聖夜に舞い降りた月の女神
四志・零御・フォーファウンド
Atonement
#1 Ghost prayers
12月25日。
俺は亡き彼女が眠るであろう場所に、祈りを捧げていた。――いや、これは祈りなのだろうか。形だけの祈りが本当に祈りなのだろうか。何を願い、祈りを捧げているのか自分自身ですら判らない。安らかに眠っていて欲しいのか。彼女を殺した犯人が捕まって欲しいのか。
――分からない。今の俺に思考という行為が如何に難しいのかは1年間で身に染みた。彼女が居なくなってから頭の中に霧のような靄がかかり、ただ『生きる』という本能に突き動かされた生活をするだけだった。高校にはどうにか出席していたのだが、俺を哀れに見る周りの目が怖かった。友達と言える人は僕の前を去った。俺のためを思って少し距離を置いたのだと気づいた時には遅かった。1年間、事務的な話を除いてクラスメイトとの会話を拒んだ。
1年という時の流れ。それは贖罪の時間だった。彼女、
だから俺は独りを選んだ。人を愛することが分からなくなった俺は、現実から目を背けたのだ。
今日、ようやく脳内の霧が晴れた。
今も彼女が安らか眠るであろう場所で、手を合わせる。これはもう1つの罪に許しを乞うための祈りだ。
――澪という少女ではない。別の愛する人ができたことへの罪だ。
俺と澪と
澪が俺にずっと好きだったと告白されたのだが、しばらく答えに迷っていた。なぜなら、それまで幼馴染という関係だったものが、突如として別の何かに変化するのだ。俺と澪はともかく、流奈はどうなるのだろうか。俺と澪が付き合ったら、これまでと同じではいられないと考えていた。しかし、そんな俺を流奈は「馬鹿じゃないの?私のことなんて関係ないでしょ?自分の気持ちを澪に伝えなよ!」と一喝して俺の背中を押してくれた。
高校も、俺たち3人は一緒の学校に進学した。一日一日が儚く、幸せな時間だった。しかしそれも永遠と続くものでは無かった。それは唐突な終わりを告げた。
去年の12月25日、その日は2学期の終業式だった。3人で帰ろうとしていたのだが、俺は先生に雑用を頼まれて学校に残っていた。澪と流奈は俺を待っていると言ったのだが、その日は雪が降ると天気予報で伝えるほど寒かった。そんな中で待たせるのは悪いと思ったので帰ってもらうように言った。
そのメールが届いたのは、学校を出ようと昇降口にいた時のことだ。
「月の泉で、1人で待ってる」
月の泉とは、自宅から徒歩20分ほどの森の中にぽつりと存在する小さな泉だ。澪は夜空を見上げて座っていた。
この泉には滅多に人が立ち入らない。そもそも存在が知られていないのだろう。その割の周りには伸びきった雑草はなく、整備されているようだった。でも本当は、泉の周辺では草木が育たないのかもしれないと、澪は言っていた。どうして、と尋ねると澪はくすっと笑って答えた。
「この泉は月の女神様のもの。だから草木たちは恐れ多くて近寄れないのよ」
「月の女神様?」
どうせ作り話だ。澪は嘘を吐く時必ず微笑する。そう指摘しようと思ったけれど、その時は何も言わなかった。泉の水面で夜空に浮かぶ月がゆらゆらと輝き、それはあまりにも幻想的で、月の女神様は存在すると証明しているようだったからだ。水面に虚ろな目を向けながら、澪は続ける。
「月の女神様はお願いすれば、一番欲しいと思っているものを1つだけ与えてくれるの」
「それってサンタ――」
「違いまーす!サンタさんじゃないよ。月の女神様だよ!」
「はいはい分かったよ。それで、その月の女神様はどこにいるんだ?」
「すぐそこよ」
「どこ?」
「……はぁー、ここよ。――泉の中にいるのよ」
そう言われて俺は泉を覗き込む。しかし、月が反射しているせいで水中がうまく見えない。
「見えるわけないじゃない。捻くれた性格の君には、月の女神様は見えませーん」
「それは酷いな」
