一章

主人公なんてそんなにカッコよくない

 「だからね、どう考えても初心者マークに苛立つ方が悪いじゃないですか」

 「一週間前もそんなセリフ聞いたな。郷永、お前本当に免許持ってるのか? 」

 「え、この間見せましたよね? 」

 「そういうことを言いたいんじゃない」

 その日、生徒指導室はいつにもまして険悪な雰囲気だった。担任の三好は斬らんばかりの睨みを利かせ、こちらを見つめている。その理由は、

 「一昨日は交差点のど真ん中でエンスト。今日はブレーキが遅れてあやうくおばあさん撥ねそうになる。全く、新学期早々先が思いやられるな。処分内容については追って連絡するから待て」

 「……処分ってどういうことですかね」

 「それはこちらが決めることだ。ほら、さっさと行った」

 パンパン、と手を叩いて半強制的に俺は生徒指導室から追い出された。クソ、何だあの態度。家畜じゃねぇんだよ。

 苛立ちながら扉を開けると、時刻はもう下校時間を回っている。多くの生徒が入り乱れる廊下を過ぎ、下駄箱を出たあたりで、

 「あれあれ随分長く拘束されてたみたいね」

 肩を叩いてきたのは、クラスメイトの椿瀬雄だ。生徒会の仕事終わりなのか、きちっと着こなしたブレザーに、腕章という出で立ちだ。そのまま流れで、俺達は校門まで一緒に歩くことにした。

 「呼び出しの校内記録樹立の日も近いね。で、今度は何やったの? 」

 「ちょっとエンストしちゃってさ。それも交差点の真ん中で。で、制服とクルマでバレた」

 俺の告解がおかしかったのか、瀬雄はそこでブッと噴出す。

 「エ、エンストって、石器時代じゃないんだから。ここは現代の日本だよ」

 「そんなこと言われても困る。マニュアル車だし慣れねぇんだ」

 「マ・ニュ・ア・ル!? 」

 目をまん丸にした瀬雄の顔がアップで迫ってきた。クールな外見とは裏腹に、コロコロと表情豊かな奴である。

 「そうだよ。だからどうした」

 もっとも、そう驚くのも無理な話ではなかった。昔と違って今時の自動車の九割はオートマ車だし、ましてや俺達高校生がマニュアル車と縁があるほうが珍しいかもしれない。

 「思い出した。君って見かけによらず、小洒落たのに乗ってたっけ」

 「一言余計だ。まあ、どちらかといえば目立つけどさ」

 「見せてよ」

 「いいよ。そこに止まってるから」

 顎で促すと、俺は瀬尾を連れて校舎の裏手にある、だだっ広い駐車場に向かった。



  自動車文化振興法が可決されたのは二年前の話だ。免許取得年齢の引き下げを筆頭に、三十歳以下が車を購入する際の減税や、各自動車メーカーの積極的なアピールは、主に経済効果を狙ったものだろう。実際、法成立後の保有台数はうなぎ登りである。それだけでなく、土地の有効活用にと各地で作られ始めた地下駐車場や、国を挙げての道路再開発の勢いは、日本に新たなモータリゼーションの波を引き起こしていた。

 俺もその恩恵にあずかった一人。

 「これが君のか」

 沢山の車がひしめき合っている中の一台、眩しい赤色のオープンカーを瀬雄は指差した。シンプルながらエッジの効いたデザイン、爬虫類を思わせるライトは鋭いオーラを放っている。

 マツダ・ロードスター、俺の愛車だ。

 ドアロックを解除して、中を見せる。すると、彼は普通の車にない、丸い形のシフトレバーに注目した。

 「すごい、初めてみたかも」

 珍しいものを見るように、瀬雄。うん、こうやって自分の車を見せるのは悪くは無い。けど、見終わった奴が言うセリフは大抵決まっている。

 「けど面倒くさそうだね」

 ほらな。あきれたような、あるいはどこか小馬鹿にしたような言い方は、悪気はないのだろう。それでも俺の心はちょっとだけへこむ。

 勿論、決して瀬雄のせいだけではないのはわかっていた。

 クラッチを介して走らせるのはお世辞にも効率的とはいえないし、先の法律可決以降、ハイブリッドカーや電気自動車のような次世代エネルギーの躍進は目を見張るものがある。極めつけは、

