ウエノ発の夜行列車に乗って。
「スーリア、部屋にいるかい?スーリア!」
目が醒めると先生の声。
辺りは見慣れた自分の家の玄関だった。声がするのは玄関の外から。
ーーああ、あたしシンの魔法で一人帰されて、そのまま玄関で眠っちゃったんだ。家の中が明るいから、今は昼間かな?
「スーリア、僕だよ。ヤジマ・チャンドラ。居るなら開けてくれないかな?」
ーーどうして先生がここに?お正月は仕事休みじゃないのかな?
「先生、どうしたの?」
スーリアはドアを開ける。
「おはようスーリア。突然の訪問で驚かせたね」
そこには、スーツケースを持った先生がいた。
「明けましておでめとう…じゃなかった。おめでとう。先生」
「寝ぼけているね?明けましておめでとう」
__シンみたいなアホやっちゃった!
「先生、元旦にどうしたの?どこかに行くの?」
「ああ。出かける前にスーリアに会って話がしたくてね。部屋に入れてくれるかい?」
「え!?それは…」
それはダメだった。自分以外の人間を部屋に入れてはいけない。そういう規則になっているのだ。
「ごめんなさい先生。いくら先生でも、こればっかりは…」
「まあ、一杯紅茶でもどうかな?」
差し出された水筒。
先生が何か言っている。けど、スーリアは朦朧として何を言っているのか聞き取れない。
何か魔法の言葉を言われた気がする。
何の脈絡もなく差し出された水筒を受け取ると、蓋を開けて口に運んだ。
「そうかい。スーリアは昨晩、シンくんと一緒に居たんだね」
「そうなの。あにさまを守るために呪いの封印を二重にしたんだ」
スーリアは、気がついたら先生を部屋に上げていた。先生はリビングの椅子に座ってスーリアが出したお茶を飲んでいた。
ーーどうしちゃったのかな、あたし。自分以外の人間を部屋に上げたらいけないのに。どうしてこんなことになってるの?
しかし、スーリアは荷造りを始めている。
心のどこかで何かおかしいと思いながらも、体は先生の前で、どこか遠い所へ行くための荷物を、自分のスーツケースに入れている。
「スーリアはもう、こんな所にいたらいけないよ。怖いことばかりじゃないか、ここは」
「煩わしいあにさまのことも、心を掻き乱すシンくんのことも考えなくていいんだ。ここから遠い所に行こう」
「何も心配はいらないよ。みんなには言ってあるから」
「スーリアは僕と東照機国へ行くんだ」
スーリアは答える。
「はい。先生」
__これしかないんだ。もう。あたしのことを認めない世間も、クラスメイトも、教師も、あにさまも、シンも、置き去りにして去らなければ。あたしは、ここに居たら幸せになれない。
「もう苦しまなくていいんだ。僕さえ君の側に居ればいい」
「ありがとう先生。大好き」
__そう、あたしは先生が好き。その真実だけあればいい。
カーテンを開ければ懐かしい街並み。
__あたしは、今日、ここを出る。
元旦も暮れようとしている夕方。先生と思いっきり話し込んで、悩みを打ち明けて、先生の全てを知って。
__先生は、そんなに悲しかったんだね。
もう少しで荷物もまとまる。
監視カメラの電源を切って、ネットから自分をシャットダウンして。
タブレットは最初から持ってないから、誰と繋がることもない。
体に埋め込まれたGPSは、先生が時間をかけて通信を切ってくれた。
夜更け、葉月がマンションのフロントに連絡してきたが、スーリアは居留守を使った。
深夜、先生の手を取りマンションを出る。
顔をサングラスで隠して乗るのは、ウエノ駅から出ている夜行列車。人混みに紛れ、何者でもない大勢の中の一人になる。
__これしかない。もう、この方法しか残ってない。先生に好きを伝えるには、この方法しかないの。
スーリアは大陸の東の果ての赤青国の港町行きの列車に乗り、先生と逃避行をする。
「みんな、心配してるかもしれない」
「そんなことはないよ。スーリアは、あそこではただの人形で、大衆を満足させるための道具だったじゃないか。誰も本当に君を心配してくれる人はいないよ」
「そうだね」
寂しそうに笑うスーリアに、先生はほくそ笑んでいる。
何かを企んでいるが、それを考えることはスーリアにはできない。
「君はこれから、東照機国へ行くんだ。僕の故郷だよ。前に約束した通り、雪景色を見よう」
「楽しみだな」
