6-4:Break-insー侵入者ー
湯浴みの時間をゆっくりと楽しんだ俺たちはもつれるようにして寝具へ倒れ込んだ。
すぐに寝息を立て始めたジュジの髪を撫でながら、俺も眠りに就いたはずだが、不意に嫌な気配で目が醒めた。
隣でぐっすりと眠っているジュジの体をそっと強請ると、彼女は眠そうに目を擦りながら上体を起こす。
「ん……」
そっと彼女の唇に人差し指を当てて「しーっ」と言うと、目を開いたジュジが息を呑みながら頷いた。
「妙な気配がする。扉を開いて外へ出る。用心していてくれ」
小声で話しかけてからそっと寝具を抜け出すと、ジュジも物音をさせないまま俺の後を付いてくる。
なるべく静かにしながら扉へと近付いて、耳を当てたが、外から物音ひとつ聞こえない。
魔素の流れに違和感がないか確かめる目を凝らすと、扉の向こう側に誰かが立っているような弱い魔素の揺れが見えた。
振り向いて、ジュジに目配せをすると、彼女は首を縦に振って腕から伸ばしたツルを扉の取っ手へ絡めた。
人を入れるなと注意しておいたはずだ。なにかの間違いでも多少手荒なまねをしても赦されるだろう。
扉の方を見ながら、右手を挙げると、ジュジがツタで取っ手を捻って扉を開いた。
それと同時に、小さな影がこちらへ素早く向かってくる。
女だ。
半身を向けながら、向かって来た相手をいなす。どんくさい動きから見ても素人だろう。
手にしていた刃物を取り上げて、鳩尾に膝を軽く入れると簡単に口から空気を吐いて、女は気を失った。
「……
仰向けにして、意識を失っている女の顔を確認していると、気を失って脱力していた女の口が不意に開いた。
喉の奥から飛び出してきた黒くて細長い何かが俺の顔を狙って飛び出してきた。蛇だ。
咄嗟に黒い蛇を手で握って、炎で焼き殺すと、蛇はドロリと紫の粘液を垂らしながらあっけないほど簡単に絶命する。
「魔物……がヒトの中に?」
ジュジが驚いて声をあげる。
「蛇の魔物が女に口に潜んでいるとはな……。ジェミトたちは無事か?」
女を床へ転がし、腰へ結んでいた革紐で腕と足を拘束させてもらった。
両手で口元を押さえているジュジがいる。ジェミトたちの部屋は大丈夫かと辺りを見回して、違和感を覚えた俺は背後へ目を向けた。
冷たい風が頬を撫でる。魔素が不自然な形に膨れ上がり、ヒトの形になっていく。
「誰だ」
急に現れた人の気配に動揺したことを悟られないように、息をゆっくりと吐きながら急に現れた何かに声をかける。
まるで館の主かのように堂々と近付いてきた人影は、靄が晴れていくように段々とくっきりと輪郭を露わにした。俺たちの前に現れたのは、青みがかった白い
「どうやって忍び込んだ?」
肩辺りで切り揃えられた青みを帯びた黒髪が揺れる。切れ長の目に嵌め込まれた深い海底のような色の瞳は、不気味な光を湛えながら、じとりとこちらを捉えている。
奴は唇の左側だけを持ち上げ、フッと息を漏らすように笑った。
「ボクはどこにでもいるし、どこにもいない。ふふ……ゆっくり話でもしたいところだけど」
話すつもりはないらしい。俺は右手を前に翳して炎の球を放った。
煙のようにゆらりと揺れながら、ミエドは難なく俺の魔法を避けると、肩を揺らして楽しげに笑い声をあげる。
「ああ、姫を守る騎士様は随分と短気らしい……」
ミエドが避けた火の球が、大きな音を立てて爆発をする。
音の大きさで、何か起きたとわかったのか、各々の部屋の扉からジェミトたちが飛び出してきた。
「君のお姫様は随分と移り気なようだから、気をつけるんだよって言いに来てあげたんだよ」
数では圧倒的にこちらの優位なはずだ。だが、ミエドは微笑みを崩さない。
「――っ……のこのこ現れるとは、良い度胸だなあ!」
勢いよく踏み込んだ足音と共に、フィルが大きな声を上げる。壁を蹴り、死角からの一撃を狙ってフィルは腕を伸ばす。
無防備に数歩前へ出たミエドへ、あいつの姉だったものを纏わせた見えない剣先が届き真っ白な
一瞬だけ気がそれた。その一瞬の隙を突いたように、黒い何かが俺の頬を掠めて後ろへ向かう。
