共和国軍大本営 共和国協定千四百四十二年冬

 ペロドナー商会が土地の代価に支払った各城市二十両づつの七色の装甲自動車はワイルの名物になった。

 各城市の紋章の色に合わせた七色の装甲自動車百四十両は総額四百二十億タレル相当で、軍への納入もおこなっていない新兵器だった。

 色付きの車体は十八両づつしか送られず、ペロドナー商会が十四両を補填した。

 二十両と言っていたペロドナーの戦力を削れたことに、城主たちはそれぞれに満足し、予定通り驕り高ぶっていた新参者に良い灸をすえたと考えていた。

 本当にペロドナー商会のものと同じなのか、という様々な疑念があったようだったが、鮮やかに焼き付けられた誇り輝く色の自動車とペロドナー商会が使っていた多少砂に汚れた装甲自動車を見比べてみて大方の疑念は吹き飛んだようだった。

 そして兵の操作する銃座の射撃によって、標的になった土石を詰めた鉄の箱が、ガラガラと転がりながら穴だらけになってゆくのを、見聞に訪れていた城主と武官が満足そうに頬をヒクつかせながら眺めていた。

 土地に関する売買はそれで妥結した。

 ワイルの七城主は城市外の土地について、鉄道と設備施設の新設と恒久維持を認め、その一切をペロドナー商会に一任した。

 ただしその権限は七城主の満場総意を以って破棄される。

 そう定められた。

 それからワイル周辺の治安は全く安定した。

 城主たちが自らの城の色に輝く装甲車を見せびらかすように近辺を走り回らせ、配下に悪漢どもを排除させていたからだった。

 軽快な装甲車は確かにすべてのハッチを閉じこもった後では視界は悪かったが、首を出して運転することでそれはしのげ、車長と銃手がそこに加わることで敵に先んじて見つけることは難しいことではなかった。

 三回に分けて納車された装甲車は外見的にも意味的にも全くオモチャのような色合いを帯びた乗り物だったが、その活躍が現実と知れるとたちまちワイル周辺の治安は改善した。

 単純な戦闘力という意味で言えば各々の城市が聯隊を上回る戦力を新たに増やしたことは、ワイル駐屯師団本部や軍連絡室の上げた悲鳴にも似た報告を通じ大本営にも伝わり、協議を交えたいという軍令本部の要請でマジンは大本営に足を運んだ。

 ワイルの意志が如何にあるのか、という意味でも、往来の護身の責任という意味でも装甲車の所持そのものを妨げる法も根拠も共和国にはなかったし、同様に装甲車をだれに売ろうが渡そうがそれも咎められる根拠はなかった。

 まして、それが無頼漢に手渡した盗まれた、ということであれば或いは咎になるのかもしれないが、大議会に議員を送り込んでいるワイルの統治者に渡したくらいでなにをどうしろ、というのは明らかに筋違いだった。

 はるばる大本営までのこのこと出かけていったマジンを延々と騒ぎ立てるようにして責め立てた軍令本部の参謀たちはつまるところ軍より先に新兵器を手に入れたワイルが羨ましいらしかった。

 そしてその新兵器が、まさに軍の将来構想にある対自動車戦術を想定した兵器であることが問題であるようだった。

 半日あまりに及び参謀たちの詰問を手元の書付に眺め、マジンは「バカバカしいですな」と口にした。

 マジンの見解としては、装甲車はギゼンヌの戦域においては現在あまり役に立たない。

 理由としては、現在軍が自動車に求めている突破力は単純な戦闘力火力ではなく、陣地突破に適した機動力ということであるはずで、それは装甲車に備わった機能ではない。

 装甲車は機関小銃の改良銃と対車輌用の高威力の銃で武装していることで、対歩兵火力は十分だが、根本的に地形に弱いという点は変化がなく、車体の大きさから走破性という意味では空荷にした六輪の貨物車に劣る。

 武装も陣地地形を粉砕するには全く貧弱過ぎる。

 現行運行している六輪貨物車は、積載を欲張らなければ地形走破性という意味では傑作で、軍も承知しているとおり、歩兵の大半の火器を無視できるように作ってもある。

 屋根の上に防盾を張り巡らせた旋回銃座が装甲車の特徴ではあるが、貨物車の屋根に載せた機関銃の銃座に防盾を据えるくらいの改造は軍の手によってもできるはずだった。

 積載を拡大させる目的で貨物車本体と同じ大きさの貨車を曳行しているが、こちらは現地で簡単に取付け取外せるように作ってあって、不要ならば外してどこかにおいておけば良い造りになっている。