俺のことをさらりと馬鹿にしている。
「そもそも水中は濁っていて見えないじゃないか」
水中はまったく見えないというわけでもないが、綺麗とも言い難い。たぶん、水の流れがよくないからだろう。
「え?綺麗じゃん」
「濁ってただろ」
「どうしたの、具合悪いの?病院に行こうか?」
「そんなはず……」
「流奈にも聞いてみなよ。この泉の水、とっても綺麗じゃん」
「……ああ、そうしてみる」
ここまで否定されてしまったら、本当に綺麗だったのかもしれない。僕の記憶違いだろうか。しかし、まだこの泉を見つけてから1年は経過していないとはいえ、どんな泉だったのか忘れるものなのだろうか。
頭をフル回転させて色々考えた結果、さっぱり分からなかったので、流奈に聞いてからもう一度じっくり考えることにした。
澪はわざとらしく息を吐いた。季節は冬。息は当然のように白く塗られる。それを見て自然と体が震えた。
「……寒いね」
「そうだな。そろそろ帰るか……」
そう言って俺が立ち上がろうとすると、澪が腕を掴んだ。意図が分からずそのまま停止する。
「……どうしたんだよ?」
澪は俺の疑問には答えず、腕を掴んでいないもう一方の手で空に向かって指を指す。指示通り空を見上げると、白いふわふわとしたものがゆっくりと落ちて来た。それは額に当り、そっと姿を消した。その代わりに現れたのは一筋の水滴だ。
「……雪」
「うん。今日は降るって言ってたもんね……って、帰るんだったよね?」
「澪が風邪ひいたら、お前の母さんになんて言ったらいいか分からないからな」
「ふふっ、付き合ってるから余計ね」
「付き合ってるのは別に何の関係もないだろ」
「そう?でもお父さんが、『付き合っているからと言って、私の娘に危害を加えたら殺す』って言ってたよ」
「自ら風邪を引いたのに、俺が危害を加えたことにする気?」
「ふふっ、冗談だよ」
「はいはい分かったよ。さて帰るぞ」
俺は自然と澪の手を握る。付き合った当初は不器用に手を繋いでいた懐かしき日々を思い出した。しかし、手の温もりが突如として無くなり現実に戻って来る。
「どうした?」
「――えーっと、先に帰ってくれる?ちょっと用事があるんだよね」
「夜道を女の子1人で歩かせたくはないな」
それこそ、危害が云々の話になってしまう。俺が殺されかねない。
「大丈夫だよ。私、柔道やってたんだよ?変な男が来ても返り討ち!」
澪は中学まで柔道をやっていた。かなり鍛錬していて黒帯だ。けれど、女の子なのだからやはり、1人にはさせられない。
「そんな顔しないでよ。大丈夫だから」
そう言って優しく微笑む。
「そうだ、クリスマスプレゼントがあるの。今のうちに渡しておくね」
「何をくれるんだ?」
「それじゃあ目を瞑って」
「分かった」
彼女の言う通りにして目を閉じる。その瞬間、澪が使っているシャンプーの香りが全身を包み込み、唇にそっと温かくて柔らかいものが触れる。
「……これがプレゼント。なんだかんだで、まだキスしたことなかったでしょ?」
「あー……、えっと、そうだな」
「何ぼーっとしてんのよ。嫌だったの?」
「嫌じゃない」
「ふふっ、冗談よ。それじゃあ、先に帰ってくれる?」
「それが目的だな」
澪は俺に言うことを聞かせるためにキスをしたのだ。「何のことかな?」ととぼけているが、絶対にそうだ。
「分かったよ。俺は先に帰る。ただし、何かあったら電話してくれ。これだけは守って」
「うん。それだけは約束する」
澪は名残惜しそうに俺の手にそっと触れる。そんなに離れたくないのなら、一緒に帰ればいいのに。
「それじゃあ、また明日ね」
けれど、彼女は手を握りしめることはなかった。腕を上げて手を振ったのだ。
「うん、また明日」
それが彼女と交わした最後の言葉だった。
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