「っ……」
振り向いたときには、ジュジが左手首を押さえて蹲っていた。
一瞬の出来事だった。俺が反応できないなんて。
「クソ」
舌打ちをしながらジュジに駆け寄る。
先ほどのミエドは、おそらく幻覚ではない。魔力を帯びない幻術などないし、人形を操っていたとしても魔素や魔力の痕跡は残る。それに、転移魔法を使ったのだとしても必ず魔力の気配は手掛かりが残るはずだ。しかし、魔素の流れが動くこと無く、目の前からミエドは消えた。
ああ、でも、とにかく、今はジュジのことが優先だ。
彼女の肩を抱きながら、ジュジが抑えている左手首を確認しようと手を添えると、どこからともなくミエドの声が響いてきた。
――目印は付けた。だから、ボクは帰るとするよ。うちの女王様も気が短くてね。
相変わらず魔力の気配はない。これは
「カティーア、外まで行くか?」
「下手に動かなくていい」
「この部屋の中だけでもおれ、見てくるよ。行こうジェミト」
ジェミトとシャンテにミエドの捜索を任せて、俺はジュジの肩をしっかりと抱きしめる。
「もう、大丈夫です。一瞬だけ手首がすごく熱くなって」
そう言いながら細い手首をさすろうとして、ジュジが動きを止めた。
俺も彼女の手首を見て言葉を失う。
「これは……」
彼女の左手首に巻き付くような黒い模様が浮かび上がっている。それは、蛇の鱗に似ていた。
アクセサリーでいくらでもごまかせそうな位置だが、不気味なことには変わりない。
こちらには微かに魔力の痕跡はある……。魔法を用いて刻まれた印だということはわかるが、知らない様式のもので何を目的にしたものなのかまでは読み取れない。
「油断して悪かった。俺が、絶対になんとかするから」
ここで俺が不安になっても仕方が無い。
目を泳がせながら呼吸を乱すジュジをしっかりと抱きしめたまま、背中をそっと撫でた。
「謝らないでください。あなたのせいじゃないです」
首を横に振ってジュジは力なく笑う。
そんな彼女の手首をそっと握りながら、彼女の額に自分の額をくっつけた。
体温が特別高いわけではないし、ジュジの体内におかしな魔素の流れも今のところない。
「少しでもおかしなことがあったら、ちゃんと言ってくれ」
頷いて笑顔を見せるジュジにホッとしつつも胸が痛む。
だが、ここで狼狽えるわけにも、取り乱すわけにも行かない。
「何かあったら、すぐに
「……はい。すぐに、戻ってきてくださいね」
「当たり前だ」
ジュジに部屋へ戻るように告げて扉を閉める。そして、戻ってきたジェミトとシャンテの方へ足を進めた。
「ジュジは、どうなったんだ?」
眉尻を下げて、声のトーンを落としたジェミトが部屋の方を見ながら尋ねてくる。
「今のところ問題はないようだが……何かの印を付けられた。今はまだどう作用するかはわからないが一応……」
「あたしが……仕留められなかったから」
剣に目を落としながら、フィルが震える声でぽつりと、そんな言葉を漏らした。
こいつなりに責任を感じているらしい。溜息を漏らしながら俺は普段の小生意気な様子とは打って変わってしおらしくなったフィルの頭に腕を乗せる。
「
「でも……あたしが……あたしのせいでジュジが」
「お前のせいじゃない。とにかく、今日は部屋に戻って寝ていろ」
珍しく落ち込んでいるフィルの頭をぽんと撫でると、ジェミトが意外だと言いたげに目を丸くしてこちらを見てくる。
ここで言い訳するのも違うだろう。
まあ、こいつが落ち込んだままではジュジも気に病むだろうし、怒っていないこと自体は本当なのだが。
油断をしたのも、クソ胡散臭い男の侵入を許したのも全部俺のせいだ。
言いたいことを飲み込んで、三人に声をかけた。
「一応、俺が改めて周囲に結界を張っておく」
「了解。まあ、その、チビ共はオレに任せろ」
「助かる」
ジェミトは、シャンテとフィルの背中をポンと叩いて部屋へ戻っていく。先ほどまでバラバラだったが、全員ジェミトの部屋へ集まるようだった。。
襲撃があった以上、三人固まっているのは正解だろう。
部屋の
