第14話 違和感

 翌朝、ベテラン刑事は現場検証に立ち会った。だが、彼はその現場に違和感しか受けなかった。

 「なぁ・・・これ、無理心中に思えるか?」

 鑑識が入った跡の家の中。硫化水素を発生させたとする風呂場、夫婦が死んでいたとされる二階の寝室。そして、その隣の今井千夏の部屋。

 「何が不思議だと?」

 岩槻はベテラン刑事に尋ね返す。

 「だってよ・・・硫化水素は空気より重いのに二階まで到達するのか?」

 「そこは素人考えで、だから半端じゃない量を突っ込んだんでしょ?」

 確かに、用いられた量は異常な程の量である。一階に溜まっていた濃度は完全に致死量を超えており、入った警察官は今朝、死亡が確認された。

 「だけど、二階の濃度は致死量以下だったんだろ?」

 「それは1階の除去が終わってからですからねぇ。そこは参考にならないと鑑識の結果も出ていますよ」

 若槻は鑑識の報告書を読み上げる。

 「仮にそうであっても・・・俺はあまり・・・」

 「それよりも今井千夏の部屋にあった絵の方が気になりますね」

 ベテラン刑事と若槻は今井千夏の部屋へと入った。

 「女の子らしくない部屋だが・・・」

 白い壁の一面に黄色い絵の具で何かの花が描かれている。

 「これ、今井千夏が描いたのかな?」

 「さぁ・・・絵具とハケはそこに転がっていたようですけど、指紋は今井千夏の分しか検出されていませんので・・・たぶん・・・」

 絵はあまり上手いとは言えず、乱雑に落書されたようにも見えるが、それが何かの花であることは解る。

 「この花・・・何だろうな・・・見覚えがあるような気がするが・・・」

 ベテラン刑事は角度を変えながら壁の絵を見る。

 「ユリ・・・じゃないですかね?」

 「ユリ・・・ユリかぁ・・・なんでユリなんだ?」

 若槻はスマホでユリを検索する。

 「そうですね。威厳・純潔・無垢・純粋とかって花言葉あるみたいですよ」

 「はぁ・・・意味が解らんな」

 ベテラン刑事は参ったように頭を抱える。

 「きっと、自分は殺人事件の犯人である事を示したかったとか?」

 「それがその花言葉とどう関係するんだ?」

 「いや、無垢だとか純粋とか・・・威厳とか?」

 若槻はしどろもどろになる。それをベテラン刑事は無視して、丹念に部屋の中を見て回る。

 今井千夏は毒殺されている。二階堂由美と同じようにだ。ただし、死体は暴れた形跡があった。自殺だとすれば異様な話だ。確かに呼吸困難になり苦しんで死ぬことになるだろうが、覚悟して飲んだはずだ。暴れ回って死ぬことは無い。

 「誰かと争って、強引に毒物を飲まされたとかってのは?」

 ベテラン刑事は若槻にそう告げる。

 「争ってって・・・この家に忍び込むのは難しくないですか?」

 門には警察官。周囲にはマスコミが張り込んでいる。ある意味でここは密室だった。

 「そうだが・・・俺は思う事が一つあるんだ」

 「何ですか?」

 若槻が神妙な面持ちでベテラン刑事の話を聞く。そんな雰囲気を彼が醸し出しているからだ。

 「電波泥棒の時もそうだが・・・この周囲に不審人物の情報が無いんだよね」

 「確かにそうでしたね。あれだけ捜索しても目撃情報が上がりませんでした」

 「まぁ、そんな事はよくあると思って、俺も深く考えなかったが・・・こうなると一つ、考えないといけないと思う」

 「何をですか?」 

 「この家に誰にも知られずに出入りが出来る秘密の入り口がある可能性をだ」

 その言葉に若槻はギョと目を見開いて驚く。


 硫化水素による一家心中事件。

 由真は今井千夏とその両親との死因の違いを考えていた。

 硫化水素を発生させたのであれば、一緒に死ぬ可能性は高い。それとも、自らの死を確実にするため?でも何で硫化水素を一階の風呂場でしかも多量に作る必要性があったのか?

