過去と未来
「ふ~ん、ドライブね。いいんじゃない」
「でしょ? というわけでその日は休みを……」
「仕方がないな。その代わり、翌日は倍働いてもらうよ」
その日の夕方、放課後のゴタゴタを聞いた楓姉さんがカウンター席で感心したように頷いていた。客が少ない日はカフェというのもつくづく暇である。近所のオバサンが来ることもなさそうだし、今日はこのまま店じまいだろう。
「けどあれ、川澄自動車ミュージアムに行くんだ」
「そうですけど、どうかしました? 」
チラシを見ていた楓姉さんの顔がほんの少し曇る。
「こないだリニューアルしたから取材に行ったんだけど。ねぇ睦、覚えてないの? 」
「何が」
かみ合わない話に首を傾げてると、彼女は俺のほうに身を寄せ、少しだけ寂しそうに笑った。
「……連れてってもらったでしょ、あの人に」
「そうでしたね」
“あの人”が誰なのか、俺たちの間で口にすることはない。ただ、どうして気づかなかったのだろう。
「割と小さい博物館でしたっけ。あ、でも、ジャガーEタイプとかあったような」
「そうそう。こないだ行った時もあったよ」
そんな風に他愛もない昔話に花を咲かせていると、
―フィーン。
聞き覚えのある独特のサウンドが耳に届いた。
闇を鋭く切り裂くヘッドライト。エッジを利かせた大柄なボディがゆっくりと店の駐車場に乗り入れる。ま、まさか。
そして、その車から降りてきた人影は俺の予感を裏付けた。
夜風になびく美しい髪のシルエットは、苑浦貴良その人に他ならない。しかし俺に気づいていないのか、彼女は薄暗い店内を覗いたまま立ち尽くしている。何やってんだアイツ、と思いかけたところで、
「どうかしました? まだ開いてますよ」
楓姉さんが柔和な笑顔で店の扉を開けた。そのまま外にいる彼女と二言三言話しているようだが、中身までは聞こえない。しばらくして、
「睦。お客さん」
我が店長は、みごと客引きに成功したようである。
「瀬雄くんからここでバイトしてるって聞いたけど」
「そうだけど。お前こんな時間に何してんの」
「私がどこで何しようと勝手でしょう」
出会いが出会いだけに、俺と彼女の間に友好の色はあまりなく、冷めた調子の応酬を繰り広げる。だが、そんな俺達の様子を楽しむ奴が一人だけいた。
「睦、命令だ。貴良ちゃんにふわっふわのオムライスを作りなさい。いやちょっと待った、やっぱ私も食べるから二人前!」
「何だよそれ」
この人店長として言ってはいけない事を言った気がする。そんな俺に同調するように、カウンターで黙りこくっていた彼女がため息をつく。
「運転の甘い男が作る料理ってどうなのかしら。あまり口にしたくなわ」
ちょっと待て、コイツは客としてどうよ?
「やれやれ使えないな睦は」
立ち尽くしてる俺を隅に追いやると、楓姉さんは冷蔵庫から材料を取り出した。顔は笑っているが、目は笑っていない。
「お客さんを喜ばせるくらいの腕はあるんだよ」
先程の材料をまとめて火に掛けると、戸棚からもう一つフライパンを出して、今度は卵の用意にかかる。二つの進行は寸分の狂いなく行われ、チキンライスの香りが立ち込めた頃合になると、楓姉さんは薄焼き卵をその上に乗っけた。
「はいよっ。オムライス一丁」
「……いただきます」
黄金色に輝く卵と、香ばしいチキンライスの組み合わせには、さすがの苑浦も抗えなかったらしい、不服そうにスプーンを取ると、一口試した。
「へぇ。普通に美味しい」
「でしょ? ま、愚弟とは格が違うのさ」
意外そうに舌鼓を打つ苑浦と、対照的にはしゃぐ楓姉さん。そんな二人を見て、俺は少し強引に切り出した。
「で、本当は何しに来たんだよ」
「ちょっと相談があって」
それから苑浦は外に止まっている自分の車を指差した。
「実はあの車、調子がかなり悪いのよ」
「原因はわかってるのか? 」
「ええ。自動運転のプログラムがショートして、バッテリーにトラブルが起きたの」
顔色一つ変えず淡々と話す辺り、大きな問題ではなさそうだ。と、そこへ。
「うわっ睦、見てよあの車。サンライナーじゃん」
空気の読めない店長が乱入してくる。
「ちょっと姉さん、今俺が話してるんですけど」
呆れ気味にたしなめる俺の一方、
「どうしてあの車の事知ってるんですか? 」
どこか怯えた様子で苑浦は返した。その目はオムライスのときとは比べ物にならないほど驚きの色に染まっている。彼女の顔が嗜虐心を刺激したのか、楓姉さんは敢えて答えず、さらに知識を披露した。
