共和国軍東部軍北部軍団司令部 共和国協定千四百四十三年夏至

 新兵器といえば久しぶりにローゼンヘン工業によらない新兵器も登場していた。河川砲艦である。ストーン商会製の蒸気圧船に戦術の転換から数が浮いていた臼砲を載せ水深が浅く岩がちなリザール川をダッカから遡上させていた。帆や櫓によらないまま水上を運んできた大口径の砲の威力は凄まじく共和国軍を大きく助けたが、過去の数次に渡る土木的な河川封鎖の影響でその活動範囲は広いとはいえなかった。

しかし、川沿いの広い範囲を帝国軍の自由な行動から切り離すことで南部域における共和国軍の安定に大きく寄与することになった。

 機関船が艀に積んだ糧秣を前線に安全迅速に運ぶことで帝国軍の南部における動きはほとんど効かなくなってしまった。広大な領域を河川なしに動くには、地域住民の協力が必要だが、南方の土地に進出した植民者はひどく疎らで、そもそもに山がちで耕作に適した豊かな土地というわけではない。

 共和国の国土の貧しさが帝国軍を苦しめ、共和国を利していた。

 ジェーヴィー教授の電波測量による砲爆誘導は教授いわく大成功だった様子で、約半リーグ放した位置にある電波探信儀による時計信号の送信と受信の遅れと歪を二つの局で観測することで方位と速度を計算。弾体高度を計測しつつ、距離と散布を計測することで帝国軍捕虜の持っていた地図と照合し農地や集落を散布に収めた砲撃をおこなったという。

 全く呆れたことにジェヴィー教授は電波探信儀と電気高速計算機を戦地においてきてしまっていた。

 当然にすべての資産はジェーヴィー教授の私物でもなく研究室の備品でもなくローゼンヘン工業の機材でもなく、一つ残らずマジンの私物だった。

「どのみちあれはでっち上げの試験品、高速計算機はちょっともったいないが、量産品の予備機で既に新しいのを準備している型落ちじゃないか。壊れても換えは利く。それにあの女隊長はキミの愛人だと云うじゃないか」

 と悪びれるでもなく言いながら、ジェーヴィー教授は記憶装置と実験結果を持ち帰ってきた。

 弾道誘導修正をおこないながらと盲撃ちでは明らかに結果が違っていたので、教授としては見るに見かねて砲兵と観測員に技術指導をし始めた。軍団幕僚を巻き込んでちょっとした砲術の砲弾の運動について数理的な背景確認をおこない、地理測量と運動物理学の講義を兼ねて持ち込んでいた電波探信儀と電算機の説明をおこなった。

 前線の兵隊にとってはせいぜいが風体の変わった芸人が慰問に来た、という程度の出来事で頭の硬い叩き上げの砲兵にとっては、素人がでしゃばるなという内容だったが、一方で参謀と肩書のつく連中には胡散臭さとともに興味をかられる内容で、ワージン将軍は戦場に乗り込んできたジェーヴィー教授の人となりを大いに気に入っていた。

 ジェーヴィー教授は三千発の追加発注百二枚をもワージン将軍直々に預かっていた。三十万発ともなると試験工房だけでは手があまり、搬送の手配もバカにならない。どうしたものかと思っているところに、デカートの軍連絡室クロツヘルム中佐から呼び出しがあった。

 毎月一回、新兵器用の特別輜重をローゼンヘン工業からギゼンヌに送るように手配命令をかけたが、その積み荷の調整をおこないたい、というものだった。

 過去における様々でローゼンヘン工業の生産力への信頼と一方で露骨な問題になりがちである輸送手段の絶壁にも似た格差について、どちらかと言うと焼け火箸を掴んでしまったような記憶を前線と受領の現場に与えていた。

 しかしそれがとうとうに行李百両で足りないなら千でも万でも、一往復で足りないなら十でも百でも前線が求めるだけ輜重を準備してやる、と腹をくくった軍の官僚が現場での差配を出来るように様々をしつらえてやろうという意気込みを示していた。

 空元気にしてもなかなか大したお勤めへの入れ込みようだといえる。

 新兵器の効果極めて大なり、というワージン将軍の言葉は軍令本部でもローゼンヘン館であってもどこまで鵜呑みにして良いものかわからなかったが、三十万発を年内に用立てて欲しいというのが前線の希望で最低でも月に一万五千、ということだった。輸送を考えれば牽引付きの貨物輸送車で二十杯ということで今の共和国軍なら不可能ではない数字だったが、その新兵器とやらをローゼンヘン工業がどれだけ素早く立ち上げられるのか或いは輜重をどういう日程で準備するか、という調整をするのが目的だった。