 仮にもし現状軍に提供している貨物自動車で陣地突破力が不足であれば、ワイルやペロドナー商会で運用している装甲自動車では不足している。

 陣地地形の突破を求めるのであれば陣地地形を無視しうる或いは改変しうる自走機械が必要で、乗用車の車体にたかだか四十シリカの銃を備えた装甲車程度ではそれは不可能であった。

 軍令本部の参謀たちにはなにを言っているのか全くわからない様子だった。

「つまりなんだね。キミは大砲を陣地に撃ちこめばいいと言っているのかね。それは確かに相手を沈黙させるには都合がいいだろうが、早々道を作るのに都合よく当たるものでもないし運び込めるものでもない」

「まぁもちろんそういう方法でもいいのですが、つまりは塹壕や障害がなくなればいいのですよ。掘られたものなら埋めてしまえばいいのです。築かれたものは崩してしまえばいいのです。そういう用途の大砲なら遠くを狙う必要もないし、それほど大きい必要もない。既にお譲りしている迫撃砲のようなものを目の前に撃って崩せばいいのです。それは既存の自動車でもおこなえますし、迫撃砲もそうして使って頂けていると思います。ただ、より速やかにということであれば、装甲車よりは我々が鉄道建設の現場で使っている土木機械の方をお勧めいたします。あまり高速度で長駆するような乗り物ではありませんが、馬よりは早いですし、現に鉄道を建設するために日に五十リーグ程度は自走させています」

 マジンはそう説明したが、必ずしも正しくはない。

 自走そのものはもちろん可能だったが、履帯の接地圧の問題から大きさが一定以下になると却って扱いが難しくなるので、長時間の運転にはあまり向かない構造をしているものが多い。例外的な小型のものを除けば専用の輸送車が必要な大きさで設計されていた。ドーザーショベルなどの装軌車輌は鉄道に収容搬送可能なように設計されていたが、輸送用の専用貨車が必要だった。

 一部は共和国の街道の規格を無視した大きさをしていて、共和国の街道規定の十キュビットの道幅の街道ではすれ違えないこともある。

 装軌車の自走については、まだ十分に解決しきれていない問題も多い。装輪車に比べてバネ系の設計に余裕が無いとかバネ下重量が大きく減衰系の容量を取りにくく、制振制御設計が面倒という問題や、履帯と地面の接地圧と摩擦の設定設計などと長距離巡航状態を管理する上で問題が多い。一方で接地長を長く取れ接地面積や接地幅を広くとることで接地圧を分散でき、地形地勢の性質の影響を小さくできるという特徴もある。

 装輪車とは地面の抗力と摩擦の使い方が全く異なり、ほぼ正反対と言ってもいい。

 共和国軍が自動車にどういう期待を抱いているのか、どこまで理解をした上で将来を描いているのか、マジンにはよくわからなかった。

 少なくとも、ワイルでのちょっとした騒ぎになにかを連想し期待していることは間違いないところだったが、それが妥当な構想であるようにはマジンには感じられなかった。

 ギゼンヌの前線で起こっていることがどういう種類の戦闘なのかマジンには理解も興味もなかったが、少なくとも貨物車が走破出来ない地形にワイルに渡した装甲車を持ち込んでも無駄だとマジンには感じられる。

「つまり、ラジコル大佐の構想にあった自動車化部隊と対自動車化部隊の中核として装甲車はふさわしくないということかね」

 軍令本部の参謀のひとりがポロリと名前を出して脅すように言った。

「様々を止めて百両ばかりお売りすることは不可能ではありませんが、現在、デカート全域の生命に関わりかねない、それどころかザブバル川チョロス川流域全土に関わりかねない工事を控えていることもご存知と思います。

 敵に自動車化部隊があればこそ対自動車化部隊は意味がありますが、現状どちらの誰と戦いたいのかと伺っているのです。そして共和国軍が戦うべき主敵は現在交戦中の帝国軍であるはず。その帝国軍に装甲車の主敵足るにふさわしい物がいるとおっしゃっているのでしょうか。そして自動車がその特性として塹壕や障害に対して脆弱てあることは既に申し上げたとおりです。ここまでご説明すれば賢明な方々にはラジコル大佐の構想や報告がどうあれ、両軍が備えに備えた戦場は既に街道沿いの野盗退治とは全く異なる様相であるということはご理解いただけると思います。