「その前に、トウキョウに寄ってもらえるかな。君を両親に紹介したいんだ」
「はい。先生」
何日かかけて赤青国の港町に着くと、東照機国からの連絡船を待った。
連絡船に乗り、果てしない海を渡れば、そこは東の果ての国。
テレビもネットもなかった。世界で何が起こっているかなんて、知らずにいた。
「東照機国では、スーリアと一緒に暮らしたいな」
「心配はいらないよ。東照機国の人たちはみんな良い人だから」
「スーリアはAガーデンから東照機国に拠点を移すんだよ」
いつの間にか、旅行ではなくなっていた。先生と一緒に暮らすんだという。
「スーリアは僕が守るから」
「愛しているよ。スーリア」
スーリアは先生の言うことには全て同じ返事をした。
「はい。先生」
連絡船に乗り換えると、国の要人のような制服を着た男性たちが船を動かしていた。
「この娘がスーリアか」
「ついにやりましたね。矢島さん」
「これであなたは国の試験管ベイビープロジェクトのリーダーですよ」
何か人々は言っていたが、スーリアの心は遠い所にあった。
__この冬は、色んなことが起こるな。あにさまがAガーデンに帰ってきて、シンに出会って、初めてのデートをして。そう、あのキスも、あたしには初めてだった。
ふと心に浮かぶのは、沢山のスポットライトに照らされて踊って、歌っていた自分。
これからは、東照機国でそれをするのだ。
東照機国は島国だ。陸が見えると、雪が海上に降っていた。
本州の西の港に着くと、厳重な檻のついた空中バスに乗せられた。
そこからは、1日かけてトウキョウに行く。
檻の隙間から下に見える街並みは、灰色で。灰色の雪の中、全ての色が無くなったかのように思える。
「スーリア、雪が綺麗だね」
「はい。先生」
トウキョウも同じだ。
灰色の摩天楼の中を行く。Aガーデンと同じように、最先端の街に見えた。
__この色のない世界は、シンが見ている世界なのかもしれない。
ふと笑みがこぼれる。シンと一緒に来ていたら、初めて同じ世界を観れるのかもしれない、と。
空中バスが停まったのは、東照機国の伝統的なお城のようだ。
入り口には、スーツ姿のいかにも要人というようなおじさん達がいた。
「ようこそスーリア」
握手を求められ、応える。
「初めまして」
すると、おじさん達は先生に視線を移した。
「よく任務を果たしてくれた。君に栄誉賞を授与するよ」
「ありがとうございます。閣下」
先生は少し緊張しているようだった。
「さて、早速、彼女の健康状態など調べようか」
「いえ。それには及びません。彼女の体のことは、私がよく分かっていますから」
「そうかい。さっそく試験管の仕組みなど、この検体から調べたいんだが」
「今日は彼女を休ませてあげてくれませんか」
先生はスーリアの手を握る。おじさんはいぶかしげな顔をして。
「そうだね。少し、この土地に慣れてもらってからの方がいいね」
先生はスーリアの手を引き、お城を出る。
地下鉄を何本か乗り継ぎ、上野という場所で降りた。
「僕の家は、上野にあるんだ」
「ウエノってあたしの住んでる所?」
「いいや。そのウエノは、昔東照機国人が住んでた所から付けられた名前なんだ。大元の上野は、ここだよ」
「そうなんだ」
タクシーに乗り、着いたのは、大きな一軒家。
「ここが僕の実家だよ。スーリア」
大きな家だった。東照機国の伝統的な作りのお屋敷。
「お帰りなさいませ。月之丞さん」
「ああ。ただいま」
お手伝いさんのような女性たちが数人、玄関で待っていた。
その中で、着物という伝統的な服を着た女性が、先生に駆け寄った。
「よく使命を果たしましたね」
その人は、先生に抱きつく。
「はい。行ってきました。お母様」
先生の母親のようだった。
先生の母親は、スーリアに目配せすると、さらに嬉しそうに言う。
「すごいわ。この子がいればさらに家の格が上がるわよ。あなたのお陰よ。月之丞さん」
スーリアは挨拶しようとした。
「はじめまして、です」
しかし、先生の母親はスーリアに背を向け、家の中に入って行った。
「さあ、入ろうか」
先生に促され、スーリアは靴のまま上がろうとした。
「待って、スーリア。靴は脱ぐのがしきたりなんだ」
「ごめんなさい」
そうだ。
ここ数日、スーリアの頭はボーっとしていて、頭が働いていないと思うことが、自分自身何度もあったが。
