5-41 :Fulfilled Promisesー役目を終えた亡霊ー
「ああ、よかった」
聞き覚えのある声がして、目を開く。
銀色の髪、空色の瞳……今にも泣き出しそうなヘニオの顔を見る。
色艶の良い髪、くすんでいない肌。ああ、あの時ではなくて、今の仮初めの身体の彼女だ。少し寂しく思うと同時に、きちんと元の世界へ戻ってきたんだと安堵する。
耳元に当たっている吐息を感じて横を見てみると、俺の腕を抱えるようにして眠っているジュジの安らかな寝顔がある。
「あの、みなさんを呼んできますね」
小さな足音を立てて去って行ったヘニオを、俺は横になったまま見送った。
少し時間があるな。少し悪戯をしてやろうと思った俺は、隣でまだ眠っている彼女の小さな鼻をそっと摘まんでみた。
顔を背けて小さく「ううーん」と呻いたジュジが眉を顰める。その様子が、小さな仔犬のようで、とても可愛らしい。温かなジュジの頬にそっと触れて、滑らかな肌をそっと撫でる。
「……壊れたりしない特別製だから、か」
彼女が言った言葉を、自分でも口にする。
最初に俺を助けるときに言ってくれた「私は壊れたりしない」って言葉が、今は俺を支えてくれている。俺と彼女を繋ぐ、確かな絆。
「なあ、俺の宝物。そろそろ起きてくれないと寂しいんだが」
彼女の額にそっと手を当てると、ジュジの体が僅かに反応を示す。
月も星もない夜空から紡ぎ出したような漆黒の髪。細くて柔らかい彼女の髪に指を通すとサラサラと音を立てて彼女の肌にゆっくりと落ちていく。
「恋物語のお姫様は、確か真実のキスで目が覚めるんだよなぁ?」
彼女の瞼がピクッと動いた。さっき鼻を摘まんだときに、起きているのはわかっている。
それでも俺は、起きていることに気が付かない振りをして、彼女の唇にそっと自分の唇を重ねた。寝たふりをされている仕返しに、舌で彼女の小さな口内を優しく撫でる。
「……もう」
顔を離して彼女の顔を見ると、目をぱっちりと開いたジュジが耳まで真っ赤にしていた。深緑の少し潤んだ両目には、得意げな顔をしている自分が映っている。
「クク……真実のキスだからな。特別気合いを入れたつもりだったが……」
目で何かを訴えてくるジュジが可愛らしくて、思わず声を漏らして笑っていると、ドタドタとやかましい足音が近付いてきた。
上体を起こして、思い切り伸びをしながら部屋を見回した。
磨かれた真っ白な石壁と真っ白な床。
獣の毛皮を敷き詰めた寝心地の良いマットレスに、肌触りの良い
「カティーア!死んだかと思ったぜ」
「ジュジも、起きてよかった」
ジェミトとシャンテが勢いよく飛び込んできて、俺の顔を見て笑う。
「あたしは腹が減った」
フィルだけはなにやら硬く焼いたパンのようなものを頬張りながら呑気にヘニオの後ろから部屋に現れた。
どうやら俺たちが眠りに落ちてから半日程度経過していたようだ。
手の甲を確かめてみるが、蝶の紋章はどこにもない。
髪をかき上げてそっと耳に触れてみる。翡翠の耳飾りが残っている。
本当に、時渡りをしたんだな。俺は、目の前で不安そうな表情を浮かべているヘニオの手を取った。
「ヘニオ、お前」
俺に触れられながら名前を呼ばれると、ヘニオは肩を竦ませて身体を強ばらせた。
ああ、あの頃のままの彼女なんだな。そんなことを思いながら、俺はヘニオの頭に手を伸ばす。
冷たい彼女の銀色の髪を撫でる。目を丸くして俺を見るヘニオを安心させるために俺は微笑みを向けた。
「イガーサとの約束、果たしてくれてありがとう」
「カティーアさん、わたし……わたし……」
俺に抱きついてきたヘニオは、そのまま子供のように大きな声をあげて泣いた。
そんな彼女の背中に手を回し、背中をゆっくりと摩って落ち着かせてやる。
「俺さ、魔法院と手を組もうと思う。お前が可哀想だからじゃなくて、ちゃんと、俺自身のために、だ」
「せっかく、自由になったのに…ですか?」
拭っても拭っても零れてくる涙を浮かべたまま、大きくて小動物めいた瞳でヘニオは俺を見つめて、心細そうな声を出した。
この反応を見るに、目覚めたときに本体の持っている記憶は共有しているのだろう。
俺が魔法院から離れたことを知って、再びここに来た俺を見て彼女はどんな気持ちになったのだろう。イガーサの約束を果たした後、意識を失う俺を見て彼女はどれだけ心配をしてくれたのだろう。それを考えると胸が痛くなる。
「大丈夫。捕らわれに行くんじゃないし、自暴自棄にもなってない。利用できるものは利用する。それだけだ」
自暴自棄でもない。捕らわれるつもりもないのは確かだ。だが、不安がないわけではない。
だから、あの頃のヘニオにしたように、俺は少しだけ格好を付ける。少しでも、彼女が自分自身を責めないように。
シーツの下でそっとジュジの手を握ると、彼女の少しひんやりとした手で俺の手を握り返してくれた。
「オレは、昨日言ったとおり賛成だ。氷の蛇を倒すのが目的だからな」
「おれも!」
ジェミトとシャンテが、俺の肩に手を置いて笑いながら頷いた。
その様子を見たヘニオは、目尻に浮かんだ涙を指で拭うと口の両端を僅かに持ち上げて微笑む。
「あたしは、まあ、行くところもないし」
フィルも、乗り気ではなさそうだが、付いてくるらしい。まぁ、嫌われてはいないにしろ好かれているとも思っていないので上々な反応だ。