 また既にラジコル大佐にはお伝えしたのですが、既に貨物自動車で起こっているが如く、おそらく現状の兵站能力では却って前線を混乱させることになるでしょう。

 或いは共和国全土の街道警護ということであれば、各地の整備拠点の充実が先であるはず。どういう規模でなにをお求めかということはさておいても、共和国全域で発生が始まった自動車を使った馬賊を撃退するに足る車輌数を準備することは貨物車を準備整備することと同じくらい難しいことです」

 参謀たちの間に軍の力を侮ったと不満そうな雰囲気が流れた。

「どうも話の流れが悪いようだ。一旦仕切り直してみましょう。では、仮にゲリエさんが事業で百両の装甲自動車を軍で使うとして何にお使いになりますか」

 議長の脇の参謀が尋ねた。

「重要度の高い伝令。自動車の警護。交戦を目的としない調査旅行。警察警備活動は状況や地域範囲によります」

「元はどういう用途でお作りになったものなのですか」

「鉄道建設基地を往来するための車輌警護です。いつぞやのペロドナー商会の事件に注目されているのであれば、あれは馬賊側の作戦ミスです。攻め手の規模が小さいという問題もありますが、自動車での突入にこだわりすぎて徒歩の戦力が十分に散らばる前に撃破出来ました。一部は機関小銃を持っていたということですので、事前に伏兵として配置して隠れていればよかったのです。夜間であれば装甲車からの視界の狭さはとくに問題になりますから」

 盗賊の多くは全くの個人営業で野合であれば、連携が難しいこともペロドナー商会の防衛には幸いしていた。

 こういった戦術はすでに帝国軍によって実施されていて、しばしば突出する自動車部隊が包囲されることもあった。一般用途には過大な貨物自動車の運転席の防弾性能によってしばしばそうした帝国軍の狡知から力ずくで脱出することもあったが、損害も多く鹵獲を含めた壊滅の例も見られた。

「話を少し戻しましょう。具体的に警備編制などはどのようにお考えですか」

 議長が列席者を確かめるように間を置いて尋ねた。

「基本的には前後一両づつ二両で隊列の進行方向を警護しています。増やせば増やしただけというのはありますが、原則として輸送隊にも相応の武装と戦力があるという前提です。駅馬車の客は全員拳銃と猟銃で武装しているはずですから。当然に私の会社でも町の外に出るものには銃をもたせています。百両あれば五十の隊が守れる勘定です。実態としてペロドナー商会は高額商品を扱った隊商を馬車自動車含めてこれまでに三百件警護しています。概ね半数は私共の関連の貨物ですが、残りは様々です」

 前半の双方の罵倒の応酬が終了したことで司会も少しは楽になった様子だった。

「その、ペロドナー商会の採算は採れているのかね」

「もちろん取りようがありません。つまりは保安官を飼っているようなものですから。ただ、彼らの給金とその食い扶持ぐらいは稼いでくれています」

 マジンの答えに部屋の士官たちはそれぞれ鼻で笑った。

「保安官は採算ではないということだな」

「ペロドナー商会が護衛した商隊は怪我人はいくらか出していますが、死亡者はでていませんし、積み荷についてもすべて運べています」

「馬車の事故はどうしている」

 感心するように参謀の一人が尋ねた。

「有料で対応しております。商会の敷地には馬車職人もおりますし、高いと思えばワイルで様々手に入れられます。馬や車軸の事故はよくあることですので」

「話を少し戻そう。キミの作った武装自動車、装甲車は戦場では大して役に立たない使えないが、後方の往来連絡を保証するには役に立つということかな」

「そう考えています。或いは武張った飾りとして。そうやって使うにはいささか高いと思いますが、デカートでおこなっている工事が終われば一気に値を下げるつもりでもいます」