東照機国では、家は外履きの靴を脱ぐ習慣があるのだ。
「さっきの挨拶、あれね、はじめましてにですは付けなくていいんだよ」
と、先生が言う。
「はい。先生」
東照機国に着いてから、スーリアは東照機国語しか喋っていなかった。
外国人が喋るには、この国の言葉は少し難しい。
__だからなのね。先生のお母さんがあたしに返事しなかったのって。
と、スーリアは思ったが、そう言うわけではなかった。
夕食になると、大広間に用意された席に座った。
「先生、ねえ先生、あたし、東照機国のテーブルマナーも知らないの」
「大丈夫だよ。普段と同じでいい」
「…はい。先生」
大広間には、先生の父親と母親と、隣に並んだ先生と一緒に伝統料理を食べた。
先生の父親も母親も、スーリアをこの国に連れてきた功績を称えた。
「素晴らしいよ、月之丞君」
「ありがとうございます。お父様」
「これで将来も安心ね」
「はい。お母様」
彼らは、スーリアはここに居ないかのように喋った。先生は嬉しそうに笑っていたが、強い孤独を感じた。
次の日になると、お屋敷は色々な来客を迎えた。
先生の大学の教授や研究室の同期、後輩などは、早くスーリアの体を調べたいとそればかり口にした。
お屋敷の近所の人たちは、遠い国からやってきたスーリアを物珍しそうに見にきた。
「Aガーデンのカンダタ医師の作った試験管の仕組みを早く解明して、この国でも、伝説の人物を蘇らせたい」
「遺伝子操作の技術があれば、この国も、他の先進国のように発展できるかもしれない」
「この子がスーリア。Aガーデンの昔の人たちのように、黒い肌をしているね」
「この子を早くネットで取り上げて欲しいものだよ。凄い騒ぎになるよ」
先生は言う。
「そんなに慌てて色々しなくても大丈夫ですよ。この子はもう、この国の物ですから。私が居れば、この子はどこにも行きませんし」
スーリアは、意識の遠いところで思った。
__あたしは、物なの?
東照機国に来て数日が経ったある日、スーリアは先生に連れられて、先生の出身の大学に来ていた。
とある研究室に案内される。
服を全部脱いで、患者が着るような前あきの服に着替えさせられた。
暗い部屋に寝かされて、一人取り残された。しんっとしている。
__今日は何日?何曜日なの?もう学校の新学期が始まっているんじゃないの?あたしは何をしているの?どうしてここにいるの?
「先生!」
スーリアはパニックになった。泣きじゃくって助けを求め、大好きな人を呼んだ。
「スーリア!」
先生に抱きしめられたかと思うと、部屋は明るくなった。
「スーリア、もう大丈夫だ。安心して。僕はここにいるから」
すると、研究員の人々が口々に言う。
「大丈夫なんですか、矢島さん」
「これじゃあ研究になりませんよ」
「この子の暗示をもっと強力にした方がいいんじゃないですか」
先生は、初めて取り乱した。
「黙ってください!この子は僕の大切な人なんですよ。もっと、ゆっくり事を進めて行きましょう」
それから、スーリアは上野のお屋敷に戻り、荷物をまとめさせられた。
「スーリア、ごめんよ。少し僕と旅に出ようか。ここは忙しすぎる。そうだ。前に言ったアバシリに行こう。ダイヤモンドダストを見よう」
「…はい。先生」
そして二人は旅に出た。
本物の上野駅から夜行列車に乗り、青森駅まで。
「ここは綺麗だろう?Aガーデンのような都会ではないから、雪景色も飛んでいる鳥たちもイキイキしている」
「はい」
青森駅から連絡船に乗り、北海道に行く。
冷たい風に凍えそうな手を、先生は両手で包み込んで温めてくれた。
連絡船から電車に乗り換える。
__先生と二人でバンジージャンプをする。
崖から見える向こう岸は、本州と言うのだと先生は言う。
「もう、戻れないんじゃないの?」
「いいや。大丈夫だよ。僕がスーリアの側にいるからね」
__二人で海に身を投げるような気分。抱き合ったまま。紐は頼りなく、いつ切れてもおかしくない。
「これしかないんだ。僕が君を好きだと証明するには、これしかないんだ」
アバシリには、氷のように冷たい牢獄があった。
「こんにちは、です」
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