第91話 叡智の世界

「すげーな、ここ。どうなってんだ?」

 俺は叡智のおっさんの持つ世界へとこっそり入っている。所謂、住居不法侵入というやつだ。

 全く進展しないソフィーの調査に痺れを切らしたという訳ではなく、ただ単におっさんの正体に興味があっただけなのだ。

 おっさんは言ってみりゃ書物の付喪神、だが何の書物なのかは不明なのだ。知りたいと思うと知りたくて堪らなくなるのが世の常というものである。

 自分の行為を正当化するために、なんだかんだと理由を付けているだけなのかもしれないが……。


 しかし、この世界は本当に凄い。よくもまあこんなものを維持できていると感心してしまう。

 いつから始めたのかは知らないが、時は加速している。俺の時計の秒針が恐ろしい速度で回転しているからよく分かる。

 現在ある地球の文明を発展させしめた世界が、今俺の目の前にあるのだ。昔のアニメや漫画のように、これでもかと機械化されている世界。近未来とでも云うべきか?


「何かと思えば、お前か?」

「おう、お邪魔してるぜ」

 まあ、さすがに気付くよな。俺も気配を隠したつもりは無いし。

「何の用だ?」

「別に用はねえよ。いや、これを見たからにはある。培養装置みたいなのってある?」

 言葉や身振り手振りでは分からないと思うので、イメージを渡して問いかける。

「存在する」

「マジか? 一個で良いから分けてくれよ、俺の体を管理するのに使いたい」

 裸で何かしらの液体に浸しておくだけで、栄養も酸素も供給できるやつ。さすが未来だ、何でもあるぜ。

「お前が思っているようなものではない。見るだけでも見て行くと良い」

 そう口にしたおっさんは俺を連れて転移した。


「おいおい、すげーな。なんだこのプラントみたいのは?」

「全ては人間達に任せている。私は知識を分け与えるだけだ」

 思いっきり話が噛み合っていないのだが、要は人任せでよく分からないってことか?

「これだよ、これ! これが欲しかったんだ」

 中に霊長類と思われる何かが入っているカプセル状の入れ物は、薄い黄緑色の液体で満たされている。これに俺の肉体を浸しておけば、飯もトイレの世話も必要なくなるはず。出産を控えているソフィーの負担を出来る限り軽減してあげられるであろう代物。


「説明を頼む」

「はっ、此方の容器は培養器であります。中に居りますのは、我々の創り出した新たなる人間。いえ、人造の神にございます」

 嫌な言葉が聞こえた。

 子供が生まれようとしている俺の目前に、人造の神とやらが居る。その姿、よく見れば胎児だ。なんてものを見せるんだ、全く。

「人造の神ねえ? イカレてんな、お前ら」

 少しはまともに話せると期待していた俺だが、残念で仕方がない。おっさんもまたイカレた神共と同類だった訳だ。

 神など作れるわけがない、作れたところで、この子はどうするんだよ? 検証という名の実験が続くだけだろう?

 命を弄ぶ行為を、俺は許すことが出来そうにない。


「待て、そうではない。説明が足らぬな。

 此れは、お前の所の男の従者と同じ役割を背負うことが可能な存在だ」

 男の従者はアンソニーしか居ない。彼と同じ役目だと?

「あの従者の居た世界で、彼はどんな役割を担っていたか覚えているだろう」

「……神の代用品、か」

 くそったれだ、要するにこの子をそこに据えるつもりなのだ。

「壊れ掛けの世界に神の代用を埋め込む、それにはお前の力が必要だ。恐らく、お前にしか出来ぬ」

「俺はこの子が不憫でならない。あんたとは契約がある以上、従うとしてもだ」

 そんなことに利用するくらいなら、壊れ掛けた世界などぶっ壊してしまった方がマシだ。だが、それが出来ない理由が俺にはある。ソフィーのことを解決するのが最優先だからな。 

 本当にくそったれなのは、俺か。


 なんでこんな重い話になった? 俺はただこの機械を欲しただけなのに。

「で、この機械はもらえるのか?」

「使用に際する説明を」

「培養器でありますか? これを用いるには、体内の洗浄が欠かせません。それを怠れば、容器内は汚物で満たされましょう」

「結局、真っ新な体でないと役に立たねえってことかよ」

 骨折り損のなんとやらだ。妙な欲をかいたら、嫌な事実が露呈しちゃったよ。

 そういや、アンソニーを迎えに行く時におっさんは何か言ってたな? まさか、こんなことに発展するとはね。


「此れはまだ試作でしかない。実用可能かどうかの実験すら覚束ない状態だ」

「そうか。この子、俺が貰って良いか? データ獲ったらまた創るんだろ?」

「……良いだろう」

 如何に技術が進んだとしても、何も無いところから人間が人間を作れるとは思えない。この子は恐らく、デザインベイビーとか云うやつだ。

 少し触れてみるか? うちの子はソフィーの腹の中でも会話が出来たんだ、この子だって同じように出来るはずだ。

「会話、させてもらうぞ」

「好きにしろ」

 左手を伸ばし、培養器の中の胎児に触れる。触れるというより侵食すると言った感じだが。

『大きくなったら、迎えに来るからな。それまで我慢してくれ』

 返事なのか、とても小さな意思を感じた。

 偽善だが、少なくともこの子だけは何とかしてやりたいと思ったのだ。


「処分されるくらいなら、俺が貰って行くからな。その時には呼んでくれ」

 この世界は加速している、俺の予想よりも早くこの子は成長することだろう。少しだけ、待っていてくれ。

「ああ、わかっている」

 疲れた。

「帰るわ、邪魔したな」

 神とは、人間よりも遥かに罪深い存在だ。知識の追求だろうと、その事後処理であろうと、サティ然り、おっさん然り、俺も、か?


 

「どちらに行かれていたのですか?」

「ん? 散歩だ」

 そう、ぶらりと散歩してきただけさ。嫌な内容だったけどな。

「お暇でしたら、螭を手伝ってあげてください。頑張ってはいるようですが、ヘンテコですからね」

「なんだそりゃ? ああ、わかった、見てくるよ」

 今日も我が家は平和だ。嫌なことを忘れるには、丁度良いのかもしれないな。

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