 マジンの言葉に会議に並ぶ士官から、戦争より商売か、という言葉と失笑が湧いた。

「いつ頃の話だね」

「早ければ三年ほど、というところでしょうか」

「この戦争が終わるな」

「それに関しては元来数次に渡って申しています通り、次の戦争のための備えと考えています」

 様々な意味を込めて鼻を鳴らす士官たちを議長参謀は眺めた。

「ゲリエくんの意見によればあの武装自動車は戦場での戦闘を想定したものではなく自動車部隊の中核、あるいは対自動車部隊の中核としてはふさわしくない、ということかね」

「自動車部隊の定義にもよりますが、塹壕陣地を想定した主戦場正面を突破打通することを前提に考えるなら、全くそのとおりです。簡単な陣地障害で阻止できますし、ちょっとした起伏があれば陣地と言うまでもなく移動ができなくなります。当然に最後は程度問題ではありますが、護衛するべき貨物自動車輸送車に追従できないようなものは安心して中核に据えられないと思います」

「街道であれば問題ないと」

「問題ないといいますか、護衛としては障害にあたったとして貨物自動車を引き返させる時間があればよいわけですから、障害の打通は不要ですし、悪路だとして護衛だけ通過できても意味はありません。戦闘が起こるとして護衛の仕事を考えれば、あり得べき苦労です」

 ようやく話の筋に咬み合いを見せたらしく参謀たちの表情に渋い納得が浮かんだ。

 司会をしていた参謀が口を開いた。

「つまり、部隊としてまとめて運用するよりは必要に応じて散らして使うべき種類のものであるということだね。なるほど。ラジコル大佐の構想とは少し違うが、大佐の送ってきた報告の装甲車の武装を思えば、塹壕や砦を吹き飛ばすような使い方は出来そうもない。将来構想はひとまず構想として、それを実現するようなシロモノではないということだな」

「そうです。更に……」

「更に云うなら、共和国の往来保証の努力は各州自治努力に帰するという原則上、州行政の管理が求められ、軍に先んじてワイルに大量配備されたことは装備の性質上、当然の成り行きだった、と。スジは通っていると思う。……どうでしょう。ラジコル大佐の意図はともかく、会議に十分な意味は得られたと思いますが」

 部外者に勝手に流れを作られるのを嫌ったか、司会がそのままマジンの言葉を受けるようにして、さっさと自分の結論の載せて説明した。

 マジンの言いたいこととはだいぶ異なっていたが、会議の性質を連想させるものだった。

「百両程度であれば入手が可能という話は興味深いが、予算の都合を考えれば慌てる種類のものでないことがはっきりしたのは良いと思う。また、現在戦場で直面している問題についても様々な示唆を受けた。得るものは多かったと思うがどうかな」

 その後、しばらく戦場での重機の使用について話題が移った。

 靂車や雲梯といった攻城兵器としての重機利用や運転席周りの防弾や砲の搬送などの可能性が述べられ散会となった。



 マジンにとっては微妙に意味のない会議を終えて部屋を出てくると子供を産んだばかりでふやけたような姿になっているリザが会場の外に待っていた。

 安静期間は終わったはずだが、復調までには至っていない。

 エリスの妹のアウロラはまだゆりかごから出ないような状態だったが、先に認知をしていたのでマジンは会議に出る前に先に様子を眺めてきてエリスとも少し過ごしてきた。

 今回の会議はラジコル大佐が報告を送りつけていた自動車化部隊の早急な編制を求める請求に対する諮問委員会議のようなものであるらしい。ようなもの、というのは全く根拠は怪しいものであったからで、へそくりを新兵器に使うかどうかという会議だったと言ってもいい。

 戦時下で予算判断に余裕のある軍令本部が実験部隊を編成するべきかという判断や、去年から今年にかけてのワイルでの派手な装甲車部隊の実践運用の実績をみたことで、軍令本部内においても前向きな一派が台頭していた。

 必ずしも利権を目的としたものではないが、様々に思惑が絡み合うことから、思わぬ戦場の不振に狼狽える後方の将校が各々様々に手配をしている会の一つだった。

 笑い事ではなく、リザがおこなったことと変わらないわけだが、それを改めてラジコル大佐がおこなったということだ。

「やっぱり女のほうがこういう話は向いているのかしらね」

「そんなことを言われたのか」

「言われているし、そうかなとも思っているわ。二人も子供産んでるわけだし」

「お前の件が、そうだ、と云うのはまぁ、うん。そうだ。だがラジコル大佐の件は状況があまりに悪い。資材はないし、慌ててやることじゃないだろう。第一あの装甲車で敵の陣地に突っ込んでいっても逆立ちする車が山のように出るだけだと思う。敵の塹壕を壁にしたいならまぁあれだが」

