ゲレンデのウニ。
朝目覚めて、ワクワクしながら監視カメラの向こうに話しかける。
「皆おはよう!今日は待ちに待った学校行事の日。スキー合宿の出発日だよ。クラスメイトが動画配信して中継するかも。あたしはタブレットも携帯も持ってないから、様子はクラスメイトからの配信とかを見てね。じゃ、行ってきます!」
今日は監視カメラを意識するのはこれでお終い。
お楽しみを詰め込んだスーツケースと、中はふわふわ外は防水加工の暖か防寒着を手に学校に向かう。
タクシーの運転手さんもスーリアの様子が違うのが分かったらしい。
「どうしたの?今日は何か楽しいことがあるのかな?」
「うん。今日はスキーに行くんだよー」
笑顔のスーリアをバックミラーで見た運転手は微笑んだ。
「いいね」
学校の門の中には、引率の教師と多数の生徒の姿があった。
「あにさま」
タクシーから降りたスーリアが手を振るのはゼロ。
「スーリア。来れたんだね」
そう無表情で言うゼロから渡されたのは、24時間カイロだ。これで今日一日は、どこにいても暖が取れる。
「今日も明日も仕事は休みだよ」
カイロを両手で包み、温もりを確かめる。
スーリアはスキー合宿の二日間、ディーヴァを休むことを許された。
「スーリア」
声のする方を振り向くと、シンがいた。
「探したぜ」
シンは息が荒い。
どうやら沢山の生徒の中、スーリアを探し回っていたようだ。
「おはよ。シンも仕事休めたんだ」
白い息を吐くスーリアに肩を回すシン。
「隣の席に座ろうぜ?」
シンが目配せするのは、手配されたバスだ。
「ん?何であたしが何時間もあんたと隣り合って座ってなきゃいけないの?」
首を傾げるスーリア。
「は?決まってんだろ!」
と、シンが激昂しようとしたところ、割り込んでくる声があった。
「シーンーくーん!」
「げ」
シンはスーリアの後ろに身を潜める。
「何々、シン」
隠れるシンの視線の先にスーリアが見たのは、ヨシコの姿だ。
ヨシコはシンを見つける。
「シンくんってば、そんなところに隠れてたの?恥ずかしがり屋さん」
「恥ずかしがってなんかねー!こっち来んな!」
シッシっと手を振るシンに、スーリアは言う。
「ちょっとシン、その態度あんまりじゃないの」
「そう!スーリアの言う通り。そんな態度、わたしのガラスのハートが傷つくわ」
と、ヨシコ。
「お前の魂胆は分かってる!オレとバスで隣の席になりたいんだろ?冗談じゃねー」
と、シンはスーリアを盾にする。
「ひどっ」
「酷いわシンくん。乙女の願いを叶えてはくれないの?」
「乙女の願いが指相撲かよ!オレはバスの中で始終、指相撲なんてやってられねーよ。オレはバスん中じゃ寝てたい派なの!」
「わたしはただ、シンくんと一緒にいたいだけなのに…」
ヨシコは顔を手で覆う。
「あー、あのなー。オレは彼女と一緒に座るから。そもそもクラスが違うからバスも違うだろ?」
頭を掻きながらスーリアの後ろから出てくるシン。ヨシコは顔を上げる。
「シンくんに彼女なんていないじゃない。スーリアとは偽装カップルだって聞いてるけど?」
スーリアとシンの交際はビジネスカップルだと校内やネットで噂になっているのだ。
「ヨシコさん、その通り。あたしとシンは実際付き合ってないから大丈夫。バスが出るまで二人でいたら?」
スーリアの言葉に面食らったシン。
「ちょっ!ウリやがったな!」
シンは叫びを上げ、ヨシコはその大きな胸でシンを包んだ。
「シンくん。バスが分かれるまでのしばしの間、二人で楽しみましょう」
「スーリア!この裏切り者ぐえ」
力が入るその腕で絞められるシン。
「楽しんでおいで〜」
人混みに姿を消していくシンとヨシコを、手を振って見送るスーリア。
どうも、シンはヨシコを撒きたくてスーリアを利用しようとしていたらしい。
ーーまったく。あたしを理由にしてヨシコさんを遠ざけようとはな。腕の中で締め上げられて、どこまで圧力に耐えられるかやってればいいーー
「スーちゃん」
大きなスーツケースと共に、いつものレトロなカメラを首から下げたハルさんが現れた。
「ハルさん」
スーリアは駆け寄った。ハルさんはカメラのシャッターを切る。
「スーちゃん一緒にバス乗ろう?」
「うん。一緒に乗ろう」
「わーい」
と、抱きついてくるハルさん。
ハルさんとスーリアはバスに乗り込む前に、並んで一枚、自撮り写真を撮った。