 砲弾の中身になる焼夷剤は材料が鏡野の露天掘りから大量に回収されていたから、それは問題なかった。既に弾薬の治具はあって設備に据えるだけだったが、予備の生産施設の組立てが三週間位かかる。試験設備はこのまま動かすとして予備設備の立ち上がりが順調で一万発。その後二万八千発と告げると、クロツヘルム中佐はホッとしたような気の毒そうな複雑な顔をした。

 押し上げるだけ押し上げたものの様々な理由で、ビールの気が抜けてゆくような有様で前線がジリジリ押し戻されてゆく状況に、打ち手なしにイライラとしていたワージン将軍は軍令本部のいう新部隊支援の打ち合わせのために参謀を含む人員を送れという命令に、兵站を支えていた実働部隊を休暇のつもりで後方に送るついでに、新兵器をねだってこい、と言った。

 軍令本部が自動車の稼働率低下に音を上げて新兵科部隊の編制をおこなっていることは前線でも様々に漏れ伝えられていたが、前線が自動車の百や二百でどうにかなるような局面が既に終わってしまったことはワージン将軍にはわかっていた。

 戦線が拠点から遠のき物資連絡を待つことで共和国軍の機動力が殺がれ、数に有利な帝国軍が内線の利を活用して縦深を深め、戦力をゆるやかに分断しこちらの穴を探り始めているところが問題だった。

 帝国軍は全く正攻法で戦争を遂行していて隙がない。

 戦線の動きをだれにでもわかるように表現すればそういうことだった。

 戦略的にはギゼンヌの生産力を上回る兵員住民捕虜というモノを抱えたことで、後方からの物資輸送が必須になったが、その物資輸送が数十の貨物自動車や数千の馬車では到底追いつかない規模になったということでもある。

 往復の時間を考えればその数倍、理想を云えば十倍あまりの数が必要だったが、それだけの自動車も馬匹も前線で支えることは難しかった。

 歩兵の中隊あたりの戦力としては依然、共和国軍が帝国軍を上回っていたが、登場から五年あまりも経つと機関小銃や機関銃という新兵器もジリジリと陳腐化が進み、帝国軍もいくらかまとまった数を鹵獲しており、油断すると中隊がもぎ取られ大隊規模でまるごと食われるという事態も起きている。

 大本営の様々な手当と前線の判断が帝国軍を押しとどめていたが、反攻作戦実施前に思い描かれていたような安楽な戦況とは全く異なった展開をしていることは去年のうちに前線ではわかっていた。とはいえ遠く離れた大本営にも打つ手がないというのは、いつものことで前線でできることはせいぜいが大本営のボンクラ共に恨み言を言い続けながら、その日その日を生き抜くことだけだった。

 戦線が膠着する前に大突破していれば、とワージン将軍はいくども怒鳴り散らしていたが、ワージン将軍がどの時点で大突破を試みるにせよ、事実として過去のどの時点でも補給の連絡状態は今よりも数段悪く、仮にリザール城塞眼前に橋頭堡を確保したとして共和国の反攻までその維持ができたかは、今にして思えば不可能だった。

 ワージン将軍が思いつき、幕僚たちが或いは将軍自身がどう算盤を弾いても、良くて玉砕、という結論は開戦当初も機関小銃を手に入れてからも全く変わりがなかった。

 或いは今ならばという勘定も結局は、リザール城塞を拝んでどうする、という先のことを考えれば繋がる先もないわけで、六年前の絶望的な状況であればともかく、今敢えておこなう理はこれっぱかりもあるはずはなかった。

 戦線突破後、敵を無視して前進するということも、今は出来なかった。

 イズール山地は天険ではあるが、抜けられない絶界というわけではなく、ワージン将軍は幾度か部隊を率いて抜けた経験がある。無警戒の後方に戦備充実した旅団なり聯隊なりが出現すれば共和国軍は前線の再編成どころではなくなっていた。

 捕虜からの情報で一時イズール山地には五万の部隊が更に後続に輜重を整えた状態で張り付き突破を目指していて、実際にその後の検索で一万程度が山地にいた。

 イズール山地の帝国軍の主要拠点は排除に成功したが、小規模な拠点については十分に検索が終えているとも云えず、複数の部隊が山地に潜んでいることは間違いなかった。

 今は本隊と切れた戦力としては匪賊にも劣るような状態で立ち枯れているような連中でも、今この時点まで生き延びていることを考えれば手強いことは間違いなく、そんな連中がまともに物資を手に入れて闊歩し始めれば東部戦線はおろか軍都までも戦場になりかねない。