「それは現物を私は見ていないから知らないけど、三百両で旅団を編成してご自分で指揮したいらしいわよ」

「まぁ、戦場の周りをぐるぐる走るだけならそれでもいいだろうが、ギゼンヌのあたりはワイルやうちの裏の収容所みたいな土地じゃないんだろう」

「まぁもうちょっと色々あるわね。雰囲気で言えばソイルみたいな感じの土地が延々広がっている。橋が必要な用水や小川も多いわ。だいたいそういうところの脇でやられているわね。橋爆破されたりとか、橋の出口で爆弾仕掛けられたりとか。わかってるけどやられてるわね」

「まぁそうだろうと思うが、塹壕はどうしていたんだ」

「私の時は二両一組で弾除けになって間に鉄の橋をかけていたわね。一回渡っちゃえば、その場はなんとかなるし、事実上その場で自動車の仕事はおしまいだし」

「すると、お前の時は兵隊の回収はしなかったのか」

「しないっていうか、脱出を手伝うことはあっても、応援がほとんどだった。別に今もそうだと思うけど、送り迎えができるほど余裕はないし。

 それにあれよ、あたしたち戦争しているのよ。しかも攻めこまれているの。敵に土地を譲るなんて馬鹿な作戦そうそうあるわけないじゃない。

 あなたが想像していることが機動戦とか運動戦とかいう内容であるなら、それはね、帝国軍が未だに五十万だか百万だか訳の分からない規模の戦力をあの地域に並べている段階でもうできないの。自動車が早いっていっても敵の拠点を素通りできるわけじゃないしね。

 運動戦ってのは基本的に敵に接触しないことを前提としてわーっと動いて敵の拠点を直撃したり敵の消耗を誘うんだけど、地域を圧している帝国軍の規模がこっちと全然違うからそんなことをするとこっちがもみ潰されちゃうのよ。

 今やっているのは漸激戦。ただ、こっちの展開速度が早いから局地的な包囲が出来て小規模な意味では運動戦の様相もあるけど、どこまでもという訳にはいかないし、結局それぞれには大きな意味があるわけではない。

 まぁ糧秣運んできた輜重の馬車に人を載せて捕虜にするか奴隷にするかって程度の話ね。

 正直なところを言えば、皆殺しにする簡単な方法があれば、きっとそうするわよ。無抵抗な相手をまとめてたくさん殺すのは部隊の統率上あまり良くないんだけど、食糧事情や治安を考えればさっさと殺してしまうというのも判断にはなる。そういう意味じゃマイルズ卿は本当に素晴らしい粘り強さで捕虜を管理し続けてくださった。今も後任のマゼナグ卿がなかなかに上手く仕切ってくださっているわ」

「そんなんで勝てるのかね」

 リザは前向きな事柄を後に持ってきたが、マジンは流石に心配そうに尋ねた。

「基本的に圧してはいるわ。兵站上も展開している人員を維持できている状況を考えれば、帝国が上よ。正直狂っていると思うけど、鉄道がリザール城塞まで敷かれているって話を聞いたら納得したわ。少なくとも馬車でゴトゴト車軸が折れる心配をしないですっ飛ばしてくるってなれば、よほどの荷駄でも兵が歩くより早く進める。そんなものが毎日数千も往復しているとなれば、十万やそこら屁でもないし、六年も経って土地から収益が上がっていればなおさらだわ。だから、どこかで穴を開けないと百年たっても押し返せないっていう話にもなっている」

「さっきの会議だと二三年で勝つつもりみたいだったが」

「まぁ、勝つと思って始めた作戦だから圧してはいるわ。ただ、兵站の規模で負けている戦争はへし折れたが最後一気に負けるからね」

「随分悲観的だな」

「そりゃぁ、妊娠していることがわかってこっち色々な論文読んでる合間に前線の話が入ってくるんだけど、なんか折角手に入れた道具の使い方がわからないサルみたいな連中が多いんだもの。まぁそれはさておき、私しばらく教官任務よ。ようやく私が少佐になったことをあちこちが思い出したみたいなのよね。というか、流産の罪ってのがこんなに重いものとは思わなかったわ」

