Cp.2-3 She's Stoming(7)
「やっぱり、張ってて正解だったわね。あなたもなかなか人が良いじゃない、ティム」
「エルシア様のご意思あってこそです。私が自分からこんな軟弱者を手助けするものですか」
興が乗ってきたように上機嫌の灼蘭と、散々な様子のティム。
あまりにも突然な登場に、状況把握が追いつかない真事は言葉が出ない。
それを見かねたのか、灼蘭が真事に言葉をかける。
「スィリの契約者くん。あの子……スィリは、あなたを恨んでなんていないわ」
「!」
核心を衝かれた真事に、灼蘭は自信を注ぎ込むような言葉を続ける。
「あの子はあたし達の中でも一際健気で人懐っこい子。それだけに、人の気持ちに人一倍敏感な、繊細な子なの。けど、そのあの子が一緒にいたいって選んだくらいだもの。だから、あなたは自分を責めちゃダメ。あの子の帰る場所はあなたなのよ。あの子がいつでも帰って来れるよう、あなたは自信を持ちなさい。あんなにあなたのそばにいたがってたあの子のことを、あなたは疑わないであげて。そしてあの子の信じたあなたを、あなたは信じてあげて」
「…………!」
流れる血を熱くするような灼蘭の言葉は、暴風に荒らされた真事の心に沁み込んでゆく。しかし、真事の心にはまだ、脳内を吹き荒れた嵐の傷跡が残っていた。
「でも……翠莉は……」
「それ以上へたれた言葉を口にするな、緑の命士。エルシア様のお言葉が耳に入らなかったか」
その傷跡に萎れる弱さを斬り捨てるように、今度はティムが言葉をかける。
「貴様が心を折れば彼女も帰る場所を失うことになる。貴様にまだ彼女のことを大切に想う心の火があるのなら、お前はその矜持で自分を支えろ。今、一瞬でもそこから逃げれば、お前は今度こそ彼女の命士失格だ。不遜の者は目障りだ、斬り捨ててやる」
迷いを断つ言葉の後に、ティムはさらに真事の頭を醒ますように続けた。
「それに、貴様は一つ、勘違いをしている。翠緑の彩姫がお前のことを恨んでいるなどと、そんな確証がどこにあるというのだ。お前は彼女から直接そんな話を聞いてはいないだろう」
「え……」
呆気にとられる真事を正気に戻すように、灼蘭とティムは言葉を重ねる。
「あなたが聞いたのは、あの魔女の手で作られた言葉。あいつは、人の思念を黒い色に染めたりねじ曲げて伝えたりするのが上手いの。つまり、あいつの手口よ。引っかかっちゃダメ」
「お前はあいつ以上にこの手の耐性がなさそうだからな。奴の弄する言葉には一切心を貸すな。お前はただ、お前の信じるべきものだけを見失わないようにしていろ」
そして、灼蘭とティムは眼前に佇む凶なる者・黒の魔女を挑むように見据えた。
「さて、そういうわけでようやく出番が回ってきたわね。今度こそ逃がさないわよ、イェル」
「悪趣味のよく続くものだ。エルシア様の意志に従い、外道に堕ちた貴様を討つ」
ティムが言葉と共に、炎気を纏い光を映す白刃の剣先を魔女に向ける。
魔女は、心底の憎たらしさと狂気的な喜悦が混ざったような、歪んだ笑みを浮かべていた。
「っ、ふふ……相変わらず邪魔に入るのが好きなのねぇ、エルシア。うざったいったらこの上ないわ。いつになっても邪魔してくれるんだもの」
そして、その歪んだ喜悦を声に乗せ、黒い闇色の光を纏った腕を前に伸ばす。
「でも、今日は歓迎してあげようかしら。だって、後ろに庇う相手を抱えながらじゃあ、さすがのあなた達でも動きづらいわよねぇ?」
言葉と同時、魔女の体を地獄の闇の炎のような揺らめきが包み、それに呼応するように周囲の空間に黒い穴のようなものがいくつも開いていく。
(さて……どうしたものかしらね)
灼蘭は、魔女の把握能力に悟られないよう、心中で思うに留めておいた。