 ワージン将軍の苛立ちは今だからこその連絡状態、今だからこその戦力とわかってはいたが、あの時この規模の予備戦力があれば、と思わざるを得ない状況だった。

 予備なればこそ信用できる戦力を、というのは軍人であれば誰もが願うことだが、銃後にしてみれば、使わないものにどれだけ費えを重ねるのかという問いでもあった。

 そして再び今、反撃戦力を祖国共和国は整えたものの、再びその予備戦力は枯渇していたし、補給状態に至っては生存を優先せざるを得ない状態だった。

 機関小銃の配備計画は停止したことは共和国大本営が動員計画を諦めたということでもあった。理由は様々にあるが、結局は兵站、ことに物資の輸送という問題が大きい。

 後方での自動車の整備事業が難航しているということだろうと将軍は理解していたし、概ね正鵠を射ていた。整備に適した人員の拡大と環境の準備ができなければ、自動車の実数を増やしても稼働数は伸びない、という事実は前線では痛いほどわかることで、ギゼンヌ軍団がたまたま人員と環境に恵まれていたということを理解できるくらいにはワージン将軍は自動車の運用について理解があった。

 事実上拠点から切り離されたまま動いている南部軍団や前線が上がったり下がったりの多い中部軍団は自動車の稼働数がみるみる減っていた。

 馬匹の消耗はある意味読めるが自動車の消耗は突然訪れ、その荷は馬匹とは一桁あまりも違う。宛にしていた自動車輜重が届かないということは大隊がひとつふたつ飢えるということだった。二両つなぎの牽引自動車は警護の兵隊を四人乗せ機関銃を備えていることから、帝国軍の騎兵中隊なぞ一編成で粉砕するような強力な乗り物で、貨物の積み下ろし用の小型重機は運用乗員だけで前線に引き渡しができるものだったから、行李をあらかたまるごと引き渡したあと歩いてトボトボ帰ることになる輜重よりも拠点からよほど深く離れたところでも気楽に往来をしていたが、それでも月に十数両か、冬は増えて数十両か事故は絶えなかった。事故の程度は様々だったが、事が起これば様々に別の問題に波及していた。

 ワージン将軍はローゼンヘン工業から個人的に幾両か自動車を購入していて、軽自動車を狩りに向くような掃除のし易い架台をつけさせたり、押し出しに都合が良いようにアクセルを座席の外から調整できるようにさせたりという、割と細かな注文をつける客でもあったから、割合と大雑把にできている自動車が一面ではかなり繊細な精妙な機構のつながりで出来ていることはわかっていたし、泥とか氷という日常に当たり前にあるものに備えてはいるものの弱い面があることも知っていた。

 対策としては面倒に繋がる前に泥や氷を洗って落として乾かす、というごく単純ないわば馬の世話のようなことをおこなってやれば良いだけのことなのだが、だけのことをおこなう事が戦場では難しいことがそもそもの面倒だった。

 水やブラシやボロ布或いは乾かすための火なり屋根なりを準備できるような状況は拠点といえるところでしか期待できない。

 中部軍団はいくつかの集落を拠点としてつかえる状態であったからまだしも既に人里離れたところで陣を張っている南部軍団はかなり難しい。

 ローゼンヘン工業が鉄道事業の他に何やら大事の事業を抱えていることは国家予算を伺わせる規模の社債を発行するということでわかっていて、ワージン将軍は師団の予算の繰越分をすべて突っ込んでいた。社債そのものの支払い満期になる前にどこかに売ってもそれなりの値がつくのなら軍票よりはだいぶ使い勝手は良いはずだった。

 これは多くが慣例と結果で成り立っている統帥権でもかなり怪しげな取引で取り上げられれば問題にもなりかねなかった。その曖昧かつ強力な統帥権によって様々な自由を与えられてはいたが、ギゼンヌではその自由を振り回すほどのことはこれまでなかった。

