛けのある陣地を譲り、共和国部隊を拘束し穴を開け、逆襲に出たりもした。

 帝国軍の火砲は共和国軍のように連絡参謀の魔導による誘導を受けてはいないが、別段そんなものがなくとも、事前に標定をおこなった目標に弾を注ぐことなど砲兵の教練の一環でしかない。

 戦場での擱座横転などの行動不能は運転席を直接破壊できなくとも、共和国軍に車輌の利用をためらわせ或いは帝国軍による鹵獲の機会を与える。

 モワール城塞のアンドロ中将によって手配りを受けた河川運荷が西側に大きく流れを変えたリザール川を街道として輜重を流し込み、帝国の補給連絡路として帝国軍全域を支えていた。リザール川は河口部からは分断されていたが、まったくもってそんなことは帝国軍にとって関係がない。モワール城塞から南側の山岳地域の戦況は全く帝国にとって不本意な結果に終わっているが、同じ理由で共和国軍がモワール城塞を落とすに足るだけの戦力を集めることも難しくしていた。

 アンドロ中将は戦場の勇者にはなり得なかったが、戦争の陰りを払う風として帝国の戦争計画を照らし続けて戦場を支え続けていた。

 その威力は数に勝る帝国軍にとってはわかりにくいものだったが、局所での戦術勝利をつなげて戦略を手繰っている共和国にとっては、いつ降り止むとも知れない山の落ち葉の片付けを求められているような庭掃除の矢先の気まぐれの突風の如きものだった。

 圧倒的に数に勝る帝国軍は、ただ単純に兵の健全な生活をただひたすら守る、という兵站の最も基本的な一条だけで共和国軍の進撃の自由を奪っていた。

 それは当然に共和国軍大本営も臨んで挑んでいたことだが、距離の差ではなくただひたすら圧倒的な帝国の国力と偏執的ですらあるアンドロ中将の不断の努力によって指導がなされていた。

 共和国軍の初期の展望とは大きく異なり、戦場を飛ぶような自動車の運用は東部戦線域において、もはやできなくなっていた。

 それでも中隊規模の戦闘は共和国軍が圧倒的に優勢で、帝国軍の陣地の隙間を縫うような共和国軍の浸透によってジリジリと帝国軍は土地と戦力を剥ぎ取られていた。

 その速さは共和国軍が期待したよりも遅いが、覚悟したのよりはやや早い経過で、諦めとともに満足すべき内容だった。

 帝国植民者は徹底抗戦をおこなうものと即時降伏をするものと二つにはっきりとわかれていたが、最初の頃のような子供までもが銃を取るような騙し討ちをおこなうような形振り構わなさというものはなかった。

 再占領後の村々の備蓄は数年を過ごしたと思えないほどに少なく、帝国軍による定期的な徴発がおこなわれていたことを想像させた。

 戦場全域に戦線を覆うことが数的に不可能であった開戦当初とは違い、銃弾備蓄と自動車という二つの要素によって、共和国軍は戦闘単位を中隊とすることで被占領地全域に薄く網をかけることができ、薄い網とはいえ各大隊まで配備されるに至った無線通話装置によって、単なる緊急位置情報以上の報告を相互におこなえるようになっていた。

 ときにそれはわざと誤解されることもあった戦況報告を、より明確に報告することで補給のやり取りを効率的におこなえ、或いは軍団の時計合わせにも使われた。

 戦域を担当するそれぞれの軍団の予備とは別に戦域にある三つの師団には遊撃戦力としての自由裁量が与えられていた。

 問題は帝国が土地を捨てて自動車戦力の撃破にあたっていて、作戦開始から半年足らずで既に二百両ほどの自動車輌が横転などの結果として修理が必要な状況に追い込まれ、そのうち三割ほどは現地の修理の手には負えない状態にあった。つまり積極的な運用をしていた無視できない数の幾らかは兵員もろともに帝国軍の攻撃を受けて撃破されていた。

 当然に共和国軍側でも危険としては認識していたものの、前線戦力としての自動車の運用をためらわれるほどだった。

 また既に鹵獲されていた機関小銃は相当量に及んでいて包囲や迂回などの局面で抵抗の時間を稼がれることがあった。その量は万には届かないだろうものの数千、帝国軍の大隊の幾つかを満たすだろうくらいには戦域全体で普及していた。

 戦線が流動的になると空騎兵の出番は単なる前線斥候くらいであるわけだが、ときたま小包ほどの釘と火薬を詰めた袋状の爆弾を落としてゆくようになった。空から見かけた自動車の進路前方やときに屋根の上に爆弾を落とすことで自動車輜重の単独移動を困難にしていた。

 既に一定数の機関銃が配備されていて、手段がないというわけではないのだが、固定目標を狙っているこれまでの空騎兵の動きと異なり、戦線を偵察のついでに隙を窺う動きであると、射程内に弾幕を張ると言っても追い払う以上のことはなかなか難しく、自由に大空を飛ぶ鳥の先を読むのも難しいことだった。

 結局、作戦開始から年内の共和国軍の戦果としては計画の三分の一ほどの土地と二十万近い捕虜を確保したものの、自動車輌に大きな被害を出していて、一割ほどが修理不可能、四割近くが修理中見込み不明という状態に陥っていた。修理部品の供給は短期的には絶望的で、結局修理中の一部車輌を諦めて部品用に利用する判断をすることで稼働車輌を増やすしかなかった。

 東部戦線全域で云えば、まだ百両はゆうに超える大まかに二百両と云っても強弁とも云えない数の車両を抱えていたが、共和国軍の自動車部隊は事実上の壊滅、積極戦術としては作戦運用上の見直しを迫られることになった。

 だがもちろん、明るい話題もあった。

 南部軍団の攻勢正面にいた帝国軍をヌライバ大公国国境から引き剥がすことに成功した。

 二個聯隊にヌライバ大公国国境を短期間に越境させ挟撃するという電撃的な作戦で、自動車の高い速度があって初めて十分な戦力を短期間に流し込める作戦だった。

 これによって二万の帝国軍正規兵を捕虜としたことは、南部軍団の今後にとって大きな展望になった。

 ジューム藩王国はエルベ川の無条件往来を共和国軍船の一部について認めた。

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