カウントダウン

「おおいらっしゃい、よく来たね」

 天城高校で部活を設立する時、申請書は生徒が直々に校長室に持っていく決まりとなっている。俺が訪ねると、星野校長はまるで親戚のおじさんみたいに温かく招き入れた。隣には補佐だろう、保険医の土屋先生もいる。

「名前とか学年とか必要なことは多分書いてありますんで」

 記入漏れがあると色々マズイが、牧島先輩のことだしその辺は大丈夫だろう。ああ見えて有能だし。

 と、確認が済んだのか、星野校長がゆっくりと視線を上に向けた。

 「いやぁ、随分楽しそうにやってるそうじゃないか」

 「ええ、まぁ。おかげ様で」

 しどろもどろで返す俺。苑浦と仲違いしたこともあって、真っ直ぐに返事を返すことが出来ない。

 「それじゃぁ、僕はこれで」

 あまり長居していても特にいいことはない。帰って楓姉さんの手伝いでもしようと、部屋を後にしようとした時だった。

 「あれ、この子もしかして……。あ、君。ちょっと待って」

 何かに気づいたのか、名簿を凝視していた土屋先生が俺を呼び止める。勘弁してくれ、早く帰らないと楓姉さんに殺されるんだぞ。最近サボり気味だし。

 そんな俺の心の叫びなんぞどこ吹く風とばかりに、土屋先生は一度校長室から出たかと思うと、すぐにファイルを持って戻ってきた。 

 「やっぱり心原性失神だった子ね。校長先生、一ヶ月ほど前にお話しませんでしたっけ? ほら、例の」

 「んー、あー、そうだっけ? 」

 「どうかしたんですか? その心原性の病気とやらが」

 何となくだが、嫌な予感がする。

「心原性失神っていうのは、心臓に強い負担を掛け過ぎることで失神状態になる病気のことよ。特に激しい運動なんかは避けたほうがいいわね」

「はぁ、そんな病気があるんですか」

 専門家の話だと、原因は突発的なものが多く、厄介な事に治療法がないのだという。

 「発症したら病院で見てもらうのが一番だけど、気をつけたほうがいいわ。あんまり頻繁に発症していると最悪の場合、死に至る可能性もあるから」

 「そうなると部活は……」

 下手するとこの部活で死人が出る。すがるような目を向ける俺に、土屋先生は毅然とした態度で諭した。

 「普通に運転する分には問題ないですけど、レースなんかは避けたほうがいいですね。その他にもマラソンとか水泳とか激しい運動は避けるよう、配慮をお願いします」

 うむ、と校長先生が神妙な面持ちになる。それを横目に、俺は最後に聞いた。

 「で、その心原性失神を持っているのは誰ですか? 」

 俺は除外するから確立は三分の一。だがなぜだろう、それが誰なのかわかった気がした。牧島先輩? 瀬雄? いいや、違う。土屋先生が指差した名前は、

 「この子よ」

 苑浦貴良。

 なぜなんだよ。

 誰よりも走ることにこだわる彼女が、どうしてそんな病気持ってんだよ? 

 そこではたと気づく。放課後の今、彼女はまたサーキットで走り込みをするんじゃないのか?

 「というわけだからさ、よろしく頼……」

 星野校長が何か言うのを無視して、俺は校長室から飛び出した。

 学校からサーキットまで距離と時計の針を考えると、急げばまだ間に合うか。廊下を走る俺の胸ポケットで、ロードスターのキーが揺れる。

 ジリリリリン!

 駐車場まで目と鼻の先のところまで来たところで、聞き覚えのある黒電話の音が鳴った。 ディスプレイに映る「椿瀬雄」の文字が忌々しい。

 「あんだよ? 」

 俺の声が荒れていたのは、息切れだけじゃないだろう。これでくだらない話だったら一発ぶん殴りに戻るか。

 「やぁ!あの後やっぱ気になって色々調べたらさ、すごい話を見つけたんだ」

 「忙しいんで切るぞ」

 能天気な奴の声が俺の焦りに火をつける。今はこんなことをしている場合じゃない。

 「ダメまだ切っちゃ。聞いてよ」

 ああ? と怪訝になる俺の様子を肯定と取ったのか、瀬雄は一拍置いてから聞いた。

 「君、モンテカルロ・ラリーって知ってる? 」

 「知ってるけどどうした」

 モンテカルロ・ラリーとは、地中海に浮かぶカジノの国・モナコを拠点に南アルプス周辺で行われる自動車タイムトライアル競技だ。百年以上の歴史を持つ、名実共に世界最高のモータースポーツといっていい。

 「苑浦さんは去年出てたんだって」

 それは初耳だった。年齢に見合わないドライビングスキルを持っているのは知っていたが、まさかそこまでの実力とは。

 「ま、リタイヤに終わったみたいだけどね」

 驚きをぶち壊すようにあっさりと瀬雄は続ける。

 「どうしてリタイヤしたかわかるか? 」

 「あー詳しくはわかんないや。URL送っとくからそれ見てよ」

 そう言うと、瀬雄は一方的に電話を切ってしまった。勝手な野郎だ、と舌打ちしてるとすぐにメールが届く。クリックすると、海外ニュースサイトの記事に飛んだ。

『昨年から新たに設立されたU-20部門。ライバルに圧倒的大差をつけトップを走っていたチーム・ギルダーだったが、終盤のチュリニ峠で突然クラッシュしリタイア。原因は不明だがドライバー、ナビゲーターの命に別状はなし』

 そんな文章と共に、フロントが潰れた黒のトヨタ・ヤリスの写真がアップされていた。だがどうも妙な写真だ。事故現場はヘアピンカープでこそあれ、見通しがよく、道幅も広い。凍結もしていないその場所で、車は真っ直ぐ岩壁に突っ込んでいた。

 まるで、ドライバーから運転する意思が消えたように。

 記事の日付は彼女がここに来る四ヶ月ほど前。

 そこに、俺は妙な引っ掛かりを覚えた。

 一見するとマシンに頼りっきりのように思えるが、モータースポーツというのはものすごく体力を酷使する。無論、心臓にも。故に、この事故は心原性失神によって引き起こされた可能性が高い。

 苑浦は俺と会う前から既に知っていたのではないだろうか? 

 そうすれば全ての理由に納得がつく。

 俺の言葉にあれほど怒ったのも。速く走ることに異常なほど執着していたのも。

 常にさびしそうな顔をしていたのも。

 夢を絶たれた彼女はそれでも、諦めきれずに毎日サーキットを走っている。だが、それは文字通り自殺行為だ。

 「もしもし? ええと、すぐに来てほしいんだけど」

 俺はある可能性を考え、電話を一本掛けると、今度こそ駐車場へと急いだ。

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