 ワージン将軍は全く彼らしい腹の据わり様で戦場から離れた後のことは気にしないままに、彼の必要と考えることを為した。

 そういう中で大本営から新設の試験部隊の新装備の支援を広域兵站聯隊に命ずるという辞令が本部から届いた。

 小規模な部隊よりは大規模動員とワージン将軍は思ったが、ギゼンヌを拠点としたい意向があるならばワージン将軍としては戦力が増えるわけで、そこは嫌もあるわけなかった。

 新型装備を巡っての人員の出向先がローゼンヘン工業ということであれば、尚更だった。

 ワージン将軍が人員を送り出すにあたって、バールマン少佐に決裁権を与え新兵器を強請らせた背景はそういう経緯だった。

 ワージン将軍はバールマン少佐が連れて帰ってきた、いかにも学者風の人物を内心首をひねりながら礼儀正しく迎え入れた。

 彼が持ち込んだ数の揃った野戦砲はこれまで見たことないような鋼の艶で大砲というよりは神殿の柱を切り出したかというような、いかにも強力そうな新兵器だったが、ワージン将軍が見るところ操作そのものは極めて簡便でローゼンヘン工業の製品らしく、わざわざ技術者が出向くような種類のものとも思えなかった。

 その砲も砲身は長いものの、小銃をそのまま大きくしたような印象のもので砲弾も思ったより小さく軽いものであると説明された。元来は自動車のようなものを狙撃するための砲であると聞いて納得したが、今回はその性能から外れた使い方をするということで、技術者が来ていた。

 ワージン将軍が驚き呆れまた興味を惹かれたことに、やって来たやけに気取った彼は大砲の技術者ではなく、元来、代数学を扱う数学者で現役の教授にして博士であるという。

 そして彼がついてきたのは大砲の操作のためではなく、ローゼンヘン工業が開発していた機械を試験するためだ、と云う。

 当然に戦場の戦争の専門家である参謀たちは教授とか博士とか云った肩書を持つ者が戦場に物見遊山に訪れたことで胡乱な者だと思ったが、なぜそれが繋がるのかの構想をバールマン少佐が説明したとき、説明に居合わせた幕僚たちは凡そ戦場を知らない者の考える無邪気ささえ感じるその途方もなさに呆れたが、ワージン将軍は無意味とまでは思わなかった。

 ワージン将軍としては万全の信頼を与える幕僚たちからの自らが考慮していない点での反対がないならば、実施をする意味があると感じる作戦計画だったし、語られた構想自体は将軍の好みに合致していた。

 幕僚たちは内心の不信とは別に兵站上無理がない範囲で効果的な作戦準備のための仮の目標を探した。作戦の発起に先立って実際にどういうものなのかを確認した結果として、目で確かめることができないが本当なら面白い、と云う程度に幕僚たちは納得した。

 かくして破鐘作戦の前段、帝国軍地図番号一九〇四座標記号一二〇五-二〇三号高地の拠点化を目指す作戦、鐘の音作戦が実施された。

 ワージン将軍はその過程で実は何が新兵器であったのかを、直感で察知した。

 それでは、と実験の終わった測定器とともに帰ろうとするジェーヴィー教授を口説き落とし、文字通りの画期的新兵器である電波探信儀と高速電算機による電波位相測量機器を戦地に残置させることに成功した。バールマン少佐に勲章を申請することすら口走った。

 まずは、と手元で作れた当座の八千発と云う恐怖砲撃は敵の数や戦域の広さを考えればいかにも少なかったが、しかし一度に百発ともなると全く頼りなくともそれなりの効果を及ぼした。

 人の動きが鈍る朝日が登る少し前のモヤける時間を狙ったり、畑が乾く午後の日の中で突然起こる火の手に帝国の植民者達、この戦争の開始当初から土地を構えたような比較的裕福な者達は混乱した。



 この時期、水の便の良い豊かな土地を両軍の兵の命で肥やしたリザール湿地帯は全く驚くべき収穫を上げる巨大で豊かな農地と化していた。

 川向こうから川沿いの旧共和国軍の陣地と帝国軍の前哨陣地までの厚み十リーグほどの土地を耕地として開放するだけで帝国軍の百万の将兵と百万の開拓民とさらには馬匹の腹を満たして余りを蓄えに回すことができるほどだった。

 ほとんど四百年間、将兵を飢えさせないことと常に戦い、兵站の困難に苦しみつつリザール城塞を支えていた帝国軍の糧食担当参謀にしてみれば、歴代の嘗胆の苦しみの甲斐があったと喜びに涙するほどのことである。

