バトルは突然に
自分の世界にない音が、鼓膜を震わす。どうやら俺以外にも走っている車がいたらしい。バックミラーに目をやると、ヘッドライトがすぐ傍に迫っていた。剣呑としたその目はまるで人を斬るかの如し。そして、苛立だしいことに、チカチカとパッシングをかけている。
譲るべきか。
俺のほうが遅いのは火を見るより明らか。しかし、ここはサーキット。車が、純粋に速さを競える場所だ。
「上等だよ」
俺はギアを一段上げ、少しキツめにアクセルを煽った。普段よりも勢いよくエンジンが唸りを上げ、車体を加速させる。奇しくも残すは最終コーナー、曲がった先のホームストレートまで鬼ごっこだ。
眼前のヘアピンコーナーが、俺を飲み込むかのようにみるみる迫ってくる。一方、背後を照らしていたヘッドライトの灯りは外側に逸れた後、ロードスターと同じ位置に並びかけていた。アウト側から抜くことも厭わないらしい。
「…させるか」
スピード差で前に出られたとしても、コーナーではイン側にいるこちらが有利だ。しかもこの最終コーナー、元が公道だった名残で、イン側に歩道用のスペースが広がっている。そこを突けば、逃げ切れるはずだった。
左足に神経を集中させ、シフトノブを握る手に力を込めたその時、
相手が強引に幅寄せしてきた。
「!」
コイツ、そこまでやるのかよ?!さすがにブレーキを踏まざるを得ない。驚きと怒りで頭真っ赤に染まる視界の中で、さらに何かが映し出された。
岩だ。
教室の椅子ほどはあろうかという大岩が、今まさにロードスターが突っ切ろうとしているライン上に転がっていた。それを避けようと、慌ててブレーキを踏んだのが間違いだったのかもしれない。極端な荷重移動で挙動が不安定になったロードスターは、スピン状態に突入した。
「頼む、元に戻ってくれ!」
必死にステアリングとブレーキ操作で姿勢を立て直し、岩肌の壁面を避ける。間一髪、車はコースの外側にあるエスケープゾーンで停止した。
「ふぅ」
冷や汗が背中を伝う。身の安全を感じたところで、ゆっくりと俺は目の前にある事実を確認し始めた。
まずは、進行方向と反対向きに止まっているロードスター。路面にかすかに付いたタイヤの跡が生々しい。だが幸いにもコースの範囲内でスピンしたため、懸念すべきことは驚くほど少なかった。もし気づくのが遅かったら、あるいはもう少しスピードが出ていたらクラッシュは間逃れなかっただろう。それはつまり、
アイツは知ってて幅寄せしたのか?
一瞬の判断でそれを実行できる人間はどれほどいるだろうか。にわかに信じられないで入ると、自分がいるところより五十メートルほど先、ピットの入り口に止められた車のドアがゆっくりと開いた。多分、俺は忘れることはないだろう。
降りてきたそいつがゆっくりとヘルメットを外すその瞬間を。
ゆったりとした立ち振る舞いから最初に現れたのは、艶のあるダークブラウンの髪だった。それから引き締まった輪郭が浮かび上がると共に瞳がゆっくりと見開かれ、俺のほうに向き合う。
「怪我はないわね。今すぐコースから去りなさい」
「はい? 」
え、どういうこと? と俺が戸惑っていると、彼女は毅然とした様子で続けた。
「たった一周であんな滅茶苦茶な走りをした上、事故まで起こしかける人には、走るのは無論、車に乗る権利すらないわ」
「ちょ、待ってくれよ……」
せっかく助けてもらったから礼の一言でも言いたかったのに、目の前のそいつは問答無用とばかりにこちらを睨めつけている。
「それじゃあ何か理由があるとでも? 」
「この車、乗り始めたばっかでよく知らないんだ。しかもイジってあるみたいだから普通のと違うみたいだし」
「ふぅん」
納得したのかしなかったのか、彼女はロードスターに視線を移すと、その回りをぐるっと回ってみた。
「ロードスターのND型……外見上はそんなに大きな違いはないみたいね。あ、ブレーキパッドが焼け付いてるじゃない。さっさと車移動してピットから工具とパッドを貰ってきて」
「え、今から? 」
「ブレーキ壊れた車で走れるわけないでしょう、さっさとしなさい!」
俺の問いが余程的外れだったのか、彼女は感情を爆発させた。
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