魔女の指摘は、実にその通りだった。灼蘭とティムの二人が単純に一対一で魔女と渡り合うだけならば、その実力は全く遜色なく、互角以上に立ち回ることができるだろう。だが、何の力も持たない真事を庇いながらでは、二人の行動は非常に大きく制限される。簡単な話、真事を集中的に狙われれば二人は彼を守るために立ち回るしかなく、その隙に付け込むのはこの種々の「邪魔」の手管を得手とする魔女の最も得意とする所でもある。当然、この目的のためには手段を択ばないような魔女がそのような有用な手段を取らないわけがない。
つまり現状、ティムと灼蘭は不利な状況にある。せめてあと一人でもこの場で動けるような人間がいれば状況は一転するのだが、そんな都合のいい話はなかった。
「それがどうした。エルシア様の前に立つ限り、私の剣には一閃の揺らぎもない」
だがティムに至っては、元からそのような偶然的な好機を期待するような腹ではなかった。いかなる苦境にあろうとも、灼蘭を守るためならば、退くという考えは切り捨てられる。多少の不利な条件など、そんな揺るぎない信念を持つティムにとっては物の数にも入らない。
「来るがいい、黒の魔女。貴様の汚れた刃など、この私が全て斬り捨ててやる」
ティムは微塵も動じず、鋭く向ける白刃に焔の如き闘気を流す。
「エルシア様。懸念は無用です。御身に迫る脅威は、この私が全て叩き落としますゆえ」
「ええ、ありがとうティム。あたしも、あなたの強さを信じているわ。スィリのためにも、何とかしてこの場を切り抜けなくちゃ、ね」
灼蘭はなおも懸念の色を含ませながらも、ティムの覚悟を支えるように返す。
そう、少なくとも、彼らの実力自体に関してなら、心配はない。問題は、この状況が単なる決闘ではなく、真事を守りながらこの場を切り抜けなければならないということだった。
灼蘭だけでなく、ティムもその状況は理解している。不退の意志が彼にとって真実であると同時に、この状況を突破するにはそれだけでは足りないということも。
だが灼蘭もティムも、この状況に不安は抱いていない。彼らにあるのは互いを支える絶対的な自信、そして現状を突破するための冷静さを裏に秘めた、熱く燃える原動力の意志だった。いかなる苦境も、二人で必ず打ち破る。どんな荒地も切り拓く熾炎のような情熱の力を、心を通わせる灼蘭とティムは常に互いへの信頼と共に共有している。重なり合う二人の炎の想いは、互いに互いを高め合い、限りなくその勢いを増していく。
一片の揺らぎも見せずに、ティムと灼蘭は戦意を充溢させ、魔女に相対する。
「ねえ、ティム。あの子は邪魔が得意だから、なかなか切り抜けさせてはくれないの。なら、どうするのがいいかしら。あなたはどう思う?」
「そうですね。真っ向から焼き捨てるのが最も早く、簡単かと」
「ふふ、そうね。あたしも同じ考えよ。まどろっこしいのは好きじゃないしね!」
交わす言葉と同時、ティムと灼蘭の体から赤い炎光が膨れあがる。
「全く……本当に馬鹿なのね、あなた達。そういう所、やっぱり嫌いだわ」
魔女はその様を見、苦々しげな言葉を吐きながら、ほくそ笑んでいた。
魔女にしてみれば、彼女がここにいる理由は真事を弄ぶ他に、新都で暴れている翠莉の元に真事やその応援を向かわせないことだからである。自分の相手をすることで彼らが翠莉の元に辿り着くまでの時間稼ぎができるのなら、それは魔女の思惑通りだった。
うまく増援を引き付けられたことを喜びながら、黒の荊に力を注ぐ魔女。
策中にあることを知りながら、最速突破の覚悟で赤の剣に力を流す赤組。
双方の体から、赤と黒の闘気が迸るように立ち昇り、大気を熱していく。
互いの高まる戦意が最高潮に達しようとしていた、その時。
一筋の小さな風に乗り、どこからか花弁のようなものが流れてきた。
白色の小さなそれは、睨み合う赤組と魔女の間に流れ込み、
小さく弾けて、空気を震わせ、声を発した。
『落ち着いてください、エルシア姉様。ここは私に任せて、お先に進んでくださいませ』
淡白な調子の少女の声が、灼蘭、ティム、魔女、三人の頭に直接響いた。
同時、見えない風に乗るように、白色の花吹雪が魔女と赤組の間に渦を巻き始める。
まるで、その白色の渦の中に、何かを包んでいるように。
「「「!」」」
その声が響いた一瞬で、三人の状況が一気に動き出す。
『ティム、彼を拾って! チャンスよ!』
「はっ!」
真っ先に状況を察した灼蘭が、思念の速度でティムに指示を出す。それを受けたティムも一分の迷いも排して一足飛びで真事を拾い、斬撃に向けていた意思の熱を加速と飛翔の意志に転換、その背に紅蓮の火鳥の翼を形成した。
「行かせないわよ!」
同じく、即座に状況を察した魔女が、その突破を阻止するように、空間に巡らせていた荊の力を開放する。
全周囲の空間から、ティムと真事をめった刺しにする勢いで伸びる、魔槍の如き黒い荊。
『《
その全てが、空間に一斉に広がる白色の炸裂に打ち消された。
「!」
魔女が気を取られたその隙に、ティムは真事を抱えて疾空の加速に入る。
「一気に行くわよ、ティム!」
「御意に。おい、貴様。しっかり掴まっていろ。振り落されても知らんぞ」
「って、え、っ、ぅうわぁ――――――っ⁉」
紅い光跡を引いて、空を勢いよく駆けるティム。その後を、白い花吹雪が追いかけていく。
「ッ、逃がすかッ!」
失態を悟った魔女が、自らの腕から幾条もの荊を伸ばし、去ろうとする灼蘭達を追跡させる。
「
だが、後を追おうと伸びた荊は、その間に立ち塞がっていた何者かに、全て
白桜色の剣跡が空を裂くように走り、花弁のような光片を舞い散らせながら、虚空の内に無数の刃跡を残す。
その一瞬の内に、爆発的な加速を得た灼蘭達は遥か遠く、新都の方へ飛び去っていた。
「――――…………」
魔女は、ぎり、と歯噛みをし、その場に残った邪魔者に声をかける。
「やってくれたわね……サクヤ」
言葉に応えるように、その場に渦を巻いていた白い花吹雪が爆ぜるように散る。
そこには、淡い白桜色の振袖に華奢な身を包んだ娘が、花の中から生まれたかのように立っていた。
振袖で口元を覆い、魔女に小さく目礼を返すと、再びその娘の身を花吹雪が包んでいく。花弁の渦が風に吹かれて流れ去るとそこには娘の姿はなく、代わりに魔女の後ろにいた、荊を斬り伏せた袴姿の青年の傍らに、娘は場所を移していた。
厳然と、そして悠然と立つ青年の元に身を寄せた娘は、改めて魔女に挨拶した。
「お久しぶりです、イェル姉様。随分と荒んだ心になってしまわれましたね」
神酒に酔わせるような陶然とした視線を注ぐ、光と深みを湛える白桜色の瞳。
華奢な娘の身を支えるように傍に寄って立つ、精悍な空気を纏う袴姿の青年。
そしてその手に握られている、撫子色の揺光を纏った、古く堅固な造りの木刀。
二人の周りを取り巻くように、白桜色の光の花弁が見えない風に舞っている。
幽白の彩姫・
魔女は、上々だった目論見を突如現れて台無しにした二人を忌々しげに睨みつけながら、なおも嘲るような笑みを浮かべる。
「殺し合いの相手に向かってよく言うわ。この私を前に随分と余裕ね、サクヤ。私、今あなたのせいでとても苛ついているの。今すぐ縛り上げてメチャクチャに犯してもいいかしら?」
「お戯れを、イェル姉様。私の方もお気遣いは無用です。それに、私達はあなた様を殺しに来たわけではありませんので」
淡々とした調子で語る咲弥に、魔女はますます苛立ちを募らせた。
「へぇ、それじゃあわざわざ私に殺されにでも来てくれたの?」
「いいえ」
咲弥は小さく首を振り、光を宿す白桜色の瞳で、黒の魔女の黒紫色の瞳を、その心の内に潜るように見つめた。
「私は、あなた様を止めに来たのです。イェル姉様」
「――――」
魔女の時間が、心ごと止まった。咲弥はその意味を知りながら言葉を続ける。
「あなた様の凶行は、既に私達も把握しています。統合のための戦いとすら言えない、憎しみを棘に変えて撒き散らす様は、とても正気とは思えません。あなた様はご自分を見失っています。悪意と衝動に身を任せて、ご自身の身も心も傷つけていくのは、見るに堪えないのです」
「…………ッ!」
魔女の表情が色を失う。感情が、沸点を通り越して蒸発するほどの熱を持って。
黒々と心の底で渦巻く煮え滾る感情は、咲弥の次の一言で火を吹いた。
「あなた様をそのような狂気に駆り立てた事件のことは、私も承知しています。あなたのお相手様が……」
「黙りなさい!」
黒い荊が、咲弥の眼を射ぬかんと槍のように魔女の伸ばした手から伸びた。常人では反応すら困難な速度のそれは、源十郎の同じく視認すらできない速度の剣閃に散り消される。
魔女は隠さない憎悪を滾らせた目で咲弥を睨みつける。襲撃と威嚇を受けながら、咲弥はなおも魔女の黒く濁った瞳を見透かすように見つめ続けた。
まるで、その奥に深く沈んでしまった光を見出そうとするかのように。
「勝手は承知しております。あなた様の心を、他者である私が説くことができないことも。ですが、私はあなた様に自らを傷つけてほしくないのです。あなた様の痛みは、同じイリスから生まれて魂を分けた私と、同じ痛みですゆえ」
「……ッふ、ふふ、っ……ふ、ふふふ、ははは、アッハハハハハハハハ‼」
魔女が、壊れたように笑いだした。その全身から濃い黒色の陽炎が噴き出し、周囲の空気を狂気の熱に侵食していく。
哄笑を収めた魔女は歯軋りするような凄絶な笑みに唇を引きつらせ、歪んだ熱を滾らせた目で、咲弥を呪い殺すように睨んだ。
「あー、可笑しい……ありがとうサクヤ、久々に笑っちゃったわ。本気でそんな生ぬるいことを言っているの? まさかそこまでおめでたい頭をしてるなんて思っていなかったわ。そこまで言ってくれるのなら、ズタズタにされても文句は言わないってことでいいのかしら?」
「冗談を言ったつもりはありません。私は、私の願いの成就が戦いの中にあるとは思っておりませんゆえ。私も源十郎様も含め、全ての彩姫と命士の救いを成就させる、それが私の善です。そのためにも私はあなた様を止めに来たのです。これ以上、あなた様を傷つけさせないために。私の、願いのために」
「その思惑のために、暴れ回っている私が目障りってことね」
咲弥の言葉を遮るように、黒き魔女が全身から怒気を噴出させる。
「結局あなたも自分の思惑に私を従わせようとしているだけ。そんなもの、あなたの非難する私と何の変わりもないわ。私を理解する気も救う気もないくせに、わかったような綺麗事を言わないでちょうだい……目障りよ!」
その言葉を最後に、魔女の瞳が黒い激情に塗り潰された。その全身から黒い陽炎が彼女の怒りの顕現のように立ち昇り、地獄の炎のように魔女の体に纏われる。
「イェル姉様……」
なおも何かを訴えようとした咲弥に、空間から無数の荊が襲いかかる蛇のように飛び出し、
「白花流刃・護景――《
彼女の前に立った青年が桜色の光を纏う木刀を弧を描くように一閃、描かれた円が透き通る鏡のような境界面となって、咲弥に襲いかかった黒荊の蛇をことごとく阻んだ。
袴姿の青年、幽白の命士・斯道源十郎は、静かな瞳で黒の魔女を見据えながら、護るように背中に庇う咲弥に声をかける。
「下がれ、咲弥。今の彼女にお前の話は通じない」
「源十郎様……」
惑いかける咲弥に、源十郎は諭すように言った。
「時として、お前の信じる善がそのままでは通用しないことがある。それを支え、貫き通し、お前を守るのが私の役割だ。お前は言の葉、私は剣。そうだろう」
「……はい。承知しております」
小さく頷く咲弥を背に、源十郎は桜色の光を纏う木刀を構え、眼前で殺意を漲らせる黒の魔女に対峙する。
「今は言葉を交わせる時ではないようだ。少し頭を冷やさせる」
「上等じゃない……目障りなのよッ‼」
魔女が激情を吐き出すように吼え、全身に纏う黒の魔気を殺気と共に二人に襲いかからせる。
御波川の堤防、彌原大橋の麓で、黒の獄炎と白の花光が、眩い炸裂と共に激突した。
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