 マジンは呼び戻されたときに妊娠が発覚したことが配置の遅れにつながったのではないかと思っていたが、流石にそれは口にもできなかった。

 アウロラと名付けられた娘は可愛かった。

 リザはとくに何があって会議の戸口で待っていたというわけではない様子だった。

 年に二回という逢瀬ではあっても会えるだけで嬉しいというのは、互いの頭の上から虹色だったり桃色だったりする湯気が見えているようで、それはそれで面白いものだった。

「ジューム藩王国だっけ。どんな感じ」

「ひどく慌ててる。帝国が負けるんじゃないかって動揺もあるし、軍の水運が上がり始めたので今更戦争を実感し始めたみたい。とくに、水先案内人を載せないままに通過する舟がいることが気に入らない様子ね。ま、そのためにあの位置にある国だから当然だけど」

「共和国に組み込まれるとかは考えないのかな」

「割と考えているとは思うんだけど、恐怖が大きいし、もともと攻め込んできた帝国の元帥府だから、今更亡命も難しいんだと思う。帝国軍もその辺があれだから鳥や舟で将兵をお目付けに送っているわけだし」

「そもそもその帝国軍はどうやって入り込んでいるんだ」

「戦争が始める前は舟でエルベ川からジューム藩王国へ外交使節として堂々と。戦争が始まってからは鳥で偶にやってくるくらいね。実際に帝国軍と称している連中がどの程度帝国出身の連中なのか知らないけど、これまではそこそこにそれっぽい装備で実際に殴りあうにはうっとおしい城塞を構えているわ。いったことないの」

「ない。ってか、ボクは共和国中の見聞を誇れるほどには旅行をしていないし、ここしばらくはそれほどに暇でもない。せいぜい北街道の粗方まだ制覇しきれていない、という程度だ」

「私も中にはいったことは一回しかないけどね。まぁ、なんていうか関所みたいな感じのものが大きくなった町よ。典型的な城門都市。元は小さな砦の集合みたいな感じだったらしいのだけど、ちょっとした迷路とひどく入り組んだ構造が特徴的な町よ。昔は見張り塔を兼ねた火薬庫が変な位置についているって言われてたんだけど、死の塔って呼ばれていて守れないとわかったら塔ごと爆破して瓦礫を降らすつもりじゃないかって最近は言われている」

「実際にそんなところを見た記録はあるのか」

「ジューム藩王国ではないけど、ギゼンヌ辺りでは多いわよ。前線の見張り櫓を帝国がさっさと見捨てて後退するのを笑っていたら、櫓が爆発して大損害とかちょっとした障害をどかしてしばらくしたら動かした樽が爆発したりとか。わかっちゃえば簡単単純な仕掛けで山師が使っている発破の道具を使って爆発を起こしているんだけど、まぁともかくそういうわけで帝国の防備はなかなか手が込んでいて手強いわ」

 そこまで話を聞いたところでマジンの脳裏には爆発程度で済んでいるうちはまだいいが、とローゼンヘン館で使っている様々な中間的な薬剤反応に思いを馳せた。様々な方法で安全対策を講じてはあるが、ローゼンヘン工業の作っている様々の工程の中には人を様々な理屈で殺す原材料や装置が多く、一部には作業工程の現場に装具なしで入れば部屋を抜ける間に死ねるような種類のものもあった。

 多くの反応性の薬物はある程度に反応を起こせば満足することになるから、ローゼンヘン館のすべての工程が突然すべての容器や気密を失うようなことになってもせいぜいヴィンゼに飛び火する程度で済むが、その量や組み合わせからカシウス湖のように千年たっても未だに解決しないこともある。

 カシウス湖の場合、金や白金という常識的には水に溶けにくい金属があの広い湖に検出できるほどに溶けているという時点で相当長期間厄介なことになっていたということがわかる。湖底に火口が開いていてもおかしくないような内容だ。

 そんな関係ないことに考えを巡らせ言葉を途切れさせていると、リザが表情から何かを探すようにして口を開いた。

「――今回のジューム藩王国との河川往来の件、トドメさしたのはあなたも一枚噛んでいるって話だけど、なにやったの」

「ボクは本当になにもやっていない。ただ、兵站本部の望み通り電話設備をお試しで入れられるようになったと伝えただけだよ」

「ザブバル川とチョロス川ね。あなたのところが海路を使えるようになると、軍としては各地に直接届けてもらいたいものが増えるから助かるわ。機関船が列をなして川を上り下りしているのを見て羨ましがっている人達も多い。あれも堰堤の工事が終わったら安くなるんでしょ」

