Cp.3-2 Holiday in the doubt(2)

 身支度を整えると、拓矢達は家を出て、光一の用意してくれていた六人乗りの白いワゴン車に乗り込んだ。光一が運転席、乙姫が助手席に座り、後ろの席に拓矢、奈美、由果那、幸紀の順に乗り込むと、光一はドアを閉めたのを確認して、意気揚々と車を発進させた。

 車は閑静な住宅街を走り抜け、御波川沿いの道を通って、彌原大橋に繋がる大通りへと乗り上げる。橋を渡れば神住市新都へと続く赤い鉄の大橋を、白いワゴンは軽快に走る。

「わぁ……やっぱすごいなぁ御波川は。車で大橋渡るのなんて随分久しぶりな気がする」

「ま、長いこと二つの町を分けてた川だからな。俺も神社に籠ってたし、新都に出るのは久しぶりだ。にしても……いつ以来だろうな、俺達皆でこんなふうにここを通るのは」

 はしゃぐ由果那とどこか郷愁を帯びた幸紀の交わす声を横に、拓矢も窓の外を見ていた。

 窓際に座った拓矢の席からは、反対車線の車の流れをすり抜けて、遠くまで続く御波川の流れが見渡せた。遠望の眺めに茫漠としかけた彼の意識を、光一の言葉が引き戻した。

「しかし、可愛い妹と愛しの乙姫ちゃんのためとあれば僕が腕を捲るのは一向に構わないのだが、そんな治療を施さなければならないとは、いったい何があったというんだ拓矢君。奈美が傍に付いていてくれるというのに、何が不都合だというのかい?」

 拓矢の心中を勘繰るように聞こえた光一の言葉に、奈美が口を挟んだ。

「お兄ちゃん、そんな言い方しないで。拓くんだって、いろいろ大変だったんだから」

「そのいろいろをこちらは知りたいのさ妹よ。君が想いを寄せている少年のことだ、心配になるのも筋というものだろう。拓矢君、君を励ますためにも、僕は君のことを知りたいんだ」

 それに答えた光一の無遠慮な物言いに奈美が顔を熱くして言葉を失くす中、乙姫がその応答を継いだ。

「まあ、奈美ちゃんの言う通りいろいろあったのよ。落ち着かない場で話すのも何だし、その話は車を降りてからにしない? せっかくのドライブ、湿っぽくなるのも嫌でしょう?」

「ふむ、随分と焦らしてくれるね……いいだろう。僕としても車の中が湿っぽい空気に満ちるのは望む所ではない。では新都についたらまずは昼食所を探そうか」

 了承したとばかりに頷くと、拓矢君、と光一は話しかけた。

「君が抱えているものを、僕はよく理解できるかはわからない。だが、奈美が君を信じ続けている以上、僕も君の周りにいる皆と同様、君の味方でいるつもりだ。どんな時でも、君は一人じゃない。君が辛気臭い顔をしていると、僕らも気分が腐る。僕はともかく、奈美や乙姫ちゃんのことを思うのなら、それを忘れないように」

「…………」

 何の気なしに放たれた光一の言葉は、思った以上に拓矢の胸を衝いた。そのまま乙姫と明るい雑談を交わしながらドライブを続ける光一の声を耳に、拓矢は心を揺らした。

 彼はおそらく、幸紀の時と違って、瑠水の存在を知らない。彼が今話してくれた言葉は、それとは関係のない、彼自身の本音としての言葉だ。それを心からありがたいと思う一方で、拓矢はどうしても、幸紀達に瑠水のことを話しそびれていた時と同じ後ろめたい気持ちを覚えてしまうのだった。隠しごとはしたくないが、果たして彼にはどう話せばよいのか。

 そんなことを考えていると、脳裏に囁きかけるように、瑠水の声がした。

『拓矢……心色が優れないようですが、何か気にかかることでも?』

 こちらを気遣うような言葉に、拓矢は、はは、と小さく苦笑する。

「君には何でもお見通しなんだね。でも……何だろう」

 そして、自分の胸元に視線を落としながら、呟くように瑠水に言った。

「瑠水。君は僕がどういうことで悩んでいるか、わかる?」

 問われた瑠水の声は、わずかな間の後、彼女の考える答えを告げる。

『おそらく、先程源十郎様から聞いた件を熟考しようとしているのだと思うのですが』

「うん、きっとそれもあるんだと思う。けど、それだけじゃない気もする。何て言うのかな……自分が何で悩んでいるのか、自分でうまく掴めてない気がするんだ」

 言って、拓矢は窓の外に流れる景色に視線を移しながら、瑠水に言葉を続けた。

「君を守りたい気持ち、皆を守りたい気持ち、君を失いたくない気持ち、皆を傷つけたくないっていう気持ち。他の彩姫と命士についての懸念、黒の魔女に対する疑念、君がいつまで一緒にいてくれるかっていう不安、一周回って君を守りたいっていう気持ち……」

 そこまで連綿と続けた所で、拓矢は己の空転具合に呆れたように失笑した。

「何ていうか、一言じゃ説明がつけられない。複雑なんだ。そのこと自体に胸が重くなってるのかもしれない。一人で空回りしてるだけって、わかってるつもりなんだけどね」

『拓矢……』

 自嘲するような拓矢に瑠水が言葉をかけようとした所に、由果那の声がした。

「拓矢、ちょっとこっち見て」

「え、何――」

 何の気なしに左を振り向いた拓矢の眼前、唇が触れ合うすれすれの所に、ぐいと押し出されたような奈美の顔があった。拓矢の心臓がびくりと飛び跳ねる中、眼前の奈美が顔を真っ赤にして、彼女にしては珍しいほどに声を上気させて、後ろにいた由果那に猛然と振り返った。

「ゆ、ゆ、由果那ちゃん! いきなり何するのっ!」

「うーん、あとちょっとだったんだけどなぁ。惜しくなかった、ユキ?」

「そうだな。まあ俺は関与してないから俺を責めるのはやめてくれよ、奈美」

「ちょっとー、あんだけ煽っといて自分だけ逃げる気? そんなの許さないわよ共犯者」

「もうっ! 二人とも何がしたいの? 私と拓くんで遊ばないでっ」

 涙目になりながらの奈美の抗議に、由果那は幸紀と目を見合わせて笑う。

「あはは、ごめんごめん。でもなんかそっちの彼が辛気臭い顔してたからさー。せっかくのお出かけだってのに湿っぽい面してんのも何だから、ちょっと驚かしてやろうかなってね。それに、奈美だって一瞬ドキッとしたでしょ?」

「っ……そ、それは……」

 熱い顔を伏せる奈美を目に意地悪げに笑う由果那の向こうから、幸紀が黙考に沈もうとしていた拓矢を窘めるように言った。

「拓矢。光一さんも言ってたろ。せっかくの休日なんだ。あんまり難しい顔はしないでいこうぜ。お前の気持ちを少しでも楽にしたくて、皆集まったんだからさ。少なくとも俺は、お前が笑っててくれた方が今日は楽しいと思う。それって、何か変か?」

「あ……」

 幸紀の言葉に虚を衝かれた拓矢に、由果那に背を押された奈美が言った。

「拓くん……私も、拓くんには……笑って、ほしいな」

 頼りなさげながらも勇気を感じる言葉と共に、奈美はほんのわずかな笑みを見せていた。

 その、自分に向けられた三人の気遣いの様子に、拓矢は胸にわだかまっていた澱んだ思いが霧散していくのを感じた。三人に気を遣わせている自分が情けなくなって、そしてそう思うとそんな一人だけの陥穽に蹲ってばかりの自分が馬鹿のように思えてきた。

 問題はいろいろあるけれど、今だけは、一旦措いておいてもいい時なのかもしれない。

 そう思った時、拓矢の顔には自然と、憑き物が剥がれ落ちたような笑みが現れていた。

「うん……ごめん、皆。せっかくの外出なのに、僕のせいで」

「はいはいそこまで。わかったならもう今日は辛気臭い顔はナシ! オーケイ?」

 由果那の言葉に、幸紀と奈美も拓矢を見る。拓矢はそれに、ようやく笑顔で答えられた。

「うん、ありがとう、皆。久しぶりの新都……楽しみになってきたな」

「ったく……毎度毎度、手間のかかる奴ねぇ。奈美も面倒な奴を好きになったもんね」

「ゆ、由果那ちゃん! あんまりそのこと、言わないで……」

「はは、いいじゃないか。奈美のおかげで拓矢もようやく笑ってくれたし、な」

「し、進藤くんまで……」

 愛情を込めて奈美をからかう由果那と幸紀に、拓矢もようやく柔らかな笑みを見せる。その胸の内のわだかまりが解けたのを感じて、瑠水も密やかに表情を崩していた。

 可愛い妹とその仲間達が打ち解けるその一様を後ろに聞きながら、桐谷光一は隣の助手席で嬉しそうな笑みを浮かべている乙姫に訊いていた。

「乙姫ちゃん。拓矢君は随分と独り言が多くなったような気がするが、気のせいだろうか」

「あら、さすがは光一君、耳聡いわね。まあ、ちょっといろいろあってね」

 乙姫の言葉に、光一はハンドルを握ったまま、わずかに眉をしかめた。

「独り言が多くなるような事情か……傷心というのも道理か?」

「そこらへんのことは後で落ち着いたら私から話すわ。回りくどくてごめんなさいだけど」

 謝意を示す乙姫に、光一は軽い笑みと共に返す。

「ふ、いいだろう。桐谷光一、親愛なる女性の心中を勘繰るほど無粋ではないつもりだよ」

「ありがとう光一君。あなたがそうでいてくれると、私も安心できるわ」

「任せておきたまえ。その代わり、今日は一日付き合ってもらうから覚悟してくれよ?」

「ふふ、光一君ったらさすがの三枚目ぶりね」

「忌憚のない褒め言葉をありがとう」

 憮然としながらハンドルを握る光一に、乙姫は申し訳のように笑みを零す。

 そんな会話を交わしている内に、六人を乗せた車は彌原大橋を抜け、センタービルを中心に戴く神住市新都へと入っていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る