 「狭っ!カバン置いたらもう荷物詰めないね。よくこんなの乗れるな」

 「うるせえ」

 二ドア+オープンカーというのは同級生ウケが死ぬほど悪い。そりゃ、SUVやコンパクトカーが人気なのは知ってるけどさ。

 「僕だったらこれ買う金で型落ちのプリウスでも買うね。そのほうがよっぽどいい」

 「結構な事で。それじゃ、また」

 「あああちょっと待って、悪かったって、そう怒らないでよ」

 乱暴に運転席に乗り込み、エンジンを掛けようとしたところで、瀬雄が車の前を塞ぐ。どうやら、俺が苛立ってるのに気づいたようだ。

 「君の好きなソーラーカーでも見に行こうか」

 「あ? 何だよそれ」

 「知らないの? 」

 怪訝そうな俺を見て、瀬雄はさも意外とばかりに目を丸くした。聞いたところ、俺らと同じ一年の中に、どっかの会社だか富豪だかの娘がいるらしく、ソーラーカーに乗ってるのだという。

 「噂だと日本じゃまだ売ってない車らしいよ。けど知らないなんて意外だね、A組の苑浦貴良さん」

 雲行きが怪しくなったと思ったときにはもう遅かった。そこから瀬雄はその苑浦という人について語りだしたのである。大まかにまとめるとこうらしい。

・彼女は知る人ぞ知る名家の出身である。

・イギリスからの帰国子女で、元はギルダー・ハイスクールという名門校にいた。

・その美貌と共に冷ややかな雰囲気を纏っているため、校内で隠れファンクラブなるものが出来たらしい。

 「しかも彼女はね」

 「もういいかな? 俺そろそろ帰りたいんだけど」

 「ちょっと待って、話はまだ終わってな……」

 「寄り道しなきゃいけないんだよ」

 適当に相槌を打つと、今度こそ俺はエンジンを掛けて発進した。しかし、慌ててクラッチを戻したせいで、車体はガクガクとぎこちなく揺れた後、静かに止まってしまう。その原因はとっても簡単。

 「嘘でしょ君、今エンストしたの? 」

 今にも噴き出しそうな瀬雄が駆けて来た。さらに遠くからも数人、事情を察した奴らが遠巻きでコソコソ見てやがる。おいやめろ、見世物じゃない。

 「……話の続きを聞こうか」

 顔が赤くなるのを感じながらも言葉を紡ぐが、

 「エンストするような子には教えませ~ん」

 「クッソ!」

 あまりの悔しさでダッシュボードを殴ろうとしたらしい、無意識のうちに手を振り上げられた所で、その拳が掴まれる。

 「アクセル踏む量が足りないからエンストするんだよ。そんなんじゃ車が泣くよ」

 そう吐き捨てると、瀬雄はもう付き合ってられないとばかりに肩を落すと、体育館の方へ去って行った。

 車内に残される俺一人。

 惨めな気分を振り払うために再度発進すると、(さすがにエンストはしなかった)、先ほどの話が頭をよぎる。

 苑浦ね。

 そういえば入学式の新入生代表スピーチの時、やたら会場がざわついた気がするのだが、あの時壇上にいたのが苑浦って奴だったかもしれない。けど、所詮俺の興味はそんなものだ。それより気になったことがある。

 ソーラーカーか。

 ロードスターは十年も前の車ではないが、ガソリンエンジン+マニュアルという古典的な造りの車だ。しかし、時代は確実に新エネルギーを求めているようである。急に自分が、世界から取り残されたような気がした。

 「知ったことかよ、そんなの」

 自嘲するように呟く。俺にとっての車とは、ただ普通に走れさえすればいい。そんな雲の上の世界も、苑浦という奴も全然関係ない、少なくともこの時の俺はそう思っていた。

 この時は。

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