鮮やかな赤い絨毯の柔らかな毛に手を触れる。目を閉じて呼吸を整えながら、部屋を頭の中に思い浮かべる。
自責の念が胸を圧迫するみたいだ。チリチリと俺の手首を獣の呪いが蝕んでいる感触を覚えながら呪文を唱えることに集中する。
「夜伽の
全身が総毛立つ。魔力が流れ出ていくようなちょっとした脱力感と疲労感。
あとは、結界が完成するまで魔力を注ぎ込むだけだ。俺は姿勢を変えないまま思考を整理する。
アイツが現れる前後、結界が破られた気配はしなかった。寝ていても違和感があれば気が付くはずだ。それに、
結界を許可無く通過できるのは妖精に類する肉の殻を持たない者たちと虫やねずみ、蛇や鳥などの小型生物たち……。念のためだ。妖精避けと動物避けも結界に組み込んでおくか。
見えない檻を魔力で組み上げる。妖精を弾く結界は、自前の魔力のみで魔法を行使しなくてはならないので普段は使用することはないのだが、今は用心するに越したことはない。
「
目を開くと、辺りに漂っていた妖精たちの姿が消えていた。普段は使うことがない大規模な結界を張ったことでどっと疲れが襲ってくる。
寄りかかるようにして扉を開くと、心配そうな顔をして立っていたジュジがこちらへ駆け寄ってくる。
「大丈夫。朝まで保つ強力な結界を張っておいた」
「そういう心配じゃ無くて」
ああ、わかってるよ。そう思うけれどうまく言葉に出せない。
そのまま彼女の言葉を遮って、唇を重ねた。
仄かな薔薇の甘い香りがして、先ほど俺の左手首に走ったチリチリとした痛みが消えていく。
ああ、俺ばかり癒やされて良いはずがないのに。彼女の細い手首を掴んで、先ほど刻まれた蛇の鱗みたいな模様を撫でる。絶対に傷つけたくないと思っていたのに。
「これくらいじゃあ、私は壊れないです。それに、傷ついたって、あなたの隣に立っていられます」
「それでも、お前は不死じゃ無い。だから」
まっすぐに眼を見つめてきた深緑の瞳には、俺が映っている。
傷ついたのは彼女なのに、彼女に不安な自分を見透かされたような気持ちになって気ばかりが焦る。
「傷がある私は……いやですか?」
「そんなわけない」
「じゃあ、大丈夫です」
「そういう話じゃないだろ。俺が、お前を守れなかったのが……」
情けないんだ。そう続けようとした言葉が、俺の唇に当てられた彼女の人差し指で封じられてしまった。
弱々しく微笑んだジュジが、俺から数歩離れて、先ほど印が付けられた左手を持ち上げる。
「私はこの通り死んでいません。だから、ちゃんと守ってくれてますよ」
「ったく……」
彼女が見せた左手首を掴んで、もう一度自分の方へ引き寄せる。
傷ついた彼女が、こう言ってくれているのなら、もう落ち込んでも居られない。
そうだ、生きている。まだ打てる手はある。
「ありがとう。わかってるんだよ。ただ……さ」
「大丈夫。私も、わかってる。だから……一緒になんとかしましょう」
「一緒に、か」
小さく口の中で「そうだな」と呟くと、彼女の表情がふっと柔らかくなった。
ここまで言われてようやく、俺はまた一人でなんとかしようとしていたんだなと少しだけ反省する。
つい昨日「一緒に怖いことも辛いことも背負えます」というジュジの気持ちを聞いていたのに。
「怖いことも、辛いことも、一緒に」
彼女が、昨日言っていたことを、自分に言い聞かせるように呟く。
「はい」
微笑みを浮かべながら頷いた彼女を、もう一度、力を少しだけ込めて抱擁した。
柔らかくて細い身体は折れてしまいそうで、怖くなる。
この小さくて脆い存在を絶対に守ろうと思っていた。しかし、彼女は守られるだけだと嫌だと言った。
そっとジュジの髪を撫でて、抱き上げる。大人しく俺の首に手を回した彼女背中に腕を回してベッドまで運んでいく。
そのままゆっくりと彼女を下ろして、二人で寝転んだ。
「
「さあ、明日に備えて眠ろう。二人で……いや、みんなでなんとかしよう」
「はい」
仔犬のように丸まる彼女を抱きしめながら、俺は目を閉じた。
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