 リザール川に突進する共和国の動きがあったのは夏の盛りの頃だった。

 とは言え共和国の普段の漸減作戦とさして変わらなかった。植民者たち民兵の抵抗努力によって共和国の自動車と称する快速部隊はその限界を晒し、帝国軍が従前よりすでに把握している通り、兵站の苦境にある共和国は突進力をやがて衰えさせ、リザール川を未だ望むこともできない遙か西二十リーグあまりで停止した。そして共和国の常套手段である野戦陣地を整備し始めた。

 いや、かろうじてリザール川流域が見通せることに優秀な帝国軍参謀が気が付かなかったはずもなかった。だが見通せると言っていくつもの丘の向こうのそれほど広くもない山と言うにも物足りない高地――帝国軍の地形分類上は山地――を手に入れただけだった。

 水源のある独立した高地は相応の陣地化をすることで即席の城塞になる。短期間での排除は難しそうだと帝国軍幕僚は判断をした。共和国軍の意図もおよそのところ見当はついている。帝国軍の経路を絞るための物見櫓のつもりだろう。共和国軍が使う左道を帝国軍は認めていないが知っている。後方の拠点から前方の拠点までの経路に小さめの拠点を置き哨戒線を引く。そうやって薄い鳴子を布いた上で帝国軍が鳴子に触れると強襲部隊が自動車で現れる。

 共和国の蟻のような戦術は厄介ではあったが、それほどに問題がある状況でもなかった。共和国軍の自動車戦術はもちろん未だに帝国軍の脅威であり、危険なまでに有効な戦術ではあったが限界をも晒していた。

 共和国軍の哨戒線に沿った土地以外では自動車による突進力が戦略作戦戦術で格段漸減殺がれていたし、自動車運用自体が共和国軍に兵站上巨大な負担をかけていることは帝国軍も既に把握していた。

 少なくとも自動車部隊が訪れて幾らかの戦場で負けたとして、それを取り返せるだけの戦力が帝国軍にはあったし、共和国軍はそう云う突出したいくらかを全て守れるほどに戦力を揃えてはいなかった。

 帝国軍は緩やかに共和国軍を挑発し時間と物資を消耗させ、うかつに決戦を挑まなければいいだけだった。

 帝国軍は共和国軍連絡線への消極的な偵察を頻繁におこなうようになった。もちろん機を見るに敏な或いは血気に逸った士官は帝国軍にも多いし、共和国軍の連絡線を往来する馬匹による輜重の全てに十分な護衛がつけられているわけではない。連絡線というもののすべてを自動車化できるほどの贅沢は共和国軍もできていない。輜重の規模が大きくなれば、護衛は難しくなるし天候や地形も絡んでくる。

 それなりの規模でそれなりの時処を選べば、どれほどの護衛と準備をしていても鈍重な行李を連ねた輜重隊を痛めつけることは不可能ではない。

 帝国軍の苦戦はそれとして有利と謳って、それを頭から疑う者は共和国軍にも少ない戦況だったと云える。

 共和国軍による一見強引な前方拠点の構築も帝国軍は意図を誤らなかった。

 共和国軍の次の作戦への布石であることは明らかだったし、共和国軍の作戦目標がリザール川周辺の制圧を目論むものになることはわかりきっていた。リザール川を渡ってくる帝国軍と植民者を押し止めないことには数万だか数十万だかの共和国軍に勝ち目はない。もちろんそうあるためにはそれなりの準備が必要であるし、その準備のために共和国軍はかなりの数の自動車を単に確保した高地を陣地にするため以上の物資とともに往来させていた。

 だが、共和国軍を封じることはそれほど難しくない。

 消極的に手緩くしかし手数を使い柔らかいところから崩してゆけばよい。

 偵察を主任務としたといって帝国軍の損害も小さくはなく、いくつかの聯隊は装備をほとんど失うという状態まで消耗していたが、ワージン将軍の師団は戦力の予備をほぼ使い果たして、ギゼンヌ軍団に組み込まれ機関小銃を受領したばかりの再編成中の聯隊に頼る事態になっていた。


 新兵器受領といって兵隊が試し打ちさえおこなえない状況でいきなりの実戦に引き込まれた共和国軍六四聯隊は新編部隊というわけではないが、陣地に展開させていた銃兵大隊がわずか数秒で弾倉の弾薬を使い果たし、弾倉交換の操作もできないまま、慌ててマスケット銃を揃えて体制を整えるという喜劇的な状況に追い込まれていた。

