1-12:Genuine and Falseー本物と偽物ー

 こうして魔法院へ来る直前に、彼が私に話してくれたことがある。


 その日のカティーアは、なんだかそわそわと落ち着き無く見えた。

 私を呼び止めまではするけど、何かを言おうとして「やっぱり後でいい」と下を向く。それから、手の甲を向けて払うジェスチャーを何度も繰り返していた。

 一緒に暮らし始めたのが繁葉の月夏の終わり、今は二度目の雪が降り積もる季節。

 一年と半分以上の時間を一緒に過ごしているのに、こんなことは初めて。私もどうしていいかわからないので、彼に呼ばれては立ち止まり、そして追い払われている。

 セルセラを見てみる。でも、彼女も戸惑った様子だった。というよりも、呆れているのが近いのかな?

 彼の周りを飛んでいたけれど、何度か私を追い払ったのを見たあとは、外に出て庭に咲いている花の上で寝転び始めた。

 変なことを言って怒らせるのも気が引ける。だから、私は掃除と薬草の手入れをしながら、呼び止められては追い払われるを何度も繰り返していた。


「ジュジ」


 またか、と足を再び止める。

 どうせすぐ追い払われるんだろうなと思ったけれど、彼は手を止めて、咳払いをした。

 どうやらこれは、何度目かの正直というものらしい。

 目を泳がせながら、カティーアは「あー」とか「うー」と小さく唸って腕組みをする。

 何もしないまま、彼の前にただ立っているだけなのも気まずくて、つい「なんですか」と声を掛ける。

 その声を聞いて、短い溜息を吐いた彼は、顔を上げて私の顔をまっすぐに見つめた。


「ヘニオにお前を連れてくるように言われた」


 めんどくさそうにガシガシと頭を掻いて、なにか諦めたような、少しだけ早口になって彼はこういった。


「だれですかそれ?」


 きょとんとする私を見た彼は、下を向いて大きな溜息を吐く。

 魔法とか呪いについて聞いたときとか、部屋の前へ運んだ食器をどうして放置するのかとか、留守中に届いた可愛らしい蝶の形をした手紙はなんなのとか、そういう彼にとって言いたくないものを尋ねたときによくする話し方だ。

 何かの単語や人名を唐突に出すときは、大体言いたくないことを言わないといけないけど、それを誤魔化したい時によく出る彼の癖。

 聞き直せば、目を逸しながらも私に伝わる言葉で言い直すこともある辺り、本人は自覚していない癖なんだろうなと思うと少しだけ微笑ましい。

 でも、今はそれどころではない。一体私は、誰に会わないといけないのだろう。

 つい、誰ですかと聞いたけど、まさか魔法院の院長のことを指しているわけではないと思いたい。


「お前は、俺と一緒に魔法院の最高責任者に会うことになった」


 気まずいから誤魔化すというよりは、気が進まないことみたい。

 いつもの様子とは少し違う彼の表情を見て、少しだけ不安になる。


「察しのいい子で助かるよ。わかってると思うが、俺はお前が気に入ってるし、死んでほしくない。改めて言っておくが、俺はお前を使うつもりもない」


「え? 私は、てっきりそろそろ使われるのかとばかり」


「へ?」


 私はこの時の、カティーアが驚いた顔を一生忘れられないと思う。

 普段はなんとなく本心を隠しているのはわかるし、不機嫌さも怒りも計算をして表に出していると思う。

 でも、本当に呆気にとられたように目をまんまるに見開いて、間の抜けた声を出す彼の顔は初めて見た。

 思わず吹き出してしまった私の目の前で、彼は頭を両手で抱えてしゃがみ込む。


「ええ……うっそだろ……」


 そのまま呻くように呟いた彼は、何度目かの深い深い溜息を吐いた。

 そして、しゃがみ込んだまま両手を前に投げ出して、私の顔を見上げる。


「だって……私はそういうモノなのでしょう?」


 私の言葉を聞いて、カティーアは両手で顔を覆った。


「気に入ってなかったらとっくに殺してるっての……」


「……え、でも……そういうことはもっとちゃんと……」


「とにかく!」


 私の言葉の続きを遮るように、大きな声を出したカティーアは勢いよく立ち上がる。


「俺が、ヘニオの前でお前をどんな風に言っても真に受けるなよ? 以上」


 気に入ってるって?

 死んで欲しくないってなんなの?

 だってそんなこと全然言ってくれなかった。

 いい子にしてるからというのは……扱いやすいという意味だと思っていたのに。

 色々聞こうとしたけれど、カティーアは自分が言いたいことを言い終わると、すぐに私に背を向けてスタスタと自室に入ってしまった。

 こうなるとしばらく出てきてくれない。それに、私も、彼の言葉をまだ受け止めきれていない。

 夜はあっと言う間に明けて、魔法院のすごく豪華な部屋で、ヘニオを目の前にして冷や汗をかきながら必死で立つことになった。


「情が移ってないのならよかった。調べた結果、それは貴重な個体だということがわかったの。こちらで引き取る代わりに別のアルカを手配することが決定したわ。というわけで、それまでは幾つか粗悪品ホムンクルスを送るから、それを使ってちょうだい」