 この事件において、ただの無理心中だとしても疑問が多かった。由真はそれらをノートに書き込んでいく。そこに遠縁坂が近付いて来た。

 「あぁ、昨日の事件だね?」

 遠縁坂は一目で気付く。

 「うん・・・何か・・・おかしな気がして」

 「確かにこの事件はやり方一つ取っても腑に落ちない。それに警察発表などを聞いても、彼等がこの事件に対して、まだ、自殺だと判断していない感じもするし」

 「自殺じゃなければ・・・他殺?」

 「まぁ・・・そうだろうね。事故とは考える事は出来ないからねぇ」

 由真の問い返すに冗談っぽく返す遠縁坂。あまりに不謹慎なので、由真はあからさまに嫌そうな表情をする。

 「ごめん。しかし、この事件・・・死因などは明らかになったけど・・・他殺を疑うには色々と不都合な事が多いんだよねぇ」

 遠縁坂は自分の捜査ノートを取り出す。そこには精緻に描かれた今井千夏の自宅図面である。

 「昨日の夜、見に行った段階で門の所に警察官が一人、車で待機している記者が3人程、居たと思う」

 彼が確認した場所には印が打たれている。それを見ると、その多くは自宅の前に集まっている。

 「正面玄関から入ろうとすれば、目撃されないわけがない」

 「じゃあ、裏口は?」

 「今井千夏の家は正面以外の三方を隣家に接している。他人の家の敷地を通らないと難しいだろう」

 それを聞いた由真は閃く。

 「でも・・・隣人に気付かれなければ、通り抜けが出来るんじゃ?」

 「・・・そうだね。そうとも言えるね。しかし・・・かなりリスクが大きいような」

 「もしくは隣人を調べてみたらどうかしら?協力者って可能性もあるし」

 「確かにそうだね・・・でも、そうなると、僕等では・・・」

 遠縁坂もまったくの他人に対して、犯行を疑うような不躾な質問をする事に躊躇う。その様子を見て、再び、由真が閃く。

 「ふふふ。これがあるじゃない」

 彼女が取り出したのはベテラン刑事の名刺だった。


 ベテラン刑事達は嫌そうな顔で、今井千夏の自宅周辺にある神社にやって来た。

 「意外と早かったですね」

 声を掛けたのは由真と遠縁坂だ。

 「まぁ・・・やる事が無かったからな」

 ベテラン刑事は欠伸をしながら答える。

 「刑事さん・・・冗談は止しましょう。僕らは知りたい事があります」

 遠江坂が真剣な眼差しでベテラン刑事を見る。

 「知りたい事・・・悪いが、捜査情報は教えられないよ」

 ベテラン刑事はニヤリと笑いながら答える。

 「でも・・・容疑者リストは教えてくれた」

 遠縁坂はそう切り返す。

 「あれは・・・君達の同級生ばかりだからな。君達にだって調べられた事さ」

 「そうですか・・・じゃあ、あの時と同じでこちらも解った事を出します」

 「取引か・・・分の悪い話はしたくない」

 ベテラン刑事は少し凄みのある表情で遠縁坂を見る。由真は一瞬、背筋が凍る感じがしたが、遠縁坂は何も感じていないように笑顔のままだった。

 「僕達は今井千夏が自殺したとは思っていません」

 「確証は?」

 「ありません。ただ、違和感を覚えただけです」

 「直感か・・・刑事でも無いのに直感かよ。探偵にでもなるのか?」

 ベテラン刑事は遠縁坂をからかうように言う。

 「えぇ・・・だけど・・・硫化水素を使って、両親を殺害しているのに・・・自分だけテトロドトキシンを使うなんて・・・おかしくないですか?」

 遠縁坂の言葉にベテラン刑事は眼光が鋭くなる。

 「へぇ・・・なんで、両親が殺害されたと思う?実際はどっちがどっちを殺したかなんて、発表はしてないはずだが?」

 ベテラン刑事の低く抑えた声は相手を脅しているようにも聞こえる。

 「直感ですよ」

 遠縁坂はニヤリと笑う。

 「直感か・・・だが、何故、そう思ったかぐらいの根拠はあるだろ?」

 ベテラン刑事は興味を持ったように尋ねる。

 「えぇ・・・仮に両親が今井千夏を殺して、無理心中をするとすれば、娘だけ別の方法で殺害する意味が無い。だとすれば、両親を殺して、尚且つ自殺を確実にするためにテトロドトキシンを服毒するのが理屈としてはあっている」

