第76話 爽太の選択

 お豊と円四郎は帰って来た、その側に颯太を連れて。

 交渉が長引くのを嫌った円四郎が懐柔策に打って出たようだ。だが、やり方が汚い。器をちらつかせるというやり方には、どうも良い気がしない。

 急いだ方が良いというのも分からなくはないが、そこまでするのかという話だ。


「戻ったさ、旦那」

「ご苦労だった、少し話をしよう。アーリマン、器が俺がやる」

「ならば、儂は手出しせぬよ」

 アーリマンは俺の意を汲んでくれたようである。

『円四郎がやろうとすることは理解できただろう?』

『あの子が消えてしまうのは寂しくてさ』

『爽太は見た目よりもしっかりしているが、まだ幼い子供なんだぞ。

 だが来てしまったものはしょうがない、紹介した手前俺にも責任があるからな』

『お願いするさ』

 申し訳なさそうにしているお豊のことはもういい。

 問題は、爽太自身の考え方だろうな。


「久しいな、爽太」

「あ! お兄ちゃん」

「今からお前に仮初の体を与える。この俺の城と庭でしか役に立たないから、覚えておくように」

 アンソニーの構成をそのままに縮小する、サイズだけを小さくするということだ。

 そして一番重要なことを組み込む、この俺の創った世界でのみ効力を発揮するように。転移扉を通り抜けようとした場合、この世界が器に使われた残滓を吸収してしまうように。

 あとは普通に見た目から皮を創り、服も再現した後に投影固定化する。

「爽太、これが器だ。お前を受け入れるものだ。この中に入りたいと思いながら触れてごらん」

 まだ従者契約が無いので、円四郎と同じ方法で入ってもらうしかない。

「入る?」

「今のお前には体が無いから、飲んだり食ったり遊んだりが出来ない。でも、これに入ればそれが出来るようになるんだ。やってごらん」

「うん」

 爽太は器に触れる、物理的に触れられる訳ではないのだけど。目を瞑り集中しているのだろう。

「すごい、これ」

「上手く入れたようだな。それじゃあ、お豊、席に案内してやってくれ」

「はいよ」

 お豊は自身の隣、アンソニーとは反対側の席へと爽太を座らせた。

「子供の舌に合いそうな料理は、……ないな」

「卵焼きでも作ってくるさ」

「ああ、任せる。存分にやれ」

 世話はお豊に任せるのが一番だろう。


 戻ってからずっと黙りこくっている円四郎は、話を始めた、元々、俺の隣の席なので移動する必要もない。

「拙者が汚い手を使ったことを怒っているのだろうな」

「わかっているならいい」

 それを理解せずにやっていたなら、叩き出していたかもしれない。

 問題はこれからだ。飯を食って落ち着いた後、どのような行動をとるか、だ。

「お前は汚い手を使ったのかもしれんが、俺だってかなり酷いからな。お互い様だ」

「酷いとは?」

「まあ、見てろ。それと、お前は飲んで食え。どうせ酔わないんだろ?」

「こうなってから酔えなくなったようだ」

「体は酔えるように創ったつもりなんだがな。従者たちは酔えるんだぞ」

 顎でアンソニーやゲラルドを差す。

「神とは厄介だな」

「そうだな」

 俺は肉体に戻りさえすれば酒にも酔える、本物の肉体は神の力を阻害するからだろう。円四郎には秘密だけどね。


 お豊が卵焼きを持って戻った。

 爽太は喜び、本当に美味しそうに食べている。

 これだけなら微笑ましい光景なのだが、俺は施した仕掛けが作動しないことを祈って止まない。この子が何を選ぶのか、見定めなくてはならない。


「この煮物もおいしいよ。全部、おいしい」

「そうさね」

「お腹いっぱい」

「少し休んだら、庭に出てみると良い。アンソニーは、駄目か」

 アンソニーは酔っ払いなので、子供相手に遊ばせることは出来そうにない。

 お豊には、ゆっくりと食事をさせたいのと客の相手がるからな。