「うち、今日のスキーウエアかなり力入れてきたんだー。見るの楽しみにしてて」
「うん。あたしも初めてのスキーとあって気合入れたよ」
「うちね、今回のスキー合宿でいくつかSNSに写真を上げようと思ってて。ゲレンデでスーちゃんと一緒に撮ってもいい?」
「いいよ。楽しみ」
二人は、バスが出発して最初の30分ほどたわいない話をしていたが、喋っていたはずのハルさんが先に眠ってしまった。
バスは飛ぶ。
ガーネシアの摩天楼をくぐり抜け、旧世界で使われていた高速道路という舗装道路の上を行く。
建物の屋根にはうっすらと灰色の雪が残っていて。
ガラス窓の向こうの景色が、だんだんと人里を離れていく。
閑静な住宅街を抜けて走るのは、山々が連なる世界。民家がポツポツと無くなっていく。
シンは、誰と乗ったのだろう。ハルさんとの会話に夢中で忘れていた。きっと乗り込む寸前までヨシコに引き止められていたに違いない。
バスは、Aガーデン国立公園の上空に差し掛かった。
見渡す限り雪化粧の樹海だ。
バスの中で、宇喜田くん司会のレクリエーションにわき上がる子たち。眠っている子たちもいる。
しかし、外に広がる壮大な樹海の世界に心を持っていかれたのは、スーリアだけだろう。
__あにさまが、いなくなる。この世界から。スーの目の前から。消えてしまうの?あにさまの全てが。
あの雪の日、屋上庭園で一人、声を上げて泣いた。
誰も気づく者はなく、誰にも邪魔されず、あにさまのことを思った。
__なぜこの世界からいなくなるんだろう?なぜ死ぬんだろう?どうやって?あにさまは、どうやっても死ねないはずなのに。
キラキラのダイヤモンドダストが、幼い頃を思い出させる。
いつだったか正確な頃は忘れたが、大きな手が小さなスーリアの頭を優しく撫でた。
一緒にいる時に何度も頭を撫でられているのに、その時は特別優しい撫で方で。お別れの予感がしたから、その人を呼んだ。
__あにさま。
このバスの中の状況でも、考えると泣き出してしまいそうな自分がいる。
いなくなって欲しくない。生きていてほしい。側にいてほしい。
誰にも気づかれずに、思い返す頭の中で涙を流していた。
__あの屋上庭園を、お別れを告げる場所にしたあにさまは、特別優しい人。
スーリアは、一人で泣きたかったし、大きな悲しみを誰にも悟られたくなかったのだ。
自分は人形のはずなのに、湧き出る感情を抑え込めずにいる自分がいる。
その事実が、たまらなく許せない。
広大な雪の世界は、解けることのない魔法の中に閉じ込められたルドラ・シヴァ・ゼロの心の世界のような気がする。
命の時間を奪う風に冷えきって、絶え間なく降り積もる呪いの雪に埋もれて。
死の世界を永遠に彷徨い続ける。魔法が解けない限り、青年は悲しいまま。
__でも、なんて綺麗なんだろう。
天気は、晴れ。
白く冷たい世界を照らす清らかな太陽の光に当たって、ポカポカしてきた体が心地よさを感じる。気がつけば、いつのまにか寝ていたようだ。
「スーちゃん着いたよ」
ハルさんが肩を揺らして起こしてくれた。
スキー場に着いたのだ。
バスの外に出て荷物を持つと、ゼロがスーリアに微笑みかけてきた。
「あにさま?」
__実はバスの中で、ずっとあにさまのこと考えてたの。あにさまがいなくなるなんて、あたしはやっぱり信じられない。
「スーリア、皆と一緒にスキーウエアに着替えておいで」
ゼロはスキー場の更衣室を指差す。
「うん」
頷いて向かおうとするスーリアの背中に、ゼロは言った。
「こないだは突然告げてびっくりさせたね。あんまりそのことは考えなくていいんだよ。最後まで楽しもう。小生はスーリアと楽しい思い出を作りたいんだ」
__!?
心を読まれたのかと思った。振り向くと、ゼロは教師たちの輪の中に紛れ込んだ後だった。
__幼い頃に別れたきり何年も側にいたことがなかったのに、10年近くぶりに再会しても、あにさまはなんだか距離が近いな。
スーリアは、更衣室に向かう。
沢山の女子たちが着替える中、あることに気づいたので誰にでもなく問いかけた。
「ハルさんいる?スーリア来たよ。どこにいるの?」
近くにいた女子たちがスーリアの声に顔を見合わせる。
「スーリア、ハルさんから聞いてないの?」
「ハルさんはここに居ないけど」
「トイレに行くって言ってた」
スーリアは少し驚いた。
「ん?そうなのね」