俺たちの言葉を聞いたヘニオは、胸元から青い六角錐の魔石を取り出した。
「わかりました。では、本体へその旨を伝えておきます」
魔石は魔力を帯びてぼうっと淡く光ると、そのまま鳥の形になってどこかへ飛んでいく。
「あの……最後にちゃんとお話しできてよかったです。あの時のわたしは……なにもできなかったから」
鳥になった魔石の姿が見えなくなると、ヘニオはそう言葉を続けた。
一瞬なんのことかわらからずに首を傾げるが、すぐにイガーサが死んでからすぐのことだと気付く。
憔悴しきった俺は誰の言葉も聞こえなくて、みんなと会うのを避けていた。そのまま俺たちは離ればなれになって、勇気を出して話そうと思ったときには、もうあいつらは天寿を全うした後だった。
それは、ヘニオのせいじゃない。どちらかというと、俺だけが悪いんだ。あいつらは、多分俺のことを責めたりしないってわかっていたのに。
「気にするな。俺は大丈夫だったし、怒ってもいないから」
ヘニオの頭を撫でる。俯いて再び泣きそうになっている彼女の手を、ジュジが両手で握った。
「感謝してます。イガーサさんとの約束を守ってくれたこと」
顔をあげたヘニオは、ジュジを見て目を丸くした後、うれしそうに微笑んだ。
「あなたは……このまま消えてしまうんですか?」
「はい。役目を終えた亡霊は、消えるべきです。凡庸な魂であるわたしに…永すぎる時は耐えられそうもないので」
伏し目がちになりながら、ヘニオは首を縦に振る。
「ん、俺が化け物っていいたいのか?」
「あ……ちが……その」
「ククク……冗談だ。悪い」
しどろもどろになるヘニオに、俺とジュジが顔を見合わせて笑うと、ヘニオは拗ねたように頬を膨らませて「もう」と呟いた。少しは元気づけられたみたいだ。
俺とジュジはそのまま起き上がった。
「じゃあ、俺たちはそろそろ行くよ」
「お送りしますね」
すぐに準備を終えた俺たちは、荷物を手にしてヘニオの後ろを付いていく。
長い上り階段の前までヘニオに連れてこられた俺たちを、見る彼女の表情は穏やかだ。
名残惜しい気持ちを我慢して、俺は彼女に背を向けて階段を登り始めた。
「元気でな…ってのも変だな」
最後の挨拶を……と振り返る。なんて言っていいかわからずに口ごもると、ヘニオは銀色の髪を揺らして微笑んだ。
先に歩いていたジェミトたちはもう階段の上にたどり着いたみたいだ。開かれた上段の扉から差し込んだ太陽の光が彼女を照らす。
「ふふ……。そうですね。カティーアさんは、その、お元気で」
「ああ」
後ろ髪を引かれる思いをしながら、再びヘニオに背を向けて歩き始めた。
きっと泣き虫な彼女はまた泣いているんだろう。背後で小さく鼻を啜る音が聞こえる。
扉に手を掛けて、ジェミトたちと共に外へ出た。
「あの!」
大きな彼女の声が響く。
ゆっくりと自動で閉まり始めた扉の遙か下から、ヘニオの声だけが聞こえてきた。
「ずっと大好きでした。幸せになってください」
戻ることは叶わない。彼女の言葉だけ残して、扉は完全に閉ざされた。
ヘニオが最後に告げた「大好きでした」の意味がどういう意味なのかわからなかった俺は、隠し扉の前で顎に手を当てて考える。俺が動かないでいると、肩を肘で乱暴につつかれた。
「うら若き乙女の初恋を奪う悪い男だな」
楽しそうに笑うジェミトの言葉で彼女の意図に気が付く。
いや、本当は薄らと気が付いていた。でも、そんなはずはないと言い聞かせていたのに。
隣にいるジュジへ目配せをする。そんなことはないと言って欲しかった。
ヘニオにとって、俺は兄のような存在で、そういう恋愛とかではないはず。だってそうでなければ……とても思わせぶりで残酷なことを俺はしていたんじゃないか?
「……気が付いてなかったんですか?」
シャンテとフィルへ助けを求めようとするが、二人はきょとんとして俺たちを見ているだけだった。
「気付かないようにしていたというか……その、ああ……」
両手で顔を覆って過去のことを思い出す。言われてみれば心当たりが幾つもある。叶えてやれない初恋だったとして、もっとやりようがあったのではないかという後悔が急に襲いかかってきた。
「まあ、お前らしいよ」
呆れたような表情を浮かべながら顔を見合わせるジュジとジェミトに肩を叩かれながら、俺はかぶりを振って気持ちを切り替えようと試みた。
頭痛がしそうになる。額を抑えながら歩き出すと、隣にやってきたジュジが俺の手を握った。
「いじわるしてごめんなさい。怒ってます?」
「大丈夫。己のふがいなさを悔いていただけだ」
俺の顔を覗き込んできた深緑色の瞳の中に、柔らかく微笑んでいる自分が映る。
彼女の瞳が、かつて琥珀色だったことを忘れないようにしよう……。漠然とそんなことが頭に浮かんだ。
彼女の瞳の色が変わったとき、最初は正直ホッとしていた。琥珀色の瞳に、イガーサの面影を重ねそうで怖かったから。でも、今は違う。
瞳の色なんて関係なく、俺は彼女にイガーサを重ねることはないって思える。だからこそ、彼女の本来の美しい瞳の色を俺が変えてしまったことが少し悲しく思えた。
「今のお前も、出会ったときのお前も、俺はどちらも変わらないくらい愛してるよ」
顔を赤らめた彼女の髪をそっと撫でて、俺は前を向いて歩き出した。
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