「そうなる。当面はウチが仕切るけど、作り方自体はそんなに難しくないから、材料は外に出してもいい。というか、デカートの大工衆にはそろそろおなじみになっている。漆喰のノリが悪い材料とかに下地作りに使ったり、塗膜に使ったり、透明の膠みたいなものだから使い手は広いんだが、溶剤が水じゃないから扱いはちょっとややこしい。酒と間違えて飲んで死ぬ事故も起きている」

「そういえば大佐殿は材料の話とかは聞かないの」

 ラジコル大佐は時たまローゼンヘン館を訪れていた。

「まぁ、軍人だからね。キミも別に興味があって聞くってわけじゃないだろう」

「まぁそうね。話の流れでは興味が出るけど、材料とか作り方とか言われても、へー、って思うくらい。それよりはあなたが作っている大きな船のほうが気になるわ。大きすぎて川を下れなくて倉庫みたいに使っているって聞いているけど。そうなの? 」

「どこから聞いた話なんだ」

 興味ありげなリザの様子にどう答えたものか少し迷ってマジンは尋ねた。

「あちこち。大佐殿も報告で書いていらしたわ。場所によっては頭を巡らせるのも難しい大きな舟を作っている、って。船台で作ってはいたが船ではなく石油やガスを蓄える倉庫の類かもしれないって」

「セラムやマリールやファラなんかはなんだって」

「とくになにも。……まだ秘密にしているの。なんで」

 リザが事情を少し察したところでマジンは口を開いた。

「軍が欲しがるのは間違いないし、春までは秘密だし、そのあともたくさん作るのは無理だ。あれひとつでオゥロゥの同型船の手持ち部品全部使いきった」

「十とか作るつもりじゃなかったの」

「全部で二十四の予定だったけど、部品の作りおきは粗方なくなっちゃったよ」

「まさか、あなたあの大きなので川を往復するつもりだったの」

「毎日一杯づつ、あれで二つの川から色々運ぶつもりだったんだけど、人手が増えたし、現場が増えたから、小さいのをたくさん動かすことに方針を変えたんだ。急がなければ別にそれでいいし。ともかくそういうわけで焦る必要が無い部品を回した」

「それで何に使っているの。堰堤の工事? 」

 リザはとりあえず聞けるところまでは聞き出すつもりらしく食いついていた。

「使っているのは鉄道工事だ。他に何に使えるか、と問われれば、様々に使える。戦争に使えるか、という問いは、当然に様々に。ボクの持つ全てと組み合わせれば、共和国中の全ての人を殺せる武器にも使える。そういう意味じゃ機関小銃なんかよりはるかに危険なシロモノだ」

「大げさじゃないの」

「証明しろというなら軍都を一日で焼け野原にすることができるよ。みんなやっているけど、人を殺す事自体はそれほど難しいことじゃないんだ。石塊だって棍棒だって、何もなくても殺しはできる。面倒なのは殺す理由と言い訳だ。敵味方を区別して敵だけを殺そうと思うから難しくなるし、誰にとっての敵であるかを決めるから難しくなる。そういう意味で帝国の仕掛けた戦略は、なかなかに巧妙だと思うよ。兵隊に戦場がドコなのか敵がナニなのかをわからないようにさせている。おかげで莫大な規模の捕虜をとることになった共和国軍は動きが取れなくなっていた。虫を殺すように目の前の無抵抗な人々を片端から殺せば捕虜なんか取る必要はない。だが、そうした後始末を考えれば、捕虜を皆殺しにしないことと生かす努力をしたことは、共和国軍にとってよかったと思う。仮にギゼンヌで皆殺しにしていれば、ギゼンヌはひどいことになっていただろう」

「どんな風に。疫病とかが流行ったってことかしら」

 一応軍人として術理として学んでいるはずのリザが面白げに尋ねた。

「そういうのもある。自分たちの倍の死者を土に埋めるのも焼くのも一苦労だし、その匂いもすさまじい戦場の死体を迂闊に踏んで病気になる話もよく聞くね。それもそうだし、君も言ってたとおり、人殺しを忌避する人たちが味方を殺し始めるよ。それは一種の切り替えスイッチみたいな感情の爆発で単純な感情・単純な理論ではない。一種の恐怖と絶望の焼付けだ。とくに自分の生死が関わっていない人殺しを強要されると善良な人のいくらかは破綻するんだ。そうして破綻した人はいわゆる自覚的な悪人よりもたちの悪いことを自分の正義によって実施するようになる。味方を味方であるがゆえに敵として殺すんだ。いや、本当の細かな理屈は知らない。ともかく味方殺しは制御ができない。いつ起こるかもわからない。戦場を離れてからかも知れない」