 新兵器である機関小銃の扱い方に対して口頭での説明すら満足にないまま、連隊本部の自主裁量で予備としてマスケット銃はそのまま携行していた。

 目標の高地周辺に野戦築城のための縄張りを目的とした強行偵察という軍団本部の説明だったが、圧倒的に少数の帝国軍と遭遇し、序盤こそ機関小銃の圧倒的な火力で共和国軍側が優勢だったが、機関小銃の扱いの不慣れから共和国軍部隊が瞬間的に携行弾薬を消費し尽くし、散発的な帝国軍前衛によって足止めされている間に、複数の有力な帝国軍部隊が集まり始め、やがて高地一帯の制圧が不十分なまま陣地線を整理して、体制の立て直しを優先せざるをえない状況に追い込まれた。

 連絡参謀の念話から事態の推移を察した軍団本部が次善策を準備し間に合ったが、連隊が確保できた陣地線は第一目標の高地の稜線を抑える位置には達したものの、リザール川の河川敷を見下ろす位置までは進出できていなかった。それどころか、無理にリザール川に達しようと思えば挟撃される位置に帝国軍の部隊が防衛戦を張る時間を与えてしまっていた。

 共和国軍側に現場部隊と作戦司令部との齟齬という失態があったとはいえ、帝国軍の精強さ機敏さを感じさせる作戦の結果だった。


 全般的な状況としてワージン将軍の狙い目は果たしたものの帝国軍やや有利とみえる戦況だった。



 そういう中で起きたリザール川流域開拓地での大規模な一斉放火事件だった。

 件数は不明、地域も日によってバラバラ。ただ朝方人々が動かない時間か、午後日に焼けた畑が乾く時間を狙って突然放火される。

 それが共和国軍による砲撃であると確信を持って報告されたのは、移動中の輜重が偶然直撃を食らったからだった。

 突然音もなく落着した砲弾が破裂し中身を撒き散らし炎を上げた。火勢が強すぎて為す術もなかったものの、幾人かはその光景を見ていて、砲撃だと確信した。人の前腕ほどの長さのそれほど太くない細長い砲弾だった。

 それが二本、部隊のそばに降ってきて破裂し、うち一本が輜重段列中央の大行李を直撃していた。

 砲弾の火炎は砲弾自らをも焼き溶かすほどのもので、もちろん輜重隊は散り散りになり、荷と道を諦める以外、為す術はなかった。

 後日調査にあたった参謀団も細かな事情周辺状況は輜重隊からは確認できなかったが、周辺でも時を同じくして似たようなことが起こっていて、砲撃だと確信した。敵の姿は見えなかったが、つまりはそう云う隠顕嗜む強敵が恐れを知らず遥々帝国新領内に踏み込んでいるということだった。

 帝国軍騎兵によってかなり厳重な警戒が敷かれることになったが、その甲斐もなかった。

 とはいえ広い地域にわたっての小規模な放火は、実のところを云えばあまり帝国軍にとって問題ではなかった。

 納屋や家に落ちれば火事になるし、焼き出される者も多いが、野焼きや山火事と比べてもあまりに散発的で砲撃と知ってからも、まともな意味での攻撃であるというよりは、腰の引けた盲撃ちか、何かの流れ弾という程度の認識だった。それにしてはどこから飛んできたかということが問題だったが、納屋や馬車、運が悪ければ家が丸焼けになる程度の火炎瓶は百や二百飛んできても、せいぜいが畑が丸焼けになったとか、そういう話題でしかない。

 問題にしたのは突然家や畑を焼かれた植民者たちだった。

 まだ畑も青いうちだったが、この後の秋の実りを前に食料庫を焼かれた集落もあった。

 税にも差し障る。

 皇帝陛下の軍がこうも卑怯な火付け犯を野放しにする事に正義はあるのかと訴えた。

 一発の火炎瓶が突然引き起こす通り魔のような事件はせいぜい数キュビットの出来事だったし、それが百やそこら起きたところで問題にならない。兵理に従えば住民の訴えなぞ無視をすればいいだけの事だったが、無視を出来ない事情もあった。

 次第に土地を失い塹壕を張り巡らせていることで往来が妨げられ、後方から送られてくる植民者たちを迅速に前方に転送をおこなえず、旧来の住民と問題を起こし始めていた。

 消極的とはいえ偵察と強襲を繰り返している騎兵は疲労し始めていたし、陣地にこもっていることで兵の鬱屈も増していた。

 大きくは地の利のあることを活かして戦力を一点に注いで土地を稼ぐ帝国軍の夏季攻勢が計画された。

 共和国軍に回廊をあまり太くされると当然に厄介であることから突端陣地に近い側で帝国軍による回廊封鎖が試みられた。当然にこの突端陣地が誘いであることはわかってはいたが、二十リーグも回廊から離れている主戦線に援護する手立てがあるとも思えなかったし、あるなら突端までの土地は全て制圧されている。