 「だったら・・・今井千夏の自殺じゃねぇか?」

 ベテラン刑事は遠縁坂の上げ足を取るように言う。

 「えぇ・・・そう見せかけている。だけど、今井千夏には自殺する動機が薄い。確かにネット炎上などで精神的な問題を抱えていたかも知れないが、それだけですぐにここまで計画的な自殺を行えるとは思えない。それに・・・家から出る事の出来ない彼女がどうやって硫化水素を発生させる道具を揃えたりするんですか?」

 ベテラン刑事は少し考え込む。

 「なるほど・・・面白い推理だな。だが、所詮は子どもだな」

 ベテラン刑事は軽く笑う。

 「そうですか・・・じゃあ、もし、殺人犯が今井千夏の家に忍び込める経路があったとしたら・・・どうですか?」

 「忍び込める経路か・・・なるほど・・・あるのか?」

 「それを調べて欲しいのです。今井千夏の家に接する家の家人がどのような人物なのかとか・・・」

 ベテラン刑事は若槻を見る。

 「まぁ・・・当然ながら、今井千夏の周辺の家に関しては調べてある」

 「じゃあ、その中で、家の敷地を他人が通り過ぎても解らないような人は居ますか?または夜間に留守にする人などは?」

 ベテラン刑事は再び若槻を見る。若槻は嫌そうな顔をしながら鞄からキャンパスノートを取り出す。刑事などが手帳にメモを取るのは刑事ドラマだけだ。実際には多く物が書き込めて、幾らでも消耗が出来るキャンパスノートを持ち歩く。

 「あぁ・・・一人・・・居ますね。裏の家の一人暮らしの男性は鉄道整備の仕事をしているので、夜間に仕事へと向かわれるようですね」

 「やはり・・・」

 遠縁坂は納得したように頷く。ベテラン刑事も気付く。

 「なるほど・・・敷地に入ってしまえば・・・誰の目にも触れずに何かをする事も容易いってわけだな」

 「じゃあ・・・その家を伝って・・・今井千夏の家に忍び込んだわけですか?」

 若槻もそれに気付いた。

 「あぁ・・・庭などに痕跡が無いかを確認しろ。特にゲソ痕とかな」

 「解りました」

 若槻が慌ててスマホを取り出して連絡を始める。

 「なかなか・・・勘が良いな」

 ベテラン刑事は遠縁坂を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。

 「いえ・・・お役に立てれれば・・・」

 「あぁ、役に立ったよ。立ったお礼に一つだけ情報をやる。これはどこにも出していない情報だからな。誰にも言うなよ」

 ベテラン刑事は勿体ぶる。

 「今井千夏の部屋には壁一面に落書がされていた。塗料の渇きぐらいから、それは死亡時刻とほぼ同じだと判明している」

 「落書・・・ダイニングメッセージですか?」

 遠縁坂はそう問いかける。それをベテラン刑事は首を軽く横に振って否定する。

 「違う・・・描かれていたのは黄色い花だ。うちの若槻はそれを『ユリ』だと言っているが、正直、それがユリかどうかは下手過ぎて、解らない。まぁ、そんなような花の絵が描かれていた。捜査本部は遺書のような物じゃないかと言う意見が大半を占めている。まぁ、自殺で幕引きをしたい感じだな」

 「ユリ・・・ですか。花言葉からしても・・・自殺する人間の遺書には思えないですが・・・」

 遠縁坂も考え込む。横で聞いていた由真が何かに気付いた。

 「花言葉って・・・色々な解釈があった気がするけど・・・」

 「色々な解釈?」

 その場に居た誰もが由真を凝視する。

 「花言葉って・・・そんなに様々にあるのかい?」

 ベテラン刑事は驚いたまま、尋ねる。

 「えぇ・・・確か・・・」

 由真は自身無さ気に返事をした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る