 ヘニオの白い指先が擦り合わされて、パチンと乾いた音がした。

 はっと我に返った私が気が付いた時には、体が動かない。なんとか視線だけ横に動かすとオリーブ色のマントを着た誰かが自分の腕と背中を押さえていることだけわかった。

 スッと首元に冷たい感覚が走る。

 刃物を当てられているとわかって、背筋がぞっとする。


「っ! ふざけんな」


 私をはがいじめにしているオリーブ色のマントを着た背の高い男は、カティーアの手をひらりと躱した。

 地面を一蹴りして、ふわっと体が浮く。

 痛い……と呻いた後、横を見ると隣にはカティーアではなく、豪華な白い椅子に腰掛けて微笑みを浮かべるヘニオがいた。

 カティーアがたくさんの兵士たちに抑えつけられているのが目に入る。怒りを露わにしながらヘニオを睨みつけている彼は威嚇をしているヤマネコみたいだ。


「なにかコレに固執する理由でもあるのかしら?」


 一つに纏めている私の黒い髪を掴んで顔を持ち上げたヘニオと、吐息が掛かりそうな距離で見つめ合う。

 彼女の氷のような冷たい視線は、興味なさげにすぐに離れて、それと同時に乱暴に髪の毛を掴んでいた手も離される。


「ふむ……。特別に容量が大きい貴重なアルカではあるけれど、絶世の美女ってほどでもないし……そうねぇ……あの時お前が食い殺したと少しだけ似ている……かしら?」


 笑うヘニオの視線を追う。耳に人間の呻き声が幾つも聞こえてきて足が竦む。

 ゴボゴボと気管に液体が詰まったみたいな音と骨の軋む音が聞こえてきて耳を防ぎたくなるけれど、私の体は相変わらず男の人が羽交い締めにしているのでそれも出来ない。

 視線の先で繰り広げられる人が鎧の隙間から血を吹き出して倒れ、黒い毛玉を吐き出してのたうちまわって息絶える姿を見ていることしか出来なかった。

 その凄惨な光景を前にして、私の背後にいる男が刃物を持つ手に力を入れた。首筋に刃物の切っ先が刺さって熱を帯びる。


「……それ以上余計なことを言ってみろ。てめえの腕一本くらい引きちぎってやる」


 怒気を孕んだ声でそういったカティーアはゆらりと立ち上がった。そんな彼を目の当たりにしてもヘニオの表情は変わらない。

 美しい顔に微笑みを浮かべたまま、今にも飛びかかってきそうな彼へと更に話を続ける。


「たかがアルカひとつのためにそんなに怒るのは珍しいわね。例えばそうね……『呪いを解いても貴方は天才だ』なんて甘言を言われて……今更それを間に受けたとか?」


 唸るように「違う」というカティーアの声を無視して、ヘニオは彼に近付いていく。


「魔法を使えなくなったお前が、今さらどう生きるっていうの?」


 何も答えないままで、自分を睨むだけのカティーアを見て、ヘニオは満足そうな笑みをを浮かべた。

 自分を殺すつもりは彼にないと言わんばかりに、無防備な背中を晒しながら、ゆっくりとした足取りで席へと戻ったヘニオは優雅に椅子に腰を下ろす。


「呪いもね、お前は解けないのではなく、完全には解かないだけだってその子に教えてあげたら?」


 隣りにいる私の顔とカティーアの顔を見た彼女は頬杖を付きながら、余裕を示すように自分の巻き髪を弄ぶ。


「本物の天才である私と違って、呪いの恩恵を失い魔法が使えなくなった化物こいつには価値も居場所もない」


 オリーブ色のマントを纏う男に後ろで括った髪を掴まれる。顔を無理矢理持ち上げられて少しだけ頭が痛んだ。

 美しい顔のまま口元を引きつらせるように笑うヘニオは、なにも答えないまま俯いているカティーアを見下ろして言葉を続けた。


アルカの娘、私があの魔法使いの代わりに教えてあげる。貴女が慕っていたのは英雄でも天才でもない。他人を犠牲にしてもなんとも思わない唯の醜い化け物なの」


 カティーアは何も答えてくれない。握った拳を震わせているのが見える。


「ここまで言えば世間知らずで愚かな貴女にも現実がわかるでしょう?」


 両頬を手で触れられ、視線をヘニオに強制的に向けられる。さあ、答えなさいとでもいいたげな口調に、さっきまで怖かったはずなのにムカムカとした気持ちが沸き上がってくる。


「いいえ。わからないです」


 さっきまで動揺すらしなかったヘニオが、僅かに眉をしかめる。

 きっとただでは済まないことはわかってる。でも「彼が醜い化け物だ」なんて言葉に対して「わかった」なんて言いたくなかった。それを言うくらいならここで殺されたって構わない。

 だから……私はせめて、彼のことをそんなふうに思っていないって伝えたくて、震えそうになる声を抑えながら言葉を続けた。


「私は世間知らずで愚かです。でも、私にとってのカティーアは英雄で、天才です。思っていた人とは違ったけれど……それでも私は彼を」


 言い終わる前にバチンという音と共に痛みが体中に走る。少しだけ胃の中身を吐き出した私は床に叩きつけられる。遠くでカティーアの怒った声が聞こえる気がするけど、なんていっているかまでは聞き取れない。

 最後になるかもしれないから、必死で耳を澄ますけど私の意識はどんどん遠のいていった。

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