「見てきたようなことを云うのね。経験があるの」

「ある。いや。ない、はずだが、む。まぁともかく、そう思う。まぁともかく、前線にいた五十万だか六十万だかの捕虜を十万だかの人々で皆殺しにするっていうのは、命がけの戦場で殺すのとはわけが違うからやらないでよかったっていうことさ」

「まぁ、軍法に従った銃殺刑でさえも自分の弾があたったかどうかわからないくらいの人数でやらないと面倒が起きるってのは昔からあるしね。昔新兵に射撃訓練代わりにやらせて、問題になったこともあった」

 リザが良人の答に納得したように言った。

「――まぁいいわ。どの道、忙しく使っていて貸せない代わりも作れないってことなら、欲しがるほうがバカみたいだもの。……それで私は、大きな船だかなんだかの水運の話の流れで妙な噂を耳にしているんだけど、その真相が知りたいわね。軍令本部でもちょっとややこしい噂になっていて聞かれたんだけど、あなた海賊やらせているの?北街道の陸路警備でペロドナーに護衛をさせているでしょ。そんな感じで海路も何かやらせているのかしら」

「いや、とくには覚えがない」

「船体長百五十キュビットほど、大型ながらヨットクルーザー風の細い外見と広い二枚帆帆柱は一本。黒檀かオークの艶のある黒色の軽快そうな船型。似合わず腰は広く重く、遠目からは進路が読みにくく、船足は極めて早い。火器は少数ながら極めて威力高く帆柱水線を狙い撃つ射手もいる。覚えがないかしら。この船」

「舟には覚えがないわけではないが、ボクがやらせた覚えはない。軍ではなんと」

「とくには。単なる周辺地域情報よ。扱いとしては今のところ単なる噂話なんだけど、だいぶ東、ジャコルテンやマラヤあたりから抜けてくる帝国の舟を片端から沈めているみたい。ムビルやチェナイ辺りだとこのご時世でも帝国との商いが途絶えていないし、サイロンなんかはかなりの大騒ぎみたい。豚姫海賊団ってことらしいわよ。まぁそれでジューム藩王国への便が途絶えて連中が弱り始めたということであれば万々歳だし、海の向こう側ってかダッカよりむこうの海は流石に知ったことじゃないわ。諸藩諸王国がひしめきすぎてて海賊騒ぎなんてしょっちゅうだから今更なんだけどね」

「他に気がついた人は」

「気がついたっていうか疑いを持っている人は多いと思う。あちこちであなたに無理を言っている人たちはとくに。どう考えても個人が右から左に動かす物の量を超えているって考えてるだろうから、仕入れにも無理をしているだろうってくらいには疑っていると思うわ。私もあなたのその顔を見るまでは、水上経路の制圧かなんかの手配なんだろうと思っていた」

「話としてはどれくらい前の話なんだ」

「多分、ここ一年ね。私が気がついたのはふたつきくらい前だから、事件としては半年かもうちょっと前の出来事。……良かったわね。セントーラ元気そうじゃない」

 最後のそれが言いたくて話をしてくれたのだろうが、マジンにはそうは思えなかった。

 セントーラはそれこそ城が買えるような勢いで様々を持って行った。

 大方は希少価値という以上の意味のないガラクタではあるが、セントーラはそのガラクタを自分の必要な何かに変えるだけの才覚を持った才媛である。

 こと商売の感覚という意味においては、彼女はマジンよりはるかに市井の機微に理解ある人物で、多くを助けられていた。

 そういう彼女がわざわざ海賊なる収益怪しげな行為に手を染めるとすれば、相当意に沿わない何かが起こっているはずで、或いは彼女は死んでいる可能性をも感じさせた。

 或いは最初に出会うきっかけになった時のように無一文になるような何かがあったのかもしれない。

 しかし船があるならヴィンゼまでの旅なぞ物の数ではない筈で、生きているなら帰ってこない意図が、死んでいるならやはり何かが彼女の身に起こったことは間違いなかった。

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