 陣地が放火攻撃の策源地だとして共和国の実験的な攻撃である可能性は高かった。

 また、これが全く関係ないとしても突端を包囲できるなら人員兵站に劣る共和国に打撃を与えられる事になる。

 明らかな敵の誘いに対して兵理からではなく政治から兵站から反撃を決意するのもいささか心もとなくはあったが、すべてが整う戦場なぞありえなかったし、帝国軍にとって分のない賭けというわけではない。うまくゆけばわずか数日で勝利を引き寄せられる作戦だった。

 実際に共和国軍に突端まで戦線全域を押し上げるだけの能力はなかった。それは戦闘力というよりも兵站を維持できる能力にかけていた。

 植民者達民兵はジリジリと戦線をすり抜けようとしていたし、火力で優っていても兵員数で負けていた共和国は戦闘ではなく浸透を試みるようになった民兵を捕捉するので精一杯になり始めていた。

 一旦共和国の配置に穴が開けば、当然に帝国軍本隊が流れこむ。

 結論だけ云えば、突端の砲撃陣地への回廊封鎖を狙った帝国軍の反撃は失敗に終わった。

 しかしこの恐怖作戦のための突進とその後の帝国軍への対処でギゼンヌ軍団は戦力的な予備を使い果たしていた。中部イズール軍団と南部ドーソン軍団は未だに戦力という意味では余裕があったが、ドーソン軍団はリザール川を遡上するうちにとうとう帝国軍の抵抗を受け始めていた。河川対岸の山地部から砲兵の支援を受ける小規模ながら本格的な陣地で、土地を諦めるか足を止めるかを選ばされたドーソン軍団は一旦足を止めることを選んだ。

 河川沿いの進撃で有利な上流を抑えられることはドーソン・ダッカを危険に晒すことになる。

 イズール軍団は潜在的には包囲されたような心理状態でイズール山地の検索をおこないつつゆるやかに前進を続けていた。イズール山系は往来には険しいものの決して貧しい山地ではなく、無理をせず持久をするだけであれば戦力を維持することは不可能ではなかった。

 いまだ聯隊規模の部隊が散らばっているはずであったから連絡線の警戒そのものは必要だった。

 共和国軍にとって覚悟していたとはいえ精彩に欠く共和国軍反攻作戦二年目の展開だった。

 共和国軍前線将兵について弁護するならば、そもそも論として兵員数で一対五という極端な劣勢であり、常識的な戦闘力という意味においてならば全く勝ち目のない戦略状況を兵站能力を倍加させる様々を用いてようやく作戦的余地を与えていた。

 当初の奇襲的効果を超えてなお共和国軍が優勢である、というのはある意味で共和国軍の兵站組織の努力を示していた。

 部隊指揮官の多くは自動車の配備をもっと前線に集中すべきだと主張していたが、彼らの糧秣その他の物資を後方から延々運んでいる自動車がなければ、従前の人員の三倍を東部戦線に集中させることはできなかったし、彼らの手をわずらわせている捕虜を後送することもできなかった。

 捕虜が結局後方で脱柵したり荒野に放逐されたり奴隷として売られたり或いは命を失ったとして、それが前線の兵士の手を煩わせた結果でないことは、軍政兵站面で重要であることを殊更に強調するまでもない。

 共和国軍の多くの部隊指揮官が気がついてはいなかったが、自動車それ自体が大きく兵站を蝕む要素を備えてもいた。

 軍令本部も前線の統帥能力を見積もり、兵站本部の戦略的意図をしぶしぶながら承認して自動車の前線への集中を諦めていた。無理矢理に突進した陣地も、自動車がどうこうというのはこうなっては過去の話だということを示すように歩兵の血と汗で築いたようなものだった。

 鐘の音作戦と呼ばれたこの戦いは、恐怖砲撃と陣地的な突端によって帝国軍の反撃を誘い痛撃するという、決戦強要型の作戦だったが、こうも兵数で劣勢だと帝国軍を痛撃しても追撃に至らず、危険を犯した割には一見無意味な戦いだった。