「私が行きますよ」

 ソフィーが爽太を引率してくれるという。


「お姉ちゃん、お母さんになるの?」

「そうね」

「生まれたら、抱っこさせて?」

「いいわよ」

「やったー」

 ソフィーの口数は少ない、俺が仕掛けたことを読んでいるのかもしれないな。

「ウサオちゃん、旦那様の所へ行ってちょうだい」

 ウサオは彼女の言葉で、俺の足元へとやってきた。まるで監視させているかのようだ。

「爽太、お庭に出ましょう。広いから迷子にならないでね」

「うん」

 爽太はソフィーの隣を歩いて行く。

 彼女は敢えて迷子にさせるのかとも思ったが、そうではないようだ。


「何をするつもりじゃ?」

「何もしねえよ、俺はな」

 どこに居ようと、どこに行こうとこの場所から把握できる。俺はただ傍観するだけだ。

「ふむ、かなり幼いからの」

「ああ」

「連れて来たのは失敗だったのか」

「いや、良い機会ではあるさ。これであの子の考え方が分かる、お前にとっても良い話だ」

「話が見えぬ」

 まあ、そうだろうな。今日初めて会った円四郎にはわかりかねるだろう。

 まして円四郎は欲望の神ではないから、尚更だ。


「走り回ってるな、元気なものだ」

 ラウンジから覗く窓からは、前庭を走り回る爽太の姿が見える。

「憐れだな、あの歳で亡くなったのであろう?」

「つい最近のことらしい」

「選ぶのはあの子じゃ、お主は見届けるだけじゃの」

 従者になるかどうかを決めるのは、人間が決めることなのだろう。アーリマンの言葉にはそういった意図が含まれていた。


 窓から爽太の姿が見えなくなる、ソフィーと共にここに戻る途中のようだ。

「お姉ちゃん、ここに来ればまた遊べるの?」

「そうよ、遊べるし、食べたり飲んだりも出来るわね」

「そーなんだー」

 俺は盗み見ている、ソフィーが俺たちの会話をウサオを通して聴いていたように。

「お姉ちゃんはお手洗いに行ってくるから、爽太は道分かる?」

「うん、真っ直ぐでしょ」

「そうよ、お兄ちゃんたちの所へ戻ってね」

「はーい」

 ソフィーは気を利かせたつもりらしい、爽太の後ろをこっそり付いて来ている。

 どちらにしろラウンジを抜けなければ、パントリーには辿り着けないのだから気を使う必要は無いのにな。


「ただいまー」

「おかえりさね、手を洗いにいくさ」

 お豊がパントリー方向の洗面台へと爽太を誘う。

 お豊も俺の企みを理解しているのだろう。別の洗面台はすぐ近くにあるのだが、敢えてそちらへと向かった。

「あそこにあるさ、手を洗ったら戻って来るさ」

「うん」

 お豊は振り返ることなくラウンジまで戻る。丁度ソフィーも戻り、爽太以外全員が揃ったことになる。

「どう動きますかね?」

「選ぶのはあの子さね」

 彼女たちの会話に俺達は加わらない、ただ静観するだけだ。


「扉の前で迷っているな」

 器を得たことでの葛藤があるのだろう。あの幼い少年は、必死に考えているのだ。

 扉を開けて足を踏み出せば、絶望へと至るだろう。俺が仕掛けたのはそういうことなのだ。

「ふむ、踏みとどまったようじゃの」

 アーリマンは俺の城の内部まで浸透しているのか? 少し怖い、後でジャミングしないと。


「遅かったさね」

 素知らぬ顔をしてお豊が爽太を迎える。

「広いから迷っちゃった」

 可愛い嘘だった、逆によく踏みとどまったと褒めてやりたいくらいだ。

「おじちゃん、ぼく、一緒にいくよ」

「良いのか?」

「おじちゃんと居れば、またここに遊びに来られるんだよね?」

 円四郎は一転して俺の方を見る。大きく頷いて返してやる。

「ああ、勿論だとも」

「ありがとう」

 爽太は屈託もなく笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る