__バスで一緒に居てくれたから、着替えも一緒だと思ってた。何か言ってくれればよかったのに。
着替えの女子たちは、一人着替えるスーリアに伝えずらいことを言いたげにしていた。
「スーリア、先生はスキーの経験あるの?」
そう話しかけてきたのは、エメラルド・サンドラ。
「あにさま?あるんじゃないかな。実際やってるとこ見たことはないけど、インストラクターやってたこともあるらしいよ」
「へえ。わたしもスキーの経験あるの。上級者コース行くって、伝えておいてくれる?」
「いいけど?」
なんだかエメラルド・サンドラの言い方がゼロに張り合うように感じて。
先に着替え終わり更衣室を出て行くエメラルド・サンドラは、挑戦的な顔をしていた。
スキーウエアを纏いレンタルのスキーセットを手に初心者コースのある丘の上に集まると、そこには、いつの間にか着替えているハルさんがいた。
ハルさんは可愛いパステルピンクのスキーウエアを着ていた。近くに赤いスキーウエアが目立つシンがいる。
「お前オレらと一緒にいると怪しまれるんじゃねーの?」
「ちょ!シンP何言ってんの?うちは何も怪しまれることなんかないんだからね」
「シンPて、やめろ」
「いいじゃんシンP。カワイイうり坊さん」
「やめろ!あの屈辱を思い出させるんじゃねー!」
「シンPカワイイカワイイ」
シンの頭に手を伸ばし、撫でているハルさん。何か誤魔化しているようにも見える。
シンは、ハルさんの腕を振り払った。
「ハルさん」
駆け寄ろうとするスーリアの後ろから、エメラルド・サンドラが勢いよくスキーを滑らせて走って行く。
その先にはゼロがいた。
「エメラルドさん?」
エメラルド・サンドラはゴーグル越しにゼロと視線を合わすと、勢いよく初心者コースを滑り降りて行った。完璧に玄人の滑りだった。
首を傾げるゼロ。
「あにさま」
スーリアがゼロに駆け寄る。
「エメラルドさんは、上級者コースに行くそうだよ」
ゼロはスーリアの頭を毛糸の帽子越しに撫でる。
「そうなんだ。エメラルドさんは自由だね。教えてくれてありがとう」
そう言うと、ゼロはゴーグルを装着しスキーを履き。
「小生はこのままエメラルドさんを追いかけるよ。なんか挑戦されてる気がする」
と、勢いよくエメラルド・サンドラの後を追って滑り降りていく。
__エメラルドさんもすごいけど、すごいなあにさまは。スキーもできちゃうんだ!
と見送るスーリアの後ろから近づく者がいた。
「おりゃー」
スーリアの毛糸の帽子が、頭を離れ宙に浮いた。
「見てみろハル!これ、何かに見えね?」
シンだった。スーリアの頭から帽子を外し、何かを笑っている。
スーリアの目の前にハルさんが来た。
「スーちゃんごめんね。シンくんが変なことして」
「え?何、変なことって。シンは何を笑ってるの?」
シンは言う。
「スーリアにも鏡があったら見せてやりてーな。雪山に海の生物発見だぜ」
「は?」
顔がはてなマークのスーリアに、ぷっと吹き出すハルさん。
「何々?何で笑うの?」
「ウニだウニ」
ニヤリとしてシンが言うのは、静電気が発生したスーリアの髪の毛が、海の生物・ウニの針のように見えるということなのだ。
「はあ!?」
スーリアは、カッとなってシンから毛糸の帽子を取り返した。
「海水がないと死んじまう!」
と、シンはなぜか粉雪を浴びせかけてくる。
「ふざけんなー!」
スーリアは拳を振り上げシンを追いかける。
「お前、顔も髪の毛も体全部黒いからウニに見えるんだよ」
逃げ回るシンは言う。
どうやらシンの目には、この白銀の世界との対比でスーリアが濃い黒に見えるようだ。
スーリアは今回に限って紺色のスキーウエアを着て来てしまったので、余計黒く見えてしまうのだ。
これでは、誰もにウニだと言われてしまうだろう。
「あんまりだよ!酷い!ハルさんも、シンなんかと一緒になって笑うなんて!」
スーリアの怒りの矛先がハルさんに。
「ごめんごめんスーちゃん」
謝り倒すハルさんを尻目に、シンはいそいそとスキーを履いた。
「シン!あんたが元凶なのに、関係ないような顔しないで!」
スーリアはシンの背中をドンっと押した。
「うおっ」
シンの体はそのまま初心者コースを滑り降りて行った。
「おい!スーリア、何すんだー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます