マジン二十六才 3
長らくうつ伏せで吊るされるような生活をしていたセントーラは秋ごろには身じろぎ程は体を動かせるようになっていた。
重傷のけが人の妊婦はマリールで二人目とはいえ、今度は内臓を開いていたのでどうなることかと思っていたが、どうやらここまで母子ともに健康というところだった。
セントーラはだれともつかない子供、と云ってまぁ碌な来歴でもない子供だったが、流すつもりはないらしい。
無事生まれてきてマジンが所望しなければ、子供は軍に入れるつもりだという。
女達が自分の子供を手元に置くことを望まなければ、マジンは年齢まで育てて軍学校に入れるつもりだった。戦争の長期化を受けて軍学校には規模拡大の噂があった。そうでなければとりあえず学志館を受験させる。
どちらにしても妙な噂が立つことになるだろうが、どういう噂にせよ今更でもある。
ゲリエ村の私塾は私塾ではあるもののローゼンヘン工業の社員の子供のための教育施設でもあって研究施設でもあった。
転勤がちな両親や単身の親を支援する目的もあって、養育院を参考に寄宿可能な育児教育施設を作った。
読み書き算盤の他に地理と幾何にも力を入れていた。録音機材ができてからは歌唱の時間を増やし子供が組織的に騒げる時間を作ったり、と乳幼児期を乗り切らせるための様々な努力が払われていた。
基本的に七歳になれば、学志館の入学試験を会社の福利厚生の一環として受けることになる。そこからは他の子供達と一緒に寮に入るか、親元から通うかは家族の選択になった。
ここしばらくで学志館の設備は大きく整えられ学舎としての整備も同時に進んだことで学志館は子供を選んで受け入れる必要が小さくなっていた。
鉄道の整備が進み、デカートの地域性が融和したことも大きい。かつてのデカート軍の幕舎演習場厩舎射場など様々な施設をバラバラに使っていた研究施設の一部が様々な整備を進めていた。気前の良い理事として知られるゲリエ氏は同時に無駄を嫌う人物でもあったから、共通した研究を進めている幾つかの研究室は政治的な経緯はどうあれ施設を共有することを求められ、互いの研究についての報告を理事に求められた。そういう整理と整備に資金が流れることで学志館は建物や敷地の整理を進めていた。
またここ数年のうちに建築に関する様々が手軽になり、上下水道や電灯電話ガスなどのこれまでには扱いが面倒だった様々が僅かな贅沢として導入できることになったことも大きい。
新しい設備を導入するには古い建物は扱いが面倒に過ぎたし、ローゼンヘン工業が海から大量に海漆喰を運んでくることや鉱山の機械化や或いは油井と製油所の稼働などで石炭の価格が下がり始めたのと合わせてセメントの生産は拡大が進み、デカート全域でもひどく廉価なものになっていた。その供給量には大きな波があるが、大きな波は在庫という形で被っておいても損をしないくらいの値段だったので、デカートの建築資材は全体に価格を下げることになった。
全くつまらない話だがデカートは改めて田舎で使われていない土地が多くあることを人々に実感させた。ローゼンヘン工業が鉄道にそって整備した保線道路を伝うようにして、あちこちに集落ができ、ローゼンヘン工業に電話電灯の敷設やガスの配給を頼むと集落の規模に応じて鉄道駅ができた。デカートの外縁部に一斉に三十二個もの駅ができたのは採算というよりはデカートの全市を視野に入れて変電設備や電話設備を収容しようとすると結果として必要だというだけで、鉄道運行上の必要があったわけではない。
実際に一年で数十人の客しか乗り降りしないという明らかに過疎の駅もいくつかあった。
そういう人気のない駅に農民でもない商家でもない人たちが家を立て始めた。
基本的にデカート域内では鉄道線沿い千キュビットはローゼンヘン工業の私有地だったが、商業地宅地としての利用は一定の条件を満たせば許されていた。主に市街地中心にすむ必要のなくなった商家や工房職人の家族が設備を空けるために郊外に移動し、それを追いかけて商店が越してきた。或いは一時預かりの倉庫やその管理人という者たちも移動していた。最初から狙って駅周辺に新居を構える者も多く居た。
デカート郊外といっても天蓋の柱周辺は町中まで馬車で一刻というところの距離で、連絡をつけるために町中にぎゅう詰めになる必要がなければ、却って過ごしやすいくらいの土地だった。
沿線は設備敷設費が安く、集落を立ち上げるのも面倒が少なかったので、新しく土地を求める農民以外の人々は、鉄道沿線に軒を連ねるようにデカートの天蓋の外縁に越してきた。
空いた隙間に東西南北の二本の横断鉄道線と二本の環状市街線が計画された。中央市場で交差する横断鉄道線は貨物と人とを運ぶ共用線だったが、二本の環状線は完全に乗客だけの専用線という計画だった。
整備計画自体は鉄道部が資材や機材等の管理上の都合でこれまで同様に広い私有地を求めていることが問題でもあった。
駅や貨物の取り回しを考えれば十分に広い空間が必要であることは誰しもが認めていたが、自宅どころか町並みまるごとを引っ越すとなると笑い事ではすまない。地権を広く緩く扱っていたデカートでは一朝にケリがつかない話題になり始めていた。
ゲリエ村の製油所の成績が安定してくると鉄道線とくに環状線の発電機関車の機関と燃料が石炭蒸気からガスタービン発電に切り替わった。軽量小型のガスタービンを計画定常運転させる事ができる環状線は機関車の大幅な軽量化小型化によって客の収容数を増やし運転速度を上げた。また粉砕骸炭に比べて設備の小型化や事故の懸念も小さくなり、運転距離自体も伸びた。
鉄道が石炭を一部手放したことでデカート全域で石炭の価格が大きく安くなったが、これまでの増産を知っていてなお値が下がらない石炭価格にフラムの山師たちはどれだけ第四堰堤の工事が果てしないかを実感していたから、ようやく石炭価格が落ちたことにある意味で安堵と諦観を感じていた。
フラムの鉱山はかつての十倍以上場合によっては業績が二桁変わるほどに伸びていた。鉱脈の掘削機械と成果を運び出す搬出機械、そしてその成果物を市場に送り出す輸送機械。その機械が通れる街道の整備。その組み合わせがフラムの鉱山生産力を十数倍から数十倍という飛躍的な勢いで跳ね上げていた。
機材の所有権は実際には採掘資源を担保にした無利子のリースだったが、現金の移動をともなわない契約であれば鉱山主にしてみれば随分と気楽なものだった。どのみち彼らは失敗すれば命はないと腹をくくっていた。
業務向けの投資として徹底されたフラムの道路整備はデカートよりもよほどしっかりした舗装を道に求め、それが出来るだけの資金を鉱山組合に循環的に与えていた。
豊作貧乏か、とフラムでは誰もが思っていた。
だが、ローゼンヘン工業は増えた伸び分、殆ど全てを丸呑みする勢いで引取り買い上げていた。各所で数千数万という人員を集中的に使うようになったローゼンヘン工業は、機械力があるとかないという以前に、単純にフラムの人口を超えるほどの人々を自らの目的のために束ね扱っていた。その極めて合目的に集中された組織は一地域の生産力では全く足りず、ミョルナにおいても同じように様々な投資をおこなっていたが、今まさに街道が整備されたばかりのミョルナに於いてその投資の効果が見えるようになるのはまだしばらく先の事になるだろう。
ヴィンゼがすさまじいばかりに生産力を伸ばしたのは文字通り土を入れ替える技術が鉄道によってもたらされたからでもあった。堰堤や鉄道工事現場或いはデカートやソイルの農地からの廃土はヴィンゼに驚くほどの収穫をもたらした。
それは組織的に指導を行ったマイルズ卿の思惑を遥かに超えた効果で、おそらくは二度三度は見込めない種類のものであったが、僅かな金額で大きな成果を得ることに成功した。
ヴィンゼ農協は貸借した原資を僅かな時間で回収可能な程の利益をあげていた。
巨大な現金収入を手にしたヴィンゼの農民たちは慌てるようにしてローゼンヘン工業の社債を買い求めた。
まさか十年で会社が潰れるとはヴィンゼの農民たちは思いもしなかったから、ほとんど有り金すべてを突っ込む勢いで社債を買った。
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