第9話 とり鍋

 掃いても掃いても、相変わらず中庭の落ち葉は無くならなかった。一体私はこんなところで何をしているのだろうか。無限に落ちてくる落ち葉を見上げ、私は虚無を感じた。

 相変わらず、毎日毎日、掃除、座禅、掃除、座禅の繰り返しだった。

「こんなんで私は救われるのだろうか」

 私が自問している間にも落ち葉は絶え間なく、ゆっくりとひらひら降って来る。

「なんですかそれ?」

 和尚さんが何かをぶら下げ歩いてきた。

「鶏だよ」

「どうするんです?」

「食うんだよ」

 和尚さんは当然という顔で私を見た。

「今日はとり鍋だ」

「あの、ここお寺ですよね」

 鶏はまだ生きていた。

「当たり前だ」

「殺生ダメなんじゃ」

「他人が殺したものならいいんだ」

「そうなんですか」

「そうだ」

 そう言うと、和尚さんは私に一本の鉈を渡した。

「はい?」

 私は和尚さんを見上げる。

「そういう事だ」

「ええ!」


「・・・」

 つぶらな瞳が私を見つめている。

「あの、やっぱり私できません」

 私は全く自分の運命を分かっていない、無邪気な鶏を前に一時間苦悶していた。

「お前しかやれる人間はいない」

「で、でも・・・」

「お前がやらないと、今日の晩飯はないぞ」

 私は唯の事を思った。

「う~」

 私は覚悟を決めた。

「分かりました」

「そうだ。やれっ」

「う~、えいっ」

 私は目をかたくつぶり、真一文字に鉈を思いっきり振った。

「やった」

 大した感触も無く、しかし、確かな手ごたえはあった。鶏の頭はスポーンと飛んだ。

「ついにやった」

 私はやった。しかし、首の無い胴体はまるで首が無くなったことに気付いていないかのように、私の前をひょこひょこと歩いていた。

 私は血の気が引いていくのを感じた・・。

「・・・」

 気付くと私は布団の上に寝かされていた。天井板の木目が見える。

「おい、飯だ」

 そこに和尚さんが襖を開けた。

「あの、わたし・・」

「早く来い」

 私はまだ記憶が曖昧なままふらふらと、和尚さんについて本堂へと向かった。本堂の真ん中にはちゃぶ台が置かれ、その上で鍋がぐつぐつと煮えていた。すでに唯がそこにいた。

「水炊きだ」

 和尚さんが鍋のふたを取って言った。

「やったぁ~、水炊き水炊き~」

 唯が子供のようにはしゃぎまわる。鍋の中の鶏肉は、生きていた時の面影は完全に無くなっていた。だが、席に着いた私は、どうにも食欲が湧かなかった。

「いただきま~す」

 唯の元気な声が本堂のガランとした空間に響き渡る。

「うま~い。メグちゃんも食べなよ」

 唯は私の苦労など露知らず、うまそうにもりもり食べていく。

「う、うん」 

 次々にうまそうに口の中に肉の塊を放り込む唯の隣りで、私は首の無い鶏の歩き回る光景を生々しく思い出していた。

「食う事が、供養だぞ」

 和尚さんにそう言われ、私はポコポコと鍋の中で踊る鶏肉に恐る恐る箸を伸ばした。箸で掴むとそれはプニッとした新鮮な弾力があった。しかし、それは生々しい感触でもあった。

「・・・」

 私は、しばし持ち上げた肉を見つめた。

「え~い、ナムサン」

 私は思い切って肉を口に入れた。

「ん!うまい」

 肉は上手かった。何とも言えない肉汁と肉厚。うまみが口の中から脳天に突きぬけて行く。

「平飼いの生き締めだからな」

 和尚さんが酒をあおりながら得意げに言った。今までに食べた鶏肉が一体何だったのか。

「肉、うま~い」

 唯はさらにはしゃいでいる。

「うまい、うまいぞ~」

 私もなんだか興奮してきた。私は唯と一緒に夢中で食べた。結局、肉はものの数分でなくなってしまった。

「う~、うまかったぁ」

 唯が膨れたお腹をさすりながら、満ち足りた表情をする。

「あ~、うまかったぁ」

 それに続き、私も久々に満ち足りたお腹をさすった。

「次はもっとうまくやりますよ」

 なんだか気の大きくなった私は、和尚さんに言い放った。

「現金なもんだな」

 和尚さんは酒を飲みながら呆れた。

「そういえば、この鶏どこで買って来たんですか」

「買ってなんかいないぞ」

「はい?」

「野生の鶏だ」

「・・・」

 次の日、いつものように庭仕事をしていると、近所のおばちゃんが鶏小屋の前で、怪訝な顔で首をかしげていた。

 私は顔を伏せた。

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