 恐怖砲撃の成果にしたところで、最低限麦の収穫を二度またいで通年確認しなければ意味のないようなもので、実体としてどれほどかという問題はあったが、北部軍団が強引な突進をおこない帝国軍の主力を誘引するという戦略価値は、中部南部に対して有利に機能するはずで、特に中部軍団は今のところ帝国軍主隊との衝突を起こしていないことで土地を稼げる良い機会だった。

 また大きく前線の兵站に負担をかける作戦ではあったが、拠点としてのアタンズ・ペイテル・ギゼンヌ或いは後方のウモツやヌモウズと云った町にとっては、大きく時間を稼ぐことに成功した。

 帝国軍の数の暴力は共和国軍に戦線の安定を許さず、しばしば無謀にも見える冒険的な突進をする帝国軍の部隊によって、輜重のみならず市井の人々にも被害が出ていた。

 帝国軍の騎兵中隊の戦力は機関小銃で多少景気を付けたくらいの民兵では太刀打ちできない力を持っている。

 アタンズが回復したとはいえ拠点としては脆弱で、イズール山地にも不安は抱えているものの鐘の音作戦の効果は、帝国軍本軍の動きに影響しているように中部軍団域では感じられた。

 帝国軍が無限に近い兵を擁しているという感想は、共和国軍の前線の兵士であれば絶望的な兵隊稼業の日々の恨み言のついでに出て来る愚痴だったが、それが練度の低い、というよりも農民がついでにやっている自警団と変わらないような民兵であることは、中部軍団各級司令部を通じてイモノエ将軍の幕下に報告が上がっていた。

 新編の聯隊を複数軍団に送り込むべく既に移動を開始した、という大本営の通達を好機と見てイモノエ将軍は軍団の戦線を押し上げることに決した。

 イズール山地では時たま思い出したように帝国軍の残兵があちこちの集落を襲っていたが、推定では千を超える単位ではない、と言う報告もあった。

 帝国軍正規兵崩れの野伏であれば、新編の聯隊に戦場の気合を入れる相手にはちょうどよい。

 程度の分からないまとまった部隊を受け入れることの面倒は、今次開戦とは比べ物にならないほどの複雑な状況になった東部戦線では避けたかった。

 このまま北部軍団主戦線を追い抜いて、大きく大包囲を狙える位置にも出られればと期待した矢先に強力な帝国軍の抵抗線と衝突した。左右は民兵と思しき手応えのない戦力だったが、教科書通りの全周陣地と援護の機動戦力の連携にあっては手応えのない民兵といえども強力な障壁となった。

 イモノエ将軍も前方に全周陣地を突出させ包囲戦力を釣り出し漸減を図ったが、手持ちの多い相手と剥がし合いをする博打のような難しさを感じていた。

 そういう中でイモノエ将軍はワージン将軍から新兵器を使ってみないかという誘いがあった。

 補給が安定しない新兵器ではあったが、薄く広く使うことで効果がある種類のものであるという説明は、兵理には反していたが、確かに説明を聞けば夜盗賊徒がおこなうような種類の作戦だった。イモノエ将軍の配下の確保した高地の幾つかは作戦の適地でもあった。

 誘導結果は無線で知らせてくれるということだったが、結局司令部同士の連絡は昔ながらの伝令と連絡参謀によっていたのでそこはあまり宛てにせず、嫌がらせの効果が上がることを期待してイモノエ将軍は気の利いた砲兵にワージン将軍の新兵器とやらを預けた。

 砲を集中させるべきかどうかは供給される砲弾の数によることで、楽しみにするとして、砲の操作自体は小銃並みに簡単に出来ていたから、その散布界が一リーグという間抜けな大砲を預かることにした。

 共和国軍が攻めるよりも受けて立つほうが強いことをイモノエ将軍はここしばらくで実感していたから、敵が突っかかってきてくれる材料を探してもいた。機関小銃と機関銃そして迫撃砲と云う組み合わせは弾丸があるかぎり陣地転換を繰り返すことで敵を嵌め潰すこともできる装備体系だったが、その弾丸の手当は歩兵中隊の行李にこれまでにない負担をかけていた。

 イモノエ将軍には結果はまるでわからなかったが、多少高地陣地を攻め寄せる帝国軍に真剣さが増したような気がした。もちろん、あくまでイモノエ将軍の願望を含めた感想だった。

 鐘の音作戦はその作戦意図を達成したものの、戦略意図についての達成は評価がわかれる作戦だった。

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