「英国のレーシングチームと、某グループが共同で作った車だっけか。スポーツ走行好きな玄人向けの設計と、ソーラーエネルギーを使った自動運転機能が魅力だよね。けど おかしいな、一般向けの発売はまだだった気がするけど」
どうやら楓姉さんの言ったことは全部本当らしい。驚きのあまりショックで固まってる苑浦に、俺は慌ててフォローを入れた。
「あ~この人、副業で自動車ジャーナリストの仕事やってんだよ。カフェ儲かんないから」
「……仕方ない。睦の友達だし黙っとよ。で、充電が必要と」
「はい。プロトタイプだし、おそらく自動運転は諦めるしかないですね」
蚊の鳴くような声で、やっと苑浦が返事をする。
「ならレンタカーでも借りればよくね? 」
最も、そんなことしなくたって、ファンクラブの奴らに頼めば車の一台くらいすぐに届きそうだけど。
「けど、私この間までイギリスにいたから、どうやっていいかわからなくて」
「瀬雄が言ってたな」
いつかのやり取りを思い出す。さすがファンクラブ会長、情報の正確さは折り紙つきである。
「どうして瀬雄君が知ってるの。あなた以外に話してないんだけど」
いけね、口が滑った。疑惑の目を向けられ、しどろもどろの俺を助けたのは、やっぱり楓姉さんだった。
「よしわかった。雑誌の取材で借りてある車があるから、こっそり貸したげる」
「本当ですか? ありがとうございます」
渡りに船とはこのこと。そう告げられた苑浦の表情は、少しだけ明るいものだった。
「姉さん、俺もその車乗ってみたいんだけど」
「お前はダメ。事故りそうだし」
クスッと笑う苑浦。はいはい、俺は昨日の今日ですもんね。
「それじゃあ、私はこれで。日曜日、一応楽しみにしてるわ」
「おう。気をつけて帰れよ」
それから彼女は伝票に何か書くと、どこか優雅な素振りで店を出て行った。見送った方がいいか迷っていると、サンライナーのテールライトが灯り、去ってゆく。
「あれ、お代は? 」
「いいんだ」
彼女は店に来てから一回も財布を空けてなかった。よく考えたら食い逃げじゃね、と思う俺に楓姉さんが優しく諭す。その手には、メールアドレスがの書かれた伝票が握られていた。
「お代以上の物を得られそうだからね」
「どういう意味ですか? 」
たまにこの人の考えてることがよくわからない。そんな俺に、彼女は質問で返す。
「サーキットで事故りそうになった時、あの娘に助けてもらったんだろ? 」
「そうですけど。それがどうしました? 」
「彼女は相当な腕を持ってるよ。多分、ちょっとしたプロ顔負けの」
無論周知の事実である。だが、楓姉さんの確信はどこにあるのだろうか。
「あの娘の車、詳しいスペックはよくわからないが、サイズからしてそれなりの重量があるね。しかも、自動運転の機能付きとなると、電子制御も相当なものだろう」
「つまりなんなんですか」
「わからないか? 車は重ければ重いほど扱いにくくなるし、電子制御が複雑なほど、無茶な動きは抑制される」
それから楓姉さんは水を飲んで一拍置くと、はっきりと述べた。
「そんな条件の悪い車を手足のように扱い、アクロバティックな動きをすることが出来るのは、並大抵の腕前じゃない。しかもそれが高校生なんて気になるじゃないか」
キラキラと目を輝かせるこの従姉を見て、やっとこさわかった。つまり、楓姉さんは苑浦に興味津々というわけか。
「貸した車は試乗レポートを送ってもらうよう頼んだし、他にも色々させようかな。大体なんだあのワガママボディ!胸にV8エンジンでも積んでるのか? 」
「ぶ、V8って……」
いや、楓姉さんも負けず劣らずなんだけど。
「はぁ、わかりましたよ。店長はあなただし」
「お前のそういう所、結構好きだぞ」
やることがなくなった俺は、頭ポンポンされるのを軽く受け流して、川澄ミュージアムのホームページを開いた。トップページには、瀟洒な造りの建物を背に、ワインディングロードが幾重にも連なる風景の写真が載っていた。次の日曜、俺たちはここに行く。
―雲ひとつない空の下で風を切って走るんだ、どんな嫌な事も忘れちまうよ。
同じ場所に行ったいつかの日、ある人がそう語りかけてくれたっけ。
「本当か、賢さん? 」
無意識のうちに俺は虚空に向かって呟いた。返事が帰ってくることはない。それ でも、それが本当か確かめるくらいなら出来るかも知れない。
だが、俺はこのときすっかり忘れていた。
「けど睦、後の二人は車持ってんの? 」
「あ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます